婚約者は死亡フラグ
朝起きて着替えると、私はすぐにサレオスの部屋に向かった。髪には、サレオスがくれたカチューシャをつけている。
向かうといっても真上の部屋だから、ものの数分で到着する。
ちなみになぜ隣ではなく真上なのかと彼に尋ねたら、私の部屋に誰かが侵入した場合、壁を蹴破ると破片が私にも当たる可能性があるから、天井の一部を落とした方が安全なのだ、と返された。
扉から助けに来るという選択肢はないらしい。
なんだか過保護が増している気がするけれど、これもすべて愛の為せるものなのだと思えばもれなくキュンだわ。
サレオスは無事に帰ってきているかしら……。ケガとかしてたらどうしよう、と少しだけ不安がよぎる。
あぁ、ぐっすり眠ってしまって顔色のいい自分がちょっと恥ずかしいわ!
淡いグリーンのスカートの裾を少し持ち上げて、転ばないようにゆっくりと階段を上がっていく。
ヴィーくんは、私がいつ落ちてもいいように少し後ろをついて階段を上っていてこちらも相変わらず過保護。
サレオスの部屋の前には見張りがおらず、私はまるで寝首でも掻きにきた刺客のように怪しい所作で周囲を確認する。
「主様、怪しすぎます。堂々となさればいいのでは、仮にも婚約者なのですし」
「こっ!?」
婚約者ですって!?
聞きなれない響き!でもステキな響きだわ!!
「婚約者って、私のこと!?」
「もちろん」
ヴィーくんが不思議そうな目で私を見ている。
ーーゴンッ
「主様!?」
私はサレオスの部屋の扉に、おもいきり頭突きしてしまった。ちょっとひんやりした木製の扉に額をこすりつけ、この溢れる幸福感をどうにか発散しようとする。
そうよね、私は婚約者なんだわ!
きゃぁぁぁ!幸せすぎて怖い!
扉に額と両手をついてグリグリして悶えていると、ヴィーくんがちょっと引いていた。乙女心のわからないアサシンだわね。
コホン、と咳払いをしてから、私は控えめに扉をノックした。
「はい」
返事をくれたのはイリスさんだった。彼はいつものように、和かに私を迎え入れてくれてほっとする。
中に入ると、ソファーに座って書類に目を通していたサレオスが目に入る。艶のある黒髪とグレーのジャケットがよく映えて、私の王子様は今日もこの世で一番神々しい。
彼は顔を上げると、私を見つけて嬉しそうに笑った。
「マリー」
「くっ……!」
いやぁぁぁ!朝から死ぬ!
なにそれ反則、なんで貴重な笑顔を朝から披露してるの!?
強烈な一撃に見舞われた私は、胸を押さえて悶えてしまう。動悸息切れがすごい。これじゃあ私、変態だわ。
こんなことがバレたら婚約破棄されちゃう!絶対にバレないようにしなくては。
私の新たな悩みを知らないサレオスは、苦しむ私を見て慌てて立ち上がった。
「マリー!どこかつらいのか?やはりまだ魔力が安定していないからか」
素早く私の元に駆け寄った彼は、私の額に手をやって熱を確認し、頬に触れて心配そうな顔をする。
うぐっ……こ、殺される。
萌え死ぬ。
「今すぐ横になれ。無理しなくていいんだ」
どうしよう、とにかく熱がなくて病気じゃないことは伝えなくては。
あまりお母さん化されてもまずいわ。私の周りにはお母さん多すぎるし。
今にも私を運ぼうとするサレオスをどうにか遠ざけ、熱すぎる頬を片手で押さえながらどうにか説明をしようとする。
「ち、違うの……ちょっとその、なんていうか」
「なんだ」
あぁ、眉間にシワが寄ってるわ。そんなところもステキ。全部好き。
見ていられなくなり、私は視線をスッと外した。
「好きすぎて……ダメなの。死ぬかもしれない」
うぎゃぁぁぁ!言ってしまったわ!海に飛び込みたいくらい全身が熱い。燃える。ここで私が死んだら殺人事件っぽくなるわね、さすがにそれはまずい。
あれ、そもそも婚約者とか死亡フラグっぽくない?いやいや、それなら死ぬ前に助けてほしいわ。死体役はイヤ。
はっ!?でもあぁいうのって、もう配役の時点で「ははーん、こいつは死ぬな」ってわかるときあるよね!?
