糖質制限リミット
叔父様のお砂糖爆弾に在庫切れはなく、私は待ちかねて無礼を承知でクレちゃんの部屋に飛び込んだ。
そのとき、叔父様はソファーで優雅に座り、隣にいるクレちゃんの髪を1束すくって口づけながらも上目遣いで熱烈な愛を訴えかけるという恋愛破壊神になっていた。
クレちゃんの顔は恋する乙女そのもの……には程遠く、イケメン攻めを受けすぎてやや顔色が悪い。叔父様のことは好きだけれど、こうしてお砂糖まみれになるのはなかなか慣れないようだった。
私を見つけると救世主が来たかのようにキラキラした瞳を向けられる。
「マリー様!」
あまりに勢いよく立ち上がったクレちゃんの髪は、叔父様が指に絡めていたままだったので明らかにぶちぶちっと音を立てて数本ちぎれた。叔父様もびっくりして慌てていたわ!
私が無難な挨拶を行うと、テーザ様は優しく微笑んでお祝いの言葉をくれた。
「君が私の義娘になるなんて嬉しいよ」
「ありがとうございます」
あぁ、今日も叔父様はお美しいわ!微笑みながらそのキレイなお顔を眺めていると、優雅に脚を組んで紅茶を飲んだ叔父様がとんでもないことをさらっと口にした。
「カイムにね~『もしマリーちゃんに何かあれば世界が消し飛ぶから一刻も早く来て』って泣きつかれてね!」
は?世界が消し飛ぶって大げさな!
でも叔父様は神妙な面持ちで話を続ける。
「予定より1日早く来ていてよかったよ。サレオスを止められるのは私だけだが、メアリー様まで応戦となると……考えたくない。マリーちゃんが無事で本当によかった!!」
……トゥラン王族の中で、お母様の位置づけがおかしい。普通の侯爵夫人をどうしてそんなに警戒するの?
私が引き攣った顔で聞いていると、叔父様は素早く切り替えて、クレちゃんに溢れんばかりの愛情ある眼差しを向けた。
「ふっ……これでクレアーナは確実に逃れられなくなるし、落ち着いたらサレオスに全てを任せて隠居できるし、いいとこばかりだ!」
叔父様、私情が漏れまくりです。
でも私はイリスさんから聞いているんですよ。叔父様は旅ばかりして遊んでいる風に見えるけれど(実際に遊んでいる)、天性の人たらしだから他国の貴族や有力商人とつながりまくって、外交官でもないのに貿易関係で手柄を上げまくっていると。
そして、サレオスのことも本当に大切に考えていることを。
キャラメルブラウンの髪がふわりと揺れ、絶好調にかっこいい叔父様は私に優しく教えてくれた。
「サレオスがどれほどマリーちゃんを愛しているか、私は知ってるよ。本当によかった、二人の婚約が決まって」
「叔父様……!ありがとうございます!」
私は嬉しくなって、満面の笑みでお礼を言った。
「ふっ……ふふふ……クレアーナは賢い女性だからね……!
マリーちゃんがサレオスと結婚する限り、私の妻でいてくれるのだよ……!なんというめでたい話だ!」
あれ?完全に本気だなコレ。やっぱりクレちゃん中心で生きてるんですね。
嬉しすぎておかしくなってるよ叔父様。
あぁ、クレちゃんが叔父様に巻きつかれて頬にキスされてるわ。
「あぁ、クレアーナ!私たちの愛の歴史にまたひとつ 彩が増えるよ。実に喜ばしい!」
「うふふふふ、そうですわねー」
めっちゃ棒読み!
もう諦めたのか石像と化すクレちゃんの気持ち、わかるよ!助けられないけど!
