お兄様とお話です
夕刻になり、カイム様たちとのお別れの時間が近づいてきた。
私は少し前にカイム様に呼び出されて、二人で応接室にいる。サレオスは一緒に来てくれたけれど、お兄様に追い返されて待機中なのだ。
しゅんとして拗ねた顔がとてもかわいかった!
あぁ、でもどうしよう。なんで私だけ呼ばれたのかしら。お姉様に暴力的なお値段の髪飾りを買ってもらったことについての苦言かも!?
ビクビクしながら私はカイム様にお礼を伝える。
「あの、お姉様に髪飾りを買っていただきました。ありがとうございます」
「おおっ!」
うそっ、カイム様がものすごくびっくりしてる!そんなにマズイの!?
静まり返った部屋には、屋外で馬車に荷を運び込む喧騒がかすかに入ってくる。
私は不安でオロオロするけれど、カイム様はにっこり笑って「そっかー」どゆるゆるな反応をみせた。
お?大丈夫みたいだわ!
「随分と気に入られたんだね!さすがはサレオスが気を許すだけのことはあるな~。邪心がないもんね~、マリーちゃんは」
し、下心にまみれています。一分一秒、弟さんにまとわりつきたいと思っています。
が、ここは黙っておこう。私は曖昧に笑ってその場を凌いだ。
「あれ、そういえばその髪飾りって」
カイム様が、今私がつけているカチューシャに気づいて視線を向けた。
「はい、サレオスが以前、ルレオードで贈ってくれたものです」
私の答えに、カイム様が驚いている。
うん、土産だって渡してくれたけれど、これもおそらくはとんでもないお値段だと思うの。怖くて調べてないけれど、エリーがお返しに困っていたからね。
「マリーちゃんて、それもらったときに求婚されてたの?どんな風に渡された?」
「え?サレオスは土産だと。そのときは箱に入ってましたので何かも分からずに受け取りました」
そう言うと、カイム様は吹き出すのを我慢するみたいにクツクツと笑った。
「あいつらしいな~。突き返されたくないから土産って……」
突き返される?
私は訳がわからず、瞬きを繰り返してカイム様を見つめる。
見れば見るほど、ものすごく兄弟そっくりだわ。陽気さはまったく違うけれど。でも笑った顔は本当によく似てる。
ひと通り笑ってから落ち着いたカイム様は、私を見てにやりと口角を上げた。なんだか悪い顔だわ。
「トゥランではね~、髪飾りは好きな相手にだけ贈る特別なものなんだよ!」
はぃ!?どういうこと!?
「アマルティアは隣の島国の姫だったから気にしてないだろうけれど、それでもこのことは知ってるよ。
髪飾りは、この世で一番あなたが大切ですって求婚の意味も込めて贈るんだ。父親が娘に買うのは別だけれど、兄弟が姉妹にも贈ることすらない、それほど特別な贈り物なんだよ!」
「知りませんでした……!今の今までそんなこと」
カイム様はまた笑いが込み上げてきたらしく、大口を開けて笑った。
「あはははは!騙し討ちみたいなマネするかなー、ホントあの子は……!それ、つけろって催促されたでしょ、どうせ」
「さ、催促!?そこまでは……。ただ、壊したり汚したくなくて飾っておこうとしたら、つけて欲しいとは」
確かそんなようなことは言われたと。
「うん、求婚を受け入れたら髪につけるけれど、拒否する場合はつけないからね!」
「ええ!?」
「政略結婚の場合は最初から腕輪を用意することもあるんだけれど、相手の気持ちがわからないときは髪飾りを贈って告白するんだよね~。
あ~あ、おもしろい!バカだなぁ~うちの弟は。何も言わずに……。
ぶっ、アマルティアにも教えようっと。絶対に笑ってくれるはず」
あわわわわ、なんだかネタにされてしまいそうな予感!
