モブ失格
「っくしょん!ズビッ……」
私は今、ベッドの上にいる。
昨日、ベンチで眠っているサレオスの隣にこっそり座り、彼に寄り添うようにお昼寝してしまったツケに襲われているのだ。
真っ赤な顔をして、令嬢らしからぬ豪快なくしゃみを披露した私は、エリーとリサに怪訝な顔をされてしまう。え、こういう生理現象って本人のポテンシャルが大きく影響するよね。今さら直すの無理じゃない?
「まったく、もうそろそろ夕方は冷えますからねって言ったばかりなのに」
「ごべんだざい」(ごめんなさい)
昨日の朝、私はエリーにカーディガンを持たされたばかりだった。ちなみにそのカーディガンは、ロッカーに放置されている。
「あら、お嬢様。でもこんな風にされてしまったからには、サレオス様に責任をとってもらいましょう!」
リサの押し売りがすごい。「あなたのそばで勝手に眠って風邪ひいたから、責任取って」と言えるだけの神経があれば、むしろ風邪なんて引かないと思うわ!
「それは冗談としても……学園祭まであと5日でしょう?しっかり治さないと。私がつきっきりで看病いたしますからね!」
「ズビッ。ばび。だおしばず」(はい、治します)
これ、学園祭までに治るのかしら?現在の熱は38.8分。
ヒロインにしろ、悪役令嬢にしろ、学園祭というイベントで風邪をひいてお休みするなんてキャラは絶対にいないわ。神様の私に対する扱いがやっぱり雑!!!
「サレオスに会いたい……」
私はとにかく眠って、身体を休めることにした。
翌日、熱が下がった私は調子に乗って、衣裳係の最後の仕上げであるシーナの髪飾りを作成した。案の定、熱がまた上がってダウン。エリーに怒涛のお小言をもらう。また熱が上がったようだ。
「なんで夕方になると熱って上がるの?」
「体力がなくなるからに決まっています!」
リサがぷりぷり怒っている。怖い。
さらに翌日、お見舞いに来てくれたクレちゃんやアイちゃん、シーナにゼリーをもらった。ひとりで眠ってばかりいてさみしかったから、ここぞとばかりにおしゃべりに花を咲かせ、熱が出るばかりか声がガラガラになるという失態を犯す。
「治す気ありますか!?」と、リサに"冷却ピタピタ"をおでこや首に貼り付けられた。もうお見舞いも禁止されてしまった。……本当に私ってバカ。
そしてさらに次の日。ようやく熱が下がったので、なんとかおとなしく部屋で本を読むことは許された。わずか30分……。徹底した管理体制のもと、私はなんとか体調がもとに戻りかける。
「ねぇエリー、明日は学校に行けるかしら?」
「マリー様、学園祭当日に行くのではいけませんか?せっかくレヴィン様も家族として来校なさるのですから……」
学園祭は、家族カードがあれば見学することができる。どうせレヴィンの目的はシーナだろう。私がいてもいなくても微塵も問題はないと思うわ。
「だって……!だって当日だけ行ったら『あいつ今まで休んでたくせに今日だけ来た!』みたいな感じになるじゃない!」
「それは……まぁそうですけれども」
そこは否定してよ、正直ねエリーは。
「私がいないうちに、サレオスのこと好きな子が青いバラを欲しがったらどうするの!?ファンが群がって争奪戦になっちゃうかも……!」
「いや、あのお方に群がれるほど気合いの入った令嬢はおりませんよ。薙ぎ払われるのがオチですから」
「エリーは知らないからそんなこと言えるのよ……あの人がどれだけ、無自覚イケメン攻めを繰り出すかわかってる!?もうとてつもない実力なのよ!?」
半泣きの私を見るエリーは呆れている。
「それに……!学園モノの恋愛小説は、授業やイベントへの出席が絶対なの!そこに出なければ恋どころかキュンも何も生まれないのよ……!主役になりたいなんて高望みしないけれど、せめて登場キャラにはなりたいのよ!」
私の魂の嘆きに、エリーが小さなため息をついた。
「でしたら、朝の体調をみてから、午後だけ授業を受けにいくというのを検討しましょう?」
「やった!」
「治っていそうだったら、ですよ?当日にまた熱でお休みなんてことになったら……」
ううっ……!確かに!ここままじゃサレオスの青いバラをもらえない。私は何としても治そうと、ベッドにもぐりこんでぐっすり眠った。
目が覚めたら、フレデリック様からお見舞いの品が届いていた。「毒見します」といってリサがプリンを2個食べていた。王子様から毒を盛られる令嬢って、この世にいるんだろうか……?
