好きすぎて滅びる
サレオスに背を向け、必死で記憶を掘り返す私。冬休みって一体何をしていたの……?トゥランに来るまでロクな思い出がないのは気のせいかしら。
城勤めは散々だったし、ちょっと悲しくなるくらいにまともな思い出がない。私は右手を顔に当て、情けなさを噛み締めていた。アリアナ様といいルルナといい、私って女子の一部にとことん嫌われる性質でもあるのかしら。お友達の作り方がわからないわ。
それにしても、年頃の女の子らしい思い出がなさすぎる。このままではサレオスに「こいつ哀れだな」と思われ兼ねない。
でも私はついに思い出した。
あったわ!クレちゃんを迎えに行ったとき、ちょっと街に出たじゃないの!
「そうよ!ディックホルムの街でシュガーパイを食べて、それで」
私が思い出した喜びで右手を握り締めたとき、後ろからふわっとサレオスの腕がまわり抱きしめられた。
「ひぅっ……!?」
ひゃぁぁぁぁぁぁ!!!私の肩にサレオスの頭がのっかってる!これはダメー!
「会いたいと、思ってくれていたか」
やめて!しゃべらないで!吐息が耳にかかる!この天然キュン殺し犯めぇぇぇ!!!
私は、まわされた彼の腕を両手で掴んで悶えていた。
「こっちに来たとき、そんなこと一言も言わなかった」
「いっ言えないわよ、あんなに兵がいるところで」
「なら、今言えばいい」
「今!?今って今ここで!?それに何の意味が……?」
「意味なんてない」
ないの!?どうして!?私はサレオスの考えていることがまったく理解できず、しばらく沈黙が続いた。
「会いたかったの……淋しかった」
「そうか」
「そうよ。だいたいあんなことしておいてさっさと国に帰っちゃうから……だから私、色々と」
だんだんと声が小さくなる。自分の身体も萎縮していくのがわかった。ずっと胸につっかえていたことを、ついに言ってしまったわ。
「あんなこと、とは?」
いやぁぁぁ!!!自滅したぁぁぁ!これ拷問!しかもサレオス笑ってる!からかって楽しんでいるのね!?何この人、確信犯なのそれとも無自覚なのどっちなの!?
「あ、あんなこととはあんなことで……ちょっといったん家に帰ってもいいかしら」
「この状況で俺がそれを許すとでも?」
「うっ……!」
なんなの!?私ばっかりこんなに好きで、サレオスはいつも余裕があってずるい!キスしたことに関して、後ろめたいとか照れるとかそういう感情はないわけ!?
やり場のない気持ちがこみ上げてくる。好きで好きで、今すぐお嫁さんにしてほしいくらい好きなのは私だけなのね、わかっていたわよ!
あああ、完全に笑ってる!?堪えているけど笑い声が漏れてるから!
この余裕の姿勢を崩してやりたいわ。私と同じくらい動揺してほしい!
「少しからかいすぎたか」
そう言ってサレオスの腕が緩んだ隙に、私はくるっと身を反転させた。そしてなけなしの意地と根性で、冷たい頬にキスをする。
「っ!!」
あぁ、恥ずかしさで心臓が痛い。それに背伸びした足の裏も痛い。でも今度はうまくできた!失敗しなかった!
「こ、こんなことした、と思う」
弱っ!「思う」って何!?気分的には「こんなことしたわよね、なんでよ、ねぇどうしてなの!」ってなじるくらいの気合いで挑んだのに……ぐっ!一瞬だけ唇にしてやろうかとも思ったけど、そんな度胸は私にない。
はっ!でもサレオスがびっくりしている。あれ、余裕の表情を崩せたみたいだわ、意外に成功した?あぁ、呆気にとられた顔も好きだわ。
少しの間だけ見惚れちゃったけれど、よし、もう逃げよう。
私は頭を屈め、そのまま彼の腕から離れようとした……けれど私ごときに出し抜かれるほどサレオスは易しくなかった。
ーーガシッ
「え?」
あわわわ!全然逃げられなかった!正面から二の腕を思いきり掴まれてしまう。
「違うな」
「え?」
濃紺の瞳が、一瞬で絡め取られそうなほど鋭く光る。まっすぐに見つめられ、息を飲んだ瞬間に力強く引き寄せられた。合わさった唇に、柔らかな感触が確かにある。
「ふっ!?」
ひきゃぁぁぁぁ!!!キスしてるー!!!
