新型マリッジブルー?
あっという間に季節は進み、6月の終わりにもなればもう陽射しは夏。
今日はサレオスが午後から予定を調整してくれたから、離れ離れになってしまう前にデートをする予定だ。イリスさんがいるから、ヴィーくんとエリーにはお休みを言い渡している。
ゆったりした五分袖のワンピースを着た私は、リサに髪を左側に結ってもらっているときからニヤニヤが止まらない。実はサレオスに会ったら、報告したいことがある。
昨日の夜、ようやく上級回復魔法ができるようになったのだ。これで完璧にポンコツを卒業だわ!
効果を試すために、ヴィーくんがわざわざ腕をナイフで切ったのには正直ドン引きした……。教会で働くときっとたくさんケガ人を見るんだろうけれど、目の前で血が飛び散った瞬間は「ひぎゃぁぁぁ!」と叫んでしまったわ。やるって聞いてたら止めていただろう。でもせめて一声かけて欲しかった。
私は慌てて回復魔法を放ったわ。深く切っていたから確実に神経までいってたはずなのに、白い光の粒が渦巻くようにヴィーくんの腕を囲むと一瞬にして消えてしまい、数秒の間に元どおりになっていた。
いくらなんでも、ポンコツな私の実験台に自分の腕を献上するなんて、命知らずにもほどがある。
でも彼は顔色1つ変えずに、「お役に立てるなら腕なんて」と何がいけなかったのかまったくわかっていないようだった。怖い、崇拝って怖い。
ただ、床が血まみれになってしまって、リサに顔面を拳で二発ほど殴られていたから反省はしたと思う。罰として、その頬は回復してあげなかった。
私の上級回復魔法に関しては、立ち会ってくれたバロン先生が合格をくれたし、ヴィーくんの腕を診たテルフォード家の主治医の先生も「傷はキレイになっていて元どおりですね」って褒めてくれた。お医者さんにお墨付きをもらったから、もうばっちりね!
あぁ、がんばったわ私。ずっと思っていたの、「お父様とお母様の娘なのに、どうして自分だけポンコツなのか」って。
記憶を封じ込めるのに魔力を消費し続けてるなんて知らなかったから、レヴィンもエレーナも家族はみんな魔法に長けているのにどうして私だけって気になっていたの。
どうしようもないから見ないようにしていたけれど、昔はそれはそれは落ち込んだ時期もあったわ。まさか16歳になって、これほど突然に最上級の魔法が使えるようになるなんて思ってもみなかった。感動でニヤニヤが続いている。
あぁ、早くサレオスに報告したいわ!
寮の裏に馬車が停まったのを窓から確認すると、私は急いで階段を駆け下りて入り口へと向かった。リサは「転びますよ!」と怒っていたけれど、早く会いたくて仕方ないの!
スカートが破れたら困るから、階段の手すりを滑るのはやめた。うん、そこは褒めて欲しい。
私が飛び出すように寮の入り口に向かうと、ちょうどサレオスが入ってきたところだった。イリスさんは相変わらずのニコニコ笑顔で控えている。
私を見つけた彼の瞳が優しい色に変わる。はしたないけれど、走らずにはいられない。
あまりに嬉しくて、挨拶もせずに彼に飛びついた。
「サレオス聞いてっ!できちゃったの!」
「「は?」」
嬉しさ爆発でぎゅうっとしがみついてスリスリしていると、サレオスの両手が私の肩にかかる。
「えっと、マリー、最初から説明してくれるか?」
「昨日、先生とお医者様に確認してもらったの。ちゃんとできてるって!」
私は鼻高々に、嬉々として報告をする。サレオスは私を抱きとめながら、困った表情を浮かべていた。
「マリー、いったん落ち着こうか」
「ええっと、だから、昨日お医者様にみてもらったの。自信がなかったから心配だったんだけれど、やっぱり愛の力はすごいわ!」
毎日一緒にいたいって気持ちがあったから、苦労したけれどどうにか上級まで習得できたのよね。
喜びいっぱいの私をそのままに、イリスさんがなぜかサレオスに向かって冷たい声を投げかけた。
「サレオス様……さすがに手が早すぎます」
「おい、なんだその目は。違うからな」
サレオスが私とイリスさんに挟まれて、眉間にシワを寄せた。
え?何が?教会に勤める春までに習得すればいいって話だったでしょう?
