魔王軍の強化訓練
6月のよく晴れた日。
青空はどこまでも高く、見上げれば心まで晴れ晴れとするようで。
アガルタに梅雨はないから、いたって過ごしやすい。
それなのに、視線を土埃の舞うグラウンドに向ければ、汗だくで血まみれのジュールが地面に撃沈していた……。
でもすでにこの光景にも慣れてしまったわ。
「これ、何回目?」
「130回目です……」
私の問いかけに、アイちゃんは両手で顔を覆って見ないようにして俯きながらも答えてくれた。
クレちゃんは特に心配しておらず、広げた敷き布の上に座ってポットに入った紅茶をみんなのカップに注いでいる。のどかなピクニックのようだ。
あぁ、そろそろ三時のおやつの時間だものね。いやいや違う、今はそれどころじゃない。
私たちは、武術大会を控えたジュールの訓練を見守っていた。学園では元騎士の先生に匹敵する強さを持つジュールを、ここまでズタボロにして地を這わせることができるのは一人しかいない。
「もうおしまいか?よほど死にたいらしいな」
ピンク頭のすぐそばに、大きな剣をわざと突き立てる黒髪の王子様。そう、私の愛しの婚約者(仮)様である。
事の発端は先週。
武術大会で何が何でも5位以内に入りたいジュールが、サレオスに訓練の相手を頼んだことに始まった。
以来、授業が終わり次第、毎日のようにこんな凄惨な光景が繰り広げられている。
念のため確認したけれど、サレオスは剣士ではない。そう、絶対に。でも今のところ、130対0でサレオスがジュールに勝ち星をあげている。
それはなぜか?魔法を使って剣を強化し、風魔法で動作速度を速め、魔力の結界を全身に纏っているからだった。
要はすべて魔法で解決しているの。
サレオスが使う剣は、両刃なのに日本刀くらいの細身。魔力を纏わせずに打ち合えば二、三回で折れそう。
しかもジュールはいつも帯剣しているけれど、サレオスは手のひらから魔法で剣をシュッと具現化させた。トゥランでは剣で戦うときは大抵こうするらしい。
どこぞの名匠が打った剣など必要ないのだ。さすが魔法大国だわ。
ちなみに魔法を一切使わなければ、「しばしの打ち合いはできるだろうが俺が勝てる見込みはない」とサレオスは言っていた。でもどこか嬉しそうなのは、王子様である彼にここまで遠慮なくかかってくる者はいなかったんだろうな、と私は予想している。
「一体いつまで続けるつもりかしら」
私はジュールに駆け寄らないまま、広域中級魔法を2回連続で放った。白い光の粒がたくさん集まって、ジュールのまわりをキラキラと包み込んで消えていく。
するとこれまでピクリとも動かなかったジュールが、四つん這いになって首をポキポキと鳴らした後、その場にあぐらをかいて座り込む。うん、元気そうね!
「いってぇぇぇ……さっきの腹への一撃は効いた。死んだと思った!」
うん、死なない。サレオスは手加減が上手だもの。あぁ、仁王立ちというか魔王立ちな威圧感までかっこいい。剣を地面に突き立てるサレオスがかっこよすぎて、今すぐにでも抱きつきたいわ……!
