広域魔法のおまけ
広域上級回復魔法の習得に向けて、バロン先生の個人レッスンを受け始めて二週間が経った。
今、私はバロン先生とアリソンの二人がかりで指導を受けている。
アガルタ一の魔法使いであるバロン先生は、今日も長い灰色の髪を大きな三つ編みにしていて、基本的にニコニコしている。
が、天才の教え方は謎すぎて。
とにかく掛け声や擬音でしか教えてくれないのだ。
「ほら!魔力を溜めて、うーんとがんばって、ぎゅっとして、ええーい、とやれば広域になるぞ」
なるかい!なんだそのええーいって。
現在の私は、低級回復魔法と中級回復魔法は使えるようになったけれど、それを広範囲に複数人を回復できるようにする練習をしている。
謎の擬音で教えられて、はっきり言って行き詰まっていた。
「ほら、気合いを入れてええーい!だ」
「先生、まったくわかりません!」
「とりゃー!でも、うりゃー!でもなんでもええから」
「うりゃー!」
「ダメじゃな」
こんなことを一週間くらい続けて私が絶望していたとき、たまたま論文の成果をバロン先生に見てもらいにきたアリソンが声をかけてくれたのだった。「これでは永遠に覚えられる日は来ないな」って思ったらしい。うん、私もそう思っていたわ。
それで見かねて、指導というかバロン先生の通訳をやってくれることに。
「バロン先生の『ええーい』っていうのは、手の中に魔力を集めて周囲に放出するときの感覚を雰囲気で言ってるだけだから」
そういうとアリソンは手の中に水魔法を集め、コポコポと音を立ててきれいな水の塊をつくる。最初は霧みたいだったものが水になり、キラキラと光りだした。
「魔力をたっぷり凝縮させて、あぁ、最初は限界までやらないでね?そしてそれを自分の周囲に放出するイメージで、頭の中で円を描くと……」
手のひらからふわっと浮いた水の玉は、天井近くまでゆっくりと上がってそこでパシャンと弾ける。弾けた水はキラキラと光る水の粒になって、教室全体に広がった。
「きれい」
思わず感想が口から漏れる。バロン先生は「そう、それそれ」と言って笑っている。いや、あなたはこれを「ええーい」という掛け声にまとめたんですよね!?
「はい、じゃあマリーやってみて。ちょっとずつでいいから」
「がんばります!」
そんなこんなで、どうにか広域低級回復魔法はできるようになった。
一週間も絶望していたのがなんと2時間でできた。なんだったんだ、私の一週間は。
「ありがとうございます!」
私は満面の笑みでアリソンにお礼を伝えた。ああ、サレオスのそばに毎日居られる夢の暮らしに一歩近づいたわ!彼は蒼い瞳を細めて、優しく笑っている。
「よかったねマリー」
「はい!もっと練習して、早く上級回復魔法ができるようになります!」
「お礼は頬にキスでいいよ」
「そういうのはナシで。先生と生徒は健全な関係でないといけませんよ」
「うわ~、それ言う?講師である前に、マリーを愛するひとりの男なんだけどな~」
水色の髪がふわりと揺れて、今日も色気ダダ漏れなアリソンはたいして残念そうには見えない。相変わらず明るかった。
ふふふと笑い合っていると、バロン先生が私たちを見て首を傾げる。
「惜しいの。おまえたちなら魔力の相性が良いから、子を成せば強い魔力持ちが生まれるだろうに」
はぁ!?何言ってんのこの先生は。私がお母様なら、バロン先生の灰色の長い髪をおもいっきりひっぱってちぎってるかもしれないわ。微妙な関係なんだからそんなこと言わないで欲しい。
アリソンは先生の言葉を何とも思っていないように笑って返した。
「もー、そういうところですよ、バロン先生。だから奥方に逃げられるんです」
「それは関係ないだろう」
「大ありですよ。人は気持ちがあって生きているのですから、いくら俺がマリーを好きでもこればっかりはどうにもなりません」
うへぇ!?はっきり好きって言った!?