半笑いで手を振るクレちゃんと別れ、私はサレオスの待つ別室に向かった。
廊下に出ると、やはり慣れない靴で歩みの遅い私はエリーに心配されてしまう。
「もういっそ、サレオス様のところまで運びましょうか?」と言われて、私も心が折れそうになる。
それでも何とかがんばって歩き、あともう少しというところでお母様の奴隷、じゃなかったアルフレッドさんと出くわした。
曲がり角を曲がって正面からやってきた彼は、私を見てビクッと肩を揺らす。黙って礼をされ、道を開けられる私は違和感しかない。
「あの、母があなたに……色々としたようで」
謝罪を口にしようとすると、一歩下がったアルフレッドさんは私から目を逸らしている。え、連帯責任みたいな感じで、私のことも苦手なの?あれ、そもそも何か自分のことを覚えていないって怒ってなかったっけ。
実は結局、記憶は戻ったはずなのにアルフレッドさんのことはまったく覚えていなかった。そんなに接点なかったように思うんだけれど、さすがに「思い出したのに覚えていませんでした」とは言いにくく……。ごめんなさい!
「もし何か母がこれ以上迷惑をかけるようなら、私からちゃんと話しますので」
頭を下げる私だけれど、アルフレッドさんはとにかく全力で逃げようとする。
「いえっ、私は!どうかお気遣いなく」
両手を前に出し、否定の意を示す彼はジュール並みの巨人なのに小動物のようだった。
じいっと見つめていると、しばらくの沈黙の後、アルフレッドさんが突然に頭を下げた。
「すまなかった!まさか記憶がないとは思わずに……いや、それでも俺の態度は許されるものではなかった」
うわぁ!こんな廊下で頭を下げられてる!ど、どうしよう、今は誰もいないけれど王太子付きの従者さんに謝罪されるなんて申し訳ないわ!
そもそもアルフレッドさんだけのせいじゃないから、そんなに気にしなくてもいいのに。
とにかく頭を上げてもらい、大丈夫ですと謝罪を受け取ったことにした。
うん、無事だったからいいのよ。
「いえ、私の方こそお母様がかなりやらかしてしまったみたいで……」
あ、一気にアルフレッドさんの顔が青くなった。本当に何したのお母様!?
私はさらに申し訳なくなり、今度はこちらが慌てて頭を下げる。
が、ヒールのことを忘れていて、前のめりになりすぎてあえなく躓いてしまう。
「ご迷惑をおか……きゃぁ!」
「えええ!?」
右足のヒールがぐりっと横に倒れ、私はバランスを崩してアルフレッドさんに向かって倒れ込んだ。
咄嗟に支えてくれたから、何とか転ばずに済む。
「だ、大丈夫ですか!?」
両の肩をアルフレッドさんの大きな手で捕まれ、私も彼の肘あたりに手をやり、何とか足元のヒールを元のポジションに戻すことができた。
「ご、ごめんなさい」
「いえ……」
転ばなくてよかったー!廊下で顔面からドーンと転んだりしたら、とんでもなく恥ずかしいわ!
ところがほっとしていたのもつかの間、そこにとてつもない冷気がぶわっと流れ込んでくる。
「アル……なにをしている」
左をみると、そこには黒い衣装を纏ったサレオスがいた。私が遅かったから迎えに来てくれたみたい……だけど明らかに怒ってる!
アルフレッドさんはみるみるうちに真っ青になり、すぐに私から手を離した。ちょっと放り捨てるくらいに。
「殿下……ちがっ!違います!」
中腰で震えながら話すアルフレッドさんに対し、サレオスはゆっくりと近づいてくるがその視線は強烈に冷たい。
え、もしかして私が抱きついてたみたいに勘違いしてる?浮気疑惑!?
私はすぐに説明する。
「サレオス!違うの、私のヒールが12センチなの!」
しまった、転んだって単語を忘れた。
するとエリーがサレオスに近づき、速やかに説明してくれた。
アルフレッドさんは完全に私を睨んでいる……。どうしよう、コレ私のせいだものね。オロオロしていると、サレオスが私の元にすっと寄り添い、有無を言わさず縦抱きにして持ち上げられた。
「えっ……!?」
びっくりして彼の顔を見つめると、さっきまでとは180度違う優しい微笑みを浮かべていた。
「俺に似合う背丈になるよう、どうしてもヒールを履きたかったとは……そんな無茶をせずともマリーは誰よりかわいらしいのに」
ひぃぃぃ!エリー、あなた何を吹き込んだの!?事実とおかしな部分がありますよ、どうしてもヒールを履かせたがったのはお母様とリサ!
