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ポンコツだってプライドがある

フレデリックの部屋は王太子であるのにシンプルなもので、絵画など装飾はほとんどない。落ち着きのあるくすんだ赤茶色の壁に、金を贅沢にあしらった特注品の暖炉やテーブルセットが置いてある。


天井は一部に黒曜石や魔力を含んだ鉱石が使用されていて、侵入者を防ぐ結界が全体に張り巡らされていた。静寂が流れる広い部屋の中には、中央に配されたテーブルセットに憮然と腰を下ろしたフレデリックの姿がある。


やってきたサレオスと目が合うと、ぶすっとした表情をしたまま無言でソファーに座ることを促した。サレオスは彼らしい無表情のまま着席すると、斜め前の一人掛けに座るフレデリックに向かって早々に用件を切り出した。


「マリーへの求婚を取り下げてもらいたい」


「早いよ!そして用件が直球だな!」


長い脚を優雅に組んでいたフレデリックが、完璧王太子の仮面を一瞬で崩して思わず身を乗り出す。静まり返った部屋に反響した声は、余裕のなさを表していた。


ところが、もとより世間話をしに来たわけではないサレオスは、フレデリックの反応が意外だったのかきょとんとしている。


それを見たフレデリックの蒼い瞳は、すぐに呆れに変わった。


「もうちょっと挨拶とかご機嫌伺いとかないのか?まったくマリーはこんな男のどこがいいんだ」


「……説明した方がいいのか?確かマリーは」


「いらん!教えて欲しいわけじゃない!空気を読め」


「……善処する」


大きく長いため息をついたフレデリックは静かに立ち上がり、棚にあった酒とグラスを持ってテーブルに置いた。大理石のテーブルにグラスが当たり、コトンと心地よい音が鳴る。


「あいにくこれしかない。ヴァンが置いていったものだ」


栓を抜き、ふたつのグラスに乱暴に琥珀色の酒を注ぐと、一つをサレオスの前にぐいっと押しやった。

そしてそれを見つめ、しみじみと呟くように言う。


「そういえば初めてだな。こんな風に二人で話をするのは……。おまえとは昔から会う機会はそれなりに多かったが、まさか俺の部屋で酒を呑む日が来るとはね」


「フレデリック」


サレオスは膝の間で手を組み、勧められたグラスに視線を落とした。相変わらずの無表情でその心の中は見えない。


「「……」」


長い沈黙の後、いっこうに動かないサレオスに向かってフレデリックは目を細めた。


「いや、毒とか盛ってないぞ」


「それはちょっとしか疑ってない、気にするな」


「ちょっと疑ってるのは認めるんだな!?まぁおまえの育ち方を考えれば……、ってそれはわかるがここは呑め。空気を読め」


「わかった」


少し笑ったサレオスは、一気にそれを飲み干した。


また長いため息をついたフレデリックは、背もたれに完全に体を預けて王太子らしからぬ緩み切った姿勢で脱力する。


(どういう感性で生きてるんだこいつは)


こうして、空気を読まない恋愛ポンコツ王子たちの会談が始まった。


サレオスが来る、そう告げられたときから嫌な予感はしていた。

何の用もなく、酒を呑みに来るような愛想のある人間じゃないことは知っている。


「……で?その様子だとマリーに求婚したのか」


天井を仰ぎながら渋々といった声色で紡ぐ言葉は、悲哀に満ちていた。


「あぁ。そうだ」


瞳を閉じるフレデリック。サレオスは真剣な面持ちで彼の姿を瞳に映す。


「そうか……それでフラれたんだな可哀想に」


「おい、なぜそうなる。現実をみろ」


サレオスの眉間に一気にシワが寄り、語気は強くなった。


「くくくっ……わかっているさ、それで俺に『マリーのことをよろしく頼む』と言いに来たんだな!?そうだろう」


「まったく見当外れだ」


「大丈夫だ、私が絶対にマリーを幸せにしよう」


「勝手なことをいうな」


「あはははは、ついにこの日が来たか。安心して任せてくれ」


「誰が任せるか。マリーは俺の妻になる」


「……」


明らかにわかっていて話を改変していくフレデリックに、今度はサレオスがため息をついた。部屋の中には重苦しい空気が漂いはじめ、どちらも口を開かない。


フレデリックは上半身を起こしたかと思うと、今度はがっくりと項垂れて、完璧王太子の自信はもう見る影もない。


「わかってる。全部わかっているさ」


「フレデリック」


完全に生気の抜け落ちた顔で金色の前髪をぐしゃりとつかむ。そしてちらりとサレオスの方に視線を向ければ、乾いた笑いが漏れだした。


「ははっ……いいんだ。それで、マリーは求婚への返事をなんと?」


「一生、そばにいると言ってくれた」


かすかに微笑むサレオスに対し、フレデリックは覇気のない瞳でぼんやりとしている。


「そう、か」


「あぁ、そうだ」


「サレオス」


「なんだ」


「おまえいつ死ぬ?」


「……おまえより長く生きると今決めた」


「それは残念だな」


「おまえの頭もな」


「くそっ!なんでこんなヤツが……!どこがいいんだマリー!」


「確かマリーは」


「言わなくていいってさっき言っただろう!?おまえそういうところあるよな!このポンコツめが」


「おまえにだけは言われたくない」


失恋確定で顔を歪ませるフレデリックは、飄々としたサレオスが気に食わず、どんどん怒りのボルテージは上がっていく。


「あああああ!何で私はもっと早くに正攻法で囲っておかなかったんだ。王命で婚約者に指名すればよかった。マリーの気持ちが私に向くまでなんてかっこつけるんじゃなかったよ」