私は食欲が湧いてきて、プリンよりもしっかりとした食事が摂りたかったので、プリンの残りはエリーにあげた。ってゆーか何十個あるの?という量だったので、女子寮の同じ階のみんなに配った。
しかも、アリソン先輩からもデザートのお見舞いが届いていた。一体どこで私の休みを聞きつけたんだろう?
「マ、マリー様!今人気のキャンベル&ジェーンのゼリーですわ!」
リサが発狂している。私も興奮した。街で一番人気のスイーツ店のおもたせセットだった!
「さすが先輩ね!女の子が好きなものを熟知しているわ!遊び人のセンスはすごいわね……」
私もリサも、エリーもうんうんと頷きながら感動している。これはありがたくいただこう!
「どれにしよっかな~!この花模様のマンゴーゼリーもいし、ミルクプリンも……2個食べていい?」
「しょうがないですね。許します」
「やった!」
私が両手にスイーツを持って喜んでいると、箱を片付けていたリサから不安げな声が上がった。
「あの、マリー様」
「ん?何かしら」
「アクセサリーらしき物も入っておりまして……アリソン・ノルフェルト様の瞳の色と同じような」
おふっ……それはさすがにもらえないわ。
「それは……お見舞いのお礼の焼き菓子と一緒に、お返ししておいて?」
「わかりました。お手紙には『婚約者でない方からのアクセサリーは受け取れませんのでお返しいたします』でよろしいでしょうか?」
「ええ、お願い」
よし!これで心置きなくスイーツが食べられるっ!私はエリーがお皿に盛りつけてくれたゼリーたちを、満面の笑みで口に入れた。
夜の来訪者
スイーツを平らげ、すっかり幸せ気分だった私は、夜だからなのか『サレオス恋しい症候群』に悩まされていた。
はぁ……サレオスに会いたい。そういえば私がベンチで眠っちゃったとき、起きたらばっちりサレオスにもたれてたんだよね。
はっと気づいて顔を上げたら、じっと見つめる目が訴えかけてきていたわ。「おまえ俺の肩で寝すぎじゃないか?」って……。
「もう少し警戒することを覚えた方がいい」
ちょっと叱られちゃったし。サレオスと一緒なら誰かに襲撃されることはないと思うんだけれど、確かに外で寝るのはもう季節的にだめだと思ったわ。案の定、風邪をひいてしまったものね。
でも……でも仕方ないじゃない!サレオスからマイナスイオンか何か素敵な物質が出ているのよきっと!
手をつなぎたいなーなんて思ったけれど、腕組みしてたからそれはできなくて、ちょっともたれるくらいいいかなーみたいな感じで寄りかかったら寝ちゃったんだもん……。
確かウトウトしていたときは、彼の二の腕あたりに私のこめかみが当たるくらいのささやかな寄りかかりだったんだけれど、起きたらいつのまにかおもいきり彼の片腕にくるまってたわ。寒くて無意識のうちに、自分からすり寄っていったかと思うと恥ずか死ねる……!
それで起きたら何となく体がだるくて。頭がぼぉっとしていたから、彼の顔をちゃんと見ていなかった。あんなに至近距離にいられるなんて貴重だったのに!
