被害者のはずなのに
温泉を出ると、まだ痛む足を引きずってアリアナ様の部屋に向かう。そこは一番広い部屋で、私たち全員が揃っても余裕があるくらいだ。
扉を開けると、部屋の一番奥の椅子に青褪めた顔をしたアリアナ様がいた。取り巻きはすでに部屋に帰されたみたい。
サレオスとジュール、そしてフレデリック様までがいる。私の姿を見たフレデリック様が、猛ダッシュで駆け寄ってきた。
「あぁ! マリー! 無事だったんだね!」
腕を広げて飛びつかんばかりのフレデリック様をさっと躱し、私はクレちゃんの後ろに隠れる。
照れなくても、という謎の呟きを無視し、アリアナ様の前まで歩く。
彼女は蒼褪めてはいるが、私を見るとキッと鋭い目で睨みつけてきた。私の前にいるアリアナ様は、当たり前だけれどアリアナ様だった。
とにかく話を聞くしかないか。じっと彼女を見ていると、サレオスにぐいっと腕をひっぱられてしまう。
「あまり近づくと危ない」
いやいや、猛獣じゃないからアリアナ様は。でも心配してくれているのが嬉しくて、おとなしくちょっと下がってみた。
でも彼女とはきちんと話をしなくちゃ。もうこれは避けて通れない。
私はサレオスに向かって、彼女と二人で話がしたいとお願いしてみた。でも彼は一瞬で不機嫌そうに眉間にシワを寄せる。
まだしっとりしている私の前髪を長い指でそっとかき分けると、子供を宥めるように言った。
「マリー、それはダメだ。俺も付き添う」
えええ!? それこそダメすぎる!
サレオスがいる前で「私はフレデリック様じゃなくてサレオスのお嫁さんになりたいんです!」なんて言えない。言えるわけない。私はアリアナ様と失恋心中したくない……。
「どうしてもだめ?」
必殺、上目遣い! これでどうか!? あ、うん。まったくだめだね! そりゃそうだ!
もともと背が低い私は、よく考えてみると毎日いつ何時であっても上目遣いになる。いくら眼力を強めたところで、サレオスにとっては「ただのマリーがガン飛ばしている」という状態でかわいくもなんともないだろう。
ほんっとうに使えない、恋愛小説に書いてあるテクニックって!
「私が付き添います。ジュールとサレオス様は扉の前で見張り。他は待機。それでいいわね?」
おおお! クレちゃんが強権を発動した! みんな渋々それに従い、この部屋の中にはアリアナ様と私、クレちゃんの三人が残った。
広すぎる部屋の中、ひとり掛けソファーに座ったアリアナ様と、長椅子に座る私とクレちゃんがいる。ここには三人だけ。重苦しい、じとっとした空気が流れる。
……ものすごく睨まれている!!
それでも私は、意を決して開口一番にあることを確認した。
「アリアナ様は、フレデリック様が好きなんですよね?」
そう、お互いに色々と誤解があるようだから、まずは基本情報から確認しなければならない。
「……ええ。そうよ」
なぜそんなことを聞かれたのかわからない、という表情でアリアナ様が答えた。相変わらず敵意をむき出しにしている。この状況で、ほんっとうに元気だなこの人は!
「私は、フレデリック様をお慕いしているわけではありません。そして婚約する予定もなければ、王太子妃にまったく興味がありません」
ふぅ、言い切った! 私は噛まずに言えたことに安堵しつつ、アリアナ様の反応を見る。
「嘘よっ! 国王陛下にも挨拶を済ませたと聞きましたわ!」
「それはデマです……。私はフレデリック様の運命の令嬢探しに、女子側ネットワークとして協力しているだけなんですよ」
まったく信じてくれないアリアナ様を、私はまっすぐに見つめた。
「私には好きな人がいるんです!」
言った! とうとう言ったわ私! ちょっと照れながら、私は両手を膝の上で握った。
「フレデリック様でしょう!?」
うわっ、ありえない。盲目にもほどがある!
「違います。私が好きなのはサレオスです! 今すぐお嫁さんになりたいくらい、世界一好きなんです!」
「なんですって!? そんな……嘘よ……」
唖然とするアリアナ様。一人がけソファーに、力なく体を預けてしまった。
「まったく気づいてなかったんですね……」
クレちゃんが衝撃的なものを見るような顔で、アリアナ様に向かって憐みの表情を向けた。え、なに、私のサレオスに対する気持ちって、そんなにわかりやすい恋心なの?
