順調に?恋をはぐくむ
入学して一か月が経ち、学園生活は平穏そのもの。
午前中の二時限目、私はいつものようにサレオスくんを遠目にのぞき見している。
この学園の教室は、五人掛けの長机と椅子が縦五列、横三列で構成されていて、日本の大学みたいな教室だ。一人一つのデスクではなく、基本的にどこに座ってもいい。先生の教室に生徒が移動するスタイルなのだ。
サレオスくんはいつも一番奥の一番後ろに一人で座っている。周囲に友達はおらず、ぼっちのようだが雰囲気はぼっちではない。一匹狼という孤高の存在なのねと勝手に思っている。
私はいつも入り口側の一番後ろの席に陣取り、彼の姿を横目でちらりとのぞき見ていた。
「マリー様、全然ちらりじゃないですわ」
あまりにガン見しすぎて、クレちゃんに怒られることもしばしば。だってかっこいいんだもん。そんな私を見て、アイちゃんがくすくす笑っている。
そして今日も、サレオスくんはかっこいい。お友達になりたい。またあのイケボを耳の中に入れたい、押し込めたい。録音機器がないことが残念だ。あぁ、あの声に悶えたい。
ここがゲームの中の世界ってことは気づいたけれど、こうして普通に暮らしているとやっぱりここは現実なんだなって思う。体温のある人間が動いて、しゃべっている。
そう思えるってことは、きっと私はゲームの展開とは無関係で「ここの人間」なんだろう。
うん、やっぱりこの先、クレちゃんやアイちゃんと楽しく学生生活を送って、あわよくばサレオスくんに近づきたい。恋人になりたい。
よし、話しかけよう……明日。
「クレちゃん、私、サレオスくんに話しかける。明日」
「明日!? 今日ではありませんの?」
クレちゃんが至極当然の疑問を返してきた。
「いや~、ちょっと心の準備がね? 話しかけるネタもないから勇気が出なくて」
「次の魔法の授業はどうですか? 私が何とか、機会を作りますから!」
頼もしすぎる……! 女の友情はあてにならないなんていう人もいるが、やっぱりクレちゃんは私の友達よ! 友情と愛情を感じるわ!
私はクレちゃんの手を握ってそのふかふかを楽しみつつ、ありがとうと何度もお礼を言った。
魔法の授業はまだ始まったばかりで、属性関係なく力の使い方を調節するところから学んでいる。
クレちゃんは二人一組になる演習で予定通りアイちゃんとペアをつくり、私を置いてすぐに離れてしまった。作戦はすでに実行されている。
今、この場にペアがおらずぼっちなのは四人。サレオスくんと私、そして眼鏡男子と小柄女子だ。私はスススッと音もなく彼の隣に移動する。そして勇気を出して、叫ぶようにお願いした。
「どうか私とペアを組んでください!」
サレオスくんは明らかにびっくりしていた。うん、わかるよ。この場合は女子同士、男子同士ってなるよね普通。でもそれじゃクレちゃんとアイちゃんの協力を無に帰してしまうことになる。がんばったよ私は! サレオスくんはクレちゃんたちの方をちらっと見て、呟くように言った。
「置いて行かれたのか?」
あ、違う。勘違いされている。いじめとかじゃないからね!
「違います! あの二人は属性がちょうど正反対で、互いの力を制御するにはぴったりなのです!」
「ならいいが」
サレオスくんは相変わらずの低音ボイスで、私の必死のお願いに苦笑いしている。
「ぐっ……!」
ダメだ、胸と喉が苦しい!
「どうした?」
「ふぐっ……いえ、何でもないです」
かっこよすぎて。好きすぎて何か巨大な塊が私の中で詰まっているような感じがする!
突然、胸を押さえて苦しみだした私にサレオスくんは困惑している。このままじゃ奇行令嬢と思われてしまうから、どうにかドキドキを抑えなくては。
呻き声をあげて中腰になって苦しむ私を、遠巻きに見ているクレちゃんとアイちゃんが心配している。そして前を向けば、心配そうにちょっと首を傾げているサレオスくんがいる。あぁ、困った感じの顔も好き。私、この授業中にキュン殺しされるかもしれない……。
「そ、そういえば私は聖属性なのですけれど」
「知っている」
「サレオス様は」
「サレオスでいい。普通に話してくれると助かるよ」
「……サレオスは何属性なの?」
私が問いかけると同時に、サレオスは周囲の生徒たちが演習を始めているのを眺めた。視線が逸れたことで、私がまさか「横顔見放題!」と思っていることなど知らずに。
「基本的に全部使える」
え、全部? 全部ってハイスペック過ぎない? 王族クラスだよね。確かフレデリック様も全属性の魔法を使えるって聞いたような。
「全部? ……体は大丈夫ですか?」
そんなに属性詰め込んで、体は大丈夫なのだろうか? 臓器とか弱ったりしない?