初めての挫折に苦悶の表情を浮かべる王太子を前に、勝者であるサレオスはかける言葉が見つからない。変に慰めでも言えばさらに激昂することはわかりきっていて、ただフレデリックが自問自答する様子を見ているほかはない。


フレデリックは立ち上がり、部屋の中を頭を抱えてウロウロし始めた。


「私だって最初からずっとマリーのそばに居られたら……政務なんて人に任せてマリーと一緒にいればこんなことには……!」


(そうだろうか)


「あぁ、でもそれは王太子としてのプライドが許さない。私は国を背負う立場にある者なんだ、すべてにおいてマリーを優先させることはできない……!」


(さすがにそこはわかってるんだな)


座ったまま、フレデリックの奇行を見守っているサレオスは一言も発しなかった。


「こういうとき、こういうときはどうすればいい?ああ、また新しい恋愛指南書を読みこまなくては」


「おい、フレデリック」


「きっと何か方法があるはずだ」


「フレデリック!」


雲行きが怪しいと感じたサレオスは、立ち上がり彼のそばに歩み寄った。しばらくの間、無言で睨み合っていた二人だが、サレオスの方が先に小さくため息をついてから口を開いた。


「すまない、俺はマリーでなければダメなんだ。悪いが引いてくれ」


フレデリックはまっすぐにサレオスを睨みつけながら、ぎりりと歯を食いしばる。互いに視線を逸らさないまま、サレオスが話を続ける。


「マリーのために、なるべく穏便に済ませたい。俺とお前の話が国家間の揉め事になれば、マリーが傷つく。

今なら、内輪で話を収められるだろう?」


「なら、サレオスが引けばいい。マリーは私の運命の相手なんだ。おまえなんかに掠め取られてたまるか」


「……」


眉根を寄せて鋭い殺気を放つサレオスに、フレデリックは同じように殺気を放ち引こうとはしなかった。


「臣に降りる第二王子よりも、自国の王太子妃の方がいい。長い目で見れば幸せになれるはずだ」


「……」


「おまえに何ができる?私はマリーにすべてを与えてやれる」


「……」


「はははは、何も言えないだろう?負けを認めるのか?隣国へ行き公爵夫人に収まるよりも、私のそばにいた方が幸せになれるんだよマリーは」


完全に悪者になっていることに気づかないフレデリックは、爽やかさゼロの黒い笑みを浮かべていた。


「フレデリック」


「なんだ」


突如として声を発したサレオスは、瞳に殺気はなく、いつものように無表情であった。

イヤな予感がしたフレデリックは、一瞬だけ身構えて拳をぎゅっと強く握りしめる。


「マリーはおまえの運命の相手じゃない。俺の運命の相手だ」


「そこ!?気になったのそこか!?」


「マリーは俺のだから。それは間違えて欲しくない」


「おい、空気を読め。素で私の精神力を削るな」


「俺とお前、どっちと結婚した方が幸せになれるかなどわからない。随分と先のことだからな。ただ、マリーがおまえの運命の相手じゃないことだけは言っておく」


「それだってわからんだろう!?おまえの価値観はどうなってるんだ」


「なぜそうなる」


「それは私のセリフだ」


心底理解できないという風に首を傾げるサレオスを見て、フレデリックは怒りよりも困惑の方が強く湧き出る。


ただひとつわかることは、互いに理解しあえる日は来ないということだった。


「はぁ~~……」


「フレデリック?」


深いため息を盛大に放ったフレデリックは、完全に戦意喪失といった様子で再び椅子にドサッと身を投げた。さきほどまでの猛烈な怒りは、ひとまず鎮火されたらしい。


「一人にしてくれ」


天を仰いで片手で顔を覆い、状況を整理しようと瞳を閉じる。




しばしの沈黙の後、フレデリックの前にスッと一枚の紙が差し出された。


「明日、兄上が国に帰るんだ。これにサインしてくれ」


目の前にひらりと突き出された紙を見て、ぽかんと口を開くフレデリック。


『マリーウェルザ・テルフォードの婚姻は、本人の意思に委ねる』


要約するとそんな内容が書かれていた。



紙を突き出しているサレオスの顔を見て、フレデリックは唖然とした。


(こ、こいつまったく悪気がない!どういう神経してるんだ!本当にこいつでいいのかマリィィィィ!)