私は目を開けていられず、ぎゅっと瞼を閉じた。どうしよう、全身がぷるぷるしてる!脚が震える!
「んんっ……!」
ごめんなさいぃぃぃ!なぜだかわからないけれど、心の中でめいっぱい謝罪する。心臓がバクバク鳴って、全身が一気に熱を持ったのがわかった。
「マリー」
「は、はい……?」
わずか数センチといった距離から、低い声で名前を呼ばれる。声を振り絞ってどうにか返事をしたのに、その後の返答はない。
そして視線から逃れられないうちにまた、唇が重ねられた。さっきもしたはずのに、触れた瞬間に肩が震えてしまう。
びっくりしてるし恥ずかしいし、その場しのぎでもいいから逃げたいんだけれどまったく力が入らない。
あぁ、こんなことされたら好かれているんじゃないかって思ってしまうじゃない。柔らかい感触におかしくなってしまいそうだわ。
うわぁぁぁぁぁ!もう無理。この人が好きすぎて、全身が崩れ落ちてしまいそう。
恋人になれなくてもそばにいたいって思ってしまう。マズイ。都合のいい女になる自信がある。こっちが好きすぎる分、やめてとは言えない。どうする!?どうするのマリー!?いっそのことお嫁さんにしてって迫る?
私がそんなことを考えて意識を反らしている間にも、幾度となく口づけられる。あぁ、もう緊張しすぎて、疲れてヘロヘロになってきたわ。
「んう~……!」
もうお願い放して!私の願いが通じたのかやっと解放された。疲れ切った私は、完全にサレオスの胸に身体を預けてしまっている。
な、なんてことをするんだこの人は……私は恋愛初心者なのに!
あぁ、でも幸せ。瞳を閉じて、ゆっくりと彼の背に手を添えてみる。何かしら、かすかにミント系のいい香りがするわ。ずっとここに居たくなってしまう。
「そのドレス、よく似合ってる。とてもキレイだ」
「ひうっ!?」
い、今それ言うの!?アリーチェさんに、ものすごく愚痴をこぼしてしまった後なのにぃぃぃ!?ど、どうしたらいいの?「いっぱい悪口言ってごめんなさい」とか言ったらその時点で「え、悪口言ってたんだ」ってなっちゃうわ!
動揺する私をよそに、サレオスは私の背に回した腕の力を強めた。
「叔父上はマリーを見て、『月夜に咲く氷華のようだ』と言っていた」
「氷華?それは冷たい女ってこと?」
「違う、そうじゃない」
ええっと、じゃあ褒め言葉なのかしら?私が困っていると、サレオスがふっと笑った。
「男が皆焦がれる、手に届かぬ美貌だという意味だ」
「まぁ、とてつもない褒め言葉ね。さすが叔父様」
あぁ、ぎゅってされているとあったかい。ぬくもりをついつい満喫してしまう。
「手が届くうちに、か……」
「え?」
「なんでもない」
「あの、ドレスのこと、ごめんなさい。知らなかったの。アリーチェさんに教えられてびっくりしたわ」
「マリーが悪いわけじゃない。俺の方こそ悪かった。イリスに叱られ、クレアーナには嫌味を言われた」
「えええ……。なんて言われたの?」
「なんてって……」
しがみつくようにくっついている私を、サレオスは腕に力を込めて抱きしめてくれた。背中に回された手があたたかい。
私が少しだけ背を反らしてその顔を見上げると、何かを思い出しているのか、とんでもなく苦い顔をしていた。
「サレオス?」
「いや、いい。今すぐ忘れる」
何かしら、心配だわ。「大丈夫?」と声をかけると、サレオスは奥の方から絞り出すような声で呟いた。
「巻き込みたくなかった。マリーが来る前に婚約者候補などすべて処理しておけばよかった」
処理って言い方は物騒だわ、具体的に何するつもりなの……。ん?私って何かに巻き込まれたっけ?