私が視力5.0を酷使してガン見していると、クレちゃんが紅茶とお菓子の準備ができたと教えてくれた。
アイちゃんはその声に正気を取り戻し、ジュールの無事を確認してほっとしたらお菓子をすぐに頬張りだす。
ピクニック気分の私たちとは違って、あちらではジュールへのお説教が始まった。
「先週も言ったはずだ。おまえが奇想天外な動きをするのは自由だが、型を知らなければ相手の動きが読めないと」
サレオスは冷たい目線でジュールを見下ろす。その様子は魔王軍の強化訓練さながら。
「型というものは敵に最速で攻撃を届け、なおかつ同時に身を守れるようにできているんだ。おまえがパワーで押し切るスタイルなのはわかるが、このままでは同じ力量の敵に合ったら確実におまえは負ける」
ジュールは座ったまま、ひたすらサレオスの言葉に耳を傾けている。転がった剣がどことなくさみしげだ。私はクッキーをぽりぽり食べながら、その様子を見守った。
「おまえは防御を軽視しすぎているのも問題だ。傷を負ってもいいというおもいきりは評価すべきところでもあるが、実際に傷を負うと集中力も攻撃力もすべてが低下する。
それに、武術大会ともなると先は長い。初戦でケガをしたら残り5試合を勝ち上がれないぞ。だからケガはするな」
「おう」
ジュールは剣を取ると跳ねるように立ち上がり、少し距離をとって再び構えた。本当にわかっているのか、その元気すぎる姿からは疑問が浮かぶ。
「は~いお二人とも、いったん休憩にしてください」
しかしそこで女神から待ったがかかり、おやつ休憩タイムがもたらされる。クレちゃんが作ったクッキーとシュガーパイは、王都で店が開けそうなほどにおいしい。
サレオスは私の隣に座り、ジュールは敷き物の外にだらんと倒れこむように寝そべった。いくら体力や傷を回復魔法で元に戻しても、精神力や集中力は戻らないからさすがにへばったか。アイちゃんが心配そうな瞳を向ける。
「やっぱ魔王様は強いな~!一本は取れると思ったんだが」
「おい誰が魔王だ」
あ、私もさっき魔王っぽいって思ったのに。内緒にしようっと。
二人はクレちゃんに濡らしたタオルをもらい、手を拭う。
「は~……武術大会までに一本取れればな~」
嘆くジュールの手に、しっかりおやつを握らせるアイちゃんはもはや妻。
「でもさきほどは惜しかったですわ」
あぁ、献身的な妻だわ。私はニヤニヤして二人を眺めてしまう。
しかしここでふと違和感を抱く。すでに夫婦状態の二人はともかく、隣に座るサレオスが少し遠い。
いつもなら肩が触れるくらいの距離で座るのに、10センチは離れている。
私は躊躇なくその隙間を詰めようとするけれど、少し寄ると同じ分だけ逃げられた。
……まさか私、におうの?それか棘でも出ている?
自分の腕に始まり、身体を見回してスンスンにおう。すると見兼ねたクレちゃんがブハッと噴き出した後、サレオスに向かってクレームを入れた。
「サレオス様、ダメですよ何も言わずに不自然なことをしては。マリー様が自分が臭うんじゃないかと心配してるわ」
「いやぁぁぁクレちゃん!言わないで!」
私は両手で顔を覆って絶叫した。その場に上半身を倒して土下座みたいになってしまう。
するとサレオスが慌てて私の身を起こした。
「マリー、違うんだ。さっきまで暴れていたから埃っぽいのではと……マリーを汚したくない」
なんていう優しさ!私は彼の腕にしがみつく。
「全然大丈夫!あなたの持ってきた埃なら愛せるわ!むしろ欲しい」
うん、サレオスが持ち込んだのなら謎の病原体でも愛せる自信がある!埃なんて、あなたに付着した時点でもうコレクションとしての価値がつくわ。
「テル嬢、変態っぽいぞ」
ジュールが乙女心を微塵もわかっていない発言をするから、私はサレオスに抱きつきながらキッと睨む。
「いいの、私の趣味はサレオスなんだから。好きな人の物が欲しいって思って何が悪いの?」
「いや、埃は持ち物じゃねぇ」
「それは、本当の恋をしたことがないからよ。いつかわかるといいわね、埃さえも宝石を超える価値を生み出すような純粋な恋心が」
「絶対にわかりたくねぇ」
あぁ、決して理解し合えない溝が見える。私たちが睨み合っていると、サレオスが口喧嘩に割って入った。
「もうそれくらいで。マリー、さすがに埃は集めないでもらえると助かる」
あら、人形ほどじゃないけど埃はダメみたい。しょぼんとしていると、いつもの距離に座ってくれた彼は優しく髪を撫でてくれた。
「それに、マリーの愛らしさをわざわざ教えてやる必要はない」
