疑惑と困惑
ダルンフィルは左の上腕を負傷していた。ほんのかすり傷だ。問題はその傷の原因だ。
ダルンフィルは、アンスフィルが矢を放って自分を殺そうとしたと主張した。現場には、アンスフィルのものと思われる矢が残っていた。
狩りの際は、誰が仕留めたのかが分かるように自分の矢に目印を付けておく。現場に残っていた矢には、アンスフィルのものであることを示す目印があった。篦、つまり矢の軸に、青い糸と赤い糸が巻き付けられていたのだ。
アンスフィルも、この矢は自分のものであると認めた。しかし、兄に向けて矢を射たことは否定した。
目撃者はいなかった。
集まってきた従者たちが見たものは、左腕を押さえて「アンスフィルに殺される!」と叫ぶダルンフィルと、呆然と立ち尽くすアンスフィルだった。
従者たちは大層困惑したが、取りあえずアンスフィルを拘束した。
拘束されたアンスフィルを連れてこられたマテルボルン伯たちも大層困惑した。このような展開は予想していなかった。
ダルンフィルがアンスフィルを害する可能性は誰もが想像していたが、それだけにダルンフィルは何もできないことも予想できた。この狩りでアンスフィルに何かあれば、純粋な事故であったとしてもダルンフィルの悪意が疑われただろう。それが分からないほどダルンフィルも愚かではない。
目撃者はいない。ダルンフィルとアンスフィルの証言は相反している。一体、どのように裁けばよいのか。
ダルンフィルの家臣たちは、この事件に乗じてアンスフィルの完全な排除を求めた。彼らにとって真実などどうでもよい。口実になりさえすればよいのだ。
アンスフィルの家臣たちは、ダルンフィルの陰謀でありアンスフィルははめられたのだと主張した。
マテルボルン伯は頭を抱えた。ダルンフィルの、唾を付けておけば治りそうな些細な傷も、現場にあった「だけ」のアンスフィルの矢も決定的な証拠とは言えない。アンスフィルの矢を手に入れて、自分で腕に傷を付けるくらいのことはできる。
矢が思い切り突き刺さっていれば信憑性が増したものを、ちょっと皮膚が切れた程度の傷しか付けられなかったあたりがダルンフィルの限界か。「あの小心者め」と心の中でダルンフィルに毒づいてから、自分はダルンフィルの証言を全く信じていないことにマテルボルン伯は気付いた。無意識にアンスフィルの味方をしていた。
リリスフィールの介入も厄介だった。いつまでアンスフィルを罪人扱いしているのかと夫をなじり、ダルンフィルの家臣たちを叱責した。口出しするなとは言わないが、感情論では禍根を残す。
早く結論を出さないと、お家騒動に発展しかねない。
伯爵領に動揺が広がる中で、アンスフィルが父であるマテルボルン伯に「領外に退去する」と申し出た。
「退去してどうする」
「さて、遍歴騎士として諸国を巡り、仕官先を探すのも一興かと」
「今出ていけば罪を認めたも同然だぞ?」
「それでも構いません。『兄の暗殺未遂犯を領外に追放』とでもすればマテルボルン伯領も収まるでしょう」
マテルボルン伯はアンスフィルの顔を無言で見つめた。長時間だったような気もするし、一瞬だったような気もする。そして、深いため息をついた。
「その必要はない。事件の黒幕の目的は全て分かった」