キュンは哲学
アイちゃんの部屋にやってくると、すっかり調子は戻ったようで元気そうだった。
それに何やら本を片手に、鼻息荒い状態だった。
「マリー様!クレちゃん!シーナさん!私、気づいたのです!」
「はい!?」
「ブスに落ち込んでいる暇はないと、この本に書いてありましたの!」
おおいっ!何その本!?とんでもないこと書いてあるな!それにアイちゃんはブスじゃないよ!?
「ジュール様がどうあっても、私が好きなことには違いないのです!だから私、青いバラをくださいとお願いしてみることにしますわ!」
あわわわ、本に感化されて勢いづいているっ!アイちゃん、それダメなパターンのやつよ!?自己完結して盛り上がって、とんでもないコケ方するパターンよ!
私の心配をよそに、クレちゃんはにこやかに笑っている。
えええっ、女神は賛成!?じゃあ間違いじゃないのかしら???
私が呆気にとられていると、メイドさんが大きな袋を持ってやってきた。
袋越しだけれど、すごく甘くて香ばしいにおいがするっ!
「アイーダ様、今しがたジュール様とおっしゃる方がこちらを……」
え!?ジュール来たの!?この大きな袋は彼からのお見舞いらしい。
アイちゃんはすぐにその袋を受け取り、中身を確認した。見た目はお団子みたいだけれど、どうやらドーナツのようだ。しかも砂糖がこれでもかというほどかかっているハイカロリーの。
「……これ」
アイちゃんはコロンとしたドーナツを見て、びっくりした顔をしている。
「はじめて二人で食事に行ったときに、私がおいしいと言って18個食べたドーナツですわ」
ごめん、18個が衝撃的すぎて情報が頭に届かないわ!1個がトマトくらいあるんだけれど!?
「わざわざそれ買ってきてくれたんだぁ。やるねぇジュール」
シーナがアイちゃんをからかって、指でツンツンしてる。なんだろう、昭和のコントみたいに見える。
きゃぁっと照れたアイちゃんは、ドーナツの袋をぐしゃっと潰しながら顔を埋めた。そしてゴホゴホと咽せている。
「まぁ……元気になったならよかったわ!」
結局私たちはいらぬ情報は与えないことにして、明日のふたりの再会に期待したのだった。
◆◆◆
「で、なんでこの状態なんだ?」
今、私たちは中庭にいる。いる、というか潜んでいる!サレオスは完全に連れてこられた人である。
シーナは残念ながらミスコンの衣装合わせで来られなかったが、クレちゃんと私は校舎の陰から中庭のベンチをガン見していた。
もちろん、ベンチにいるのはアイちゃんとジュールだ。表向きの用件は、昨日のお見舞いのお礼が言いたくてということになっている。
サレオスは状況を理解しているけれど、そもそも他人の恋愛に興味がないから積極的にのぞいていない。しゃがむクレちゃんの背中に両手をかけ、頭を重ねるようにして立っている私のその後ろに佇んでいる。
「なんでって、見守る義務があると思うの!」
サレオスの疑問に私は嬉々として答える。だってアイちゃんが「近くにいてくださいませ!先に帰らないでくださいな!」っていうんだもん。
え?近すぎるって?うん、それは思ったけれど煩悩が勝ちました!
困ったように眉を寄せるサレオスに、わたしはえへっと可愛子ぶりっ子でごまかすも、おそらくめんどうなイベントに参加させられたと思っているに違いない。
でも何だかんだ言ってついてきてくれるから好き。ついてきてくれなくても好きだけれど。
「あ!アイちゃんがお礼のクッキーを渡したわ!」
クレちゃんから実況が入る。
「いきなりのキュンキュンね!」
アイちゃんはクッキーを渡して、それからさりげなく学園祭のことを聞くつもりなのだ!
おおっ、ジュールがそのまま袋を開けて食べはじめた。早いなおいっ!お持ち帰りしないんだね!
「キュン、とは何だ?」
うわ、サレオスそれ今聞いちゃう!?
