4話 送りの屋敷
前回までのあらすじ
港町サザンへ向かう道中、異常に強化されたヒューゴの群れに襲われた一行。
捨て身の作戦で撃退したエイジャーの前に現れたのは、ルルと同じアルフ族の薄幸美人だった。
ヒューゴの群れを退けキャラバンの後続を待つ3人の前に現れたのは…喪服のようなドレスを着たアルフ族の女性だった。
「お初にお目にかかります。私…マリー=フレイヤ=クロッカスと申します」
マリーと名乗った女性はスカートの両裾をつまむと、慣れた所作でお辞儀をする。
雪のように白い肌はきめ細やか、声は憂いと色気を纏っており、少しカールした髪はキラキラと銀色に煌めいている…浮世離れ美しさに傍らのルルは大きく目を見開き、グルーノイに至っては声を漏らしてしまっている。
エイジャーもこの場に似つかわしくない雰囲気を放つ彼女に気圧され言葉を失っていると、その様子に気付いたのかさらに続けた。
「…少し離れたところから貴方がたを拝見しておりました。魔族たちの脅威が去ったので、ご挨拶に」
「ええとマリー…さん。近隣の町までは距離があるはず。それにあなたの気配に全く気付かなかった…こんなところで何を?」
「すぐ近くに屋敷がございます。回答も含め、そちらでお話をさせてはいただけないでしょうか」
彼女が嘘をついているとか、罠に嵌めようとしているようには見えないが…近辺に人の住む建物、ましてや屋敷があるなど聞いたことがない。
遠征が多かったエイジャーはサザンへ向かうこの道を何度も通っているし、辺りにあるのは林くらいであることも把握している。一体彼女は何者なのだろうか…?
(美しい花には棘が付き物ですが…グラム卿、彼女をどう思いますか?急ぎではありませんしあなたの判断にお任せしますよ)
返答を決めかねているとグルーノイが耳打ちしてくる。やはり彼も屋敷は知らないし、今の状況に対してさすがに違和感を抱いているようだ。
彼女は怪しさはあるが邪悪な気配は感じない。それに滅多に姿を見せないアルフ族…記憶を失ったルルの助けとなるかもしれない。今はどんな情報も欲しいというのが本音だった。
(敵意は感じないしやる気ならば正面から挨拶なんてしないはず…それにルルの故郷について何か聞けるかもしれない。着いて行きたいです)
エイジャーの要望を聞いたグルーノイは小さく頷いた。どうやら付き合ってくれるようだ。
「分かりました、案内をお願いします。後続のキャラバンと合流する予定だったので、彼らを待ってからでもいいですか?」
「お手数おかけいたします。私はそれで構いません」
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キャラバンとの合流後、一行はマリーと名乗る女性の先導で林の中を進み続けていた。
マリーが進む先、足の踏み場もないほどに茂っている植物たちがまるで意思を持ち、彼女に道を譲るかのように左右に捌けていく光景に一同は言葉を失っていた。魔法で操っているにしても予備動作の類が見当たらないのだ。
「…到着しました。こちらが屋敷となります。」
馬を歩かせ30分ほど…その光景は突然現れた。花に囲まれた庭園がある、古くも手入れが行き届いている小さな屋敷。
振り向くと来た道はすでに植物に塞がれていた。植物を操る何らかの技術…彼女が屋敷を隠してきたせいで今まで誰にも見つからなかったのだろうと納得する。
「大変申し訳ございませんが…屋敷への立ち入りはグラム様とルルさんのみ、商人の皆様はこちらの小屋でお待ちいただいてもよろしいでしょうか」
未知の技術に興味を向けているとマリーを名乗る女性が話しかけてくる。彼女が指さした小屋は内装こそ質素だがかなりの広さがあり、間取りも含め一般的な家屋とほぼ変わらない使い心地を確保していそうだった。
小屋も手入れが行き届いており一見快適そうに見えるが、エイジャーは上手く言い表せない寂しさのようなものを感じていた。それはまるで主を失ったかのような…
