5話 指輪
前回までのあらすじ
港町サザンへ向かう道中、薄幸美人のアルフ族 マリーに誘われたエイジャー。
彼女の口から語られたのは旧王政の忌まわしき記憶と、彼女を救ったアーサーという男の名前だった
人攫いを匿っていたのは誰なのか…考え込むエイジャーの元に要件を伝えに出ていたマリーが戻ってきた。
「彼らにお伝えしてきました。グラム様の寝室や食事は後で…どうなさいましたか?」
「いえ、お気になさらず…話の続きをお願いします」
マリーは再び椅子に座ると、ふうっと息を吐いてから続きを語りだした。
「…我々はやむを得ずアーサーと館を出ました。都合が良すぎる話にはじめは疑っていましたが、邪気のない彼の人柄に私や皆も徐々に心を開いていきました」
「山を越え、川を渡り、魔族を退け…彼はいつも先頭に立ち、ボロボロになっても私たちに弱音を吐きませんでした。 そして3年の歳月を費やし、ともに仕えていたアルフ族の同胞をみな故郷に帰してみせたのです」
「私が最後の1人になった時、彼に初めて打ち明けました。故郷が焼かれたこと、戻ってどうなったか知るのが怖いことを…すると彼は『君がその気になるまで付き合う』と言ってくれたのです。本当に…嬉しかった…」
マリーは左手の指輪を愛おしそうに眺めている。
装飾が施され褪せた石がはめこまれた、かなり古い品のようだ。
「それから2人で各地を旅しました。誰も知らない場所へ行き、語らい、お互いを知っていく中で彼もまた、帰る場所がない孤独を抱えていると知ったのです」
「私は勇気を振り絞って申し出ました。私があなたの帰れる場所でありたい。これからも一緒にいたい、と…彼は泣きながら、私を抱きしめて喜んでくれました」
「そして各地を旅した末に放棄されていたここを見つけたのです。 2人で家を直して、庭に花を植えて…あの人ったらここに住むようになってからお寝坊さんになったんですよ?いつも起こすのは私で…」
2人の思い出話…いや、相当に甘ったるい惚気話に聞いているエイジャーまで恥ずかしくなっていた。ロマンチックな男女関係に疎く、いわゆるコイバナに耐性がない。
ある意味で居心地の悪さに限界が来ていたエイジャーに気付いたのか、マリーは軽く咳払いする。
「…申し訳ありません。普段お話する相手がいないものですから…ある朝、なかなか起きてこない彼を起こしに行ったところいなくなっていて…代わりにこの指輪と手紙が置いてあったのです」
マリーは懐から少し折れ目の多くなった手紙を取り出し渡してきた。濡れたような凹凸の跡がある…何度も読み返しては泣いてしまったのだろうか。
手紙を開くと少し乱れた文字でこのように書いてあった。
──
マリーへ。
突然の別れになったことを許してほしい。
君たちと出会う少し前、魔族の攻撃により少しずつ体を蝕まれて…そろそろ元気に振る舞えなくなってきた。
俺は残りの時間を使って治療法を探そうと思う。
見つからなければ…とても長い旅に出る。
だから一旦のお別れだ。君の帰る場所になれなくてすまない。
君と家族になれて幸せだった。
だからこれから先の君の人生も幸せであってほしい。
その願いを込めて、俺のお守りを置いていく。
アーサー
───
「…人と我々の寿命差は承知していますから、老いて、いつか看取る日が来ることは覚悟していました。それも叶わないなんて困った人ですね、あの人は…」
自嘲気味に笑うマリーの目には涙が浮かび、声も少し詰まっていた…大事な人の最期に立ち会えない辛さはエイジャーもよく知っている。だからこそかけるべき言葉が見つからなかった。
「…たとえ身体が朽ちたとしても。魂だけでも、あの人が戻って来る気がして…だからこの屋敷を管理しているのです。帰る場所が無くなってしまわぬようにと…未練がましいですよね」
待つことが使命だとする判断は、彼女が苦しみの末に導き出した結論なのだろう。
他人が口を出すべきではないことも、このままそっとしてあげるべきであることも理解している。だがエイジャーの無意識は真逆のことを口にさせた。
「俺…マリーさんをここから連れ出したいです」