「イリスさん?それはまぁ、予想よりはだいぶん早かったなって私も思ってるんですけど……」
なぜ褒めてくれないのか。踊り狂ってパーティーしたいくらいなのに。
「マリー様、早いどころではありませんよ。お二人はまだ正式に婚約しているわけではありませんし、ああもうこうなったらテーザ様に来月にでも結婚してもらって養子縁組を……、そして翌月にでも婚姻の儀を行うしか」
「おいイリスちょっと落ち着け。マリー、もしかしなくても上級回復魔法のことだろう、できたというのは」
勝手に話を進めてしまうイリスさんに、サレオスは冷静に待ったをかけた。私は彼の腕に手をかけながら、喜びを爆発させる。
「そうなの!まさかこんなに早くできるなんて思ってなかったから、もう嬉しくって。早く報告したかったの」
ぎゅっと抱きつくと、サレオスは「よかったな」と言って優しく背中を撫でてくれた。ああ、彼の匂いがする……幸せ。どうしよう、この匂いを保存しておきたい。
私がもれなく変態性を発揮していると、サレオスの背後でイリスさんが「よかった……」と喜ぶ声がようやく聞こえてきた。
ええ、よかったわ。魔法を習得できたことで、堂々とサレオスに抱きつく理由ができたもの。
顔を上げて彼の顔を見上げると、とても優しいオーラを放っている。相変わらず無表情も素敵。
「広域までマスターしたら、婚約後は邸から出ずに教会の仕事ができるな」
「あら、でもたまにはおでかけさせてね?サレオスが地方の視察に出るときもあるでしょうし」
「あぁ、そのときはもちろん連れて行く。ずっとそばに置く」
きゃぁぁぁ!夢のような生活が現実として近づいているわ。私は満面の笑みで彼の腕に自分の腕を絡ませて、ゆっくり歩きながら街へと向かっていった。
この日はまず、遅めのランチをいただいて、その後はトゥランの商会が宝石を卸しているジュエリーショップへと向かった。
ここはオーダーメイドでアクセサリーをつくっている工房も併設していて、サレオスは結婚のための腕輪の素材やデザインを見せたくて連れてきたのだと言ってくれた。
「本当に結婚するのね……」
まだあと一年少しあるけれど、何だかこうして腕輪を作ると言われるとしみじみしてしまう。
腕輪は婚約と結婚のどちらのタイミングでもいいらしいけれど、サレオスは早く作りたいみたい。
冬の婚約式には間に合わせたいと言われると、私としては反対する理由もないわけで。
お店では、長身のお姉さん・アンネリーダが、私たちのために様々な鉱石や腕輪のサンプルを用意してくれていた。
本来であれば公館にお店の人や職人が来てくれるのが普通だけれど、サレオスがあまりに素材にこだわりすぎて直接工房まで来てしまったのだ。
「こちらはグリーンゴールドとホワイトゴールドの2種類がございまして、耐魔法・耐呪術など防御効果が高い希少な金です。防御魔法は殿下が直接付与なさるとのことですので、膨大な魔力に耐えられる素材としては特にこれがおすすめですね」
あ、やっぱり普通の腕輪じゃないのね。魔法効果を付与したものにするのね。ここにもサレオスの過保護がばっちり出ていて、お店の人はさもそれが当然のように説明をしている。
私がびっくりしていると、アンネリーダさんはくすっと笑って「カイム殿下のときもそうでしたから」と教えてくれた。
聞けば私のためにこのお姉さんはわざわざトゥランから来てくれた、宝石を専門にしている魔術師さんらしい。普段は防具やアクセサリーの魔法付与を行っているそうな。
兄弟揃って面倒なオーダーをすると見越して、プロ中のプロのアンネリーダさんが呼ばれたという。私は、目の前に置かれた淡いグリーンを帯びた金塊を見て苦笑した。
「マリーはどんなものがいい?何でも希望を言うといい」
サレオスは私を見て穏やかに微笑んでいる。めずらしく表情筋が仕事をしているものだから、アンネリーダさんが「殿下が笑ってる!」と明らかに動揺してガン見していた。
「シンプルなものがいいわ。毎日つけて居られるような……」
できればお揃いにしたいけれど、どうやら男性と女性の腕輪は根本的にデザインが異なるようで、お揃いはむずかしいみたい。
1~2センチの細いバングルにするか、手首にフィットする輪っかにするか、はたまたチェーンの間に宝石を挟むか、などバリエーションも豊富だからもうすでに決められそうにない。
め、女神クレアーナの知恵とセンスが欲しい!
