ホタル思いだす夜
私の住むところは田舎だ。
小学校の全校生徒を集めても、普通の学校の一クラス分いるかいないか。
普段、表を歩くのはお年寄りばかり。
そう。ここは絶賛過疎地域。
「頑張ってね~、マキ」
まだまだ明るい夕暮れどき。
笑顔で送り出す母とは対照的に私の顔は暗かった。
なんで……なんで私が、子供の蛍観察会なんてものに付き添わなきゃいけないの……!?
はっきり断れない性格が災いして、こういう地域行事のタダ働き……ボランティアは私に回ってくる。
いつも他の同世代に断られてから最後に私だったが、最近じゃダイレクトに私だ。
他の子といえば用事があったり、そんなに親とも話さなかったり、なんならこんな田舎から出て一人暮らししてたり、そもそもこんなことはハッキリ断ってたり……。
用事もなく、いつも家でゴロゴロしてるだけのくせに、近所ではいい子ぶってる私。
そんな私って断る理由がないんだよね。……無念。
最初引き受けた時はいつもと同じく、近隣の子供がポツポツくる程度だと思っていた。
しかし集合場所へ向かうと県外ナンバーの大型バスが……しかも数台。
もう! 今年はなんでこんなに規模がデカイんだよ、田舎なのに!
というか、ホタル見にわざわざこんなことまでするなんておかしい! そのせいで私がこんなめに!
……などとひとりイライラしていたが、実行委員会のおじさん達に話しかけられて何とか笑顔に変えた。
「悪いね~。せっかくの休みにこんな面倒させちゃって」
「いえいえーいつも言ってる通り家でゴロゴロしてるだけですし、全然! はい、大丈夫ですよ」
はぁ……もう、私の馬鹿。自分の外面の良さが恨めしい。こんな事言ってたら絶対また頼まれちゃうよ……。
「ゴメンね~。いつもいつも……。あ、それで流石にいつも若いのはマキちゃん1人だけ、なんてどうかと思って今回ダメ元でうちの息子に頼んだらさー、調子よくOKされたんだよ!」
「息子?」
「突然でまた悪いけど、一通り教えてやって! ほらっ挨拶しろ!」
へっ、うちの息子? この人の息子って確か二人いたけど、これは多分ふたつ下の……。
よく見るとおじさん達の後ろからその息子本人がこっちを見ていた。
おじさんの後ろにもっと大きな彼が立っていたことに、今になって気づく。
「……どうも」
あのう、見た感じ機嫌が良さそうじゃないんですがいいんですか……?
不安になる私をよそに、おじさんに呼ばれた彼は心底嫌そうに私の前に来る。そしてペコっと頭を下げた。
「よろしくお願いします……」
「もっと明るく言えよ陰気臭ぇな! んじゃ、こっちが終わるまで、マキちゃん頼んだよ!」
そう言っておじさん達は子供たちが待つであろう集落センターへ入って行った。
私と彼を置いて。
ちょっ、このあと30分くらいふたりで待たないといけないんですけど……。
説明なんてどう考えても5分もかからないんですけど……。
「……あの!」
「ひっ、……な、なんでしょう?」
急に後ろから肩を軽く叩かれてビクッとしてしまった。
相手もそれに気付いたらしく、しまったという顔をしながら頭をかく。
「いや、その、何度呼びかけても返事がないんで……。いきなり肩叩いてすいません」
「あぁ! そうだったんだ。ごめんね、えーと」
そうだ、返事くらいしなきゃ。
って……アレ? この子、名前何だっけ?
いくら悩んでも思い出せない。……駄目だやっぱり出てこない!
「あの、とりあえず説明お願いしてもいいですか?」
「えっ、あっ。……そうだね、じゃあ行こうか」
名前が思い出せない事に気づかれたのかどうかはともかく、ほっとくわけにもいかない。
ホタルのいる川へ向かう間、説明に雑談を織り交ぜながら、名前を探る。
次第に落ち着く私は重要な事に気づく。
……思いつかなくても、苗字に“くん”付けで呼べばいいんじゃないか!?