それを聞いたマリーは顔を上げ、目を丸くしてこちらを見つめていた。
「…あ、あれ?すみません、こんな事を言うつもりじゃ…」
慌てて訂正しようとするエイジャーを見て彼女の頬が緩む。
そして椅子から立ち上がり目の前にやってくると、落ち着きのない手をそっと包み込んだ。
「続けてください。なぜ私を連れ出そうとしてくれるのですか?」
「…マリーさんが冒険の話をしている時とても楽しそうだった。だから本当は屋敷の外に出て、人と繋がりを持ちたいんじゃないかって」
「それに故郷が再興していてマリーさんの家族も無事で帰りを待ってるかもしれない…その可能性が少しでもあるなら、俺はそれを手伝いたいと思ったんです。あなたも…この子も」
エイジャーは傍らのルルに目を向けた。楽しい夢を見ているのか、得意気な表情で聞き取れない寝言を発している。
優しい目線とは反対に、マリーはエイジャーの手がいくつもの豆や擦り剥いた跡で荒れていることに気が付いた。
それだけではない。服から覗く肌には痛々しい戦いの跡が覗かせている。心を読まずともエイジャーが相当な苦労を重ねてきたことは明らかだった。
「俺、何度も目の前で家族を失ってるんです。だから生きてる、会えるかもしれないって人に諦めてほしくないんですよ」
「…でもあなたがアーサーさんを待つと決めたなら口を出すべきじゃないし、俺にはルルの事もある。だけどやっぱりあなたを独りにしておけなくて…」
(心と身体に無数の傷を刻みながらも少年のように純粋で、困っている人を放っておけない優しい人…まるであの人のよう)
(この人は動かしてくれるかもしれない。あの日から止まってしまった、私の時間を…)
エイジャーの煮えきらない言葉を遮るように、マリーの心に応えるように。指輪に埋め込まれた石が突如輝き始め、淡い緑色の光が2人を照らす。
「うわっ光!?…温かい?マリーさん、これは一体…」
マリーはエイジャーの言葉に反応せず、何かを考え込むようにじっと指輪を眺めている。やがて光は消滅し、石もくすんだ色に戻ってしまった。
それでもなお指輪を凝視するマリーに声を掛けるも反応がなく、軽く体を揺らすことでようやく我に返った。
「…えっ?も、申し訳ありません。なんだかボーっとしてしまって…」
「久しぶりに人と話したんです、疲れてしまったんでしょう。ルルも起きないし少し整理したいこともある、今日はもう休みましょうか」
────────────
ルルを彼女の寝室へ運び就寝の挨拶をした後、案内された部屋で寝支度をしながらエイジャーはあの光の事を考えていた。
1つは指輪が魔道具の一種であること。
魔道具とは魔力をチャージ・発露させる炉と用途に合わせた精霊を呼ぶための「匂い」の組み合わせによって、魔法が使えない人間でも火や電気を起こすことができる道具である。
それらを起動する際、発露した魔力が可視化されることはあるが…魔道具は一部を除き家具サイズで非常に嵩張る代物である。とても指輪として作れるものではない。
もう1つはマリーの何らかの魔法。
個人差はあるものの、魔法を使う際は素手よりも道具…それも金属や思い入れのある品を媒介する方が効果が大きいとされている。
亡き恋人が持っていたアーサーの指輪に魔力が共鳴して発動した可能性は考えられるものの、彼女も驚いていたので自発的なものとは考えにくい。
(光は魔道具のそれに近く、彼女に共鳴してるようだった。俺に変化は無いけどマリーさんは平気だろうか)
(あの様子は何か知ってるようにも見えたけど…大事な品を詮索するのは失礼だよなぁ)
「…それに指輪のせいで流れたけど、マリーさんを連れ出したいとか言ったままだ!無理にここから出すのも良くないしどうすれば…それと手も握っちゃったし…浮かれた真似をしてしまった」
一方マリーの寝室。ベッドで眠るルルを横目に、マリーもまた物思いにふけっていた。
(屋敷を出て家族を探す、か… それは生死を確認しなければ、今以上に傷つくことはないからと否定していた道)