「おお…寝具も揃っているとは用意がいい。我々も馬を落ち着かせたいですし、御三方でごゆっくりどうぞ」
漠然と感じ取っていたものをグルーノイは気にする様子もなく、大げさに喜んでみせる。マリーはそんな彼に頭を下げると、2人を連れて庭を進んでいった…
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屋敷に入った2人は広間に通されていた。内装も年季こそ入っているものの、装飾品の1つ1つがよく手入れされている。格式高い場所というのが分かるのか、ルルも少し緊張しているようだ。
しかしエイジャーがそれ以上に気になっているのは、これだけ広い屋敷にも関わらず先程から人の気配がしないこと。あまりにも静かというか、寂しいのだ。
さらには屋敷からの脱出を拒むかのように塞がった植物たちも少し気がかりである。これではまるで幽霊屋敷…薄ら寒いものを感じ始めていたその時、マリーの声とハーブの香りで我に帰る。
「ご安心ください。ここは幽霊屋敷ではありませんし、私もちゃんと生きていますから…お茶を淹れました。お口に合うとよいのですが」
出されたお茶はハーブと薬草をブレンドし、飲みやすいようミルクを加えているようだった。
爽やかな香りと優しい口当たりが高いレベルで両立しており、一口飲むと緊張が少し和らぐ。エイジャーが思わず息を吐くと、マリーは口元を隠しながら笑った。
「グラム様は幾多の修羅場をくぐってきたのですね、先ほどから周りをよく見ていらっしゃる。そのお茶には怪我に効く薬草を煎じてありますから、傷の治りも早くなるでしょう…取って食うような事はないのでご安心を」
マリーさんは心が読めるのですか?思わず尋ねると、少し驚いてから口元を隠しふふっと笑う。
落ち着いた雰囲気や所作で分かりにくいが、彼女は笑うと幼さが顔を覗かせるようだ。年齢は自分と同じか少し上だろうか?
「確かにグラム様は心が読みやすいかもしれませんね…だからここに招いたのですが。グラム様、なぜルルさん…アルフ族を連れているのですか?事情をお聞かせ願えませんか」
言葉は丁寧なままだが、マリーの纏う雰囲気が変わったのを感じる。殺意とまではいかないが、視線は先程よりも冷たい上に心なしか森もざわめいている…疚しいことが無いにも関わらず、カップを持つ手に汗が滲む。
エイジャーはルルとの出会い、彼女が記憶喪失であること、故郷の手がかりを探していること…今までの経緯を正直に話した。
マリーは説明しているエイジャーと…緊張で疲れたのか船を漕いでいるルルを見比べたあと、ふーっと息を吐いて笑みを浮かべた。
「まずは貴方を疑ってしまったこと、返答次第では二度と屋敷から出さぬと…敵意を向けてしまったことをお詫びいたします。ここに来るまでの様子や貴方の目からして…今の話は恐らく本当なのでしょう。グラム様はとても優しい方なのですね」
ざわめいていた森は静かになり、纏う空気は再び穏やかなものになる。そしてこちらを見る目はどこか懐かしむような…過ぎ去った日々を思い出しているかのような様子だった。
「誤解が解けて何よりです。ところでマリーさん以外の住人はどちらに?外出中ですか?」
「…グラム様、勝手を重ねるようですが昔話をしてもよろしいでしょうか?…あまり愉快ではない話もありますが」
何が飛び出すかは分からないが聞いておいた方がいい気がする…そんな気がしたエイジャーがどうぞ、と促すと彼女は向かいの椅子に座り、その過去を語り始めた。
「…私はここからとても遠い場所で生まれました。とても美しく、穏やかな時が流れる泉のほとり…懐かしい故郷の記憶です」
「ですがある時…アルフ族を捕まえるために乗り込んできた人間たちがいました。彼らは森を焼き、毒を散布して我々から抵抗する力を奪ったのです。目覚めた時には人攫いの手に渡っていて…フェルドという貴族に売られることになりました」