しかも寮まで送ってくれたとき、ありがとうって一言しかしゃべれなかったし。寝起きの悪い女だと思われたんじゃないかって心配だわ。
あぁ、もう夜の9時すぎだ。
きっと今頃、サレオスはお部屋で本でも読んでいるんだわ。寮はすぐ近くなのに……顔が見たい。
声が聞きたい。ぎゅってしてほしい。あ、今、風邪だわ私。この菌は私自身で処理しなきゃ……。絶対に移せない。
そんなくだらないことを考えていたら、カーテンが開けっ放しだったことに気が付いた。そろそろ閉めようかと思い窓際に向かう。
あ、でも少し換気もしたいな……。外の空気も吸いたい。
そう思ってテラスの扉を開け、ショールを肩から掛けると気分転換に外に出てみた。ひんやりとした風が気持ちいい。あいにくの曇り空だけれど、静かで落ち着く季節だ。
テーブルに備え付けてある椅子はいつもリサがきれいにしてくれている。私はそこにちょっとだけ腰かけて、久しぶりの外の空気を満喫しようとした。
「マリー」
暗闇の中から低い声が突然聞こえてきた。あぁ、サレオス恋しい症候群はおそろしいわ。幻聴があまりにリアル。
どうせなら名前だけじゃなくて、『マリーが好きなんだ』とか聞こえてこないかしら?あぁ、幻聴のスキルアップはどうすれば?
私は瞳を閉じて、さらなる幻聴に期待する。ところが暗闇を突き抜けて耳に届いた声は、リアルを通り越してやたらと具体的な忠告だった。
「風邪が悪化するぞ」
耳にはっきり届いたイケボに、全身がビクッと跳ねる。
「え……」
慌てて立ち上がり、テラスの柵から身を乗り出す。すると屋根の上に当然のように立っているサレオスがいた。
#テルフォード領__うち__#にパンを遠距離配達しに来たときと同じ、黒いローブを着ている。あ、怪しいわサレオス!会ったのが私じゃなければ通報されるわよ!?
「何でここに!?え?どういうこと!?」
びっくりして声が裏返ってしまった。我ながら残念過ぎる……!どうしてこうもかわいい声が出せないかな。
「寮から屋根をつたってきた。この方が早いと思って」
えええ!?屋根つたって来られるの!?どうなってるのセキュリティは!!!
私は驚きつつも、こんなに普通に部屋の前まで来られることに衝撃を受けた。そういえば以前、誰かが侵入しようとしていたような……。
「途中5~6メートルの幅があるから、風魔法を使えないと飛べない」
私の不安が顔に出ていたのか、サレオスが説明してくれた。いやいやいや、ちょっと待って、そこ飛んだの!?落ちたらどうするのよ!王子様なのに!!
「ダメ!危ない!寿命!」
「大丈夫だ。落ちてもケガなどしない」
ふっと笑った彼は、屋根の上で小さな声で話す。どうしよう、上がってもらった方がいいのかな?でも私風邪だし……。オロオロしていると、またもや普通に返事が返ってきた。私、何も言っていないのに。
「すぐに帰る。まさか会えるとは思っていなかったし。これを渡しに来ただけだ」
サレオスは、その手に持っていた小さな箱を差し出した。
これは……見覚えがある。ありすぎる。透明のケースから見えているのは、アイちゃんのことが羨ましすぎるほど欲しかった青いバラだった。
「これ、なんで……?」
受け取った私は、しばらくの間それを茫然と見つめていた。妄想?夢?記憶ねつ造?あぁ、思い当たる節が多すぎる。
箱とサレオスの顔を交互に見ていると、何往復か目で彼がぷっと噴き出した。
「熱が高いと聞いたから、明日もあさっても来られないかと思って。俺はあいにく、叔父上が来るから明日は休みなんだ。出迎えでな」
今、これをくれる事情をサレオスが説明してくれるけれど、私が聞きたいのはそこじゃない……。なぜ、これを、私に。聞きたいのに聞けない。もどかしい……!ヘタレな自分を呪う。
「あ、ありがとう。大切にする。家宝にする」
「いや別にそこまでは」
私はケースを両手でしっかりと持ち、頬に持って行った。はぁ……今すぐスリスリしたいけれど、かろうじて理性が顔を出し踏みとどまる。
嬉しい。自然に顔がにやけてしまう。
サレオスは優しい顔で笑っていた。どうしよう、好きすぎてつらい。本当に熱が出て倒れそうだわ。
「よかった。欲しかったんだろう、それ」
へ?なんで知っているの!?私はいっきに現実に戻されて、彼の瞳を凝視した。
「ほら、俺が寝ているときに言ってなかったか?青いバラが欲しいって」
いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!
