お見合い
トゥランの最北端に位置するルレオードは、私たちの国よりも随分寒い。今日はめずらしいくらいの陽気だそうで、馬で走っていてもそれほど寒さは感じなかった。
でも今、私はとても困惑している。
「サレオス……?」
「なんだ」
「その……さすがに私もうっかり落馬したりしないわよ?」
「昔、大丈夫だと言ってすぐに落ちた者を知っている」
馬で走って数分。道はきれいに整えられているし、それほど速度も出ていない。駆け足くらいのスピードで、馬車よりちょっと速い程度だ。
それなのに、私が少しでも前かがみになればすぐさまサレオスによってぐいっと引き戻されてしまう。
あまりの密着度に耐えきれず、たとえ数センチであっても距離を開けたい私と、落馬を心配するサレオスとの攻防がなかなかのハイペースで繰り返されていた。
隣をゆくイリスさんなんて笑いを堪えきれていない。私は真っ赤な顔で、助けを乞う。
「イリスさん……?」
「あぁ、すみません。サレオス様はお疲れなんですよ。だからこんな風に」
「イリス!」
サレオスが突然荒々しく声を上げた。それでもイリスさんはにこやかに会話を続ける。
「ダメですよ、サレオス様。そんなに声を荒げてはマリー様が怖がってしまいますよ?」
「誰のせいだ」
「反抗期ですね~。いくら連日のお見合いで疲弊しきっているとはいえ、そんなにイライラしなくても」
は!?
お見合い!?
私は衝撃的な発言に限界まで目を見開いた。
「見合いなどしたつもりはない」
怒りと疲労が入り混じった声でサレオスが答える。イリスさんはおもしろそうに笑っているけれど、私はとても笑えないわ!
「サレオス、お見合いって?」
あぁいけない、声が震える……。ショックのあまりに全身から血の気が引くのを感じた。
「だから、見合いなどしていない」
「サレオス様、それでは誤解を生みますよ?」
「おまえがいらぬことを言い出したからだろう!?」
私が不安に揺れていると、少し後ろからダンさんの豪快な笑い声が聞こえてきた。
「がははははは!王子様っていうのは大変ですな!カイム様とテーザ様が売り切れたもんだから、今度はサレオス様のところに令嬢方が殺到するとはねぇ!」
えええ、どういうこと?殺到しているの!?私がオロオロしてイリスさんの方を見ると、苦笑いで説明してくれた。
何でも、どうしてもクレちゃんと結婚したかった叔父様が、トゥラン国内にフライングで婚約を発表してしまったらしい。まだ正式に婚約はしていないけれど、きっともう叔父様の中でクレちゃんとの結婚は決定事項なんだろう。
そうなるともう、未婚の王族はサレオスひとり。もともと王太子であるカイム様の妃の座を狙っていた令嬢たち、そして叔父様の妻の座を狙っていた令嬢たち、14才から22才までの美女がそれはそれはバトルを繰り広げているらしい……。
なんてことなの。私がお城で時間を消費している間に、サレオスは令嬢たちに迫られていたなんて……!
「あの、お見合いってどんな風に?」
「だから見合いじゃない」
頑なに認めないな!不機嫌な声をあげるサレオスを見上げると、ものすごく眉間にシワが寄っていた。そして何だか空気の冷たさが増した気がする。
「かわいい子がいたり、運命の恋が見つ、うわっ!」
私の言葉が言い終わらないうちに、サレオスが片腕で私の頭を抱き込んだ。
あわわわわ……過剰接触にもうマリーは気絶寸前ですよ!
え、この話はしてほしくないの?私の耳を塞ごうとしているのかしら……何があったのよ!?
「俺はただ仕事を片付けていただけだ。そこに次から次へと知らぬ顔がやってきて、ひたすら何かをしゃべって帰っていった。入れ替わり立ち替わり……」
え?それはお見合いっていうのかしら???
