6話 水の民ガルフィン族
前回までのあらすじ
護衛の途中に立ち寄った屋敷でアルフ族の女性マリーと出会い、輝く謎の指輪を託されたエイジャー。
想い人を忘れられず屋敷から出られない彼女を迎えに来ると約束し、目的地であるサザンへ到着したが…
「これは…」
マリーの屋敷を後にした一行は目的地である港町、王都に繋がる交易の地でもあるサザンにようやく到着したのだが…
いつも多くの人々が往来している市場は静まり返り、海沿いの建物は大きく破損している…まるで嵐や津波が直撃したかのようだが、ここ数日そのような悪天候は無かったはずである。
(まさかここにも魔族が…?)
安全確認のためにルルたちを待機させ、破損した建物を調べていたエイジャーは何者かの視線を感じ取ると、剣を抜いて気配の元へ駆け寄った。
「…誰だ!?」
「ひいっ!ご、ごめんなさい!」
そこにいたのは怯えるガルフィン族…水に適応し、魚のような姿に進化した一族の少年だった。
勘違いで剣を向けてしまったエイジャーは慌てて剣を収め、敵ではないことをアピールした。
少年はそそくさと近くの壁に半身を隠すと、警戒するようにこちらを見つめている。少年とは言ったがかなり大きい…身長はエイジャーと同じくらいだろうか。
「驚かせてすまない!俺はエイジャー・グラム…君は?ここで何があったんだ」
「…僕はガラナ。お兄さん騎士団の人でしょ?案内するからついてきてよ」
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「エイジャーはここのタイチョー?さんを知ってるの?」
「もちろん。遠征の時によくここを使ってたから…部隊は違うけど俺の先輩だよ」
一行がガラナと名乗る少年に案内されたのはエイジャーもよく知る場所─王都騎士団 憲兵隊の基地だった。
憲兵隊とは王都に連帯する地域に派遣され、治安維持の役割を担うことで民の平穏を内側から守る騎士団の【盾】である。
銃や兵器を用いた拠点防衛を得意とし、必要に応じて地方政治も行うことから長期的な判断力に長ける者が多く配備されている。
隊長室へ向かう途中、通り過ぎる部屋には負傷した憲兵だけではなく民間人までもがベッドに横たわっていることにエイジャーは気がついた。
「何日か前、大きな扇ガザミに襲撃されて…みんなやられた。一族の大人や憲兵さんがなんとか撃退したけどきっとまた襲ってくる。だから海を見張ってたんだ」
扇ガザミとはその名の通りハサミが扇のような形のカニであり、仰いで水流を発生させることで移動と狩りを行う生態を持つ。
しかし本来ならば手で掴める程度の大きさであり、脅威どころか水産物として扱われているはずだが…
ガラナが隊長室の戸を叩くとそこにいたのはエイジャーもよく知っている顔…この町に駐留している憲兵隊の小隊長 ラッツ。
ラッツは想像していなかった人物との再会に驚いて目を丸くし、慌てて立ち上がった。
「お前…まさかエイジャーか!?それにサノヴァ商会の…」
「最後に会ったのがずいぶん昔のように感じますね、ラッツ殿。実は彼に護衛していただいたのですが…私は外様、経緯は本人の口から聞くべきでしょう。2人とも少し席を外しましょうか」
気を遣ったのだろう、グルーノイはルルたちを連れて部屋を出ていった。
部屋に残された2人の間にしばしの沈黙が流れた後、居心地の悪さに痺れを切らしたラッツがぎこちない明るさを演じながら口を開いた。
「そうだな…また傷が増えたんじゃないか?エイジャー」
「…はい。すみません、俺が悪いのに気を遣わせて…」
…
またも部屋が静まり返る。ラッツはこの空気を打開できる何かがないか見回した後…お気に入りの豆を引っ張り出して焙煎を始めた。
「…いや、いいんだ。お前からの報告も心境も察しはつく。コーヒーは蒸らすのに時間がかかるからな、ゆっくりでいい」
「ありがとうございます。あの日─」
エイジャーはこれまでのことを報告した。4体の異型によって王都が襲撃されたこと、なぜか彼らによって見逃されたこと、ここへ来るまでに戦った魔族の種類や強さの違和感など…
一方でルルの件は倒れていたのを保護したことに、マリーについては一切を秘匿することにした。人攫いの件が引っかかっており、情報が漏れるのを恐れたからである。
「魔族にも指揮官のような存在がいて、奴らの配置を弄ってるかもしれないのか…なるほどな…」
「俺達は扇ガザミをなんとか撃退、ガルフィン族の連中が津波を弱めてくれたがそれでも建物の一部が壊された。援軍を頼もうにも周辺地域と連絡がつかないし、アレがいるせいで橋を渡れない…参ってるよ」
ラッツは左腕で握り拳を作り額に当て天を仰ぐ。追い詰められた時によくやる彼の癖だ。
理由は不明だが、経験上魔族が海から襲撃してくることはない。まったくである。