フェルド…直接会ったことはないが旧王政で宝石に関わる権利を独占していた貴族で、非常に高慢な人物だったと座学で習っている。
「我々は貴方がたに比べて遥かに長命、老いも緩やかです。侍らせるにはうってつけなのでしょう…フェルドは私以外にも各地から攫ってきたアルフ族を買い付け、舘に住まわせていました」
「グラム様がご覧になったように我々は植物を操ることができます。そのままでは簡単に逃げてしまう…抵抗しないよう心を折る必要があるということです。そこで私は…」
彼女の顔が青ざめ呼吸が不規則になる。慌てて背中をさすってやると、しばらくしてようやく落ち着いた。
所有物として扱う女性の心を折る方法…エイジャーの脳裏におぞましい手段がよぎる。それを察したのかマリーは続けた。
「…申し訳ありません、取り乱しました。完璧なアクセサリーを求めていた男です、体を傷つけられることはありませんでした。心だけを壊す方法に長けていたのは不幸中の幸いだったかもしれませんね」
「フェルドの飾りとして付き従う日々が続いていたある日、転機が訪れました。グラム様は王都で起きたクーデターをご存知でしょうか」
エイジャーは頷いた。20年ほど前に『ヴィドロム』を名乗る組織が王都を襲撃。王や貴族、その家族までもが惨殺された事件である。
首謀者や構成員のほとんどが捕まったものの、感化された民による貴族狩りや残党たちによる報復で事態の収束には長い時間を要したらしい…
「フェルドは採掘のために多くの人を使い捨て、成り上がるために何人も嵌めてきたそうです。次は我が身だと悟ったのでしょう…クーデターの翌日に姿を消し、その後どうなったかは分かりません」
「残された我々は途方に暮れました。故郷へ帰る方法も分からず、頼る相手もおりません…そんな時にあの方が…アーサーが現れたのです」
マリーの声が変化し、少し躍ったのをエイジャーは聞き逃さなかった。あまり感情の起伏を見せない彼女の声が躍る…きっととても良い関係だったのだろう。
「アーサーは各地を巡っていてアルフ族の集落もご存知でした。出来すぎた話に我々も疑いましたが、暴徒がいつフェルドの舘へ乗り込んでくるかも分からぬ状況です…選択の余地はありませんでした」
…と、気付けば日が落ちかけている。グルーノイたちに泊まるよう伝えてくるとのことで、話は一度お預けとなった。
マリーの話を聞き、エイジャーは隣で寝息を立てているルルを眺めて思う。もし彼女がどこかに売られていたら今頃は…
しかしここで1つの疑問が浮かんでいた。人攫いを斡旋していたのは誰か?ということである。
王都に出入りする積み荷は必ず騎士団のチェックを受ける。少し離れた場所で受け渡すにしても、今日まで露見せずに取引するのは難しいだろう。
フェルドを含むかつての貴族たちは権利の独占や様々な行為の黙認と引き換えに富を献上、王政はそれらを用いて戦争と侵略を繰り返し領土を拡大していったという。マリーの言うような人攫いも許されていたのだろう。
しかしクーデターの後王位に就いたのはエルドラ氏…王政に反対の姿勢を貫き追放、行き場のない民と対等な契約を結び農地を開拓していた没落貴族である。
半ば押し付けられる形で即位したエルドラ氏は貴族が持っていた独占権を剥奪、各事業の大臣として任命した。
旧貴族には労働者の待遇改善、技術やノウハウの共有を義務付けた一方で、過剰な私刑を繰り返していた民を諌め、彼らが殺されぬよう取り計らったという。
エイジャーも何人かの旧貴族に会っているがそのほとんどは引退して余生を過ごしており、気性もおおむね穏やかになっている。
評判の悪い人物もいるが皮肉を口にする程度である。今さら悪事を重ねられるようにはとても見えなかった。
(人攫いの出入りを許し、ルルを闇に流そうとしていたのは一体誰だったんだ…?)
寝息を立てるルルを眺めながら、エイジャーの胸中にはそんな疑問と気持ちの悪い何かが渦巻いていた…