平和な夏休み
夏休みに入ってすぐ、テルフォード家が治める領地に戻った。今、本邸の私の部屋にはめちゃめちゃ厳つい顔の男と私の従者・エルリック(通称エリー)がいる。
この厳つい顔の男は、フレデリック様の従者・ヴァンだ。現在絶賛夏休み中で、私の領地までやってきて恋人であるエリーとの逢瀬を楽しんでいるのだ。
王子の従者が夏休みを取っていいのか、と尋ねるとふふんと鼻で笑われた。なんか悔しい。
「王太子ともなれば、専属の従者が五人もいるんですよ。俺はナンバーツーなんで、外交とかややこしい仕事は筆頭従者に任せておけばいいんです。マリー様って本当にうちの王子に興味ないですね~。すがすがしいほどに」
げらげら笑っている失礼なヴァンを、エリーがげんこつで窘める。この二人の関係はもう五年以上に渡り、私のカムフラージュも年季が入っていると思う。
「それにしてもあれは笑いました! 街でお会いしたとき、まさかフレデリック様の誘いをあんな風に躱すなんて! 一体何と勘違いしたんですか?」
「賭博場とかやばい薬をやる組織のところに行くと思ったのよ……あのとき借りてた本がちょうどそういう話だったの! 今思えば、フレデリック様がそんなところに出入りしているわけないのに」
「あははは! そうですよ! もっと早く気づきましょうよマリー様!」
「ちょっと、笑いすぎ! 失礼ねヴァン!」
エリーまでつられて笑い始めた。なによ、もうデートに協力しないわよ!
私が怒っていると、侍女のリサに「まぁまぁ」と優しく撫でられた。リサはリサで私のことをいつまでも子供扱いする!
今日は、領地に戻ってきて三日目。
明日にはクレちゃんやアイちゃん、サレオスが来ることになっている。学園の夏休みは二十日間で、サレオスは家に帰るなら往復の移動だけで十日以上も消費するらしい。だからお兄様は「冬に戻ってくればいい」と言ってくれていたそうだ。確かに冬休みは四十日間あるからその方がいいだろうな。でも領地に婚約者はいるのかしら? 私の脳内には、黒髪の美女と寄り添うサレオスがイメージされる。
「あの~、マリー様? 戻ってきてください~」
「はっ、あやうく妄想で死にかけたわ」
「どんな妄想をしてたんですか」
遠くの世界に旅立っていた私は、エリーの声で絶望からあっさりと引き戻された。よかった、まだ私生きてる。
そうそう、実は私、今回の夏休みは目的があって帰ってきたんだよね! ヴァンとエリーの結婚式をやるつもりで。
エリーが女性的な男性なことは小さい頃から気づいていて、でもこの国で同性婚は認められていない。日本と比べても格段に厳しくて、でもそのわりに男色というBLな男性はかなりいるらしい。
去年、ヴァンとエリーはこっそり結婚したんだけど、結婚式をさせてあげたいなって思ってたんだ。クレちゃんは賛成してくれて、アイちゃんには実は来てから話す。サレオスにも当日いきなり話すことになるけれど……大丈夫かしら。
結婚式についてヴァンにはすでに話していて、サプライズのつもりでいる。同性婚に理解のあるドレスサロンがなかったから、こっそり使用人のお針子に協力してもらった。あまり豪華にはならないけれど、記念になればそれでいいってヴァンは言ってくれた。
エリーには、かわいく着飾ってもらいたい。だって心は女の子なんだもん。
結婚式はあさって。ヴァンの休みが最後の日に決行するよ! 私とクレちゃん、アイちゃんはおそろいの紫のシフォンドレスを用意している。髪飾りもおそろいで、パーティーっぽくするんだ。サレオスの分は、服はさすがに無理だから胸につける花を同じ紫にそろえるようにリサに頼んだ。
はぁ……結婚式楽しみ! 私もいつかサレオスと結婚するなら、どんなのがいいかな~なんて妄想が止まらない。ふふふふ。黒髪が映えるように白のタキシードとかどうかしら。
やばい、自分の想像力が豊かすぎて鼻血でそう。キュンキュンするっ!
「うへへへへ」
「マリー様の笑顔が……怖い」
「言うなエリー。マリー様は今、旅に出られているんだ。きっと幸せな妄想だろう」
「……そっとしておこうか」
その日、私はリサに呼ばれるまでずっとサレオスとの新婚生活を妄想していた。
ベッドの上でゴロゴロ転がって、キュンキュン幸せを噛み締めている私をエリーが生暖かい目で見守っていたことに気づくわけもなく……。
普段は外交で忙しいお父様も、私の友人が来るこのときだけは王都から領地に戻ってきてくれた。かわいい娘の友人に挨拶をしたいらしい。でも当初の予定では帰ってこないはずだったのに、サレオスも来ますって伝えた瞬間、書類の束ごと領地に戻ってきたんだから何か怖い。
お母様が「マリーちゃんが、学園で好きになった人を招いたみたいよ!」とか言うからよ。恋人でもないのに父親が立ちはだかるって、それは私側の障壁でしかないよね!
サレオスは壁とも思わずにスルーだよきっと!
ちょっとテンションの下がった私を放置して、お父様は先陣を切って三人を出迎えた。
「ようこそいらっしゃいました……」
社交辞令の笑みを貼り付けながらも、サレオスを見て不満げな空気を醸し出すお父様。
「お久しぶりです」
馬車から降りてきたサレオスは、お父様に対してそう言った。私が不思議そうな視線を送ると、お父様が急に私の視線を遮って話し始めてしまう。
「ほら、ほら! あれだよ、パーティーでは年に一度くらいはお会いしていてね? 顔見知りかな~くらいの関係なんだよ」
「まぁ、そうなの? サレオスったら言ってくれればよかったのに」
私は満面の笑みで彼を見上げた。制服じゃなくてもめちゃめちゃかっこいい!