私の疑問を察したイリス様が、笑いながら説明してくれる。サレオスとの温度差がすごいな。
「休みに入ってすぐは、ずっと王都にいたんですよ。そこで公侯あたりが見合いを要求してきましてね?」
「そりゃ言い出すだろうな」
ダンさんがおもしろそうに笑っている。
「でもサレオス様はすべて無視して、ルレオードに黙って帰ってきたんですよ。そしたら娘を連れた貴族たちが押しかけてきましてね?」
「すごいな!」
「もう大変でしたよ……。でもサレオス様は茶会や夜会は絶対に嫌だとおっしゃるので、断りきれない方々には直接執務室においでいただきました。30分ごとにおひとりずつ、3日間で12人を消化した時点でサレオス様が逃亡してしまって……」
「がはははは!おまえは悪魔か!?そんなに詰め込んだら主が逃げるのも無理はない!」
「これでもだいぶ断りを入れたんですよ?とにかく会わせるということで納得していただいたんですから、そこは評価してもらいたいですね。お嫌でしょう?全員と出かけたり茶を飲んだりするのは」
「それは……!」
「だいたいサレオス様は一言も話さなかったじゃないですか。黙々と仕事だけして、少し休憩をといえば本を読んだり寝たりして。あれではただの『サレオス様見学会』ですよ」
やだなにその催し。絶対に参加したいわ。次は誘ってくださいね、と私はイリス様に期待のまなざしを向ける。
「おまえも性格が悪いよなぁ。サレオス様が無視することわかってて見合いさせんだもんな。てっとり早く諦めさせたくてそんなことやったんだろ?……で?何人残ったんだ?」
「おそらく3人でしょう。娘はともかく親の意向がありますからね。ま、それも明日のパーティーで……終了ですよ」
イリスさんが何だか悪い顔をしているわ。とても爽やかな笑顔なのに、目の奥に鈍い光を宿している……。
ダンさんは何だかとても楽しそう。サレオスの殺気がびりびり伝わってくるほどなのに、この人たちは慣れすぎよ……!
見上げればそこには、明らかにイライラした顔があった。せっかくの男前なのに、眉間にシワがついてしまうわ!
私が指でサレオスの眉間をぐりぐり伸ばすと、ものすごく驚いた顔をした。
はっ!?しまった、無意識で触れてしまった!!!ついサレオスの美形を保ちたいばかりに……!久しぶりなのに馴れ馴れしかった!?
急に恥ずかしくなってきた!俯く私に、イリスさんがにこにこ笑って提案をしてくる。
「という感じで、サレオス様はとってもお疲れなのです。だからマリー様、すみませんが癒してあげてくれませんか?」
「は?」
癒す!?癒すって何をすればいいのかしら!?淑女教育でも特にそういったことは習っていないわ……!私は今すぐに書店に行きたい衝動に駆られる。
本のお取り寄せカタログで見つかるかしら……!?
あぁ、でもサレオスは、確かに少し痩せたというかやつれたような気がしないでもない。疲労が溜まっているのね、かわいそう。
どうしよう、私に今できること……。
「あの……扶助、代わる?」
手綱を握るのも疲れると思う。癒す方法がわからないなら、私が馬の扶助を代わるくらいしか思いつかない。
あぁ、どうしよう。イリスさんから送られる視線に「それじゃない感」がたっぷりだわ。
「その格好では無理だろう。いや、そうでなくても代わってもらわなくていいが」
はっ、そうだった。さすがにスカートでは無理だわ。
はぁ……好きな人が疲れているのに私ったら何の役にも立たないのね。こんな体たらくじゃあ、サレオス様見学会に参加できないはずだわ。
私はショックのあまり脱力してしまう。そして「見捨てないで」という一心で、ぽすっと彼の胸に寄りかかった。
あぁ……好き。やっぱりこの人からマイナスイオンが出ているわ。って私が癒されてどうするのよ!
