愚兄と賢弟
本作は『居眠り卿とナルファスト継承戦争』(完結済み)の登場人物の前日譚です。また、「居眠り卿」の後の話にも少しだけ関係しています。
世界観や人名のルールなどは『居眠り卿とナルファスト継承戦争』をご参照ください。
ヴァル・フォロブロン・アンスフィルにはダルンフィルという2歳違いの兄がいる。
アンスフィルは幼い頃から学問も武芸もそつなくこなした。目を見張るような突出した才はないが、何をやっても人並み以上にできた。やや皮肉屋ではあるが不正を憎み、貴族として気高くあろうとしていた。叔父からは、「面白みはないが上出来」と評された。褒められているのかけなされているのか判然としないが、アンスフィルは取りあえず褒められたと解釈することにした。
対してダルンフィルはというと、何をやってもアンスフィルに及ばなかった。幼少期は、2年先に生まれたという優位によって優勢を保っていた。だが長ずるに従って差は縮まり、そしてアンスフィルに抜かされていった。純粋な腕力だけはアンスフィルを凌駕したが、帝国爵位を持つ上級貴族として腕力などというものを誇っても仕方がない。力比べでアンスフィルに勝って勝ち誇るダルンフィルに、父であるマテルボルン伯ケルノフィルは「無価値な勝利である」と言い放った。
このような関係であるから、愚兄は賢弟を憎んだ。大いに憎んだ。よくある話である。ご多分に漏れない話である。兄弟は、「賢兄と愚弟」「愚兄と賢弟」「同程度の兄弟」の3種類のどれかになるしかないのだ。兄弟を姉妹、あるいは男女混合にしても、その関係は結局3種類に収斂するのだから「よくある話」になるのは当然だろう。
ダルンフィルは事あるごとにアンスフィルを罵り、機会があればアンスフィルに恥をかかせてやろうと画策した。だがダルンフィルの浅薄な悪巧みなど簡単に露見した。アンスフィルは反撃こそしなかったが兄の罠を巧妙に回避して、結果的にダルンフィルが恥をかくことになった。
出来は悪いが嫡男のダルンフィルにこびへつらい、家督相続後の優遇を期待する者が大半だが、アンスフィルに心を寄せる者も少なからずいる。ダルンフィルがアンスフィルを憎み、醜態をさらすほどにアンスフィル支持者は増えていった。
ダルンフィルとアンスフィルの母であるリリスフィールがアンスフィルを溺愛していたことも、事態を複雑化させた。
エルメトリン伯の娘として何不自由なく育った彼女は、多少気が強いところはあるが高い知性でマテルボルン伯を支えていた。マテルボルン伯の家臣たちも彼女の判断力を高く評価し、「さすがエルメトリン伯のご令嬢かな」と褒めそやしていた。
だが、アンスフィルが生まれた辺りから雲行きが怪しくなった。ダルンフィルよりも賢く、見た目も自分に似て美しいアンスフィルを偏愛しだしたのである。それでも初めの頃は抑制が利いていた。しかし2人の子が長ずるに従って両者の能力の差が広がるにつれて、リリスフィールの心もアンスフィルに傾き続けた。
これがダルンフィルをゆがませる一因であることは疑いようがない。母に邪険にされ、弟だけが愛される様子を見せつけられたダルンフィルにも同情の余地はあった。