「は?」
私の質問の意図が分からず、サレオスがこっちを向いて不思議そうに瞬きをしている。
「えっと、だからその、属性いっぱいだったら体に負担がかかったりしないのかしらって心配で。体に魔力が詰まったり、危なかったりしないのかしら?」
私のたどたどしい説明では伝わらないのだろうか、サレオスが今度はきょとんとした顔をしている。何その表情、めっちゃかわいい! どうしよう、カメラ! カメラを誰かぁっ!
「ぶっ……」
「え?」
「あ、ごめん。君の顔がおかしくて。自分で質問したのに、なぜ驚いた顔をしているのかと思ったらつい」
サレオスが笑っている!
ってゆーか私、この人に見惚れててやばい顔してたんだ! しかもそれを真正面から見られてしまったなんて失態にもほどがある。これは地味にダメージが大きい。
私は全身の体温が顔に集中したように熱くなって俯いてしまった。きっと目は泳いでいる。
これでは不審者じゃないか! クレちゃんたちのパスを見事に殺してしまったかもしれない。
「ごめん、失礼なことを言ったね。別にいくつ属性を持っていても身体がどうにかなることはない。だから大丈夫」
渾身の力を込めて歯を食いしばっていた私の前に、サレオスのきれいな顔があった。吸い込まれそうな黒い瞳が目の前にあり、わざわざ中腰になって私の顔を覗き込んでいる。
「ひうっ……!」
私は息を吸い込みすぎて後ろに仰け反り、シュバッとサレオスから離れた。
だめだ、好きすぎて息が詰まる。キュン死に警報発令中である。いや、もう遅い、避難勧告だ。
「そそそそれはよかったです! サレオスが無事に寿命をまっとうしてくれるのが一番です! いつでもお祈りしていますわ!」
突然のご祈祷宣言にも関わらず、彼はそれに深く突っ込まずに優しく笑ってくれている。なんだろうこの余裕。同じ年とは思えない。
とにかくこの数分でさらに恋に落ちてしまって息がうまくできない。
「ほら、もうちょっとこっちに来ないと魔力の調整ができない」
彼の一言で、ようやく今授業中だったことを思い出した。私たちは演習場の一番後ろにいるから先生も特に気にしていないようだが、クレちゃん・アイちゃんコンビはしっかりと手を握りながらこちらをガン見している。十代の女子って意味なく手をつなぐよね。
私は何度も深呼吸をして、言われたとおりに距離を縮めた。そして手のひらを前に出し、上に向けて魔力をぼわっと出す。サレオスは私の手から少し離れたところに手をかざし、私から出た魔力を吸い取っていく。
「うまいな」
「ありがとう」
最初は少しずつ魔力を出し、次第に量を増やしていくのが今日の課題。私は魔力量が少ないから、この状態ならきっと五分も保たないだろう。
ああ、でも気持ちいい。普段ため込んでいる魔力を放出するのは、久々に軽い運動をしたような爽快感がある。なんだか心身ともにすっきりする感じがした。この人からマイナスイオンが出ているんじゃ、とさえ思う。
ふぅっと一息ついた私はサレオスの顔を見上げた。もうそろそろ交代だろう。彼も視線を手のひらから私に移す。
「ん。逆な」
サレオスが私の手の下に自分の手を持ってきた。私は少し手を上にあげて、彼から出てくる魔力を吸い込もうと意識を集中する。目を閉じると、温かいものを感じた。前世でいう遠赤外線ヒーターのようで「風はないけどなんかあったかい!」みたいな感じだった。
ついつい眠くなってきてしまう。
さっきまでは心臓がうるさく鳴っていたのに、嘘みたいに心地よくなってしまった。
(好きです、お嫁さんにしてください)
あまりの心地よさに、つい本音が心の中で駄々もれてしまう。口に出す勇気は一生ないだろうな。
