超遠距離デリバリー
物語では、塔に閉じ込められたお姫様をかっこいい王子様が救い出すという定番がある。
でも今私の目の前にいる王子様は、間違いなく王子様なんだけれど…黒ずくめの姿がものすごく怪しい!
ものすごく品のある盗賊みたいだわ。
「サ、サレオスなんでここに!?」
彼は窓越しに、呆然とする私を見て不思議そうな顔をしている。
え、私、何かおかしなこと言っているの?
──コンコンコン
「マリー?聞こえてる?」
サレオスが窓枠を指で小さく叩いた。
はっ!?鍵、鍵を開けなくては。
まだ幻覚かと疑っている私は、混乱したままベランダの窓の鍵に指をかける。
カチャン、と鍵を開けて扉を開くと、サレオスがゆっくりと中に入ってきた。風が流れ込み、彼の匂いがする。
「よかった。元気そうだな」
「…」
本物かしら。
肩より少し長い髪を、今日は括らずに下ろしている。黒いローブの喉元にある留め具には赤い飾りがついていて、彼が動くたびにキラリと光った。
「ええええええ!?サレオスなの!?」
ちょっと待って!?事態がうまく理解できない!本物っぽいわ!
このサレオスは本物よね!?
「そうだが。誰に見えるというんだ?」
顔が白い。寒かったのかしら…。あぁ、そんなきれいな瞳で見つめられても、何も言葉が浮かんでこないっ!
あわわわわ…。
冷えていそうな頬に触れたくて、おそるおそる手を伸ばしながら一歩前に出た私を執事見習いくんが大声で止めた。
「マリー様!!!」
あ、執事見習いくんのことすっかり忘れてた。声が震えている。ってゆーか、腰が抜けてる?
「大丈夫よ、この人はお友達だから。あの、レヴィンを呼んできてくれる?」
「は、はい…」
脚がガクガク震えているのが目に見えるほどだが、執事見習いくんは何とか部屋の外に出ていった。
大丈夫かしら、あの子。
ええーっと、それよりサレオスだ。目が合うと穏やかで優しい笑みを浮かべてくれた。
はぁ…!好き。抱きついてもいいかしら。
はっ!?いかん、そんな場合じゃない。何でここにいるか聞かなきゃ…!
「サレオスは何でここに?」
「あ、そうだ」
彼は背負っていた袋をゴソゴソと漁りだした。ここまで来るにしてはものすごく軽装だけれど、ひとりで馬で来たとかないよね!?
「これ、マリーにって預かった」
彼がかばんから何か出したので、私は条件反射で両手を前に出してみる。するとそこには、コロンとまん丸の茶色い塊が乗せられた。
え!?
…パン!?
これパンよねぇ!?
私は無言でサレオスの顔を見た。私の手のひらの上には、大きくて丸いパンが乗っかっている。
まさか、これを配達に?そんなバカなことって…。あまりの驚きに絶句してしまい、ただただサレオスの顔を見つめてしまう。
「ジュールがマリーにって。やるって言っていたのにまだだったから、と」
ええええええ!?
やっぱりパンのデリバリーだったの!?なにそれどんなサービスよ!王子様をパンのデリバリーに使うってどんな贅沢システムなの!?
しかもこれをもらって私はどうすればいいの?今、ここでかぶりつけばいいの!?
まん丸のパンの表面には荒いお砂糖がたくさんまぶしてあって、明らかに夕食後に食べていいパンじゃない。
いやいやそうじゃない!気にするのはそこじゃない。
…わからない。正解がわからなさすぎる。ってゆーかジュール、何でこんなことサレオスにさせてるの!?
「ど、どうも、ありがとう…」
手のひらの上のパンに混乱していると、廊下の方からバタバタと走ってくる音が聞こえてきた。
──バタンッ!!
