こんな都合のいい現実があるわけない
邸の中に入った私は、サレオスと一緒にクレちゃんのところに向かった。さりげなく差し出してくれた腕に手を添えて歩いていると、幸せすぎてぼおっとしてくる。
もはやこれはお嫁さんになったと言っても過言ではないんじゃない!?
エリーの視線が「違います」と伝えているけれど、私は気にしないわ。思い込むのは自由だもの!
お嫁さん気分を味わっていると躓きそうになり、そこは何とか気合いで持ちこたえる。
「クレちゃんはまだ屋上にいるかしら? 別れたときは、素敵な方とお話があるみたいだったの!」
「へぇ。それは邪魔になると悪いな」
「そうなの! もしもいい雰囲気だったら、声をかけずにそのまま帰るわ」
屋上に到着すると、クレちゃんはキャラメルブラウンの髪の紳士と二人でソファーに座って愛を語り合っている……ことはなく、お仕事の話をしていた。
「鉱山だっていつか枯れるかもしれませんよね。ですから、加工技術の向上にも力を入れたいと思っていまして……」
「まぁ、それは素晴らしいですわ! でしたら我が領の飾り職人を派遣することは可能です。うちは技術力はあるんですが、都市部への移動手段が課題でして、険しい山道を越えるのがむずかしくて」
「ああ! それなら交換しませんか? 職人の派遣と、こちらで育てている変異種のレインディアを。変異種のレインディアなら崖を登るくらいの脚力があるし、馬より速く走れて持久力もある。良い条件だと思いますよ」
「まぁ! それはとてもありがたいお話ですわ!」
ええっと、一応の当主であるクレちゃんパパがまったく話に混ざらずに、のんびりとお茶を飲んでいるのはどういうことなのか。変異種のレインディアって確かトナカイと馬の中間で、とてつもなく大きい動物だったような。
私とサレオスはその様子をじっと見ながら、そこに入るタイミングを見計らっていた。
しかし。事態は急展開を迎えることになる。
「クレアーナ嬢。あなたは聡明でかわいらしい人だ。今すぐにでも……我が国に連れて帰りたい」
はぁ!? それって……!? 私は紳士の顔をおもいっきり見つめた。彼はクレちゃんだけをまっすぐに見つめていて、私たちが近づいていることに気づいてもいない。
紳士は立ち上がり、衣裳が汚れることも構わずにその場に膝をつく。そして流れるように美しい所作でクレちゃんの手をそっと取り、上目遣いに語りかけた。
「どうか私の生涯の伴侶になっていただけませんか? あなたに後悔させないよう、一生幸せにしてみせます。毎日片時もあなたのことを忘れずに、心を尽くして愛してみせましょう」
ひゃぁぁぁ! 私のクレちゃんが! まさかの美形紳士からの求婚! 王子様みたい!
私は思わず両手で口を覆い、あわあわと動揺して求婚の行く末を凝視した。信じられない光景に、心臓がどきどきしている! はわわわ……なんて素敵なの!?
ところが私の興奮をよそに、クレちゃんは苦笑いで微妙な表情を浮かべている。え、こんなに素敵な人なのにダメなの? 今日会ったばかりだから? それとも婿養子派だから?
私が硬直していると、サレオスがものすごい速さでクレちゃんたちの方に向かっていった。
「え? ちょっとサレオス!」
声をかけたときには、すでにサレオスは紳士の横に立っていた。なんだろう、その顔がものすごく怖い。めちゃくちゃ怒っているように見える。いつも通りの無表情ではあるんだけれど、オーラがブリザードすぎる。
「叔父上! さすがにこれはないでしょう!?」
「あれ? サレオスいたんだ。その言い方はひどいな」
私は状況についていけず、三人をただただ見つめている。クレちゃんはサレオスの登場で私に気づき、ほっとした顔をした。その顔は明らかに困っています、という表情ではあったが……。
「マリー様。こちらの方はテーザ・ヴェルディン公爵です。サレオス様の叔父様、ですよね?」
クレちゃんの紹介に、サレオスはため息交じりに同意した。そして、キャラメルブラウンの髪の紳士は、私を見てにっこりと笑った。その手はしっかりとクレちゃんの手を握ったまま……。
「え? え? 叔父様!?」
「そうだ。父上の一番下の弟がこの人だ」
く、黒髪じゃなかった。私はてっきり、サレオスの叔父様は黒髪だとばかり思っていた。確かに顔立ちはこの国の人っぽくないけれど、サレオスに似ていない!
そして若い。どう見ても二十代なんだけれど……サレオスこの人の養子になるの!?