苗字は稲瀬。流石にそこは分かるので、なんとかなりそうで一安心する。
でも今はともかく、小さい頃は名前で呼び合うくらい仲良かったのに。
そもそもあそこの家は兄もいるから紛らわしいな。
話していると相手もわりと昔のまま親しい感じで話しかけてきてるし、なんか苗字呼びってのも悪い感じが。
それにしても、そもそも子どもが少ないのに何故彼らの名前を忘れたんだ、私。
「――と、まぁそんな感じでホタルの保護と子供の安全第一ね」
「なるほど。それだしばらくは待機って訳ですね? あっ! 虫よけしてくりゃよかった……早速刺されてる」
「あらら。私、虫よけスプレー持ってるから貸そっか?」
「えっ! マジですか! マキ先輩流石! プロフェッショナル!」
「稲瀬くん、わたしゃ何のプロよ?」
相手はフツーに名前を覚えていた。
それにフツーにマキちゃんからマキ先輩と呼び方も変えて……。
そりゃ当たり前だよね、フツー忘れないよね……ううう……。
「兄貴は昔と変わらず愛想なくて大変なんすよ。多分今日も家にいて寝てます」
「あー変わってないのか、アハハ」
共通点である彼の兄の事で話が盛り上がる。
ごめんよ、稲瀬兄。兄の方も名前思い出せないや。
……もしかして私、なんか人の名前忘れる病気なのか?
「いやー。久しぶりにホタルが見たくなって実家に帰ったら、なぜかここに連れ出されて……先輩がいて助かりました」
「今県外だっけ? 大変だったね」
「これで親父達だけだったらもう最悪。さっき無理矢理連れて来られてイライラしてたの全開だったでしょ?」
「うん。全開だったねー、でも私そんな助けてないよ? とりあえず感謝は有り難く受けるけどね」
どうやら彼はホタル見たさにここについてきたようだ。ちょっと変わってる。
でも分かるかも。近くに住んでいるから、いや近くに住んでるからこそ見に行かない、それはあると思う。
現に私もこんなイベントの手伝いしてなかったらわざわざ見に行かない。
そもそも小さい頃は今ほどホタルの保護に力を注いでおらず、数も少なかったような……。
それでも小さかった頃は皆で集まってホタルを捕まえに行った記憶がある。
場所もここだったっけ。
夜、ほんの数匹いた内の一匹を捕まえて、その一匹が美しい光の筋を描きながら飛ぶ虫かごを枕元に置いて随分眺めていたなぁ。
……ホタルは次の日の朝には死んでいたけれど。
「捕まえて帰ったはいいけど、ね。映画でホタルがすぐ死ぬって見た事あったけど本当だったんだ……って子供ながら学びましたよね」
「あるある。私もすぐ死ぬの知ってから捕まえなくなったよ。それでひとつ大人になったというか」
「ってことは、今日来た子どもたちもそれを経験するのか……」
「そうだね……、っていやいや! ホタル捕まえるの原則禁止ね!? さっき言ったよね!」
「うっかり忘れてました。でもマキ先輩もさっき一匹くらいなら見逃してもいいって言ってたんで~」
ホタルは保護するべきだけど今はいっぱいいるし、見るだけじゃなくて思い出も必要だろうと一匹程度なら正直こっそり見逃している。
しかし親子連れの中にはそれにもイチャモンつけてくるのがいる。どんだけ捕まえる気だ!? ってぐらい取る人。
少しなら見逃すけど、ホタルを捕まえ過ぎないように見張るのも私達の役目なんだと説明したところなのになんか伝わってないな……大丈夫か?