ぐったりして疲れ果てた表情のアリアナ様。怒る元気はもうなくなったらしい。
うん、まぁそうなるよね。全部、空回りだったんだから。空回りで、殺人未遂まで計画しちゃったからね……、そして失敗して捕まったし。
沈黙の中、アリアナ様は何か考えているようで、片手で額を押さえながら何やら身をよじらせたり俯いたり、とにかく落ち込んでいた。
そして、堰を切ったように泣き出した。
クレちゃんがぼそっと「なんであなたが泣くのよ」と呟く。それはあまりに正論だった。
広い部屋にアリアナ様のすすり泣く声だけが響き、私は何も声をかけられずにいた。
「わ、私は……フレデリック様のことがずっと昔から……ひっく……初めて会った時からずっと、お慕いしておりましたの」
ずっと? 片思い歴が長いのかな。クレちゃんが尋問、もとい質問を始める。
「それはいつ頃からかしら?」
「七歳の、殿下のお誕生日ですわ」
アリアナ様は、フレデリック様のお誕生日会で初めて彼を見て一目惚れして、仲良くなりたいと恋い焦がれていたらしい。七歳か、きっとものすごく可愛かっただろうなぁ。今みたいに腹黒じゃないだろうし。
「それ以来、お会いできるのをいつも楽しみにしていたわ……私にとっては殿下がすべてで、妃になりたいってずっと思い続けておりましたの……。でも、お会いできる日に限って風邪を引いたり、殿下に急な公務が入ったり、だから学園で同じクラスになれて嬉しくて嬉しくて……それなのにフレデリック様は口を開けばマリー様マリー様と!」
おおっ。アリアナ様が号泣しながら、ソファーに拳を叩きつけている……。話ながら腹が立ってきたようだ。
拳を叩きつけた「ドンッ」という大きな音に反応したジュールが、扉を開けてこちらを見る。
あ、大丈夫です。私が殴られたわけじゃないよ!
クレちゃんがシッシッと手のひらで追い払うと、無言で扉が閉められた。
「本当はわかっておりました。どれほどお慕いしようと、殿下は私を選んではくださらない! それにたとえ婚約者の座に納まろうとも、殿下は私を愛してくれない……!」
令嬢らしからぬ興奮状態で、アリアナ様は泣きじゃくっている。涙も鼻水も豪快に流し、それを手でゴシゴシとこすっている。
私は目の前で嘆いているアリアナ様に同情した。しかも、とてつもなく同情した。
だって私もサレオスに選んでもらえなかったから、きっとこんな風に泣く。どうしようもない想いだけが溢れて、ボロボロに泣くだろうなと思う。
あぁ、なんだか涙がじわっと出てきた。わかる、わかるよアリアナ様! つらいね、つらいよね!
「ぐすっ……この恋が叶わないということは予感がしておりました」
怒り狂った後、急にしおらしくなった彼女は涙ながらに話し出す。
「初めて会ったとき、一人ずつお祝いの言葉を述べて殿下とお話できる時間があったでしょう?」
クレちゃんはうんうんと頷いているが、「そんな時間あったっけかな?」と私は首をひねった。私も参加していたはずだけれど、フレデリック様としゃべった記憶がまったくない。
「私はとても楽しみにしておりましたわ。殿下の笑顔が見たい、殿下とお話ししたいって。でも」
感極まったアリアナ様が、両手で顔を覆って俯いてしまう。
「私の一つ前の順番だった子がいないって……その子が戻って来なかったせいで、退屈した殿下までどこかに行ってしまって! 結局、私と殿下の時間がほとんどなくなってしまったのよ! 私が最後だったばかりに!」
え。ええ。えええ!?
私は朧げな記憶を引っ張り出す……のが怖くなってしまい、おそるおそるクレちゃんの顔を見た。
「……」
あ。クレちゃんの顔が死んでいる。うちの女神が遠いところを見つめている!
くっ……! つまり、そういうことね! もう「ごめん」としか言えない!! ってゆーか、何でフレデリック様までどっか行っちゃったの!? 私のことは飛ばして、アリアナ様との時間を二倍にすればよかったのに!!
悪気がなかったとはいえ、そんなに昔から私のせいでアリアナ様が恋をこじらせていたと思うと、崖から落ちてあげるべきだったのではとちょっとだけ思った。いや、絶対落ちないけれどね!?
アリアナ様は目を真っ赤にして泣き続けている。
私は被害者のはずなのに罪悪感がすごい。この事案を一体どうすれば……。
いやいや、でもいくら憎くても人を崖から突き落とそうとしたらいけないわ。うん、それは間違いない。かといって、アリアナ様たちに厳罰を望むかというとそれもまた違うわ。
あれ、彼女と話がしたいって言い出したのは私だけれど、ここから何をどうすればいいの?
クレちゃんの方をちらりと見れば、その表情は苦悶に満ちていた。どうやら賢者も困り果てる事案らしい。
もうこれは先生にも伝わっているし、隠蔽するとすれば王太子パワーがないとさすがに無理だろう。アリアナ様たちに対する処罰はまた後日ということになっているが、どうなることやら……。
ぐるぐると色んなことが頭を巡った私は、アイちゃんに付き添われて自分の部屋に戻っていった。