私はどうしていいかわからずに、苦笑しつつ紅茶を飲んだ。顔が熱い。
「あ、サレオスに俺から聞いたって言わないでね!?嫌われたくないよ~」
あまりに低姿勢でかわいくお願いするものだから、私はつい笑ってしまう。いいのかしら、王太子様とこんなゆるい空気で喋っていて。
「トゥランってその、結婚する気のない異性の家には行かないとか、髪飾りで相手の恋心を確認するとか、暗黙のルールがたくさんあるんですか?」
アガルタとは違いすぎる。
カイム様は「うーん」と少し考えてから答えてくれた。
「トゥランの男は口数が少ないからな~サレオスみたいに。だから『言わなくてもわかるだろう』的な慣習を用意してるんじゃない?俺は毎日でもアマルティアに愛を囁けるけどね~!」
ですよねぇ。カイム様みたいな男性がいっぱいいたら、アリーチェさんやリータさんのお眼鏡にかなう人もたくさんいたろうに。
「でもサレオスのやることはわりとシンプルだから、マリーちゃんは細かいことを気にしないで楽しんで生きて!」
「ふふっ……そうさせていただきます!」
二人してケラケラ笑っていると、カイム様がふと視線を落として困ったような顔になった。
「本当に怒ってないんだね、俺のせいで死にかけたのに」
あら、どうしたのかしら突然。もう昨日も謝ってもらったのに、なぜか話を蒸し返すカイム様を不思議に思う。
「そう、ですね。怒ってなんていません」
「理不尽な扱いを受けたのに?俺はサレオスのことを優先するあまり、マリーちゃんを軽んじたよ?」
カイム様は、穏やかな笑顔だけれど後悔の念を感じさせる淋しげな目をしていた。
「マリーちゃんが倒れたときのあいつの様子から見るに、俺の判断は間違ってたんだろうけどね。君に何かあれば、あいつが後追いしちゃうとこだったかも。本当に、生きていてくれてよかった」
もしかしてわりと気にしてらっしゃる?私は全然怒ってないのになぁ。むしろ記憶が戻って求婚までしてもらえて、やったねバンザイみたいな感じですけど!?
それにやっぱりサレオスのためにって思ってくれたんだから、それは嬉しいのにな。どうにかこのことを伝えようと、私はしばらく悩んでからゆっくりと話し出した。
「ええっと、カイム様が私よりもサレオスを優先するのは当然だと思いますよ?それに……父が言っていたのですが、為政者には目的のために他者を切り捨てる判断力が必要だと。
ちょっとそれとは違うかもしれませんが、カイム様はサレオスのために、他の全てを切り捨てることができるのでしょう?私はそれを頼もしく感じるくらいで悪いこととは思いません」
あれ、意味が伝わらなかったかしら。カイム様がきょとんとしてらっしゃるわ!
むむむ……どうしよう、笑ってごまかせるかしら!?
「私はサレオスが大好きなので、彼のことを一番に考えてくれるカイム様を怒るなんてありえません。だって、何があってもサレオスを守ってくれるんですよね!ええっと、何て言えばいいのかしら……とにかく彼のためになるなら何でもいいです!」
最後の方はもう勢いでにっこり笑って言っちゃったけれど、理解してもらえるかしら。
例え切り捨てられるのが私でも、サレオスのためになるなら怒ったりしないわ。
もちろん、こんなこと実際に生きてて元気だから言えることだっていうのはわかってる。
やり方はちょっと強引だったかもしれないけど、とにかく今私はものすごく幸せだから過ぎたことは知りませんよ!
「私、今とっても幸せなんです」
ふへへへ、と笑っていたら、カイム様が片手で額を押さえて小さく息を吐き出した。
「あ~あ、もう罪悪感10倍だよ!怒られて嫌われるよりもこっちのが反省するわ~」
え!?怒ってないのになんで余計に反省させてしまったの!?
でもお母様が相当ふっかけたらしいし、謝罪も受け入れたし、これ以上怒るのもなぁ~。戦力に訴えたらしいし(具体的には知らないけれど)、きっと何かしら代償を支払ってくれたはずよね。
困ってしまった私は、苦笑いを浮かべて紅茶に視線を落とす。
ーーコンコン
二人とも沈黙して静まりかえる部屋に、扉を叩く音が控えめに響いた。
カイム様が返事をすると、眉間にシワを寄せたサレオスがそっと顔を覗かせる。
「そろそろマリーを返していただきたい」
「くっ……!」
返してくれって、私がサレオスのものみたいじゃない!きゃぁぁぁ!まだお嫁さんになってないのに!
はぁ……ちょっとしたキュンだわ。いいのかしらこんなに幸せで!