感動のあまり、口元を手で押さえてプルプルしてしまう。どうしよう、家族がいなかったら泣いている。確実に泣いている。
続いて馬車から降りてきたクレちゃんはすべてを察し、私を見つめて「うんうん」と頷いていた。今すぐ抱きつきたい衝動を何とか抑える。
アイちゃんは、初めて見る我が家の大きさにちょっと引いていた。そうよね、もう慣れたけれど、普通に見るとどこの宮殿かと思うよね。私もちょっとこれはないかなって思う。
「ちょっと……マリー、いいかな?」
なぜかお父様が怯えながら私の袖をつんつん引っ張ってきた。何かしら、さっきまであんなに尊大な態度だったのに。
「あの、サレオス様とはその、お付き合いを?」
「え? やだ、お父さまったら! 違いますよ、お友達ですお友達! ふふふふふふ」
大好きですけれど、なんて言えない。親子ですもの、さすがにクレちゃんに言うように明け透けには打ち明けられませんよ!
あれ、でもお父さまの目がなぜか絶望の闇に沈んでいる。
「まさかうちの娘を攫いに……いやいやいや、まだ大丈夫だきっと」
なんだろう、お父様が私を観察するようにじろじろと見てくる。気持ち悪いわ。
え、もしかしてバレた? 私がサレオスと結婚したいとか妄想していること。逆に気持ち悪いと思われていたらショックかも……。
「お父様ったら何をおっしゃっているの? サレオスとはまだ友人ですわまだ」
満面の笑みでそういうと、お父様はかなり焦った顔をして訴えてくる。
「確かに私は、マリーに好きな人ができたらなるべく反対しないとは言ったが、その、彼はその、なんだ。あれだよあれ!」
私はお父様の意味のわからない言葉を受け流し、にっこり笑ってみんなを中に案内する。
きっとお父様は、サレオスがかっこよすぎるから結婚後の浮気とか心配してるのかな。お父様は、自分の妹が浮気されて出戻っちゃったから、浮気には敏感なんだよなぁ。
大丈夫よ、付き合ってもいないから。あ、自分で言っていてちょっとへこむ。
「マリー?」
部屋に案内している途中でサレオスが心配そうに声をかけてきた。使用人もいる中で、自分が黙り込んでいたことに気づく。
「はっ、いけない! サレオス、今日は移動で疲れたでしょう? サロンでお茶にしましょう」
後ろを歩くクレちゃんとアイちゃんも、きゃっきゃとはしゃいでいる。
夏休みって感じがして、もうすでに私は楽しくなり始めていた。
「あぁ、そうだな。……でもお父上は大丈夫なのか?」
サレオスがちらりと階段の下を見ると、ロビーに立っているお父様はオロオロして落ち着きなくこちらを見ている。お母様に睨まれて、ようやく背筋を伸ばしたけれどもう遅いわ。
「動揺してしまったみたいなの。いつもはもっとちゃんとした人なんだけれど……」
「まぁ、理由はわかっている。マリーは気にしなくていい」
「そうなの? じゃあ、忘れるわ」
私は父のことは頭からきれいに忘れることにして、みんなとの時間を楽しもうと心に決めた。その夜、悪魔が降臨するまでは確かに楽しんでいた。
夕食を終えた後、邸がざわざわし始めたので「なんだろう?」と思っていると、お父様が血相を変えて私の部屋に飛び込んできた。私の部屋にはお友達をはじめ、ヴァンとエリー、リサも集結している。
明日結婚式を行うことをこの場でエリーに発表し、ついさっきエリーがすでに涙をぽろぽろこぼしたところだった。サレオスもアイちゃんも、特に質問もなく「そうなんだ、それはいいね」くらいの反応だったので安心したのに何なのよお父様!
「ママママリー、お友達が来るなら来るって事前に言ってくれないと……」
「お父様? わたくし、ちゃんとお手紙でお伝えしましたよ?」
何を言っているんだ、と私は怪訝な顔で父を見つめた。ヴァンだけが、すべてを悟ったように無言で部屋から出て行く。クレちゃんは黙ってジュースを飲んでいた。もはや貫禄が五十代?
とにかく来て欲しい、と言われて私はロビーに連れていかれ、そこで信じられないものを目にすることになる。
「やぁ、こんばんはマリー。うちの従者がお世話になっているらしいね。突然ですまないが、私も明日までこちらに滞在したい」
どうしよう、うっとりするほど美しい笑顔だが、その目は笑っていないのが私にはわかる。
怖い、怖すぎる! 確実にこれ、怒っていますね!? ヴァンの結婚式に呼ばなかったから? ごめんなさい、勝手にお宅の従者と仲良くしてごめんなさいっ!!
私は青い顔ですぐに王子を出迎え、顔の筋肉を総動員して笑顔を強制的に作った。おそらく笑えていない。隣に立つお父様はちょっと白目だ。
「あの、こんばんは。遠いところをありがとうございます……?」
王子のそばでうなだれているヴァン。明日の主役がまさかの撃沈である。
私はというと、心の中では白目で気絶している。私もフレデリック様も、あははははと笑い合っているが一体何がおもしろくて笑っているのだろう。問いたい、問い詰めたいが、そんなことはできるわけもない。結局、追ってきてくれたクレちゃんに私はスマートに回収され、事なきを得た。
ほんっと、優秀な親友よねクレちゃん!
その日はあまりの疲労で、すぐに眠りの世界に旅立てたわ……。




