迷子です
薄暗い庭園。石畳の小路には、ところどころに七色の光を放つランプがあるが、とても一人でうろうろするような雰囲気の場所じゃない。
「なんでこんなことにっ……!?」
まさかフレデリック様が、「保険」である私に対して迫ってくるとは思わなかった。アリソンといい、この世界の貴族はわりとフランクにキスをするのかもしれない……。
もしかすると、「ダンス楽しかったね!」程度の軽い感覚だった……?
軽い、軽いわ! さっき私が食べた綿あめよりも軽いじゃないの、でも私はそんな感覚持ち合わせていない。今後はさらに気を付けなければ、サレオスにぎゅってしてもらう前に別の誰かにファーストキスを奪われてしまうかも。それだけは絶対にイヤ!
私は、足の裏から発せられる強烈な痛みを我慢してトボトボと歩いた。気持ちは走っているのにな、と自嘲する。
サレオスが見つからないことにも絶望して、半泣きで当てもなく庭を彷徨った。
「ふぇっ……サレオスどこ? ってゆーかここどこよ。私がどこにいるのよって話だわ」
あぁ、脚が痛くてうまく上がらない。歩いているのか、脚を引きずっているのかわからなくなってきた。
――ガツン!
慣れない靴で歩いていると、散水用の溝にヒールがハマりつまずいてしまった。
持ち前の足首の強さを発揮し、何とか転ぶ寸前で持ちこたえるも、溝に食い込んだヒールがなかなか抜けない。
うっ! なんでこんな目にばっかり! イライラした私はおもいきり脚を振り上げた。その瞬間、片方の靴がびゅんっと音を立てて飛んで行ってしまった。
「うそぉ……」
ひとり言が思わず口から出る。何で飛んでいくの!? 溝からゆっくり抜けばよかった! 横着して足を引き抜いたから……。
薄暗い庭園で、靴が片方なくて、絶望感でいっぱいだ。馬車に戻ると履き慣れたパンプスがあるにはあるが、とてもそこまで戻れない。
あたりは七色の光で美しい夜景が広がっているのに、私の気持ちは漆黒に染まっている。闇堕ち寸前だ。急激に心細くなり、私は立ち止まってしまう。
このまま脱げた靴を探しに行くか。諦めてもう片方も脱いで戻るか……。でも足の裏が絶対痛くなる。何か刺さったらどうしよう。
考えてもなにも解決法は浮かばないのに、その場に立ち尽くして頭を巡らせる。
そもそもフレデリック様がいけないのよ! あんなことするから!
あぁ、もう立っていられない。
私はその場にしゃがみこみ、顔を両手で覆った。半泣きというかもはや泣いている。顔が熱い。
背後からカツカツと靴音がするが、とても振り返って確認できるような心境ではなく、私はそのまま無言で動かずにいた。
「マリー? 泣いてるのか?」
聞き慣れた、きれいすぎる低音ボイス。探していたときは会えなくて、何で今ここにサレオスがやってくるんだろう。
「ううっ……。サレオス……いた」
「あぁ。ここにいる」
スカートのフリルがうずくまる私の周りにふわりと広がっている。汚れるとは思ったが、しばらく立ち上がれる気がしなかった。サレオスに会えたことで安心したのかもしれない。
顔を両手で覆ってその場に座ったままの私のそばに、彼はそっとしゃがんだ。
「マリー? 大丈夫か? こんなところに座ったままだと体が冷えるぞ。とりあえず少し移動しないか」
うっ……! 優しすぎる声が心臓に突き刺さって苦しい! やっぱり好き!
隣にしゃがむサレオスを見ると、困ったように首を傾げている。彼は「仕方ないな」とでも言うように、私の目に溜まる涙を人差し指で拭った。
今日は正式な場だから、前髪を右側にまとめて流していていつもより目がはっきり見える。
濃紺の瞳がじっとこっちを見ていて、今にも抱きつきたくなるほどに愛おしい。……抱きつけないけれど!