ふんわり温かい魔力を堪能して瞼を開けると、斜め下を向いて顔を赤くしているサレオスがいた。私が堪能しすぎて、もしや体調が悪くなったの? 慌てて周囲を見渡してみると、やはり何人かは魔力酔いという生理現象を起こしてその場に座り込んでいた。
「サレオス!? 調子悪くなったんなら言ってください! ああああ、先生!」
「ちょっ、大丈夫だから! 心配ない」
私は慌てて先生を呼びつけようとしたが、彼にそれを止められてしまう。それでもとにかく彼をその場に座らせて、何か扇ぐものはないかしらと周囲を探してみた。
そこに駆けつけてきたクレちゃんが、かわいらしいレースのついた扇子をくれた。
私はそれでパタパタとサレオスを扇ぐ。この授業であわよくば「お友達になれるかな」なんて思っていたのに、彼の魔力を吸いすぎて酔わせるなんてとんだ無礼だ。きっと次の授業では私とペアを組んではくれまい。でもしつこくして嫌われたくない。
扇子でサレオスを扇ぎながらずーんと落ち込んでいる私を見たクレちゃんは、そっと肩に手を置いてくれた。私は涙目で彼女を見る。うんうんと頷いているから、何となくわかってくれているのだろうか? やはり友情は大切だ。
もしこれを機にサレオスに距離を置かれても、クレちゃんとの友情を胸に力強く生きていこう、そう思うのだった。あああ、でもやっぱり好き。
あれから数日、私の心配は杞憂に終わり、サレオスとは順調に親しくなっていた。
隣に座るサレオスの黒い髪が、私のノートをのぞき込むたびに制服の肩にふわりと触れる。
「マリー、ここ。間違ってる」
「あ、ほんとね」
おかしい。何かがおかしい。私の日常は、教室の端に座る彼を、そのまた端っこから見つめる望遠スタイルだったはず。
魔法の授業以来、私はサレオスくんのことを「サレオス」と呼び、彼は私のことを「マリー」と呼んで、なぜか他の授業でも隣に座っている。順調に親しくなっていて、今では敬語も使わない。
もしかして聖属性持ちということで、回復要員として採用されたのかしら。
ん? でもまだ私、切り傷や擦り傷を治す程度しかできない。
昨日は従者の髭剃り負けで練習して、二十分もかけてしまったくらいまだまだレベルが低い。
「サレオスのためなら、たとえ自分の生命力を使ってでも髭剃り負けを治してみせる!」って言ったら、クレちゃんに大笑いされた。「多分、彼は髭剃り負けなんてしない」って。そうだね、お肌つるつるつやつやだもんね。
魔法の授業以来、サレオスとは朝夕の挨拶を交わし、好きな食べ物の話や本の話、領の生活の話なんかをするようになった。でも私の頭の中にある「聞いてみたいリスト」は膨大で、きっと一生消化できそうにない。
「朝ごはんは何が好き? 昼ごはんは何が好き? 夜ごはんは何が好き?」
「……マリー様、それはもう好きな食べ物は、にまとめませんか?」
クレちゃんから、質問事項をまとめるように注意された。善処します!
サレオスは最初こそ驚いていたものの、今では朝いちばんの質問タイムを普通に受け入れている。甘いものが意外に好きだそうで、パイやクッキーなど焼き菓子が好き。でもクリームやゼリーはあまり好んでは食べないらしい。
いつだったかフレデリック様がやってきて、「王城のお茶会にはめずらしい菓子がたくさんあるよ」と自慢してきたので、「それはよかったですね」とだけ返しておいた。
サレオスの出身は、クレちゃんの領地のさらに東の方で、家族構成はお父様とお兄様。お母様は八歳のときに亡くなったらしい。五つ上のお兄様はものすごく賢くてサレオスに優しいという。
本は魔法学や地理・歴史を好み、恋愛小説は読まない。
私の質問が消化されるとともに、サレオスとの距離がぐんと近づいている今日この頃。これはもう、お嫁さんに一歩ずつ近づいているかもしれないわ!
あ、でもちょっと待って。
こんなに彼との距離が(物理的に)ぐっと近くなったのは、何かの罠かしら……?