「キュンはすぐには答えられないわ!女子にとっては哲学みたいなものなの!」
私にとっては、あなたの一挙一動、そしてすべてがキュンなんです。とは言えない。
ーーツンッ
私がふたりを凝視していると、後ろから髪の毛がほんの少し引っ張られた。
「ん?」
ちょっと振り向くと、サレオスが私の髪を指でくるくるしている。
これよ!これもキュンだから!あなたは無自覚にキュンを量産してるから!今ここで「好き!」って言ってしまえたらどれだけいいか……。
のぞき見しやすいようにポニーテールにしてきたら、まさかの幸せが舞い込んできたわっ!
神様はこんな邪な考えの子にすら優しいの!?死因がキュン死になるかもしれない。
あわわわわ、でもアイちゃんの動向も気になる!サレオスのことも気になる!私は涙をのんで、前を向いた。
どうやらジュールはすでにクッキーを食べ終わったらしい。
アイちゃんがそっと水を差し出している。なんだか新妻みたいだわ……萌える。
まったく聞こえないけれど、ふたりは何やら話している。
え!?
アイちゃんが口元に手を当ててプルプルしている!!!
なに!?なにがあったの!?いいこと?悪いこと?聞こえないのがもどかしいっ!
私とクレちゃんはいつのまにか全身の力が入っていた。
サレオスは……あれ?いない。
周囲を探すと、奥にあるベンチに座って優雅に読書と思いきや完全に寝ている。日陰だから寒くないかしら???
はっ!?今はアイちゃん!
私はふたりの姿を確認すると、ジュールは先に立ち上がり、そのままどこかへ行ってしまった。
「行く?」
私はクレちゃんに確認する。
「ええ。行きましょ!」
私たちはアイちゃんのいるベンチに急いだ。
アイちゃんは、サイドに編み込みをした気合いの入った髪型でベンチに座っていた。
私たちが来たことに気づくと、涙ながらに笑った。
「ジュール様が……青いバラをくださるとお約束してくださいましたわっ」
「アイちゃん!」
私は堪らずアイちゃんにぎゅっとしがみついた!
「すごい!!!やったねアイちゃん!」
「ええ……!半ば強引に迫りましたが、成功しましたわ!」
クレちゃんも嬉しそうに、胸の前で手を握っている。
「何て言ったの?どうやってゲットしたの!?」
「はい!『カサブランカ1号店のミートパイと青いバラを交換してくださらない?』と」
え?
私とクレちゃんの時が止まる。
「「はぁーーー!?」」
いいの?それでいいのアイちゃん!
私はぎこちない動きでクレちゃんを見た。あ、半眼で表情筋が死んでる。
「いいの!?」
私たちの混乱とは真逆に、アイちゃんは嬉しそうだ。
「はい。いいのです。……負担にはなりたくありませんから」
「交換なら、正面から好きと言われるよりはまだ誤解の余地があるってことですか?」
クレちゃんの問いかけに、アイちゃんはにっこりと笑った。
「本音をいえば玉砕する覚悟はまだありませんし、かといって青いバラを諦めることも……。重い、と思われたくもありませんので。だから今はこれでいいのです」
いいんだ……。いや、うん。多分アイちゃんの気持ちバレてるけどね?振られずに青いバラを手にいれる方法はこれしかなかったか……・。
私は今、自分のことを棚に上げ、アイちゃんに告白してほしかったと勝手なことを思っていた。自分にそんな勇気ないくせに、なんて私はワガママなんだろう。
ハッピーエンドが見たいって思っちゃった。でも現実はそんなにラクじゃない。決めるのはアイちゃん。本人が嬉しそうなんだし……私の煩悩よ消え去れ!
私はもう一度ぎゅうっとアイちゃんを抱きしめた。
しばらくアイちゃんと私がイチャついていると、クレちゃんが思い出したかのように校舎の方を見た。
「あ、マリー様!私とアイちゃんはもう寮に戻るから。サレオス様が起きたら一緒に帰ってきてね?」
はっ!
サレオス寝てた!
私としたことが、王子様を放置していたわ!校舎の陰にあるベンチを見れば、サレオスが長い脚を組み、腕組みをして眠っていた。
くっ……!なんてことなの!この距離で見てもカッコイイ!!大変だわ、襲われないように保護しなきゃ。
私はクレちゃんにうんと頷くと、ふたりに手を振ってサレオスのもとに走った。