また憲兵が常駐していること、討伐隊も頻繁に往来することからこの町に強力な外敵への油断があったのは否めない。
今回の襲撃に魔族の活性化との関連を疑ったが扇ガザミは本来ただのカニであり、奴らの意図で動くものではないはずである。
だがこのタイミングで異常個体が襲撃したというのはあまりにも出来すぎている…エイジャーが考え込んでいると、ラッツがコーヒーを差し出した。
「コーヒーが出来たぞ。商会に取り寄せてもらったんだ…エイジャーは確か飲めたよな?」
あまり詳しくはないがいい豆を使ったのだろう、口に含むと思わず一息ついてしまういい香りが広がる。
「重厚な香りがしますね、落ち着きます。…それで奴は今どこに?」
「沖合にいるよ。大砲を何発か当ててやったからな、向こうも迂闊には近寄れないはずだ…その大砲が壊されたから次は本当にまずいんだけどな。さてどうしたものか…」
「こっちから倒しに行けばいいんじゃないっ?」
振り返るといつの間にか後ろに接近していたルルが椅子からひょこっと顔を出している。彼女が消えたことに気付いたのかグルーノイたちも慌てて部屋へ探しに集まってきた。
「それができれば1番いいんだけど…相手は海の生物、泳ぎながら戦うのはさすがに難しいかな」
それを聞いたルルはフッフッフ、と得意気に鼻を鳴らし、後ろにいるガラナを勢いよく指差した。
「ガラナが泳いで、エイジャーが乗る!そうすれば早いし戦いに集中できるでしょ?」
「…えぇっ!?僕が乗せるの!?」
あまりにも突飛だが発想自体は悪くない、エイジャーは心の中で感心する。確かに地の利は互角になるし、沖で迎え撃てば町への影響に気を回さずに済むからだ。だが…
「む、無理だよ…僕みんなと違って水を掴めないんだ。泳ぎは上手い方だけど…戦う力なんて無いよ」
ガラナが言っているのはガルフィン族の血統秘術…彼らの一族は水中に適応するだけではなく、流体である水を掴んで武器とすることができると聞いたことがある。扇ガザミの津波もそうして凌いでくれたのだろう。
確かに攻撃を凌げないのであれば彼を危険に晒す羽目になる。何より戦う覚悟のない者に無理強いはしたくない。
とはいえ他に方法は無いものか…停滞した空気を断ち切るように、ラッツが手をパンッと強く叩いた。
「こちらから攻めるのは賛成だが無謀すぎる、一度解散してそれぞれの戦力を確認しよう。その上でどうするか決めればいい」
「賛成です。私も商会のメンバーや船の安否を確認しておきたいのでね」
グルーノイは商品や人員の安否確認を。
エイジャー、ルル、ガラナの3人はガルフィン族の縄張りへ。
ラッツは役人や憲兵隊に王都の状況説明と要請を。
こうして5人は次なる一手を打つべく、手分けして戦力の確保に動くのであった。
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「見て!大きくて赤い魚!」
「人の家だからあれこれ触っちゃダメだぞ…集落の中に入るのは初めてだ。お邪魔して大丈夫だろうか」
旧王政はかつて様々な地域に侵略戦争を仕掛けた。中には未だ王都からやってくる人間を拒絶、殺しにかかってくる街や種族も存在する。
サザン周辺のガルフィン族は古来から漁業のパートナーであり侵略の手は伸びなかった。そのため友好的な者が多いものの縄張りに入るのは滅多に無いことである。
「僕がいるから大丈夫。それに漁師の人たちがたまに飲みに来るし」
満潮でも水没しない洞窟を掘って作られた集落の中には干した魚や彼らの使う武具が置いてあった。壁面には殻が発光する"灯サザエ"が埋め込まれており意外と明るく、ひんやりとした空気が心地良い。
しばらく歩くと大きな部屋に突き当たる。そこでは2メートルを超えているであろう巨体のガルフィン族の男性がベッドに横たわっていた。
「ガラナよ戻ったか!…後ろの2人は?」
「エイジャーとルル、あのカニを倒してくれる助っ人です。こちらは族長のアルタム。実は相談があって…」
「…なるほどな、我々から攻め込むのに足が必要というわけか!我が乗せてやりたいところだが、見ての通り気力を奪われてしまって動けんでな!」
アルタムはアッハッハ!と高らかに笑う。とても気力を削がれている者の声量ではないが、体はほとんど動かせていないのを見るにかなり重体のようだ。
(あいつの吐く泡に当たるとこうなるんだ。基地の人たちもぐったりしてたでしょ?)
エイジャーはガラナの耳打ちに静かに頷く。
攻撃方法が波や泡ならば斬っても意味がないし、水を掴んで押し返せないガラナでは回避にも限界がある…思っていたよりも苦戦を強いられる敵のようだった。
「戦士たちは先日の戦闘で君の足になれそうもない、我もこのザマだ!よってガラナ!一族でも特に早い君がエイジャー殿を─」
─お父さん!ガラナくんに無茶言っちゃダメだよ!