「君がマリーウェルザ嬢か。これはまた可愛らしいお嬢さんだ」
「私の親友です、ヴェルディン公爵様」
「テーザと呼んでくれないかい? クレアーナ嬢。そうか、サレオスと同じクラスだと言っていたものね。……私のようなおじさんは嫌かな?」
「そういう話ではありませんわ」
私は混乱して、サレオスに視線を送ってみる。すると私が何を聞きたいかを察してくれたようで、眉根を寄せて困ったように私を見た。
「叔父上は二十八歳だ」
「に、二十八……」
サレオスによれば、お父様が四十四歳で、その下に妹が二人、末弟がこのテーザ様らしい。年齢差はあるが、確かに四人兄弟であればそれほどめずらしくない。でもそれにしても二十八歳の叔父さんの養子になる十六歳のサレオスって……。
テーザ様は、それはそれはモテるらしいが独身で妻子はいない。そのため、王族を抜けるサレオスを養子に迎えるのには最適だそうだ。
「トゥランでは、未婚のまま養子を迎えることができない。子の親が存命している場合はね。だから叔父上は、俺を養子にする前に妻を迎える必要がある」
「えええ、それじゃあ叔父様が結婚しなければサレオスの養子話は進まないってこと?」
「いや、さすがにそれはない。このままいけば来年には国内の貴族の娘を妻にする予定だったのに、結婚相手を自分で選びたいと言って放浪中なんだ。それでこんなことに……」
私は複雑な気持ちでクレちゃんを見た。すでにその手は叔父様から自由になっていて、「マリー様こっち」と私を手招きしている。
呼ばれるがままに隣に座った私は、クレちゃんの手を繋いでみた。いくら女神とはいえ、年頃の女の子だもん。今日出会ったはずの人にプロポーズされて、動揺していないわけないよね。
「クレちゃん……だ、大丈夫?」
ふふふと笑うクレちゃんは、やや困った表情はしているがわりと大丈夫そうだった。このプロポーズをどうするんだろう、と思ったけれどなんか聞けない!
しかも……サレオスの叔父様と結婚する、イコール、サレオスのお義母さんになるってこと!?結婚と同時に美形な息子がついてくるってそれ何!? どこの恋愛小説!?
はっ!? も、もしも私がサレオスのお嫁さんになったら、クレちゃんは私の女神であり賢者でありお義母様ってことだよね! うわあああ、イイかもしれない!
ここにきてさらなる下心がむくむくと湧き出る私。でも! あくまでクレちゃんの意思が大切だからね! そこは譲れないからね!
「ふふふ、マリー様。それは私も考えたの。アリだわって思った」
なんと! またもやクレちゃんは私の思考を読み切った! さすがクレちゃん!
「確かにまたとない好条件なのよね。今までは私が婿養子をもらって家を継ぐ予定だったけれど、隣国とはいえ領地が近くて私が仕事をすることを許してくれて、おまけに将来マリー様がついてくると思えば……これはかなりメリットがあるわ」
クレちゃんは顎に指を添え、真剣に考え始めていた。ちょっと待ってクレちゃん! 将来、私がついてくるってまだそれは早いよ! 私とサレオスは付き合ってもいないよ!
そんなクレちゃんを見て、叔父様はにっこりと微笑んでいる。どうやらこの短時間で、クレちゃんの性格を知っての求婚らしい。
「マリー嬢はどう思われるかな? 私とクレアーナ嬢の結婚について」
叔父様はクレちゃんが考えているのを見て、私に意見を求めてきた。
「どう、と問われると難しいものがありますが……ありがとうございます。とは思います」
「ん? それは?」
「だって私が尊敬して愛しているクレちゃんを見初めてくれたなんて……お目が高いと思いますわ。私が男性なら間違いなくこの子を妻に選びますから!」
何を隠そう私はクレちゃん依存症なのだ! 恋愛過敏症の前に、すでにクレちゃん依存症の重症患者である。信奉者といっても過言ではないほど慕っているのだ。
力説する私を見て、あははと笑った叔父様はとても上機嫌だった。プロポーズがどうなるかわからないのに、なんでこんなにご機嫌なんだろう? もともと陽気な人なのかな?
「そうか、君がマリー嬢なんだね。これはおもしろい」
会話が噛み合っていないような気がする……でも今はクレちゃんの返事の方が大事だ。私は首を傾げながらも愛想笑いを浮かべ、クレちゃんの考えがまとまるのを待った。
どれくらい時間が経っただろうか、クレちゃんが思いついたように叔父上様の方を向いた。
ちなみにクレちゃんパパは、その存在ごとすっかり忘れ去られている。それどころか、いつの間にか隣のテーブルで別の人たちと談笑していた! いいの!? お宅の娘さんの結婚話ですよー!