私は目を見開いて絶句する。バロン先生は物言いたげな目をしていたが、ブリキのジョウロに水を魔法で入れて、窓際の観葉植物に水やりを始めてしまった。
アリソンはくすくす笑って、私の方へ目線を移す。
「さ、マリー。魔力の循環を調整して今日はもう終わりだよ。見たところ、まだあまり魔力の循環がうまくいっていないようだから、小まめに調整しておいた方がいい。俺でも、サレオス殿下にやってもらっても。あ、バロン先生は加減できない人だからやめた方がいいよ」
アリソンは手のひらを上に向けた状態で両手を前に出す。私はそれに従って、触れない程度に彼の手のひらの上に自分のものを合わせた。
「いい?今から俺の魔力を流すから、指先から足先に流してこちらにもう一度押し返してね」
言い終わらないうちに手のひらがほわっと温かくなってきて、私の身体の中に温かい魔力が巡り始めた。相変わらずコレ、無風の遠赤外線ヒーターみたいな感じだわ。私は瞳を閉じて、魔力を巡らせるのに集中する。耳を澄ます感覚と似ているかもしれない。
ところが1分もしないうちに、私は異変を感じてしまう。
手は触れてもいないのに、何だかものすごいドキドキしてきた。耳元で甘い言葉でも囁かれているような、好きだと言われ続けているような……なんだかよくわからないけれど、ものすごいドキドキする!
目を開けると、アリソンがにっこりと笑っている。
「先輩、な、なにを……?」
これは多分、何かやってる。魔力にわざと何か込めてる?
慌てて手を離して魔力の循環をやめると、次第にドキドキは収まっていつものように穏やかな感覚が戻ってきた。
「あれ?マリー、知らなかったの?魔力の循環は感情が筒抜けになるんだよ?ガードしなければね」
「えええ!?」
腕組みをして微笑むアリソンは、相変わらずムダにエロイ。こら、しなりをつくるな。
感情が筒抜けって何!?そんなこと聞いてない!
「そ、それは有名なことですか?」
「うーん、魔法が使える人ならだいたい知ってるんじゃないかな」
なんですって!?
動揺する私を見て嬉しそうに笑うアリソン。バロン先生がじっとそれを見て呟いた。
「おまえ、性格が悪いな。もっとスマートに口説けんのか」
「ええ~スマートに口説いてたら取られちゃったからこうして実力行使に出たんじゃないですか~」
ひぃぃぃ!危なかった、あのままずっと感情を送られ続けたら、普通だったらドキドキしすぎて「あれ、この人のこと好きかも」とか思っちゃう!ま、私にそれはないけれど。
よかった、サレオスのことを死ぬほど好きで。心変わりする心配はないわ。
でも不意打ちを食らわされたから、もうこれ以上の長居はしたくない。
「か、帰ります!ご指導ありがとうございました!」
私は気づいたら教室を飛び出していた。多分、青白い顔をしていると思う。
そして廊下をはしたなくバタバタ走りながら、見過ごせないことに気がついた。
あれ、私入学してすぐ、サレオスと魔力の循環をやらなかったかしら……?あのときって一体どうしていたの?
感情が筒抜けに? は?
足を止め、その場に立ち尽くして私は叫んだ。
「嘘でしょぉぉぉぉぉぉ!?」
◆◆◆
その日の放課後、私は本を読むサレオスと一緒に中庭で過ごしていた。
ぴったりと寄り添って、彼が本を読んでいるのをただひたすらに待っている。
初夏の中庭は木々が青々としていて、とても空気がおいしいように感じる。ぽかぽか陽気の中でいつもなら眠っているところだわ。でも今日はとてもお昼寝なんてできない。
私は私で本を読んでいたのだけれど、内容なんてまったく頭に入ってこなかったわ。だって、出会ってすぐに私の気持ちが筒抜けだったことを知ったばかりなんですもの。
サレオス、よく私と距離を置かなかったわね。もうそっちを尊敬するわ。ストーカーにまで優しい王子様だったなんて……!
恥ずかしさのあまり、彼の左腕に頭をぐりぐり押し付けていたら、サレオスがそれを抗議と思ったのか本を閉じてしまった。
「退屈していたか?」
本をベンチに置くと、彼は私の肩に腕を回して髪をそっと撫でる。
あああああああ、何この恋人っぽい感じ!どうしよう、幸せすぎて死ぬかもしれないわ!
「そうじゃないの、ちょっと思うところがあって……」
反省よね、迂闊すぎたという反省なの。そういうと、サレオスは心配そうな瞳を向ける。
「何か悩み事でも?広域魔法の習得がうまくいっていないのか?」
いや、そっちは大丈夫なんだけれど……どうせなら上級まで完璧にできるようになってから報告したいわ。いつになるかわからないけれど。
私は小さく首を振って、それについては否定した。
「卒業までには時間がまだあるもの。焦らずに、少しずつがんばるわ」
「そうか。でもくれぐれも無理はしないで。マリーをそばに置く方法はまだ他にもあるから」
え?そうなの?まぁイリスさんなら何重にも策を用意していそうだわね。そう考えると少し気がラクだわ。
私は彼の肩にもたれながら、少し戸惑ったけれど正直に話す。
「あの……魔力の循環なんだけれど」
白金の髪を撫でていた指先がピタリと止まった。あ、やっぱり思い当たる節があるのね。しばらくの沈黙の後、私は彼の顔を見上げた。
「やっぱり。知ってたのね」
彼はバツが悪そうな顔をして、また私の髪を撫でる。
「なかなか言いづらくて」
「今日、バロン先生とアリソン先輩に教わってるときに知ってびっくりしたんだから」
無知な自分が悪いのに、私は気づくと拗ねたみたいにむくれていた。くっ……、過去の自分が悔やまれる!