「うわぁ、サレオスだぁ」
「さっきから目の前にいるだろう? 何だと思っていたんだ」
やっと会えた。嬉しくて泣き笑いのような状態になる。
そうだ。せっかく会えたのに泣いている場合じゃない。私は大きく息をして、無理やり涙を押し込めた。ゆっくりと立ち上がった私は、片方の靴がないことを思いだし、諦めて残っている靴も脱ごうとする。
「マリー、靴ないのか?」
「ヒールが溝にハマって……あっちの方に飛んで行っちゃったの。だから諦めて素足で歩くわ」
ま、大丈夫よね。こんなにきれいな公爵邸の庭だもの。きっと完璧にきれいに掃除されているわ。間違っても、足の裏にガラスなんかが刺さることはないと信じたい!
だいたい王子が何だ。キスされそうになったけれど、されていないっ!
靴が片方飛んでいったから何だ。もう片方も脱げばバランスは取れる!
サレオスにだって会えたわ! しかも今は二人きり!
なんだ。何も悲しむことなんてないじゃない。
「靴なんてなくても歩けるわ」
私はひとり頷いて、覚悟を決めた。
「さすがにそれは危ない。ほら、捕まって」
そういうとサレオスは私をひょいっと抱え、そのまま悠々と歩きだした。
「ひえっ……!? ちょっ……ひゃあ!?」
「マリー、落ちる」
衝撃のあまり慌てふためく私。
こっ、これは、これは姫抱き!?伝説のお姫様抱っこというやつですか!? ひゃぁぁぁ!! くっ、苦しい! あまりの急展開に胸が痛い!
彼の胸に私の顔があたり、信じられないほど近い。
しかもなんかいい匂いするっ! ミントと何かが混ざったような、すごくいい匂いがする! どうしよう、おもいっきりぎゅってしてすりすりしたい!
「うううっ……!」
ドレスで重さ増量中の私を抱えてさくさく歩くなんて……! どれだけカッコいいのあなた!?
吸った息がうまく吐き戻せずに、興奮と緊張で取り乱しまくっていた。
私は手に靴をひとつ持ったまま、じっと大人しく揺られている。心臓がドキンドキンとうるさくなっていて、今にも破裂しそうだ。ほんの少しの時間なのに、ものすごくものすごく長く感じる。
ふっと微笑んだサレオスがあまりにいつも通りだから、胸が苦しくて思わずぎゅっと目を閉じた。
どうしよう! 一生分の運を使い果たしてしまったかもしれない。
サレオスは私をベンチにゆっくり座らせると、飛んでいった靴を探しに行こうとしてくれた。
私は会えたことが嬉しくて、つい彼の上着の裾を掴んでしまう。どこにも行って欲しくない、靴なんてもうどうでもいいと心の底から思っている。
「サレオス、あの……」
「すぐ戻ってくる」
優しい声でそういうと、裾を掴む私の指をするっと解きそのまま行ってしまった。
はぁ……申し訳なさすぎる。謝罪の言葉が見つからない。サレオスに脱げた靴を探させてしまうなんてとんでもない迷惑行為だ。
それに……私の靴、においとか大丈夫かしら!?
あぁ……ショックで頭がクラクラしてきた。せっかく会えたのに、お姫様抱っこにあわあわしている間にまた離れ離れになってしまった。早く戻ってきて。
一人でベンチに座っていると、瞼が重くなってきた。
今日はもう本当に疲れたな……。サレオスとはもう踊れないけれど、パーティーが終わるまでに会うことができて嬉しい。ものすごく嬉しい。
お姫様抱っこまでしてもらえたし……マリーは幸せです!
ぎゅっと包まれた余韻にニヤけながら、瞼を閉じた。
まだ肌寒いような気温ではないけれど、わずかにひんやりした空気が気持ちいい。リーンと鳴く虫の音もまた眠気を誘う。
私はそのまま、眠りの中に落ちていった。