「お返事が決まりました」
クレちゃんは、叔父様に向かって凛々しく告げる。私は隣で、ごくりと喉を鳴らした。緊張しすぎて息は止まっている。
「とにかく過去の女性関係を清算してくだされば、そこから考えさせていただきます」
「「「え?」」」
ちょっと待ってクレちゃん! 過去の女性関係って何!? 叔父様って遊び人なの!?
サレオスは突き刺さるくらいに私の視線を受け、「俺は知らない」というように無言で首を振った。が、その雰囲気は何も知らないわけではないようで……。
「私が何も知らないとでも? お噂はどこにでも届くものですわよ? 噂の真偽は問いませんが、とにかく思い当たるものは清算してください。一方的な好意も含めて……」
えええ……クレちゃんの家って諜報部とか何かあるの!? 私は唖然としてしまう。
「わかった。必ず清算すると約束する。では、また年内にはお会いしましょう」
見た目が女遊びとかしなさそうだったから「そんなの嘘だよ、ただの噂だよ」とか言うのかと思いきや、そこに関してはまったくスルーなんだ!?
そして清算することを約束しちゃうんだ……。まぁこれだけの男前だもんね。二十八歳まで独身だったら、いろんな女の人と何かしらの関係があるんだろうな。ううっ何もなくてもちょっと複雑だけれど、ありすぎても複雑だよ!
クレちゃんと叔父様は、とりあえず冬に会う約束を取り交わしてこの場を終えた。後日、正式に婚約の申込みが入るらしい。
でも、帰るときに笑顔で手を振って別れたクレちゃんはかわいかった。
どことなく嬉しそうで、多分、まだ恋はしていないんだろうけれど恋のはじまりみたいな?
なんだろう、この急展開。私なんて毎日学園でサレオスに会っているのに、まわりの速度についていけないわ。世の中ってこんな感じなの!?
馬車で待っているお父様のところに向かう私は、自分の恋愛スキル不足に頭を悩ませていた。
結局、上着も返しちゃったし、前を歩くサレオスは恐ろしいほどいつも通りだし……。
そういえば、あんなアクシデントの最中に会っちゃったから「あなたが似合うと言ってくれた紅いドレスを着てきました」アピールも、「かわいいね」っていう社交辞令の一言もない……。
私は俯いて、地味に凹んでいる。
「マリー? どうかしたか?」
うっ! まさか今さら、かわいいと褒めてほしいなんて言えるわけない。
恋する女の子はきれいになるって聞くけれど、恋するマリーは厚かましくなるらしい。
私は諦めて、なんでもないと笑顔をつくった。
「ふふふ。そういえば今日は挨拶もできなかったなと思っただけ。……色々ありすぎて」
おおっと、私の中から毒成分が漏れ出しそうだ。さっさと帰らないと。
私はすっと横を向き、右手を胸の前で握りしめ漏れ出す怨念をぐっと奥底に押し込めた。
サレオスは立ち止まると、くすっと小さく笑った。拗ねてると思われているのかしら。でも次に発せられた声は、とても優しいものだった。
「言われてみればそうだな。今さらだけれど、とてもきれいだ」
「ええ!? あ、ありがとう。言わせちゃったみたいだけれど……・」
私の言葉が言い終わる前に、彼が私の右手を流れるような所作で取った。
そして。
意味がわからずその手を見つめる私の前で、手の甲にそっとキスをしてくれた。
「おやすみ、マリー。良い週末を」
っ!? 手の甲から全身に向かい、柔らかい感触が走る。
きゃぁぁぁ! 私は目を見開き、黒髪の王子様の前で完全に硬直する。多分、全身の血が沸騰している! 体が熱い!
顔も手も、全体が真っ赤になっている。思わず吸い込んだ空気が、胸の奥から戻ってこない。
嘘! 嘘だわ! こんな都合のいい現実があるわけないっ!
動けなくなってしまった私は、そのままサレオスに手を引かれてふらふらと歩いた。
そして、馬車の前で待っていたエリーに渡された。かろうじて頭を下げた私だけれど、彼が落とした無自覚イケメン攻め爆弾によって瀕死の状態である。
はぁ……手の甲から全身に蔓延したサレオス成分によって、今すぐに倒れそう。好きすぎて胸が痛いとかいうレベルじゃない。内臓が全部痛い。
去っていく背中を見つめながら、私はキスされた右手を左手で掴んで呟いた。
「エリー、私まさか自分の手を剥製にする日がくるなんて思わなかったわ」
「何があったかだいたい想像つきますが、絶対にやめてください」
帰り道、右手の甲を頬にあてうっとりする私を、お父様が半泣きで見つめていたらしい。エリーはそんなお父様を慰めるのに大変だったという。




