【ねむねこ。外伝】夢を護るきつねと、桜の伝説
「ねえ、ねえ! ねこま屋って、いつからここにあるの? 昔から?」
喫茶ねこま屋の片隅で、元気いっぱいの小学生・こはるちゃんがチマたち三姉妹に質問を投げかけていた。
「うーん、どうだったかなぁ。昔からって言っても、わたしが来たときにはもうあったし……」
「園長先生が開いたって聞いたけど、それもだいぶ前なんでしょ?」
「昔は茶屋だったって、誰かが言ってたような……?」
三人が首をかしげていると、奥の座敷でちゃぶ台に肘をついていたおばあちゃんが、くるりと振り向いた。
「そりゃあんたら、“夢桜里”の昔話を知らんのかい? なら、わたしが話してやろうかねぇ」
ときばあちゃん――この街で長く暮らす古株のひとりが、湯飲みを片手ににっこりと笑った。
* * *
今からおよそ五百年前。陰陽師と妖怪が争っていた時代のことじゃった。
一面に桜が咲き誇る“桜の里”と呼ばれたこの地に、一匹の子ぎつねが瀕死の状態で逃げ込んできてな。
名を「コン」と言うてな。その子は伝説の妖狐の末裔で、当然のように陰陽師に追われとったんじゃ。
まだ幼くて、言葉も話せず、妖力もろくに使えんコンにとって、陰陽師に見つかるっちゅうのは、つまり死を意味していたんよ。
兄や姉たちはもう討たれ、たったひとり、コンだけが生き延びとったんじゃ。
なして人間は妖を狩るんか。何がそんなに違うのか。コンにはさっぱりわからんかった。
そしてのぉ……彼女は、一際大きな桜の木の下にうずくまり、ここが自分の最期の地だと悟ったんじゃと。
――そのとき、一人の旅の巫女が現れたんよ。
「ありゃりゃ〜? こんなところに、きつねっこが倒れてるとはねぇ」
巫女はコンをそっと抱き上げ、優しく語りかけたんじゃ。
「大丈夫? 傷、ひどいねぇ。今、治してあげるから、ちょっと待ってなさいな」
風呂敷を広げ、薬草を取り出しての。巫女は旅の者で、いくつもの地を巡ったせいか、いろんな言葉が混ざった不思議な話し方をしとったそうじゃ。
「天にまします八百万の神々に願い奉る。穢れを祓い、この子の命をお救いくださいませ……」
その祈りに応じて、神々は力を貸したんじゃろな。
コンの体からは妖の穢れが祓われ、やがて言葉を話す力を得た。そして、神に仕える神獣として生まれ変わったんじゃと。
――けれどもな、その直後、コンを追ってきた陰陽師が現れたんよ。
陰陽師はすぐに攻撃しようとしたけど、もうコンには通じんかった。
「わしはもはや妖ではない。神に仕える存在となったのじゃ」
そう名乗ると、神々しい光がコンの背に差し、神の遣いとしての証が浮かび上がったんじゃ。
陰陽師はそれでも納得せんと、なんと巫女に刃を向けたんよ。
「我らに逆らった報い、受けてもらおう!」
刃が巫女に向かって振り下ろされた瞬間、風がざわりと鳴ってのう、巫女の体がよろめいたかと思うと、その場に倒れ込んでしもうたんじゃ。
コンは結界を張って巫女を守り、「わしの命はくれてやる。この者を助けてくれ」と神々に願ったんよ。
神はその願いを聞き入れ、コンの命と引き換えに巫女の命を救ったんじゃ。
……そして、コンは静かに息絶えたんよ。
* * *
巫女が目を覚ましたとき、そばには、満開の桜の下に眠る小さな狐の亡骸があったんじゃ。
「……ごめんね、助けてあげられなくて……」
そのとき、空から声が聞こえたんよ。
(巫女よ……これは試練。おぬしはどうする?)
巫女は答えたんじゃ。
「この子を、新たな神に……」
(それは叶わぬ。だが、夢を与えることはできる)
「夢……?」
(この“桜の里”に、永遠の夢を。おぬしは眠り、狐の魂と一つになる。それでも良いか?)
「……構いません。この子が生きるなら」
(では、おぬしの体に狐の魂を宿し、この桜に封じよう。おぬしの命は、狐が望むまで続く)
巫女はさらに言うた。
「……一つだけ。この子が死を望んだとき、私も共に……」
(それは叶わぬ。だが、これはあくまで夢であるゆえ、おぬしもこの狐も死ぬことはない。永遠に生きる存在となろう。ただし、それはこの“桜の里”の中だけの話だ。外に出れば夢は終わる。そのことを忘れるでないぞ?)
* * *
それからのことじゃ……
神の力によって巫女とコンの魂はひとつになり、桜の木に宿されたんじゃ。
その桜は“夢を見る木”となり、いつしかこの里も夢桜里と呼ばれるようになったんじゃな。
そしてな――その桜の木のそばには、ひとりの少女の姿が現れるようになったそうじゃ。
「まったく、ふざけた話じゃ……。だが、わしを生き返らせてくれた巫女殿には感謝してもしきれぬ。こやつと共に、この夢を護ってみせようぞ」
そう言って、ふわりと笑ったきつねの少女。それが、イナリちゃん様なんよ。
* * *
「……というわけじゃて」
語り終えたときばあちゃんは、湯飲みのお茶をぐびりと飲み干した。
「ふぇぇぇ~……な、泣ける……」
「そんな……おとぎ話みたいだけど、本当にあったの?」
「ほんとにイナリちゃん様って、神さまなの?」
こはるちゃんと三姉妹がいっせいに聞き返す。
ときばあちゃんは、ちゃぶ台の上にあった一枚の小さな絵馬を手に取った。
「ほれ、この神社の奥にある桜の木……いまでも、願いをかければ、夢の中で答えてくれるって言うんよ」
「夢を追う者に、なりなさい」ってな。昔の人は、それを“夢追いなり”って呼んどったらしいわ。
そこから、いつのまにか“ゆめお稲荷”って呼ばれるようになったんやとさ。
うまいこと言うもんやろ?
そうして、いまもこの夢桜里の中では――
巫女とコンが見続ける“夢”の中で、イナリちゃん様は街を歩いとるんよ。
この町の中でだけは、夢がほんとうになるんじゃて。
……ほら、神さまの夢って、ちょっと特別なんよ」
ときばあちゃんがにこやかに笑った、そのすぐあとだった。
店の窓の向こう、夢桜里稲荷の鳥居のあたりを――
小さな狐耳の女の子が、ふわりと通り過ぎていった……ような気がした。
この作品は、オリジナル創作企画「ねむねこ。」の世界を舞台にした外伝短編です。
喫茶ねこま屋のある街・夢桜里には、いまも静かに語り継がれる小さな伝説があります。
登場するキャラクターや場所は、「ねむねこ。」本編にも登場しており、
今後の物語のなかで少しずつ、そのつながりも描かれていく予定です。
「ねむねこ。」の世界観をご存じでない方にも楽しんでいただけるよう工夫しておりますが、
気になった方はぜひ公式サイトや他のエピソードもご覧いただければ嬉しいです。
●「ねむねこ。」公式サイトはこちら → http://nemuneko.stars.ne.jp/