王子様の突撃
赤い絨毯の上を足早に歩くサレオス。その不機嫌なオーラを感じとり、イリスは苦笑いを浮かべて一歩後ろを付き従っていた。色とりどりのステンドグラスが、主人から漏れ出す魔力によってガタガタと音を鳴らして揺れている。
パーティーを中座してアルクラ公爵の呼び出しに応じてみれば、それは実にたわいもない雑談で、怒りはもっともであった。しかも急いでいるというのに、戻る途中にも幾人もの客人に声をかけられて足止めされてしまう。
「そんなに苛々しないでください。マリー様を案じるお気持ちはわかりますが、そんな顔で戻ったら怯えられますよ」
ただ従者としては、もう少し感情の制御というものを覚えてもらいたい、そう思い視線を送っていた。
「おまえは怪しいと思わないのか。アルクラ公爵といい、さすがにこれだけ足止めされるのはおかしい」
「おそらく何か企んではいるんでしょうが、マリー様だってさすがに今日はおとなしくなさると思いますよ。貴方様のことだから、お昼にお会いしたときにちゃんと忠告なさったのでしょう?」
イリスの言葉に、サレオスは眉を寄せて睨みつける。王子様は相当に不機嫌らしい。
「昼?何の話だ」
「え?お会いしましたよね、私が昼食をお持ちしたときに。マリー様を寝ているサレオス様のそばに置いてきましたが」
「は!?」
驚きでつい足を止めるサレオスを、イリスは思いきり目を見開いて唖然と見つめた。
「まさか起きなかったんですか!?サレオス様が?他人がそばにいるのに?」
「起きたら誰もいなかった。昼食と髪紐がテーブルにあっただけだ」
「えええ、よく寝ていられましたね。私は確かにマリー様をお連れして、先に部屋を出ました。絶対に起きると思っていたんですが。そうですか、寝てましたか」
「……行くぞ」
大広間から聴こえる音楽がだんだんと大きくなっていく。
「せっかく二人きりの時間をと思ったんですが、まさか起きないとは予想外でした」
いくら疲れていたとしても、他人が自分の領域に入って寝ていられるほど楽観的な主人でないことは知っている。それなのに呑気に寝ていたというのだから内心イリスは呆れていた。
「兵や家臣に噂を流してあれこれ下準備したのに、ご本人がマリー様を口説き落とせなければ意味ないんですけど。呑気に寝ている場合じゃありませんよ」
「やっぱりおまえか……!まさかと思うがマリーの」
「はい、キレイだったでしょう?あのドレス。ものすごく無理なスケジュールで仕立ててもらったんですよ、テーザ様はあれこれこだわりが強いからやり直しも多くて」
嬉しそうに笑うイリスはさらに続けた。
「それにしても、とうとう手懐けられてしまいましたか。まさかあなたが人前で呑気に寝られる日が来るとは思いませんでしたよ。もういっそ婚姻を結んだ後に、仲を深めていくというのはいかがでしょう」
「うるさい」
「あぁ、でもテルフォードのご当主は一筋縄ではいきそうにないですねぇ。お金に困ってないから金銭は役に立ちません。母君や弟君とはすでに定期連絡をとってますので味方ですが、やはりマリー様にお父上を泣き落としてもらわないと」
「おまえいつからマリーの母親と連絡を?しかもレヴィンには何の用だ」
悪びれもなくにこやかに微笑む従者に、サレオスは頬を引攣らせる。
「母君には街で、偶然にばったりと」
「会うわけないだろ」
「娘をよろしくねって笑っておられましたよ」
「……それで、レヴィンとは?」
「弟君にはこちらの鉱山での魔物狩り放題の権利と引き換えに、最悪の事態には爵位を継いでもらって父君を通さずにマリー様との婚姻許可を……ってまぁまぁそんな細かいことはいいじゃないですか」
「おまえ自分がえげつないことを計画しているという自覚はあるのか!?」
「ありませんよ。その自覚、必要ですか?それで、式はいつにしましょう。早くて来年の秋ですかねぇ。カイム様のときは時間がなくて大変だったんで、なるべく事前に言っていただきたいのですが」
