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招かれざる客

学園の敷地内にある研究講師らの研究棟は、蔦に覆われている古びた建物である。


1階はホテルのようなエントランス。受付を通ると大きな扉がひとつだけあり、そこにある操作盤に自分の魔力を流し込めば目的の部屋に通じるように設計されている。


この扉は研究者が招かれざる客を通さないための防衛機能で、この扉ひとつでどこにでも行けるが、逆にいえば許可がなければどこにも行けない。そのはずなのに。


5階にあるアリソン・ノルフェルトの研究室には、完全に招かれざる客がソファーに座っていた。


つい数分前、黒髪の王子様がなにをどうして扉の防御機能をパスしたのか、「来ちゃった」とばかりに研究室の扉を叩いたのだ。


(俺、生きて帰れるかな~なんてね)


窓から見える夕暮れの燃えるような赤い色が、血の色に見えるのは気のせいだろうか。アリソンは茶を淹れながら小さなため息をついた。


「で?一体なんの御用ですか殿下」


満面の笑みで、しかしトゲのある声でそう尋ねたアリソンに、サレオスは平然と答える。


「質問をしに来ただけだ」


「こんなところまで、わざわざ?」


「あぁ」


「教科書片手に『わからないことがあるんだが』とか言われても、絶対に授業のことじゃないですよね?魔法大国のトゥランから来たあなたの方が俺より詳しいはずですが」


2つの茶器をテーブルに置き、一方の椀をサレオスの方へずいっと押しやる。そこには赤茶色の飲み物が入っていた。


「あいにくここに殿下に出せるような茶はなくて、これはバロン先生が異国で見つけてきた赤豆茶です。健康にいいらしいですよ、白髪に効果的とかで」


「そうか」


絶対に興味がないであろう話をあえてしてみる。


が、サレオスは何のためらいもなくその茶をごくりと口にし、アリソンは驚きを露わにした。


「あれ?飲まないと思ったのに~。毒を入れる機会を逃してしまいましたね、残念です」


「先生は冗談が好きだな」


「……先生って。それは冗談のつもりですか?殿下がそんなに笑いを求める人だったとは知りませんでしたよ」


「先生だろう?肩書は」


人当たりのよい柔らかな笑みを浮かべるアリソンと、お決まりの無表情のサレオスは互いを見ているようで見ておらず、ムダな会話だけがどんどん進んでいく。


(何しに来たんだこの人は。世間話をしに来たわけじゃないだろう)


笑顔の下で、真意を探ろうとするアリソン。しかしサレオスは突然ふっと笑って、駆け引きなく本題を繰り出した。


「マリーのことで、先生の考えを聞きにきた」


「…………その先生っていうのやめてくれません!?いじられてる感じしかしない」


飄々とした態度を変えないサレオスに、苦手意識を持ち始めるアリソン。美しい笑みを絶やしてはいないものの、いつもの余裕はまったくなかった。


そして大きなため息をついた後、サレオスが聞きたいことに答えようと話し始める。


「昨日の夜、イリスさんに話しましたよ。それ以上も以下もありません」


「あぁ、突然邸に押しかけてすまなかった」


「本当に。来るなら来るで正面から来て欲しかったです、寝室に窓から来られると心臓に悪すぎます」


昨夜、ノルフェルト邸の警護の目をかいくぐり、突如イリスが現れたのは夜も更けた頃のこと。アリソンはそこで、マリーとの今後について「諦めますよ~」と軽く答えたのだ。


イリスから報告を受けたサレオスは、それを自分で確認するためにわざわざ研究棟にやってきた。アリソンも「まぁ、来るかもな」とは思っていたが、まさか昨日の今日で来ようとは……と少し呆れている。


「これでも一般的な人間なんですよ~俺は。あなたみたいに、何が何でも手に入れようなんて執念は持ち合わせてませんから」


「その根拠は?」


理解できない、という風な困惑が濃紺の瞳には浮かんでいる。

紅い茶をゴクンと一口飲んだアリソンは、少し考えてから何でもないことのようにさらりと話し始めた。


「ガラにもなく思ったんです、マリーの心を得たいって。好いた人に好かれる幸せって言うのですか?そういうのを、いいなって思ってしまったわけなんですよ。でもそうなると、ね」


