ep.7 “緑色のホトトギス”
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松浦先生が学校に来なくなってから一週間が過ぎた。
表向きの理由は体調不良。本当の原因は、過去の記憶を思い出してしまったことで出来た心のダメージ。俺が思い出させてしまった。
俺がやってしまった。罪悪感でいっぱいなこの気持ちを何とかしたいと思うが、動けば動くほど沼にハマってしまいそうだ。自分の気持ちを晴らしたとして、松浦先生はどうなる?もっと傷つくかもしれない。だから俺はもう動かない。
「……くん、木瓜くん」
昼休憩、俺は廊下で外の景色を見ていると、隣から女性の声が聞こえてきた。声の聞こえる方を見ると、俺のことをまっすぐな目で見る葵姫花の姿があった。
「わるい、どうした?」
「それはこちらのセリフです。なぜそのような顔をしているんですか?」
「物思いに耽ってただけだ。教室に戻るよ」
「待ってください。悲しそうなその表情、もしかして松浦先生が来ないことと何か関係があるんですか?」
「何故そう思う?」俺は足を止めて聞いた。
「時系列で言えば先週の放課後、校内放送で木瓜くんが松浦先生が呼ばれた。その翌日、世界史の答案用紙が返されたときに先生が木瓜くんに頷き、あなたは返さなかった。ある人物に悟られることを恐れて咄嗟にとった行動でしょう」
「ほぉ、そのある人物っていうのは誰なんだ?」
「丹羽桧くんです。授業が終わってすぐに彼に近づいたでしょう?何を聞いたんですか?」
「点数を聞いた」嘘じゃない。
葵さんのまっすぐな目付きがすこし鋭くなった。ならば、と葵さんは口を開いた。
「松浦先生に丹羽くんの調査を依頼されたんじゃないですか?もっと具体的に言えば世界史の答案についての調査です。
答案が返された日、木瓜くんは丹羽くんから何かしらの情報を得た。その足で放課後に職員室へ向かい、松浦先生に報告した。その翌日、松浦先生は学校へ来なくなった。違いますか?」
今の俺は探偵に推理を披露された犯人みたいだ。事実そうなんだが。
「責めているわけではありません。もし、わたしの推理が合っていれば、先生が来なくなった理由は木瓜くんのせいではないということです。木瓜くんは分かったことを話しただけでしょう?だから……あなたは何も悪くない」
「もしかして、励まそうとしてくれてるのか?」
「そのつもりです」
俺は思わず笑ってしまった。葵さんは首を傾げて困った顔をしている。
「ありがとう、葵さん」
「良いんです。それより、一体なにがあったんですか?」
「葵さんの推理は全部合ってるよ。まるでその場にいたみたいだ。さすがだ。
葵さんの言った通り、俺は丹羽の答案について調べていた。書いてあった内容は“緑色のホトトギス”。大問3の問6に書かれてた」
「3の6……」
引っ掛かるのがそこなのかと思ったが、葵さんは難しい顔をしていて、それ以上話そうとしなかった。俺は説明を再開した。
「それで、先生からの依頼は、なぜこのような答案を書いたのかを本人に聞くことだった。で、丹羽から返ってきた言葉が書けと言われた、だった」
「何者かに命令されたということですね」
「ああ。だから、俺は友人に部活動内で丹羽に“緑色のホトトギス”と書けと命じた人物がいないかどうか監視を頼んだ」
「それで、どうだったんですか?」
「白だった。丹羽は先輩と良好な関係を築いてた。しかも弓道部内で“緑色のホトトギス”という話題は出てすらいない」
「丹羽くんはクラスの中でも人気者です」
「そうだ。だから視点を変えることにした。大問3の問6にな。ただ“緑色のホトトギス”と書くだけなら答案用紙の余白の部分に書けばいい。だが丹羽はそうしなかった。大問3の問6に何かしらの意味があったはず」
「2階にある空き教室、旧3年6組の教室のことですね」
「知ってたのか?」
「ええ。知った理由は別件で友人と調べてたんですが、もう解決しました」
「そうなのか。話を戻すぞ」俺は言った。
「あの空き教室が3年6組の教室なのではないかと仮説を立てたとき、すべての辻褄が合ったんだ。だからあの日、松浦先生に直接確かめに行った。友人の調査報告を待たずにな」
「せっかちですね」
「よく言われるよ。それで先生に確かめてみた。3年6組の教室、ホトトギスの絵と聞いて何か心当たりはないかと」
「ホトトギスの絵?」
「教室の中で緑色のものって何がある?」
突然の質問に葵さんは、すこし考えてから目を見開いて、こちらを見て言った。「そうか、黒板」
「そうだ。緑色の黒板に白いチョークで鳥の絵を書けば体が緑色になる。“緑色のホトトギス”の正体は黒板に書かれた鳥の絵だったんだ」
俺はさらに続けた。
「それで質問を受けた時の先生の反応は、いきなり顔色が悪くなったと思ったら、体調が悪いから出ていって、って言ってた」
「過去の記憶を呼び起こしてしまった……ということですか?」
「だと思う。その時に思ったよ。“緑色のホトトギス”の本当の正体は、先生の過去の嫌な記憶を呼び起こすとんでもないものだったんだって。メッセージの送り主がどんな意図でこんなことをしたのか俺にはわからない」
「確かめないんですか?」
「ここからは領域外だ」
「え?」葵さんは驚いた表情で聞いた。その後、眉間に皺を寄せた。
「推理は犯人当てと、犯人が行ったトリックを暴くためのもの。動機は、犯人の心その物で大事な領域だ。推理はその領域に土足で踏み込むようなものなんだ」
「そうですね」葵さんは廊下の窓から外の景色を見つめた。「松浦先生、今頃どうされているんでしょう」
「どうだろうな。わからん」
おそらく今頃松浦先生は、過去と向き合っているのだろう。遠ざけるのか、受け入れるのか、それとも──。