センターでは案内が続いているようだ。ふと草むらがポツリと光った気がした。
おお、そろそろ暗くなって来たのなら……。やはり。
ホタルを見に来た彼もそれに気付いたのか、はしゃいでいる。
「あぁーやっぱりガキの頃と一緒……じゃない!? あれ? なんかでかくなってるような……」
「もしかして、稲瀬くんが昔捕まえたのってヘイケボタルの方じゃないの? 私も小さい頃捕まえたのってヘイケボタルだったし」
「へっ? じゃあ、これは……ヘイケじゃない、ゲンジボタルってやつですか?」
「うん、そうだよ。こっちの方が大きいし光も強いから見映えするんだよね」
チカチカと光の粒が現れる。その光の粒の通ったあと、糸を引くように光の線が見えた。
小さい頃見たささやかで儚げな数匹のヘイケボタルと違い、力強く明るい光がそこらかしこに飛んで、また違った幻想的な雰囲気だ。
「……綺麗」
彼も同じようだ、とても嬉しそうな顔でキョロキョロ見回す。
よく見ると口が開いたままだ。
ホタルじゃなくて、そんな彼の顔を観察している自分もよく考えたらおかしいかも。
なんだかセンターの方がざわざわしだしたので声をかける。
「もうそろそろ子どもたちも出てきそうだね」
「……はい」
――しばらくすると子どもたちが集まり始め、川のせせらぎやカエルの鳴き声以外静まり返っていた場所に賑やかな声が響き渡る。
懐中電灯を持ってはしゃぐ子、虫取り網を持ちたがる子、川に近づく子、それを止める親たち。
その集団とともに、私と稲瀬くんも並んで歩き始めた。
「……マキ先輩、さっきから気になってたんですけど」
「ん?」
「名前、忘れてましたよね」
うっ……やっぱり気付いてたか……!
私が顔をしかめると、彼は少し困ったように笑った。
「いや、別に怒ってるわけじゃないですよ。あんまり会わないし……。でも、ちょっとだけ寂しかったかな」
「ご、ごめん……!」
「謝らなくていいです。こうやってまた思い出してくれれば、それで」
「ありがと」
やっぱり優しいな、この子……。いや、もう”子”なんてつける歳でもないか。
「で、なんだかわかりましたか?」
「……聡一くん、だよね?」
「……それ兄貴です」
「ああっ……じゃあ怜司くんか!」
気まずくなり、ごまかすようにわざとらしく空を見上げる。
見上げた先には、光の帯のように舞うゲンジボタルの群れ。
そして私とともにそれを見上げている彼の横顔が目に入った。
大きくなったな、なんておじさんおばさんみたいな感想が出てきてしまう。
「……今度から、ちゃんと名前で呼ぶね」
「ほんとですか?」
「うん、覚えた。怜司くん。忘れないように、今から何回か呼ぶから!」
本当に名前を何度も呼ぶと、彼は照れたように笑った。
「じゃあ俺も。……マキちゃん、って呼んでいいですか?」
いきなりのちゃん付けに驚いて、思わず声が裏返る。
「えっ!? あ、あの、ええと」
「昔はそう呼んでましたよね? ……それも忘れてました?」
そう言って、彼は冗談っぽく笑う。
今更思い返すと、そうだった。昔はそう呼び合ってた。
ぼんやりとしたものではなくはっきりとあの頃を思い出して、そこに今の彼の姿がふっと重なる。
なんだかその瞬間、やけに胸が苦しくなった。
「? どうかしました?」
「いやその……なんでもない。思いだしただけ」
「そうですか」
「怜司くん、またこういうのがあったら付き合ってね」
「ぜひとも喜んで。……あ、でも次は虫よけ忘れないようにします!」
お互いに笑いながら、ホタルの光の中、ゆっくりと歩き出す。
思い出した名前と、近くにあるのに懐かしく感じる風景と、少し変わった距離感。
まるでホタルの光みたいに儚く、でも確かに残る、そんな時間を過ごせたことに私は満足したのだった。