宴のあと
体全体がゆらゆらと揺れていて、妙な浮遊感がある。瞼を開けると、鮮やかな青い衣装の肩口が目に入った。
「マリー、気がついたか」
「!?」
顔を上げるとサレオスがいて、どうやら私は抱っこされて運ばれていたらしい。
「まさか気を失うとは思わなかった。無理をさせてすまない」
はっ!そうだ、私ったらこの人の攻めに耐えきれなくて意識が飛んだんだわ!思い出すとまた気絶しそうだから、何があったかは頭の片隅に封印しておく。
「あの、もう終わったでしょ?」
「あぁ」
「じゃあ降ろして?」
「なぜ?」
「なぜ!?逆になぜ、だわ!」
狼狽える私を見て、ふっと笑う顔がまた美しい。顔がテカるとかしないのね王子様は……。神様が遺伝子を操作しているわきっと。
「疲れただろう慣れないことをして。だからこのままでいい」
違う、サレオス、そうじゃない。私にとっては#お姫様抱っこ__これ__#も慣れないことなの。また気絶しそうなの。でも私の言うことなんてまったく聞いていない王子様は、余裕の表情で歩き続けている。
「マリー様、これはサレオス様のワガママですのでどうか聞いてあげてください。それにまだ目が覚めたばかりですから、歩くとあぶないですよ?」
後ろを歩くイリスさんが、やっぱり笑っている。ご機嫌ですね!?
エリーなんて後ろにいるのに声すらかけてくれないわ。瀕死の私を心配してはいるけれど、どこか遠くを見ていて絶対に目を合わせてくれないの。
私はどうしても降ろしてほしくて、サレオスにお願いした。
「ねぇ、本当にもう大丈夫だから降ろしてくれないかしら?」
「だめだ」
「ちゃんと歩けるから、ね?」
「無理だろう」
「どうしてもだめなの?」
「マリー、もう一度気を失ってみるか?」
サレオスはそういうと、私の額に軽くキスをした。口元は笑っているけれど、まったく目が笑ってない。それどころか、「おまえ巻き込まれてもいいって言ったよな?大人しく言うこと聞くよな?」という無言の圧を感じる!
こ、怖い。力関係が蛇とカエルどころか、ドラゴンとアリだわ……。絶対に逆らってはいけないと、私の中で警報が鳴っている。
私が諦めて大人しくしていると、東館のロビーに赤い髪の男性が立っていた。パーティーの途中で、サレオスと話がしたいと中座させたアルクラ公爵だ。どうやらわざわざ待っていたみたい。
はっ!私ったら抱っこされたまま!?恥ずかしくて、どうにか降ろしてもらおうとしたけれどサレオスはビクともしなかったわ……!
「殿下、やるなら徹底的にやるべきですな」
ため息交じりのアルクラ公爵は、私を抱えたままのサレオスをじっと見ながら話しかける。もちろん私は彼の胸に顔をうずめたふりをしたまま、公爵の方を見ることはできない。でもそんな私にお構いなく、二人の会話は進んでいく。
「いっそ皆の前で求婚くらいしてみせなさい。この中途半端な行いが、いずれ彼女を追い詰めますよ?」
「きゅっ……!?」
何てステキなことを言うのこのおじさまは!私は衝撃で、ついサレオスの上着をぎゅっと握りしめてしまった。あぁ、でもそんなことされたら、婚約者候補を一掃するための嘘だとわかっていても私のストーカー気質が暴走してしまう!「本当に婚約して!」と大泣きするかもしれないわ。
「それはご忠告感謝する」
サレオスは私を抱えたまま、動揺のカケラも見せずに淡々と返事をした。何なの!?少しも動揺しないなんて、これが「好き」の量の違いなの!?
「本当にわかっていますか?まだまだ甘いですよこんなやり方では。もういっそ、二人で寝室に篭ってしまえばいい。そうでもすれば、さすがに皆諦めるでしょうな。私も含め」
「そうか。それは考えていなかったな。検討しよう」
いやぁぁぁ!冗談だとわかっていてもついていけない!今ここでそんな話しないでっ!!!
「ところでテルフォード嬢」
え、まさかの指名がきた……!私はおそるおそるアルクラ公爵の鋭い瞳を見つめる。あぁ、抱っこされたままっていうのがどうにも格好がつかないわ!
「は、はい……」
「一体どのようにして、我が娘を手懐けたのですかな?」
「娘、さん?」
「アリーチェですよ。気性の激しい娘が、あなたのことを#殊の外__こと ほか__#気に入ったようで……アガルタに留学したいと言い出しました」
うわっ、アリーチェさんのお父様だったんですね!?くっ……!まさかお友達のお父様にこんな醜態を見られるなんて!
「娘が留学したら、仲良くしてやってください。まぁ、試験に受かるかどうかはわかりませんがね」
「は、はい。ありがとうございます……」
アルクラ公爵は言いたいことだけ言って、白髪交じりの赤い髪をなびかせて去ってしまった。
その背を見送りながら、サレオスがボソッと呟く。
「本当に仲良くなったんだな……」
え?嘘だと思っていたの?お友達になりましたって言ったじゃない。
私は呆気にとられてサレオスの顔を見つめてしまう。
「その顔……」
サレオスは私の顔を見て、失礼にも噴き出した。
「マリーは本当におもしろい」
「……それはどうも」
どうしよう、本格的にお笑い要員かもしれないわ。ちょっと特別に思われてるんじゃないか、なんて思ったけれど、大丈夫かしら……おもしろいと何度も言われるのは複雑だわ。
そんなことを考えているうちに私の部屋まで運ばれて、ようやく降ろしてもらえた。エリーは先に部屋に入って、着替えの準備をしてくれるという。
扉の前に立ち、私がすべてを終えた解放感と少しの淋しさを抱いていると、サレオスが申し訳なさそうに言った。
「無理させてすまなかった。今夜はゆっくり休んでくれ」
さすがに今日ばかりは大丈夫と言えず、私はだまって頷いた。でも、気絶したものの幸せすぎる時間だったわ。妄想以上のドキドキを体験できたもの!
ただ、ひとつだけ気になっていることがあった。私は自分の両手をぎゅっと握り、おそるおそる口を開く。
「あの……」
「なんだ」
うくっ……!なんか優しい!表情がっ、なんかわからないけど違う。安定の無表情なのに、オーラが柔らかいのは気のせいかしら。私は違和感を無理やり胸の奥に押しやり、ためらいながらも言葉を続けようとした。
「その、これってどこまでが……」
言いかけて止まってしまった私に、サレオスが不思議そうな顔をしている。続きを待ってくれてるんだろうけど、私は唇を無意識のうちに唇を噛んでしまって何も言えない。
き、聞けない!「どこまでが周りに見せつけるための演技で、どこまでが本当なの?」と、喉元まで出かかった言葉が、どうしても出てこない!
キスをして色々と接触は増えたけど、よくよく考えてみれば好きだと言われたわけではないし、私も言わなかった。友達以上、ではあると思ったけど……これって結局どういうこと???
あぁ、でも今日は一生分の緊張を味わった。キュンが押し寄せすぎて、脳と内臓を損傷した気がする。だめだ、頭が働かない。もう早く眠りたい。
「な、なんでもない。おやすみなさい」
明日出かける約束をして、そのままサレオスは本館へと戻っていった。扉の陰からこっそり見ていたら、ロビーの出口のあたりで振り向かれて笑われた。やっぱり私はのぞき見が下手らしい。