アリソンは、まるで子供を説得するかのように柔らかい笑みを浮かべる。


(かな)いませんよとても。だいたい相思相愛の二人を、婚約も決まったのに今さら引き裂こうなんて思わない。

まぁほら、俺が殿下に勝てるのは見た目と社交性くらいでしょう?」


「……」


「そこは突っ込みましょう!でもそういうことですよ。肝心のマリーがあなたを好きで、相思相愛。しかも家柄でも魔法の実力でも勝てないとなれば、戦う意味なんてあります?」


「理屈はわかる」


「ですよね~。いやもう、お手上げですよ。だから直接邪魔しようなんて思いません。まったく、盗られたくないからってこんなところまで押しかけてこないでください」


「それはすまなかった」


素直に詫びるサレオス。が、悪いとは思っていないことはアリソンにも伝わっていて、小さくため息が漏れる。


「だがとてもマリーを諦める態度には見えなかった。真意がわからないからここにきた」


まだ信用はされていないのだろうな、とアリソンは苦笑いになる。


「そりゃあ、感情は自在に操作できませんから。マリーを見ていると口説きたくもなりますよ」


おそらくどれだけ話し合ったとしても、この王子様が納得することも、100%自分を信用することもない。


わずかに開いた窓の隙間から心地よい風が吹き込むのに、この部屋の空気が軽くなることもない。


「参考までに。殿下はもし、マリーが自分以外の男を好きだとしたらどうしますか?」


アリソンは美しい笑みを浮かべて尋ねる。興味本位だった。サレオスは深く考えるそぶりもなく、さも当然のように答えた。


「もちろん、そいつと接触できないように俺のそばに囲う。もしくはそいつを速やかに処分する」


あまりにはっきりと言い切るサレオスに、アリソンは口元を引き攣らせる。完全に引いている。


(マリー、君は本当にこの人でいいのかな!?)


「ははっ……想像以上だ。俺はそんなことできないし、したいと思わないんだよね~。価値観が違うから、これはどうしても殿下とは分かり合えない部分ですよ。殿下はもう少し、自重することを覚えた方がよさそうですね」


「善処しよう。マリーのためなら」


アリソンは乾いた笑い声をあげた後、首を左右に振った。


「わかってませんね、重すぎる愛情は相手を苦しめますよ」


諦めると決めたはずなのに、いつしか皮肉が口から飛び出る。アリソンはそんな自分を心の中で嘲笑うが、目の前のサレオスはきょとんと不思議そうな顔をしていた。


「俺は、重いのか?」


研究室の中に静寂が鎮座する。どちらも何も言葉を発しないまま、ただ見つめ合うだけで時間が過ぎた。


(え、気づいてないの?自分がまわりに危険人物認定されるほど重いって気づいていない!?)


アリソンは呆れて言葉が出てこない。ただ一つ思ったのは、「ちゃんと王子を教育しろよイリス」ということだった。


「確かに俺はマリーを愛してはいるが、何とどう比べて重いというのだ?その根拠はなんだ。具体的な数字は」


急に詰められたアリソンは、あからさまに顔を顰めて両手を目の前に出してサレオスを宥めるように言った。


「あー!はいはいはいすみません!重くないです、大丈夫です。殿下は正常ですよ~」


「なっ……!講師のくせに匙を投げるな。しっかりと生徒に指導しろ」


「いやもう俺の範疇外なんで。お願いしますから帰ってください」


サレオスはおとなしく席を立ち、扉の方へと向かう。


「くっ……何かあればまた来る」


(来るな!もう二度と来るな!あ、でも……)


背を向けているサレオスに、立ち上がったアリソンは妖艶な笑みを浮かべて呼び止めた。


「ああ、そうだ。言い忘れてましたけれど、もちろん隙あらば狙いますよ?」


「は?」


少しだけ振り向いたサレオスが、鋭い視線でアリソンを睨みつける。


「万が一、婚約が履行されないとなれば、マリーのことは俺が貰います。そのときはもう彼女の気持ちが、なんてぬるいことは言いませんから。夫婦として何十年もかけて愛を育むことはできるでしょうし」


サレオスは少しだけ考えた後、いつも通りの低い声で返事をする。


「それは無理だな。この婚約が履行されないなら、この国は滅ぶ。世界がないのにどうやってマリーと結婚を?」


「え……」



--バタンッ……


静かな部屋に、扉が閉まる鈍い音だけが響いた。しばらく扉を見つめていたアリソンは、ソファーにドサッと身を投げ落とす。


「危うきには近づかず……とはよく言ったもんだよ」


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