「姉上!?」
レヴィンが飛び込んで来たらしい。扉の方を見ると、右腕にバズーカを持ちながら、ぜーぜーと肩で息をしている。
「うわぁぁぁぁ!!おまえが敵かぁ!?」
「ちょっとレヴィン!敵じゃないから!落ち着いてっ!」
私はすぐに事情を説明して、レヴィンを落ち着かせた。すでに魔力の充填が終わっているバズーカが、ときおり高い金属音を響かせるから怖い。
「ええっと、ではこの魔力の多さはトゥランの王子様だからなんですね?姉上を攫いにきたわけじゃないんですね?」
え、何言ってんのこの子。サレオスになら喜んで攫われるわ。むしろついていくわ。
なんなら、満を持してわたしが攫うわ。
レヴィンの勘違いに、サレオスは苦笑いで頷いた。
「勝手に入ってすまなかった。武装した兵が邸を囲んでいたから、何かあったのかと思ってこのような次第になった」
はぁ…。警備システムが優秀すぎるのも問題だな。早くからサレオスの魔力を感知しすぎたせいで、こんなおおごとになってしまったなんて。
とりあえず事情を理解したレヴィンは、がっくりと肩を落として部屋から出て行った。
「せっかくバズーカを試すチャンスだったのに…」
おおいっ!そっちか!私のこと守る気なんてさらさらないじゃないの!
おかしいわよレヴィン!
あ、そもそもパンのデリバリーでこんなところまで来るサレオスもおかしいわね…?
大きなため息をついた私は、とにかくサレオスに話を聞こうとソファーに案内した。
メイドのルーナに温かい紅茶と焼き菓子を頼む。そしてパンも預ける。
サレオスに食事はいいのかと聞くと、馬に乗ったまま軽く食べたから必要ないと言われた。
やっぱり単騎で来てる…。なんなの、なにがあなたをそうさせたの?デリバリーの最速記録でも目指したの?
頭に次々と浮かぶ疑問をいったん忘れようと決めた私は、優雅な所作でソファーに腰を下ろした彼のことをじっと見つめてみた。
あぁ…サレオスが今、私の部屋のソファーに座っている。ピンクの小花柄のソファーが似合わない。違和感がすごい。
あぁでも、久しぶりのサレオスだぁ…。会いたくて会いたくて、気が狂いそうだったのでとても嬉しい。隣に座ってぎゅってしたい。
じっと見つめていると、その目が「なにか?」と問いかけてきた。私は思わず息をのんだ。
うっ…!心臓が痛い。本心では今すぐに彼の胸に飛び込んで、頭がめり込むほどぎゅってしたい。
はぁ…だめだ。理性よ、戻ってこい!
私はルーナが淹れてくれる紅茶から立つ湯気を眺めて、しばらく沈黙を続けた。
「…」
どうしよう。久々の対面すぎて言葉が出てこないっ。視線が合うともう「抱きつきたい」とか「触りたい」とか邪な思いしか出てこないから、目を合わせることもままならないわ。
だいたいなんでパンなの?ジュールはパンで何でも解決できるって思ってるのかしら!?
あぁ、これを機にサレオスがパンのデリバリーをやりたいって目覚めちゃったらどうしよう…。
夫婦でパン屋さん?…それもいいわね。そうなればテルフォード領で小麦の栽培をして…
「マリー?どうかしたのか?」
「いいえ、何も」
しまった。あやうく王子様をパン屋さんにして妄想するところだった。
私はサレオスにニッコリと笑いながらも、あとで美味しいパンの作り方を調べようと心に決めた。
「あの…。ありがとう、こんなところまで来てくれて」
「勝手に来たのに?」
サレオスの言い草に私はつい笑ってしまう。
「そう、勝手に来たのに。でも嬉しい」
「…そうか」
「うん」
あぁ、本物だわ。サレオスがいるわ。
彼が優しく目を細めるから、私もふふっと笑ってしまう。とにかくニヤニヤしてしまう。「こいつサボってるからごきげんだな」って思われないうちに、頬の筋肉を元に戻さなくちゃ。
私はそれからしばらくの間、自分の頬のゆるみと格闘していた。




