学生の本分は勉強です
翌日、私は朝早くからいつもの教室とは違う、小さめの教室にいた。
私はサレオスとシーナに挟まれて座っている。斜め前にはジュールが座っていて、ほかの生徒は五人ほど。
はっきり言おう、補講である。
休みすぎた結果がコレです、はい。
最初の1時間は講師による授業、そして今は課題のプリントをこなす時間。
私はさっきからまったく課題が進まず、半泣きでプリントの文字を見つめている。
「マリー、大丈夫か?」
白金の髪をぎゅうっと掴んで、今にもサイドの髪の毛が抜け落ちそうな私をサレオスが心配してくれる。休んでいた分の補講だから、サレオスは決して内容がわかっていないわけじゃない。
そしてシーナは私ほど困っておらず、のんびりマイペースで課題に向かっていた。失恋のショックでバイトをしすぎていて、授業をおろそかにしてしまったことが今いる理由らしい。
もうジニー先生のことはいいのかと尋ねたら、儚げな雰囲気でこう言われたわ。「お金を数えていると心が癒されるの……」って。
シーナはバイトの鬼と化し、夜な夜な日当を数えてニヤニヤしているそうだ。
のんびりマイペースに課題を解くシーナの隣で、私は悲壮感たっぷりで机に向かう。
「ううっ……わからない。単位が取れないかも」
必須科目の単位を落とすのは本気でやばい。私は天才型ではなくてガリ勉型なのよ。ほかの令嬢がお茶会や刺繍に勤しんでいる間、私は勉強をしてきたから首席入学になれたのであって、何もしなくても賢いなんてタイプではない。
見かねたサレオスが、ペンを持つ私の手に自分の手を重ねて甘やかす。甲の上を優しく指でなぞられて、悲鳴をあげそうになってしまったわ。
「マリー、たとえ単位が取れずに留年しても、もう学園を中退して俺と結婚すればいい。どこに無理する必要がある?」
ううっ、そんな誘惑しないで!結婚が決まった時点で中退する女子は確かにいて、すでに5~6人はそうしているけれど……。
私は半泣きで隣の彼を見上げる。
「ほら、そんなにつらそうな顔をしなくていい。マリーは俺の妻になることだけを考えて、幸せに笑っていればいいんだ」
「サレオス……!」
私たちが見つめ合っていると、隣でシーナがすっと右手を上げて立ち上がった。
「せんせーい!隣のバカップルがイチャついてるんで、帰ってもいいですかー?」
シーナがニヤニヤしながら私を見る。左手を口元に当て、ひひひと笑っている。こらヒロインたるもの、その笑い方はいけませんよ!
そして。たった今、帰っていいかと問われた先生は教壇の前で苦笑した。腕組みしている、アリソン先輩が。
「ダメでーす。一番帰りたいのは先生でーす。はい、シーナさんまじめに課題をやってくださいね~」
うっ、そういえばこの人の目の前でイチャイチャするなんて、私ったら酷なことをしちゃったわ。
でも先輩はいつも通りにこにこしていて、相変わらず涼しい顔で無駄にエロい。だめよ、先生なのにそんなに前のボタンを開けたら。前列の女子がガン見してるから。
サレオスはシーナの方を見て、ものすごく不服そうに目を細める。
「なぜだ?授業中に息をしてはいけないという決まりはないだろう」
「はぃぃ!?」
シーナが驚愕で目を見開いた。お口も開きっぱなしになっている。
すごいわ、冗談でも何でもなくさらっと言った。私を甘やかすのは、息をするくらいナチュラルなことなの!?
シーナが魔物にでも遭遇したような顔をしているわ!