何か良い方法が思い浮かべばいいんだけれど……!あとでエリーに相談しよう。
「マリー、そんなことよりもアレがなぜ護衛に?アレは守る側じゃないだろう」
え?あぁ、ヴィーくんのことか。すっかり忘れていたわ。私はようやく、紫色の短い頭の人のことを思い出した。
そういえば、サレオスの前に立つとヴィーくんは小さく見えたわね。身長は170センチ少しで細いし、機動力重視の体格なのねきっと。
「実はお城でたまたま……」
私は10日間の出仕中の話をした。偶然レヴィンがバズーカを放って、偶然ヴィーくんにケガをさせ、魔力切れで目が覚めたときにはお母様がヴィーくんを雇っていたと伝えた。
ダンさんは爆笑していた。
「お嬢ちゃん、それは災難だったなぁ!」
あ、はい、本当に災難続きのお城勤めでした。
「ちょっと待てマリー、そんな偶然はない。何がどうなってバズーカを撃ったんだ」
うぐっ!フレデリック様に幹ドンされて指先にキスされたことは隠したい。私は遠い目で沈黙を守った。
「偶然かどうかはともかく、マリー様らしい……!」
どのあたりが私らしいのかはわからないけれど、イリスさんも噴き出している。
でもサレオスが「気にするな」と言ってくれるから気にしないわ。私は癒し系にはなれないけれど、都合のいい女にはなれるもの!
「それにしてもよく侯爵が許したな」
サレオスが苦い顔をしている。私が知らないだけで、ヴィーくんはかなり腕利きの仕事人らしい。
「以前見たときよりは禍々しい雰囲気がなくなっていたが……本当に大丈夫なのか?」
まさかの知り合い!世間って狭い。暗殺者と知り合う生活ってどんなのよ、とサレオスの人生に大いな不安を抱いたもののそこには触れないでおこう!
「ええ、今はただの護衛よ?仕事は早いし頼りになると思うの」
サレオスは心配性ね。私からするとヴィーくんの話なんてもうおしまいでいいわ。それよりもお見合い疑惑についてもっと知りたい……!
でもサレオスは詳しく教えてくれなさそう。恋人でも婚約者でもないから、深入りされたくないのかも。
「マリー?どうした」
私はモヤモヤしたものが胸の奥につかえていた。つい、サレオスの上着をぎゅっと強く握ってしまう。
お願いだから、運命の恋を見つけないで。私のそばにいて?
じぃっと彼の顔を見つめると、わずかに眉を上げて「なんだ」と言われたように思えた。まさか恋するな、なんて言えない。
私は笑って首を振ると、街の景色を眺めて気を紛らした。
「わぁ……きれいね!」
赤やオレンジ、黄色などのレンガ造りの建物が整然と並ぶ街はかわいらしい雰囲気だった。どの家も、玄関先にはリンゴみたいな大きなランプが備え付けられている。
「かわいい。女の子が好きな色合いの街ね!とってもきれいだわ!」
「そうか」
アガルタよりかなり寒いけれど、街の雰囲気は賑やかで明るいし、見ているだけでワクワクする気持ちがこみ上げてきた。
興奮して前のめりになり、またサレオスに引き戻されてしまう。たてがみを持っているから落ちないのに。
最終的には肩に手を添えられ、絶対に落ちないように安全対策を取られてしまった。抱きしめられているようなこの状況は、堪らなく心臓に悪い……!
街に入ると、行き交う人たちは多くが黒髪で、サレオスを見ると頭を下げて道を開けた。私を見て「あっ!」と驚きの声を上げる人もいる。白金の髪はかなり目立つんだわ。
しばらく進むと、大きな白い壁とモスグリーンの屋根のお城が見えてきた。サレオスは邸と言っていたけれど、あれはどう見てもお城だわ。大きすぎる!
「到着したらゆっくりするといい。部屋で休むのもいいが、温室は暖かいから見てまわれるぞ」
「楽しみだわ!」
初めて見るサレオスの国に、私はドキドキしながら到着した。