「巻き込まれた記憶はないけれど、巻き込んでくれても構わないわ」
サレオスは、私の前髪を長い指で梳くと「そうか」と小さな声でつぶやいた。
ここに来たときとは比べ物にならないほど穏やかな顔で笑っていて、眉間のシワはいつのまにかなくなっている。
あぁ、たまに見せる笑顔は破壊力がすごい。あやうく「うっ!」という声が胸の奥から出かかったわ。
「本当にいいのか?嫌な思いをさせるかもしれない」
「いいわ。だってこのドレスを着てしまったんだもの。これを着ている間は、その、私は、恋人なんでしょう?」
クレちゃんと叔父様からの贈り物だもの、きっといいことが起こるはずだわ。
「そうか。そうだったな」
私が笑ったのにつられたのか、サレオスは仕方ないなという風に少しだけ微笑んだ。そして私の頬に手を添えて、確かめるように問いかける。
「頬が少し冷たい。ここは昼間に来ればよかったな。寒くないか?」
「大丈夫。でもそろそろ戻らないといけないんじゃないかしら?」
「……まだいい」
うぐっ……!なにこのワガママ言うかわいい人は。やばい、胸の奥の萌えが爆発寸前だわ!いつのまにか私の両手を握って、指をふにふにして遊び出しているところもかわいい。
どうしよう、好きすぎて滅びる。落ち着いてきたところなのに、また心臓がバクバク鳴り出したわ。
ちらりと視線だけ動かせば、目が合った瞬間、瞼の上にちゅっと軽いキスをされた。
うわぁぁぁ……。好きな人にキスしてもらうのが、こんなに幸せなことだと思わなかった。
え、これって友達以上に想われているって考えていいのよね?例え、私の気持ちとサレオスの気持ちが同じ量の「好き」じゃなくても、私のこと特別に想ってくれてるのよね?
「マリー」
耳に届く低い声、見上げれば優しい瞳があった。
「何があっても守るから……許せ」
「?」
許すって何を?これから何かあるの?そう言いかけた私に、またしても唇が合わせられた。
うっ……!もう無理だわ。何でも許します、と胸の奥で呟いた。
結局エリーとイリスさんが迎えに来るまで、私たちはずっと二人でここにいた。
「マ、マリー様!?目元が赤いです!」
私の顔を見たエリーは、泣いたことにすぐに気づいた。そして引きずられるようにして化粧直しに連れていかれてしまう。
「サレオス様!なんで泣かせたんですか!?何やらかしました?」
去り際に、勘違いしたイリスさんに詰め寄られるサレオスが見えた。まったく相手にせず、説明もせずに飄々とその場を逃走する姿には笑ってしまった。
人にはキュンの限界がある
エリーによる化粧直しを終えた私は、近づきすぎなければ目の周りの赤みがバレないくらいに整えられている。
パーティー会場に戻ると、待っていてくれたサレオスに手を引かれ、王族のための特別席へと連れてこられた。
イリスさんが何だかとってもニコニコしている。うん、怖いほどに……。何かいいことでもあったのかしら?
先に座ったサレオスに、「こちらへ」と言われて無意識に寄っていくと、足下でバシッという音がした。そして同時に、身体がグラッと傾いて周囲がスローモーションに見えた……
まさかのまさかで、私は王子様に華麗なる足払いをされたのだった。
「えっ!?」と声を漏らす暇もなく、私は彼の左腿の上にぽすんっと着地する。驚きで目を見開くばかりの私と、濃紺の瞳がばっちり合った。
「なっ……!?」
そして彼はとんでもなく悪い顔で囁いたわ。
「巻きこまれてくれるんだろう?」
美しすぎる笑みがあまりに恐ろしくて、背筋がゾクッとした。
「マリー、まだ何も食べていないだろう」
そういうと彼はテーブルにあったケーキをフォークでちょっとだけ突き刺し、私の口元に持ってくる。瞬きを忘れた私は多分、寄り目になっていると思う。
「ひうっ……!?」
すっごい見られているわ!まわりからの視線が私たちに集中している。それがわかっていて、サレオスはこんなことをしているのね……!