腰に手を当てながら、アルタムを叱る少女が部屋の奥から姿を現した。こちらに気付くと外向けの顔つきに変え、軽い会釈の後に微笑みかけてくる。ふと隣を見るとガラナの顔が赤いような…
「お話は聞いていました、アルタムの娘 ポリプと言います。騒がしい父ですみません…それとガラナくんも。君をそんな危ない目に遭わせられないよ」
「ウゥム…だが他に役目を果たせる者はいないだろう。秘術こそ使えないがガラナも一族の誇りとして戦ってもよい年頃だ!」
泳ぎの上手い彼こそ適任とするアルタム、秘術を使えないまま戦いに参加させたくないポリプの親子はお互いに譲ろうとしない。
洞窟に大声が響く度に隣のガラナが小さくなっていく…このままでは彼のメンタルがもたないと判断したエイジャーは親子の間に割って入った。
「も、もしかしたら他の手段があるかもしれません!アルタムさんは動けないようなので、この後の作戦会議に代表として娘さんをお借りしてもよろしいですか?」
「…分かった!我からは可能な限り協力させてもらうと表明しておこう!」
エイジャーはアルタムに一礼すると、皆を連れて洞窟を後にする。残りのメンバーから代案が出れば良いのだが…そんな希望を胸に拠点へと戻っていった。
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「我々サノヴァ商会からは新型の迫撃砲を提供いたしましょう。大砲に比べれば威力は小さいですがお役に立つはず」
「感謝します。請求については町に回してください」
夕方、リソースの確認を終えた各勢力による作戦会議が開始されていた。憲兵隊、町に駐留していた各商会、ガルフィン族の2名、役人、漁師…さまざまな立場の人々が会議室に集結しており、その誰もが差し迫った脅威をどうすべきか真剣に考えていた。
「憲兵隊は負傷具合や適性を考慮して避難誘導は町長ら役人が、迎撃隊は私が指揮を執り柔軟に対応できるよう部隊編成をさせてもらった」
(あとはあいつらがエイジャーを見て取り乱すか否か、な…)
ラッツは言葉を飲み込み、小さくため息をついた。
エイジャーたちが洞窟に向かった少し後、負傷した憲兵たちを集めて王都に何が起きたのかを話したのだ。
受け入れる者、任務が終わるまではと耐え忍ぶ者、泣き出す者…中には唯一生き残ったエイジャーに会わせろと取り乱す者もいた。
彼にこの光景を見せたら間違いなく悪影響を及ぼすだろう。そう予想し矢面に立ったわけだが…やはり気分の良いものではなかった。
(最も危険な役割を押し付けるんだ、これくらい肩代わりしてやらないとな…)
「さて…次にエイジャー。水場での機動力に優れるガルフィン族に乗って奇襲をかける作戦だったが、代表の者は?」
「族長の娘であるポリプさんをお呼びしました。『協力は惜しまない』とのことですが、泡に被弾した影響で族長を含め俊敏に戦える者がほとんどおりません。そこで…」
代案を要求しようとしたその時。エイジャーの傍に座っていたポリプがおもむろに立ち上がると、覚悟を決めた表情で言い放った。
「一族の代表としてこの私が…エイジャーさんの足になろうと考えています」
「…!ちょ、ちょっと待ってよポリプ!そんなの危ないよ!」
隣のガラナは立ち上がりたまらず叫ぶ。ポリプはそんな彼の肩を抱き、まっすぐ見つめて話を続ける。
「ガラナくんほどじゃないけど泳ぎは早いし、秘術でエイジャーさんを守れるから最適でしょ?それに私は族長の子供…こういう時こそ前に立たないと」
でも─!ガラナの反論を遮るように、パンッと手を叩く音が会議室に響き渡る。ラッツは『座れ』のハンドサインを送ると、2人は何か言いたげな表情のまま従った。
「大事な会議だ、話を遮らないでくれ。エイジャー、続きを」
「…族長が推薦したガラナは扇ガザミの攻撃を防ぐ術がありません。無理に戦わせれば彼も危険に晒してしまう…なので他の移動手段を相談したかったのです」
ちょっといいかい、そう立ち上がったのはサザン漁業組合の長、ゲンである。
「俺らの小舟を使うのはどうだい?魔道具をつけた自走モデルもいくつかあるぜぃ」
「…いや、残念だがやつの攻撃を避けるには遅すぎる。エイジャー。"気持ちは別として"彼女と共闘する上での不足はあるか?」
ラッツの言う通りガルフィン族の機動力は必須、そのうえで秘術が使えて戦闘に参加する覚悟があるポリプは現状の最適解といえる。
一方でガラナのことは気がかりだが…『気持ちは別として』と釘を刺されているので感情論は使えない。エイジャーをよく知っているからこそ強調したのだろう。
「…異論は無さそうだな。ポリプ氏、エイジャーを頼む。細かい立ち回りは擦り合わせた上で俺に報告してくれ。次は標的の情報を改めて共有しよう。姿は扇ガザミと瓜二つだが─」
会議は着々と進んでいく。ガラナはずっと俯いたまま、拳を強く握り続けていたのだった…