結局この日は、素材だけを決めてデザインは保留にした。選んだのは、銀色に近いホワイトゴールド。これならサレオスの魔力を最大に吸収できる。
そもそもサレオスが「6属性魔法耐性と耐毒、耐呪術」などあらゆる防御効果を付与しようとするから、選べる素材が限られてしまうのだ。
えっと、私は日常生活を送るのよね?勇者と一緒に冒険の旅に出るわけじゃないわよね?
防具屋に来たのかと勘違いしてしまうほどの完全装備をオーダーするようだわ。しかもわりとラストダンジョン前の街の防具屋。
「素材はいいとして……もしもブレスレット型の柔らかいチェーンにしたら、すっぽり抜けて落とさないかしら。結婚の証なのに失くしたら号泣するわ」
私が心配していると、サレオスがそれは絶対に大丈夫だと笑う。
「二度と外れないように、持ち主の身体に一体化する呪術もかけるから心配ない」
「「……え?」」
私とアンネリーダさんの声がかぶる。
「で、殿下?ついに呪術まで習得なされたので?」
「あぁ、腕輪をマリーから外れないようにするためには呪術が最も安全だった。魔法で固定すると手首が腐敗する危険性があるからな……二週間ほど学んだら呪術式が作れるようになった」
「二週間!?」
何かしら、アンネリーダさんが狼狽えている。私はイリスさんにちらっと視線を向けると、苦笑いで補足をくれた。
「魔法と呪術では、使用する魔力の体内回路が異なります。似て非なるものですから……例えばカイム様とサレオス様が見た目は似ていても中身そのものが全然違うという感じでしょうか」
あら、わかるようでわからない例え。まぁ別物ってことね。
「通常は、すでにある呪術式を再現して使いこなすまでに五年ほど。新たに生み出すにはその倍ほどかかります」
「はぃ!?」
それを2週間でやっちゃったってこと?
もちろん使える呪術式は少ないですが、とイリスさんはいう。
「人間やればできるものだな」
サレオスは、やったらできましたって感じでさらっと言うけれど、絶対普通の人にはできない。
すごいわ、独占欲と粘着性がスキルを成長させるなんて……!
部屋で禁断の書を見られたとき、「寮でやることがある」って言ってたのはまさか呪術の勉強!?びっくりだわ。
私もサレオスを見つけるためだけに、探知魔法を習得できるかしら?ストーカー魂を発揮すればできる気がしてきたわ。
横顔を見上げると、私の視線に気づいた彼はこちらを向いてかすかに微笑む。
「マリー、だから安心して好きなデザインを選べばいい」
私のために、24時間どころか一生外れない腕輪を与えようとしてくれているのね。
感動でプルプルする私の前で、アンネリーダさんは「呪術も加わると強度が……」と悲壮な顔でさっそく素材の耐久性を計算し始めている。
「素材を混ぜ合わせると強度が下がりますので、そこだけ守っていただければ大丈夫かと」
あらよかった、どうにか計算上は可能なようね!
アンネリーダさんが秋ごろまでにデザインをいくつか考えてくれるということで、私たちはお礼を言ってお店を後にした。
「サレオスにもらったカチューシャに合うデザインで作ってもらうのもいいかもしれないわね。とてもキレイだもの、あの白い鉱石」
真珠のような真っ白な鉱石を私はとても気に入っていた。でも私がそういうと、サレオスがやんわりと否定する。
「すまない、あれは白氷宝という水属性の鉱石を使っているんだ。何もせずとも寒さを和らげてくれる効果があって、水属性の攻撃を弾く」
え、あれにも防御効果があったの!?
「寒いルレオードに適した髪飾りだから、年中つけるには向かない。真っ白な鉱石がマリーに似合うと思ってアレを選んだが、白氷宝ではあらゆるものからマリーを守れないからな。前回の反省を踏まえて素材を用意させたんだ」
私は本当に、何をしにルレオードに嫁ぐんだろう。え、卒業と同時に「私たちの冒険はこれからよ」的な展開になるの?
繋いだ手の指を絡ませて、見るからにラブラブで幸せいっぱいのはずなのになぜか不安。まだ見ぬ戦いに震えるわ。
「マリー?どうしても白氷宝がいいのなら、婚約式用にティアラでも別注すればいい」
「あ、ありがとう……考えておくわ」
どうしよう、これが噂のマリッジブルーというものかしら?そうよ、そうだわ。結婚前はみんな不安になるっていうものね!
うんうん、と一人で頷く私に、イリスさんの視線が突き刺さる。大丈夫よ、サレオスのお嫁さんになるためならマリッジブルーも乗り越えるわ!
きっと風邪みたいなものよ。
私はそう思い込んで、彼の腕にぎゅっとしがみついて幸せを満喫した。