「ひっ……!?」
どこの誰かわからない生徒からも悲鳴が漏れた。
わかる、わかるわ。私もきっとサレオスでなければ引いてる。
でもここで、アリソン先輩がなぜか私に微笑みかけた。
「マリー、わからないならいつでも個別指導するからね」
あれ、婚約したのにまったく響いてないっぽい。メンタルが強すぎる。
アリソンが麗しい笑みを向けたことで、サレオスが不機嫌になりブリザードなオーラを放ちはじめる。
「あれ、サレオス殿下はもう課題とっくに終わってますよね?じゃあもう帰ってもいいですよ。マリーとシーナさんのことは、俺が講師として責任持って課題を見ますから」
あ、おもいっきり喧嘩売ってる?にこにこしているアリソンと、無表情で殺気を放つサレオスの差が激しい。
教室の空気がいっきに凍りつき、まだ課題をがんばっている他の生徒がとばっちりを受けている。
「サレオス……」
どうにかして落ち着いてもらおうと、重ねられた彼の手を強めに握り返す。するとすぐに殺気を解いて、優しく指を絡ませてくれた。
「あぁ、すまない。怖がらせてしまったな」
いえ、私は大丈夫だけど周りが、ね?シーナはすでに課題をやり始めていてマイペースにもほどがある。
サレオスは私と手を繋ぎながら、アリソンに向かって話しかけた。
「マリーのことは俺が見るから、あなたはジュールを何とかした方がいいのでは?」
私たちの視線がいっきに集まった前の席には、机に死体のように突っ伏して動かないピンク頭の巨人がいた。これはもう手遅れでは、とそんな空気を感じるわ!
アリソンは悲しげな顔をして、静かに首を横に振った。
「新米講師にジュールは無理だ。歴戦の猛者でなくては彼の頭脳には太刀打ちできないよ」
うん、講師から白旗が上がっているわね。私がジュールの後頭部を見つめていると、サレオスが大きな手で私の髪を撫でた。うん、まったく課題をさせる気ないわね!?
「マリーが単位を落としても、俺は妻に迎える。アリソンの講義など受けなくてもいい」
はぅ……!そんなに優しい目で見ないで!慈しむような愛情こもった視線に耐えきれず、キュンが飽和状態で胸が苦しい。
でも私よりもっと苦しんでいる人の呻き声でばっちり我に返った。
「うっ……俺はもう死ぬのか……?」
みんなの視線が再びジュールに集まる。ちなみに彼は一日たりとも休んでなんかいない。授業という戦場にフル参戦したのに補講である。
つまり、ただのバカなのだ。
彼は白目で振り返りながら、サレオスに向かって必死で乞う。
「助けてくれサレオス、わかりやすく教えてくれ……」
私の王子様がちょっと引いているように見えたけれど、でも仕方なく席を立つ。
「うぎゅっ!」
繋いだ手を解くとき、なぜか彼は私の中指の先をきゅっと軽くつまんで名残惜しい感じを出してきた。
指先からキュンが突き刺さってしまい、悲鳴のようなおかしな声が漏れる。
こ、殺される……キュン死にする!イケメンの死神が、キュンを振りかざしているわ!
無自覚イケメン攻めの匠は、今日も絶好調に仕事をしている。
私がこんなに召されそうになっているのに、彼は前の席に移動してジュールの隣に座った。ちゃんと教えてあげるらしい。
教え方のうまいアリソン先輩が匙を投げたジュールに挑むとは、え、サレオスは勇者なの?
あぁ、後ろ姿もかっこいい……!黒髪を握って遊びたい。いつも隣に座っていたけれど、真後ろっていうのもかなり素敵だわ。だって、ずっと見ていられるもの。
ニヤニヤが止まらない。好きすぎて視線が外せない。
だがここで、先輩から注意が飛んでくる。
「マリー、ちゃんと課題やらないと帰れないよ?個別指導の方がいいならいつでも歓迎だけれど」
しまった!あと15分しかない!
私は焦って机のプリントに向かう。
あぁでも後ろ姿ぁぁぁ!!
「ねぇ、マリー。今日の放課後、みんなでマリーの部屋に行ってもいい?」
サレオスの背中を見てまたキュンときている私に向かい、シーナが小声で話しかけてきた。
もちろん私は快諾する。シーナのことだからきっとお泊まりセットを持ってくるのだろう。
放課後の楽しみができたことだし、私は気合いを入れて課題に励んだ。