聞かれていた!覚えていた!
なんでよ!?「え?何て言ったの?」ができるでしょう、あなた主役級の人なんだから!!!
私は絶望でいっぱいになり、血の気が一気に引いていくのを感じた。顔が冷たい。これは外にいるせいじゃない……。
口はパクパクと上下するだけで、何も言葉は出てこない。
マズイ。これは本当にマズイ。隣国の王子様を脅迫して、青いバラを強請ってしまった!国際紛争のもとになったらどうしよう!?お父様ごめんなさい!
私は心の中で、白目で泡を吹いている……。
「あはははは……聞こえてたんだ」
「ああ、うっすらと、だけれどな」
「えええええ、そこをスルーしてくれはしないんだね……」
「その必要があるのか?やっぱりいらなかったか?」
そんなことはございませんっ!!!私はブンブンと首を横に振り、慌てて否定した。それも全力で。
私の動揺を見てしばらく笑っていたサレオスだったが、「そろそろ部屋に戻れ」と促されてしまう。そうだ、私、休まないといけないんだった。それに彼だってこんな夜に外にいたら風邪をひいてしまうかも……。
名残惜しさに身がよじれそうになりながらも、私は苦笑いで頷いた。
「じゃあ、明後日。学園祭で」
そういって帰ろうとしたサレオスに、私は無意識で手を伸ばしてしまった。左手にケースを持ち、右手をテラスの柵から何気なく伸ばす。何を望んだわけでなく、ただ無意識だったのに。
彼は首を傾げたものの、そっと私の右手をとると自分の頬に当てて瞳を閉じた。
「ひゃあっ!?」
頬に当てたと思ったら、そのまま手のひらにそっとキスをしてくれた。
「おやすみ、マリー。ゆっくり休んで」
私はびっくりしてすぐに右手を引っ込め、両手でバラのケースをぎゅうっとつかむ。心臓がバクバクなっていて、下がったと思った体温がまた突然上昇し始めたように感じた。
サレオスはスッと階下に飛び降り、そのまま走り去っていった。真っ暗闇の中、彼のかすかな足音だけが遠のいていく。その場にへなへなと座り込んだ私は、右手で頬を押さえた。
「まったく、何をやってらっしゃるんですか?マリー様……。それにサレオス様も」
エリーの呆れた声に驚いて振り返る。そこには腰に手を当てて、仁王立ちのエリーがいた。でも顔は嬉しそうだ。どういうことだろう……。私、怒られないの?勝手に外に出たよ?
「さ、早く中に入ってください。明日は学園に行けるといいですね」
へたり込んでいる私の両肩をぐいっと支えて持ち上げると、エリーは優しく笑って部屋の中に連れて行ってくれた。エリーがバラのケースをテーブルの上に置こうとしたが、「ベッドの枕元に置いて寝たい!」と言ってそうしてもらった。
横になり、左側にちらりと目をやると青いバラがある。理由は何であれ、彼の青いバラは私の手に堕ちた……!
くうっ……!なんて幸せなの!?
奇跡だぁ!!!
この夜私は、右手をぎゅっと握りしめながら幸せ気分に浸って眠りについた。
◆◆◆
夢と現実の境目でふわふわしていると、リサとエリーの話し声が聴こえてきた。
「あの青いバラって、街で流行ってるんですか?」
「え?学園祭のものだから生徒の間だけだが」
「さきほどノルフェルト様からいただいたお見舞いの中に入っていたアクセサリーも、あれと同じだったような……」
「……。いい?リサ、私たちは何も知らない。それでいこう」
「……わかりました」