ところがサレオスは急に声色を変え、私の瞳をのぞきこんだ。
「アリソン?何かされたのか」
あれ、しまった。これは墓穴を掘ったパターンだわ。心配性&愛情過多の拗らせモードに入っちゃったみたい。
「何もされていないわ、大丈夫。ただ、指導の最後に魔力の循環をして……それで」
恥ずかしくなって俯いてしまう。うわあああ、あの生々しい感覚を思い出してしまった!とりあえず深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。
「マリー」
名前を呼ばれて顔をあげると、そこには明らかに怒っているサレオスがいた。
無表情だけれど、濃紺の瞳には確実に不満の色が滲んでいる。
「うへっ!?」
ひぃぃぃ!怖い!どうしよう、オーラがブリザードすぎる!私が怯えていると、彼はスッと立ち上がって私の目の前に片膝をついた。そして私の両手を静かに握り、じっと瞳を見つめてくる。
「サレオス?」
「マリーの感情が、俺以外に揺さぶられるのは気分が悪い。アリソンの魔力なんて思い出せないくらいに俺の魔力を流し込む」
「はいぃぃぃ!?」
私の返事よりも早く、握られた両手からどんどん温かい魔力の波が強制的に入ってきた。
「あっ……!」
一瞬にして心臓がうるさくなりはじめ、まるで血が逆流するみたいに脈がドクドクと音を立てる。
「うう~……!」
ひゃぁぁぁぁぁぁ!!あったかいどころか熱くて強い魔力が途切れない波のように押し寄せてきて、私は手を引っ込めようとするけれどまったく離してもらえない。
あまりに強い感情の波を受けて、手も顔も、首も全身が真っ赤になっていると思う。
見えない糸に全身を絡めとられるみたいな苦しさもあって、それでも優しく抱きしめられるようで温かい。愛情の深さを身体の奥底まで届けられるみたいで、今にも気絶しそうになる。
「やっ……」
うん、このままじゃ天に召される。幸せ死に?どうしよう、お願いだから手を放してほしい!
ってゆーか幸せすぎて吐く。乙女のイメージのピンチ!
心臓がバクバク鳴っていて、長距離を走ったときの酸欠みたいに息が荒い。
さすがに私の限界を察したのか、彼は手を握ったまま魔力を流すのをパタリとやめてくれた。さっきまでの怒りに満ちた表情ではなく、満足げに優しく笑っている。
「俺がどれほど愛しているかわかっただろう」
はい、顔が熱いです。燃えそうです。あやうく召されかけました。
私の指先を慈しむように何度も撫で、熱のこもった目でまっすぐ見つめた。
「他の男に隙を見せてばかりいると、そのうちこの手の中から離してやれなくなるかもしれない。気を付けるように」
「はい……」
優しく諭すように言った彼は、再び私の隣に座り、自分のものだとばかりに肩を抱き寄せる。
この手の中から離してやれなくなるかもって……?
きゃぁぁぁぁ!監禁生活なの!?どうしよう、まだお泊りセットも何も用意していないわ!エリーに揃えてもらわなきゃ。
私は両手で彼の上着を掴み、そのキレイな顔をじっと見上げた。
「じゃあ、ちゃんとそばで見張っていてね?」
ふふふ、サレオスはまだ私の本性に気づいていないわ。監禁されると見せかけて、実は自分のそばにサレオスを繋ぎとめておこうという強かな女なのよ私って。
いくら賢いこの人でも気づくまい。まさか自分を監禁しようとする女がいるとは。やだ私ったら賢い!恋愛マスターといっても過言ではないはず。
彼は優しく目を細め、「もちろんそうするつもりだ」と言ってくれた。
あぁ、これぞ平穏で幸せな学園生活!絵に描いたような青春だわ!
監禁とか軟禁とか物騒な言葉が飛び交っているけれど、世間一般的な「ずっと一緒にいてね?」「いいよ」がちょっと情熱的な表現になっただけだもの。
まさかこんなに普通の青春が送れるなんて……!
今日絶対にクレちゃんに報告しようっと。




