世にも気まずい晩餐会【前】
王都にあるテルフォード家のタウンハウス。
今、広すぎる食堂で、世にも気まずい晩餐が開かれている。
私の左隣に座るお母様は、一人だけニコニコと笑顔をキープしていて、茸やチーズがたくさん入ったキッシュを口に運ぶ。
目の前にいるお父様は、息をしているのか不明なくらい微動だにせず、固く口を閉じている。
……呪いの館の蝋人形?しかも威嚇用の。
腕組みをし、こめかみに青筋を立てて瞳を閉じているのは怒っている証拠だろう。見なくてもオーラでわかるけれどね。
そして、私の右隣にいるサレオスは、相変わらずの無表情でじっと座っていて食事をしようとはしない。お父様がこの調子だと、彼が食事に手を付けられる日はおそらく来ないだろう。
扉の隙間から、料理長をはじめとする料理人や使用人たちが、固唾を乗んでこちらの様子をうかがっているのがわかる。
お母様以外の私たち三人が食事を始めないため、テーブルの上に置かれている前菜はもはやカピカピ。まったく手をつけないから次の料理に進むことはなく、彼らはそれで困っているのだ。アスパラガスと黄金豆のポタージュスープなんて、また固形に戻りそうだわ。
なぜこんな状況なのかというと、お母様が何も知らせずにサレオスとお父様を招集してしまったから。
私は「お父様と食事をしましょう」とだけ聞いていて、いざタウンハウスにエリーと一緒にやってきたらすでにこの状態だった。
ものすごくびっくりしたわ……!食堂の扉が開かれたら、目の前にこんな状態のお父様とサレオス、そして紅茶を飲んでいるお母様がいたんだもの。サプライズもほどほどにして欲しい。
私が席に着いてから、すでに三十分は経過していると思う。このヘドロみたいなドス黒い空気を早く何とかして欲しい。呪いの館でも、もう少し居心地がいいはずだ。
ちらりとお母様を盗み見ると、おいしそうに料理を頬張っていて特にプランはなさそうに見えた。よくこの空気で食事できるわね!
やはりこんなことで食事が楽しめないような精神力では、歴戦の猛者と渡り合える貴婦人にはなれないらしい。さすがですお母様!って違う、今はそんなこと置いておいて。
どうにも喉が渇いてきて、私はグラスに入っている水を飲み干した。もうさすがに限界だわ。
どうにかしてサレオスとの結婚を認めてもらいたくて、私はついにお父様に話しかける。
「お父様、いつまで怒っているつもりですか?」
私の言葉に、お父様が少しだけぴくっと眉を動かした。
「何に怒ってるんですか?勝手に婚約(仮)をしてしまったことですか?」
「……」
「それとも何も知らされずに会食の場に呼ばれたこと?それはこっちもおあいこです。私もびっくりしたんだから」
「……」
ダメだわ。うんともすんとも、咳払いすらない。変顔でもしてやろうかしら?あぁ、サレオスがいるからそれはできない。私にだって羞恥心はある。
諦めてもう料理を食べてやろうかしら。そう思っていたら、ようやくお父様が口を開いた。でもその瞳は私ではなく、サレオスに向けられていて、怒りに満ちている。
「殿下。約束したはずですが?マリーの記憶は戻さないように努めると」
え、いつそんな約束を?私はサレオスの顔をじっと見つめる。彼はお父様をまっすぐに見つめ、低い声で返事をした。
「それは叶えられませんでした。すみません」
謝った!お父様ったら王子様に謝らせるなんて不敬罪に問われるわよ!?
オロオロする私の隣で、お母様は優雅に鴨肉のローストにナイフを入れている。え、聞いてる?大丈夫なの?
「いただいた手紙で事情はわかりましたが、到底納得できませんね。娘を危険に晒したのに婚約したいとは、とんでもなく都合の良い話だ」
は?サレオス、お父様に手紙なんて出していたの?私と結婚するために、何も言わずにすでに動いてくれていたなんて……。やっぱり私にはこの人しかいないわ!
お父様にはまったくサレオスの誠実さが伝わっていないみたいだけれど、マリーにはドカンと響きましたよ!
私にキラキラした羨望の眼差しで見つめられるサレオスは、お父様の嫌味に機嫌を損ねることもなく、冷静に対処する。
「納得はしてもらえないでしょうね。だとしても、マリーとの結婚だけは引けません。もうこれからは危険のないようにしますので、侯爵にお認めいただきたい」
お父様は心底恨んでいるというような目でサレオスを睨む。今にも殴りかかりそうなオーラが怖い。
もうこれは今日中の和解は無理ね、と私はすでに諦めモードに突入した。
ここからまた沈黙が落ち、その間もずっとお母様以外が食事を摂ることはなかった。私は相変わらず水ばっかり飲んでいる。なんだかお腹いっぱいになってきたわ!
ところが、お母様がデザートまで食べきったときに事態は動く。
「アラン。あなた意地を張ってどうするつもり?」
口元を白いナプキンで拭ったお母様は、いつものように美しい笑みをお父様に向けていた。
「殿下にマリーちゃんを取られて淋しいのはわかるけれど、娘は遅かれ早かれ嫁に行くものよ。マリーちゃんにとってこれ以上の縁談はないってわかってるでしょう」
「ぐっ……!」
お母様の説得にも、お父様は頷かない。ただひたすら黙りこくって、まるでストライキだわ。どこの運転手だ。
「素直じゃないわね~。マリーちゃんがあっちでもつつがなく過ごせるように、トゥランの気候に合わせたコートや防寒具をもう発注してるくせに」
「ええええ!?」
嘘っ!お父様ったらそんなこと一言も言わなかったのに。
「あれはメアリーのだ!」
いや、無理がある。私とお母様じゃ丈が違いすぎるわ。お父様は知られたくないことを暴露されて、顔が真っ赤になっていた。
私がお父様にじとっとした目を向けていると、お母様が右手を頬に当て、ほぅっと悩ましげにため息をついた。
「あら困ったわ。ということなので、サレオス殿下。私で我慢してくれないかしら?」
「はぁぁぁぁ!?」
ギョッとする私、絶句するお父様、そして目元を引き攣らせるサレオス。ただ一人、お母様だけが頬を赤らめて少女のようにはしゃぎはじめる。
「うふふ、この歳でまた嫁ぐことになるなんて。まさか娘と同い年の殿下に嫁ぐなんて……アリね!」
「ナイわよ!」
何ノリノリで嫁ごうとしてるのよ!サレオスは私と結婚するのに!でもお母様は止まらない。今度はお父様に向かって満面の笑みを向けた。
「じゃ、アラン。なるはやで離縁してくださいね?レヴィンは跡取りだからあなたの元に置きますが、マリーとエレーナはトゥランに連れて行きますわ」
「メ、メアリー何を……!?」
うん、結果的にお父様は大損してるわね。私を引き留めることで、お母様とエレーナまで失うんだから。
お父様はしばらく衝撃で口をあんぐり開けていたけれど、私の視線に気づいてハッと意識を取り戻し、拳を握りしめて大声で怒鳴った。
「じょ……冗談はそれくらいにして!
とにかく、これ以上マリーを危険に晒されたくないから結婚は認めない!」
うわ~もう意地になってる。どこまでも頑固なお父様に、私はもう呆れて言葉が出なかった。