瞳を閉じて悶えていると、そんな私を見たカイム様が陽気な笑い声をあげてサレオスのことを迎え入れた。
「いーよ、いーよ!返してあげる!本当に我慢の利かない弟でごめんねマリーちゃん」
「いえ、嬉しいです」
私は自然に頬が緩む。ソファーまでやってきたサレオスに手を引かれて立ちがると、カイム様もその場に立ち上がって明るく手を振ってくれた。
「愚弟をよろしくね。二人が最短で結婚できるよう、全力で取り計らうから!」
やった!王太子様、いえ次期国王陛下のお墨付きをもらえたわ!嬉しくて口元を手で押さえてプルプルする私を、サレオスが優しく肩を抱き寄せる。
「ありがとうございますっ……!このご恩は一生忘れません!」
感動でお礼をいう私に、カイム様はまたケラケラ笑って手を振った。
「あははは、こっちのセリフだよホントにもう。サレオス、マリーちゃんを泣かせないようにね!」
ふっと笑ったサレオスは兄を見て静かに頷く。満足げなカイム様にお別れの挨拶をして、私たちは部屋を後にした。
廊下に出ると、サレオスは私の顔を見下ろしてためらいがちに尋ねる。
「兄上と何の話をしていたんだ?」
私は彼の腕に寄り添いながら、返事をした。
「髪飾りの話。お姉様に買ってもらったの」
「そうか。それは良かったな……他には?」
「サレオスのことが好きって話」
「は?」
「ふふふ、あとは内緒」
「……」
隣を見上げれば、何だか不服そうな顔をしている。でもこれくらいの内緒は許してほしいわ。
ちょっと拗ねているサレオスがかわいくて、私はニヤニヤしながら部屋に戻った。
バナンの港にて、一際大きな船に乗り込んでいくカイム様ご一行。夕焼け色に染まる空をバックに、穏やかな笑みを浮かべる王太子夫妻はとても絵になった。
別れ際にレオン様を抱っこさせてもらったら、あまりのかわいさにキュンキュンドキドキものだったわ……!
赤ちゃんの頭のにおい、最高。ぎゅうってしてスリスリして別れを惜しんでいると、お母様がほほほと貴婦人の微笑みでとんでもないことを言い放った。
「マリーちゃん、そんなに子供が欲しいなら殿下にお願いすればすぐにたくさん作ってくれるわよ!」
「おおおおお母様ぁぁぁ!!」
港の喧騒をぶったぎる勢いで、私の悲鳴っぽいものが響く。
確かにサレオスに似た子供が欲しいと思ったけれど、まだ早い。早すぎる!
乳母の方にレオン殿下をお願いしながらちらりとサレオスを見ると、あさっての方向を向いていた。聞こえなかったフリをするのは無理がある。
でもばっちり目が合って、微笑まれでもしたら恥死するからこれでいいわ!
「あら、マリーちゃん。子作りは王族に連なる公爵家に嫁ぐならとても大切なことよ?結婚までに、ちゃあんとお勉強を始めなければね」
「べ、勉強……?」
どうしよう、貴族子女の嗜み的なアレのことよね。白目になって気絶する予感しかしない。この世界の性教育ってどの程度のものなのかしら……?
シーナによれば「結婚する、夫と共寝する、相手に任せていれば子ができる」みたいなありえないほどざっくりとしたことを言いつけられるだけ、らしいが果たして!?
「ふふふ、マリーちゃん、これから忙しくなるわよ!婚約の手続きまであと2ヶ月しかないし、婚約式は冬休みでしょ、来年の春にはルレオードに移って、秋には結婚式よ!」
「うわぁ!もうスケジュールが決まってるんですね!?」
はじめて聞いたわ!
サレオスは知っていたようで、私が隣を見上げると優しく見つめ返してくれた。事態は私の知らないところで急激に進められている。
「ドレスをたくさん作らなきゃ!婚約式は伝統的な水色かしら?それとも愛らしいピンクでいく?」
お母様がすでに盛り上がっていて、来週にはタウンハウスで仕立て屋さんと打ち合わせすることが決まってしまった。
なぜかクレちゃんまでが一緒になって盛り上がっていて、私の衣装は二人が完全にプロデュースしてくれるみたい。
そしてなぜかそこに、お母様への償いの品として置き去りにされたアルフレッドさんの姿が。
タウンハウスまでお母様を送って、そして大量の布や宝飾品の仕入れをさせられてからトゥランに帰るらしい。お母様とクレちゃんにこき使われる未来しか見えない。
「私、ホントにサレオスのお嫁さんになれるのね……」
まだ実感が湧かない私は、ぽろりと本音が出る。そんな私の肩を抱き寄せたサレオスは、ふっと笑みをこぼした。
「すぐに婚約の話も広まるから、これからはもっと実感できる」
「へ?」
おそるおそる彼の瞳を見上げると、柔らかな笑みは一転、怪しげなものに変わっていた。
「すでに噂を巻いた。……イリスが。もう王太子妃候補だなんて誰にも言わせない。マリーは俺の婚約者だからな」
イリスさーん!早いわ、早すぎるわ色々と!
「言ったろう?もう逃げられないと」
あわわわ、頬にキスをされ、スッと持ち上げられた右手の甲や指先にもキスをされる。
顔を真っ赤にして言葉をなくしている私に対し、向けられた視線は熱が篭っていた。
「マリーは俺だけを見て過ごしていればいい」
肩に回された腕も、握られた手も力強い。絶対に離さないという気持ちが伝わってくる。
どうやら私の王子様は、相当な執着をお持ちなようです。