(私が望めばここから連れ出して、きっと故郷へ帰してくれるのでしょう。でもあの人にはやるべき事があり、私もルルさんの帰郷を優先してほしい)
(今の私がやるべきことは、きっと)
──────
翌朝。
2人はグルーノイたちを待たせ、マリーと別れの挨拶をすべく残っていた。
目元に隈が薄く浮かんでいるマリーが手渡してきたのは分厚いまっさらな本と、それを収納するには些か小さな、ベルトに通して使うホルダーのようなもの。
「ここにアルフ族の特徴や血統秘術、秘術による植物の扱い方、アーサーと巡った集落の位置などを記しておきました。お2人にしか読めないよう細工してありますが…大事に扱ってください」
彼女の説明に連動してページが進み、文字や図が浮かび上がる。おそらく彼女の術によって加工された本なのだろう。
目を輝かせて欲しがるルルにホルダーを着けてやると、本は小さくなってホルダーへ収まった。
「それとグラム様、これを…」
マリーはそう言いつつ少しの葛藤の後…意を決してエイジャーの手を包み込むと何かを渡してくる。
手を開いて確認すると古い指輪が乗っており…それは間違いなく彼女が大事にしていた、アーサーという人物の形見だった。
「マリーさん何を…!?これは大事なものでしょう!受け取れません!」
エイジャーは慌てて返そうとするが受け取ろうとせず、こちらをじっと見つめている。彼女の視線はアーサーの話をしている時のように穏やかなものだった。
「はい、とても大事な物です…ですから必ず返しに来てください」
「指輪と世界を巡り、たくさんの土産話を持って…必ずまた会いに来てください。それまでに美味しいお茶と…外に出る決意を用意いたしますので」
そう言うと彼女はエイジャーの中指にそっと指輪を嵌めるともう一度手を包みこむ。するとあの時のように、また指輪が淡い光を放ち始めた。
身体がじんわりと温かく、王都を出てからの戦いで増えた傷が少しだけむず痒い。
「アーサーがこの指輪に幸せを願ってくれたように、私も貴方が無事に戻ってくるように願いと、傷が癒える秘術を込めました。だからといって無茶はいけませんよ?」
彼女は子供の悪戯を注意する母親のような、それでいて憑き物が落ち少女のようにも見える表情でエイジャーの肩を小突いた後、優しく微笑みかけた。
「行ってらっしゃい。エイジャー」
「…必ず戻ってきます。マリーさん」
「うー…なんかイチャイチャしてる!ズ ル い!混ぜて!」
2人の間に流れる空気に耐えかねたルルが間に割って入り、所有権を主張するかのようにエイジャーにしがみつく。そのままバランスを崩して倒れる様子を見て、マリーは慌てて2人を起こしながら笑っていた。
「ふふっ…彼のことをしっかり支えてあげてくださいね。頼りにしていますよ」
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エイジャーは木々が再び屋敷を覆い、静まり返った森を馬車から眺めていた。またここへ戻ってきて彼女との約束を果たす…そう決意を新たにすると、呼応するように右手の指輪が淡く輝き出す。
この指輪の持ち主…アーサーは今どこにいるのだろう。あるいはどこで亡くなったのだろう─そんな疑問が頭をよぎる。
手紙から察するに毒を受けたはずだが、なぜ王都を頼らなかったのだろうか?毒ではない呪いのようなものだったか、それとも辿り着く前に力尽きて─
様々な考えを巡らせる様子を隣のグルーノイは悪戯を思いついた子供のような表情で、手綱を捌きながら興味深そうに眺めている。
「おや?ずいぶん古い品ですね。興味深い…美女から指輪をいただくとは、グラム卿もなかなか罪な男ですねぇ」
「そ、そんなんじゃないですよただ…また1つ託されたんです」
(出会った時よりも顔色が良くなった…人に頼られて元気になる?面白い人だ)
「ああ、それと言われずとも屋敷の件は秘密にしておくのでご心配なく。私はお客様のプライバシーは守る主義ですので」
「もう疑ってませんよ。でも…ありがとうございます」
フフン、と鼻を鳴らすグルーノイにそよ風が潮の香りを運んでくる。次の目的地である港町サザンはもうすぐだ。