そして同時に、どこまでも虚無な濃紺の瞳が妙におそろしくもなった。すっかり萎れた声で、フレデリックはポツリと呟く。


「本当にマリーのことしか頭にないんだな……」


観念したように立ち上がると、ひったくるように紙を奪い、書机にあったペンですらすらとサインを行った。

紙に触れたとき、魔力が込められている違和感をふと感じたものの、冷静さに欠けるフレデリックは構わずサインを書き上げる。


そして王太子の証である四角い印を押すと、その紙をサレオスにそっけなく渡した。


「言っておくが、おまえのやり方はぬるい」


紙を押し付けられたサレオスは、無言でそれを受け取る。書机に体を預け、腕組みをして横柄な態度で話すフレデリックは、あざ笑うかのように言った。


「マリーの意思に委ねるなど、そんな誓約書に何の意味がある?私がもしも彼女の縁者を盾に取り、脅して頷かせたらどうする。それだって本人の意思だろう?おまえはぬるいんだよ……って何してる?」


そして胸元から万年筆を取り出して、堂々と紙の上をなぞっているサレオスにフレデリックは蒼い目を見開く。何かを書き足しているのかと思いきや、特殊なペンらしく、文字の上から魔力を込めてなぞると下から別の文言が浮き出てきた。


「……何をしている?」


ぎょっと目を瞠るフレデリックに対し、サレオスは意地悪く口角を上げた。


「おまえがぬるくて助かった。誓約書に込められた魔力には気づいていただろう?」


サレオスがわざわざ見えるように突き出した紙には、こう書いてあった。


『マリーウェルザ・テルフォードとサレオス・ローランズの婚姻を認める』



息を呑んだフレデリックに、クツクツと笑うサレオス。


「まさかこんな初歩的なものに引っかかってくれるとは思わなかった。俺もそうだが、おまえもぬるいな」


「……」


「あぁ、これはちょっとした意趣返しだ。もちろん許してくれるよな、"親友"なのだろう?」


「それはっ……!」


西の国の王女と縁組させようとしたことがバレている、それを悟ったフレデリックは途端に苦い顔に変わる。


「あの王女が兄上に直談判しにきたぞ」


「あ……」


あと数ヶ月で国王となるカイムを巻き込んだことを知らされて、フレデリックは焦りの色を滲ませた。


「もう終わったことだがな」



サレオスは誓約書を折りたたみ、内ポケットにしまうと最後に一言だけ付け加えた。


「まぁ、こんな紙切れにサインしてもらうよりも、やはり一度きちんと話がしたかった」


「……そうか」


「第一の目的は誓約書だったんだが」


「正直だな」


廊下への扉に向かって歩いていくサレオスの背中を見送るフレデリックに、もはや抗う意志はなかった。ポンコツであろうが恋愛指南書中毒であろうが、マリーを無理やり妃にするのはさすがにプライドが許さない。しかし……


「やっぱりイヤだ」


扉に手をかけたサレオスの耳に、子供のようにダダをこねる声が入ってきた。


「婚姻に関しては今さら文句はない、ただ……マリーとは二人で話をするからな!」


サレオスは扉の前で振り返り、金の髪を振り乱しながら叫ぶフレデリックに向き直った。そしてしばらく考えた後、いつも通りの冷静な声で返事をした。


「マリーはもはや俺の一部だから、俺をマリーだと思って話してくれたら今この場ですべてが終わるぞ」


「帰れぇぇぇ!」


フレデリックの怒声がヴァンたちの元にもしっかり届き、廊下からバタバタと慌ただしい足音が聞こえてくる。足音は次第に増えていき、帯剣した近衛がわらわらと駆けつけてきた。そして王太子らしからぬヒステリックな姿に戸惑うばかりだった。


「意味が分からない上に合理的に処理しようとするな!もう帰れ、帰ってくれ!」


近衛兵はサレオスの姿を見て驚いてはいたものの、"親友"認識は広がっているのか誰も捕えようとはしない。そこにヴァンとイリスが駆けつけ、サレオスは飄々とした態度のまま部屋を去っていく。


こうして、第一回恋愛ポンコツ王子会談は幕を閉じた。



ヴァンは集まった彼らに解散を告げると、フレデリックの部屋に入っていく。


(あ~あ、今日から荒れるな)


ふぅ、っと軽く息を吐いたヴァンは、苛立ちを全開にした金髪の王子様をどう宥めようか頭を悩ませる。


その手には大きなダーツボードと矢が。ヴァンお手製のダーツである。


「フレデリック様、女性はこの世にたくさんいらっしゃいますよ。とりあえず、このダーツでもやってみませんか?」


ヴァンを見つめるフレデリックの瞳に覇気はまったくない。言われるがまま、その夜はダーツに励むのだった。


たくさんの女性の名前が書かれたダーツを……。



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