婚約者候補を一気に「処理」するつもりなのね!?私の存在を使って。顔というか首も手も真っ赤になるのがわかった。アツイ、全身がアツイ。え、私、蒸発する……!?
「どうした?好きだろう、甘いもの」
いやぁぁぁ!微笑まないで!演技だとわかっていてもキュン死にするぅー!この空間であなたほど甘いものはありませんよー!
真っ赤な顔で半泣きの私は、仕方なく少しだけ口を開ける。ほぼ無理やりねじ込まれたケーキは二割増しで甘い。膝の上でケーキを食べさせられるという拷問は、ものすごく胸が苦しかった。
「うまいか」
そう聞かれても、私は黙って頷くので精一杯。あぁ、こんな甘すぎる妄想は私の中になかった。てっきりカンストしたと思っていた妄想スキルは、現実の足下にも及ばなかったみたい。
羞恥に悶える私にさらなるキュンは迫る。優しく肩に回された手が、私の身体を引き寄せた。
「ひゃっ」
こ、この体勢は、サレオスにしなだれかかってイチャついているようにしか見えない!
「うぬぬぬ……!」
密着状態に耐えきれず、慌ててサレオスの胸に腕をつっぱろうとする。が、ものすごい力で押さえつけられてしまい、まったく離れることができない!
「マリー、無駄な抵抗はやめろ」
うぐっ!悪い顔までもがかっこいい……何より影の攻防を周囲には微塵も感じさせない演技力はすごいわ!
どうしよう、こんなに近づいたら心臓の音が聞こえてしまう!呼吸が小刻みに荒くなっている。それでも私の緊張や疲労はおかまいなしで、サレオスのイケメン攻めは続く。
頭を撫でるわ、頬にキスをするわ、フルーツを食べさせるわ……
待って、あなた誰?私の知ってるサレオスじゃない。もう無理、意識が飛ぶ。
ぐったりした私は、途中から本当にしなだれかかっていた。こういうとき、羞恥でぽっと頬を染めるのがかわいい女の子なんだろうけれど、残念ながら私の場合は限りなく白眼に近い。多分、口から魂が出てた。人は本当に限界が近づくと、かわいさなんて装っていられないのね。
私にショールを持ってきたエリーが、ちょっとだけオロオロしているのを感じたわ。
相変わらずまわりからの視線はすごいし、令嬢たちの「いやぁぁぁ!」という悲鳴まで聞こえる。
時折、サレオスに「マリー」と甘い声で呼ばれては、最大限に気を張って令嬢スマイルで微笑み返す。
いっそこの状況を心から楽しんでしまおうか、そう思って私の方からお菓子を食べさせてみたけど、指先をわざと甘噛みされてあえなく脳がショートした。頭の中で何かがブチブチちぎれる音がする……。
だいたいこの人は一体どこでこんなキュン殺しテクニックを覚えたの!?と思ったけれど、それはすぐにわかった。叔父様というお手本が、視界の隅でクレちゃんに愛を囁きまくっていたの。うん、いたわ、優秀な師匠が。
そして思ったわ。クレちゃんはリアルにこの恥ずかしさに耐えているのね……!これまでニヤニヤしてごめんなさい。心の底から謝罪する。
ぼおっと現実逃避をしていると、ひとりの令嬢が暴れているのが視界の隅に入った。
「離しなさい!私はサレオス殿下にお話があるのよ!」
笑顔を浮かべたままのイリスさんに、がっちり腕を拘束されているのにものすごく元気だわ。
「あ、あれはイレーア様という方では!?」
あんな暴挙が許されるという自信はどこから来るの!?私はびっくりして身を乗り出した。彼女の嫉妬と殺気の篭った瞳が、ばっちり私に向けられている。
ところが私が恐怖を感じる前に、頬に手を添えられて一瞬にしてぐりっと首の向きを変えられてしまう。
「ふえっ!?」
すぐ目の前には、澄んだ濃紺の瞳がある。じっと見つめられると、胸がドクンと強く打つのがわかった。
「あんなもの見なくていい。俺だけ見てろ」
「っ!?」
ーープツッ……
私はそこで気絶した。人にはキュンの限界があるらしい。