「サレオス……おまえ正気か」
なぜかしら、ジュールが不憫な子を見るような哀れみの目でサレオスを見ているわ。
クレちゃんは私たちを見て、優雅に笑っていた。女神はいつだって私の味方だった。
私は正座を崩して座り、サレオスの左腕にもたれかかる。
あぁ、もうあと3日でここを発ってしまうなんて淋しすぎるわ。こんな風に賑やかに過ごしていると、ふとしたときに感傷的になっちゃうのよね。
「今のうちに一緒に居ておこう感」が湧き上がってきて抑えられない。
クレちゃんは落ち込む私に、苺やブルーベリーを乗せたシュガーパイをくれた。
ダイエット続行中だという女神はまったく食べていないのに、私とアイちゃんとジュールは遠慮なく食べまくる。
「ねぇクレちゃん、もうダイエットしなくていいんじゃない?」
この半年でクレちゃんはものすごくほっそりしていた。10キロは痩せたと思う。すでにぽっちゃりではなくなっていて、ただのスタイルの良いメリハリボディのお姉さんになっているのだ。建国式典の翌日に婚約式を行う予定で、そのときに着るドレスもすでに試着は終わっている。
ところがクレちゃんは紅茶をゴクンと飲むと、その言葉と表情に悔しさを滲ませた。
「私はすぐに太るの!リバウンドっていうかそもそも太っているのが初期設定なの」
「初期設定ってまたそんな」
「いいえ、大げさでもなんでもないの。子供の頃から痩せていたことがないから、もう体が脂肪を蓄えやすくなってるのよ!刺繍をしてはお菓子をつまみ、刺繍をしてはお菓子をつまみ……あああ過去の自分に往復ビンタをしたいわ」
どうやらクレちゃんは過去の自分の行動を激しく悔いているらしい。結婚するまでお菓子絶ちするんだそうな。その決意は固かった。
「でもクレアーナは膨らんでねぇとおまえらしくないぞ」
「なんですって!?」
ああ、やっぱりジュールがいらないことを言う。アイちゃんはクレちゃんのコンプレックスに共感できるのだろう、ジュールに向かって猛然と反論した。
「デリカシーがなさすぎますジュール様!女性はみな、膨らみたい気分のときもあれば痩せたい気分のときもあるのですわ!」
「だからって、別に婚約者様が痩せてくれって言ってるわけじゃないんだろ?なら膨らんでてもいいじゃねぇか」
うわ~。乙女心がわかってない!テーザ様がいいって言っても、痩せて納得いく姿でウエディングドレスを着たいって思うのが乙女心でしょう。女子三人から冷たい視線を送られるも、ジュールはまるで理解できないという表情でお菓子をバクバクと食べ続ける。
クレちゃんがスッとお菓子の入った籠を引き、ジュールからそれを奪った。もう食べさせてもらえないらしい。
ジュールは不服そうな顔をするけれど、返してもらえないことは長い付き合いでわかっているのか諦めたようだった。アイちゃんが自分の分のシュガーパイをそっと差し出すと、ぱぁっと嬉しそうな顔に変わってそれを受け取る。
「あと3日で絶対に1本取ってやるからな!」
気合いを入れたジュールは、夕方から騎士団の訓練に参加するそうだ。まだやるのか、と私たちは驚きを露わにする。
しかしそこでサレオスが静かに口を開いた。
「おい、あと2日だ。あさってはマリーと過ごすから無理だ」
「えええ!?」
私はびっくりして彼の顔を見上げる。うん、今初めて聞いたわそれは。
サレオスは優しい目で私を見つめて、「エルリックから聞いてないのか」と尋ねた。
人形を諦めたご褒美にデートに連れて行ってくれるという約束がまだだったから、トゥランに戻る前に一緒に出掛けてくれるという。
ど、どうしよう!サレオスが不在の間にキャサリン先生に人形を借りようと思っていたのに!これは牽制なの!?「俺のいない間にまた人形に手を出すなよ」っていう牽制なの!?妙にドキドキして俯いてしまう。
おそるおそる濃紺の瞳を見つめれば、口元だけかすかに笑みを浮かべて優しく見下ろしてくれている。
「……」
「……」
はい、わかりましたー!人形は絶対にダメなんですね!?何も言われなくてもわかるわ、無言の圧力がすごいっ!!
ううっ、本当に本当に限界がきたら借りにいくことにしよう。極限までは我慢します!
俯いてぎゅっと瞳を閉じた私の頭に、大きな手が置かれてそっと撫でられる。
「いい子だなマリーは」
ひぃぃぃ!心の中が完全に見透かされてるわー!
え、なんでそんなに人形はダメなの?しばらく見つめてみたものの、やはり無言で制されてしまう。
私はやけ食いのようにクッキーを頬張った。