ううん、それでもいい。罠でも何でもいい。むしろ罠にかかってでも夢を見たい。もしも誰かが助けにきたとしても、私は全力でその手を振り払ってここに永住する。
そんなバカな妄想に意識を持っていかれつつも、今、サレオスと肩が触れる距離に座ってしまっていて緊張していた。もちろん、仲良くなれたことは嬉しいし踊り狂ってしまいたいくらいだし、でも隣に座ると彼の全体像が見えなくて困る。遠くから全身を愛でたい……。
それに今、自分の左半身が燃えて火事になるんじゃないかっていうくらい熱い。恋ってすごい、すごすぎる。体温調節機能すらバカになるなんて、成績までバカにならないようにがんばらないと。
明日は休みということで、テストに向けて放課後に勉強中だ。気を利かせたクレちゃんとアイちゃんは颯爽と帰っていった。女子の協力体制はものすごい。
それにしても、サレオスと仲良くなって気になっていることがある。彼は私よりずっと勉強ができる。すでに一年でやる内容はすっかり頭に入っているようで、こんなに賢かったら入学試験も満点を取れたはずなのになんでだろう。
「ねぇ、サレオスはこんなに勉強ができるのに、なぜ試験で本気を出さないの?」
私は隣に座っていて視線が合わないのをいいことに、ノートにある手元を見たまま直球で疑問を投げかける。
「色々と面倒だからだ」
「面倒?」
「俺が目立った動きをすれば、排除しようとする者が出てくる。だから成績はほどほどに」
うちは大きな家のわりに親戚仲が良い。それが珍しいことだとわかっているし、サレオスはきっとかわいそうなことにややこしい家に生まれてしまったのだろう。排除って穏やかでない言葉が気になる。子供が、学校の成績で全力を出せないなんてかわいそうだわ。
「お兄様とは仲良しなんでしょう? それなのになぜ……」
込み入ったことを聞き過ぎかしら。ちらりと見上げると、彼は平然としていた。
「周りがね。兄上は優秀なのに、魔力量が多いというだけで俺を推す派閥があるんだ」
「派閥?」
何だかスケールが大きいわね。親戚関係のことを言っているのかしら?
「うちはもう兄が継ぐと十年以上前から決まっている。でも兄上派の一部はいつか俺が兄上を裏切るのではと危惧していてね。昔よりはマシになったけれど、俺を排除しないと安心できないらしい」
なんて迷惑な人たちなのか。私は呆れて何も言えなくなってしまう。
「あぁ、でもたいしたことじゃない。探られて痛い腹もないし、来るものは対処すればいいし。それに今は学園にいる普通の生徒として、毎日それなりに平穏な暮らしができている」
サレオスは何でもないように言うけれど、「それなりに平穏な暮らし」って……。これまでがそうじゃないみたいな言い方に、私はしゅんとしてしまう。
「どうした? マリーが気にするようなことじゃない」
イケボはやはり内臓に響く。気の利いたセリフのひとつも言えない自分が情けない。
彼は今きっとこっちを見ているんだろうが、私は彼を見ることができずにいる。しょぼんとしてしまって、何も言えないのだ。
何かできることはないのかしら? たいして魔力もなくて、あるのは家柄だけの女だが、せめてサレオスが幸せになる手伝いくらいしたいと思う。
「マリー?」
はぁ……やめて。甘い声でささやかないで! かっこよすぎて吐きそう。
ちらっと横目で彼を見ると、何だか心配してくれてるっぽい。いやいや、心配なのはこっちの方だから!
私は机にぐりぐりと額を押し付けて、このもやもやした気持ちを払拭しようと悶えてみた。ちょっとした奇行かもしれないが、そこは思春期という言葉で片付けて欲しい。
「マリーどうした?」
「……うん。大丈夫!」
「ん? なにが?」
「私に何かできることがあったら言ってね? 逃亡とか!」
「それはあまりやりたくないな」
「それでも。もしもサレオスがどこかに逃げたいなら手伝うし、万が一何かやっちゃったときにはがんばって証拠隠滅も」
「あ、思ってたよりだいぶん物騒な方向にいったな」
「とにかく私は味方よ。そんな無意味な諍いでサレオスの寿命が減ったら困るもの! だから何かあったら絶対頼ってね!」
「まぁ、そうならないようにがんばるよ」
隣を見ると、彼は頬杖をつきながら優しい目でこちらを見ていた。最初に見たときは孤高の狼とか思ったけれど、根本的には優しい人なんだろうな。
はぁ……今日も吸い込まれそうなくらい綺麗な瞳。お嫁さんにしてほしい。
じぃっと見つめていると抱きついてしまいそうだったので、痴女のレッテルを貼られる前に勉強を再開した。サレオスに教えてもらっている以上、無様な成績は取れないわ!
そのあと一時間くらい勉強して、名残惜しさを最高に感じつつも「また来週」といって学校を後にした。寮の前まで送ってくれて、去っていく彼の背中を見つめていたら、遠くで振り返って「見すぎ」と言われたときはあまりのかっこよさにその場に崩れ落ちた。
やばい。彼が好きすぎて読唇術まで身につけてしまった! 視力が五・〇ぐらいになったかもしれない。どうしよう、サバンナにだって移住できるわ。亡命するときは一緒にいける、と拳を握りしめていたらクレちゃんによって寮に引きずり込まれた。ってゆーかクレちゃん、なんか私の扱いが雑じゃない!?