主役級の人が出演している場合は死なない、マイナー実力派俳優の場合は死にやすいもの。
うわ、モブの私なんて確実に死ぬ。しかも「死んだらしいっすよ」っていう、噂程度で片付けられる可能性すらある。
やばい、キュン死に令嬢第1号になるかも……。
私がそんなことを妄想していると、一人分は空けていたはずの距離を突然詰めてきたサレオスにぎゅうぎゅうと抱きしめられた。
彼は自分の頬を私のこめかみあたりにすり寄せながら、はぁっとため息をつく。
「かわいい」
「ひぐっ!?」
か、かぁ!?今かわいいって言った!今日はパーティーでも何でもないのに、ドレス着てないのに!
地味なのが好みなのかしら。サレオスのかわいいのツボがわからない。
私は真剣に悩んでしまう。
「今すぐトゥランに帰って結婚しよう」
はぃ?私はびっくりして、腕の中に収まったまま彼を見上げた。
もろもろ解決してないから無理がありすぎる。そして昨夜フレデリック様はどうなったのだろう。
私は瞼や頬にキスされて白眼になる寸前に、この大事なことを思い出した。
「ちょっ……!ねぇ、サレオス」
うわぁぁぁ、なんかどんどん柔らかい唇がいろんなところに……!
朝から近いし多いし、逃げられないしもうダメだ!
腕を突っ張って離れようとするけれど、腕力とリーチが違いすぎる。
私が動揺していると、静かな部屋の中にイリスさんの声が響いた。
「ええーっと、我々は朝っぱらから何を見せられてるんでしょうねぇ。マリー様溺愛劇場になってますよ~」
その言葉が耳に届き、サレオスがピタッと動きを止める。
「こういうとき、俺はどのようにして主様をお守りすれば……?」
あぁ、まじめなアサシンが首を傾げているわ!キュン死にしないように守るって、つまりはサレオスと戦うってことになるものね。うん、ケガするわ。
止まってはいるものの、私から離れようとしないサレオスに対し、イリスさんはトドメの一言を放つ。
「あ~あ、サレオス様もカイム様みたいになっちゃいましたね~。困りましたね~、別に私は困りませんけどね~」
え、なんでここでカイム様が出てくるの?私と目が合ったイリスさんは、相変わらず愛想よくにっこり笑っている。
「くっ……イリスめ……」
そう呟いたサレオスは、渋々といった感じで私のことを解放した。なんだろう、お兄様みたいになりたくないのかしら。あんなに仲良さそうだったのにな、と私は不思議に思う。
イリスさんに「どうぞ」と手でうながされ、私はサレオスと一緒にソファーに腰を下ろした。座ってすぐに左手を握られ、また急激にドキドキし始めてしまう。
婚約者(仮)からの攻めがすさまじい。
目の前に出されたお茶には、メイドさんがミルクを少し入れてくれた。至れり尽くせりで、私はサレオスの隣に座る以外することはなさそうだ。
はっ!そういえばフレデリック様とどうなったのか聞かなきゃ!キュン殺し犯に襲撃されたことで、すっかり忘れてたわ!
「ねぇ、昨日、どうだったの?」
少し不安げに尋ねると、彼はふっと優しく笑って私の髪を撫でた。
「大丈夫だ。快く、納得してくれた」
……本当かしら。ちらりとイリスさんを見れば、苦笑いを浮かべている。うん、これ絶対にすんなりとは納得しなかったんだな。まぁそうよねフレデリック様なんだから。
「あの、どんな話し合いをしたの?」
おそるおそる問いかければ、サレオスは困ったように笑うだけで何も教えてくれはしない。
「まぁ、俺が訪ねて行った時点で気づいていたようで、多少めんどうではあったが誓約書にサインをしてくれた」
「誓約書!?」
びっくりして目を見開く私に、イリスさんが一枚の紙を見せてくれた。そこには確かにフレデリック様のサインと王太子の印が押してある。
「私とサレオスの結婚を認めるって書いてあるわね……」
「あぁ、フレデリックが片付いたから、あとはマリーの父上だけだな」
片付いたって言っちゃってるよ。まぁそうなんだけど、何だかあっさりとしすぎてて怖いわ。
「私、何もしていないけれどいいの?自分のことなのに」
恋愛ハードモードの神様、もう私には興味がなくなったのかしら。そうじゃなきゃこのトントン拍子はあり得ない。
やばい、結婚できてしまう!いいの!?いいんですか!?
「俺がマリーを自分のものだと示したくてやってるんだ。何も心配せずに、ただこうして居てくれればそれでいい」
「うぐっ……!」
ああああ!何その優しさ。まさかのお姫様待遇。何もしなくていいんですか!?
誓約書を持ったまま、感動でプルプルする私を見てイリスさんが笑っている。はぁ、私ったらみんなにお世話になりっぱなしだわ。
今日は朝食をいただいたらアマルティアお姉様とお買い物に行く予定だから、そのときに何かお礼になるものを探さなくちゃと私は考えていた。