「今はまだ結婚などする必要はない。強欲な連中が黙ってないぞ」
投げやりな態度を取れば、ますます従者は口うるさくなる。わかっているが、それでも探られたくない腹を探られてしまえば苛立ちは隠せない。
「今じゃなければよろしいのですか?卒業したら?縁談が落ち着いたら?そんな悠長なことを言っていると取られますよ。私みたいに」
「っ!それを持ち出すのは卑怯だ」
「あぁ、別に嫌味で言っているわけじゃないですからね?婚約者を王都に放置してサレオス様についてルレオードに来ちゃったから浮気された~とかそんな文句は言ってませんよ?」
「たいがい全部言ってるぞ。俺の罪悪感につけこんで遊ぶな」
もう笑い話にしか過ぎないネタなのに、いつまでも負い目に感じている主人をイリスは笑い飛ばす。
「あははは、もういいじゃありませんか。過ぎたことです、今はマリー様のお心を掴むことだけ考えてください。
意地を張ってないで、ちゃんとキレイだと褒めて差し上げるんですよ?どうせ何も言わなかったんでしょう。身を案じて遠ざけるより、手が届くうちに囲い込んで守る方があなたには向いてますよ。あれ、ヘタレですかもしや」
「あぁもう本当にうるさい、黙ってくれ!!!」
二人の姿を見つけた給仕が、慌てて入口の扉を開いた。多くの着飾った者たちで賑わう中を大急ぎで目的の場所に向かう。
しかしそこに、座っているはずのマリーの姿はなかった。もちろん護衛の気配も。誰もいない椅子を前に、愕然とする二人。
「おい、マリーも今日はおとなしくするだろうって言ってたのは誰だ」
「あぁ~誰でしょうか。さすがはマリー様といいましょうか、これはまいりましたね」
イリスはすぐに近くにいた給仕や噂好きのご婦人たちにマリーの行方を尋ねまわった。
まだ年若いにも関わらず、未来永劫消えないのではと懸念するほど眉間にシワを寄せたサレオスに、イリスは手短に報告する。
「目撃者によれば複数の令嬢に囲まれた後、アリーチェ公爵令嬢たちにどこかへ連れて行かれてしまったと」
「今すぐ追う!アルクラ公爵は自分の娘を使ってきたか」
二人はすぐにダンスホールを出て廊下を急ぐ。マリーを探知すると廻廊の手前の部屋から反応があり、そこに留まっているのがわかった。
アルクラ公爵は父の友人であり戦友。むげにはできないと話に応じたのが間違いだったとサレオスは後悔していた。
「まったく……!こんな風に巻き込みたくなかった」
「すみません、私の読みが甘かったです。公爵がまさか娘と共謀するとは」
「マリーは女の争いには向かない。表裏がなさすぎる」
「人を疑いませんからね。でもそこがかわいらしいんでしょう?ってすみません、殺さないでください、魔力漏れてますよ」
休憩室の前に到着すると、中からかすかに令嬢たちの高笑いが聞こえてくる。扉にはしっかりと鍵がかかっていた。
「まぁ、無様な姿ですこと!これじゃあとても良縁には恵まれませんわね!!!」
アリーチェらしき女の高笑いが漏れ聞こえてくる。
「あはははは!本当に……!もう諦めるしかないですわね、あははは!おかしい!」
「も、もうやめて!これ以上は、やめっ……」
聞き慣れたマリーの声は震えていた。泣いているようでその声は弱々しい。
「マリー!」
サレオスはノックもせずに扉を乱暴に蹴り開け、鍵を出しかけていたイリスも続いて中に突入した。
「「「「え……?」」」」
しかしそこで見たものは、ロッセラの長い髪を真上に高く結い上げて遊んでいた年頃の令嬢たちの姿だった。
マリーとアリーチェは涙を浮かべて笑っていた、が突然蹴破られた扉に一瞬で真顔になり絶句した。
遠くの大広間から聴こえる音楽がかすかに流れ、しばらくの間、ここにいる誰もが一言も発することはできなかった。