「会場までは俺が連れて行く。皆に挨拶だけしたら2人でゆっくりしよう」
「はっ!?へっ?……はい」
急に抱き上げられて顔を赤くする私を見て、サレオスは優しく笑うと、頬と首筋にそっと唇を寄せた。
きゃぁぁぁ!何これ恋人同士みたいぃぃぃ!過剰接触ぅぅぅ!
心臓がバクバク鳴るのを必死で堪えていると、私の横をアルフレッドさんが通り抜けていった。
「俺はっ……俺はもうテルフォード家とは関わりたくないー!」
「……」
ごめん、としか言えない。私が呆気にとられていると、頬に大きな手がかかった。
「俺以外を真剣に見つめるのは感心しない」
ぐりんと顔を戻された私は、驚きのあまり目を見開く。
「まさか妬いてるの……?」
「当たり前だろう。マリーは俺の婚約者だからな」
「うくっ……!」
神様ぁぁぁ!まさか、まさかの独占欲が凄い!どうしよう、心臓が焼けこげるくらいキュンだわ!
まさかこんなに愛されてるなんて……幸せすぎて口から魂が出そう。踊り狂いたい。
今なら素手でドラゴンが倒せる。「やだも~!」って手のひらで軽くバシーンって叩いたノリでドラゴンが倒せると思うの。
私は嬉しすぎて頬を緩ませた。ところが、サレオスがふいに鋭い視線になる。
「このドレス……とてもキレイだが露出が過ぎるな。エルリック、羽織るものはないのか」
その言葉に、エリーはすぐに部屋へと戻っていった。私は抱きかかえられたまま、やっぱりニヤニヤが止まらない。
「ふふふ……きれいって言ってもらえて嬉しい」
「他の人間に見せたくないと言っただろう。俺だけならまだしも、関係のないヤツらがこの姿を視界に入れるかと思うとゾッとする。全員消したくなる」
そこまで!?
何だか私が思っていた以上に独占欲が強いらしい。
「ひぅっ……!?」
肩や鎖骨のあたりに口づけられて、思わずおかしな声が出た。
過剰接触ぅぅぅ!!!!
結婚前の触れ合いはいけませんよー!!!!
「いつもと違う香りがする」
「こ、これはエルダーフラワーの……」
ぎゃぁぁぁ!ごめんなさいぃぃぃ!さっきは抱きついてスンスン匂いを嗅いでたのは私だけれど、される立場になるとものすごく恥ずかしいっ!
ごめんなさい、ホントごめんなさい。これからは10回に1回くらいは我慢しますー!
「ちょっと近すぎませんか……」
声がやや震えているのは気のせいじゃない。絶対に聞こえているのに、何も返事をしないのはなぜなの!?
首筋に顔を埋められると、全身にゾクッと震えが走った。死ぬ、これは死ぬ。
「人が、来ますんだわよ!?」
しかも、こんなところを誰かに目撃されたら絶対だめ。ここ、忘れてたけれど廊下だから。あぁ、部屋でもダメだけれど!
あぁ、恥ずかしくて視界が揺らいできたわ。
エリーが白いふわっとしたボレロを持って戻ってきたときには、私は瀕死でうなだれていた。待っている間、お砂糖過多で天に召されるかと思ったわ。
正直言って、急に変わりすぎてついていけない!嬉しいけれど、さすがに糖質制限リミットが外れすぎで……。露出してたらそこら中にキスされるから、もう今後はハイネックかつ長袖で生きていこうと決めたわ。
「何があったかはお聞きした方が……?」
サレオスから解放された私は、エリーにボレロを肩にかけてもらい、すぐにそれに腕を通す。
「聞かないで……口にしたら、確実に吐くわ」
「そうですね。だいたいわかります」
私がしっかり着込んだことで満足げな表情を浮かべる黒髪の王子様は、「自分で歩ける」と言い張る私の主張をにっこり笑って聞き流し、やはりさっきと同様に抱き上げて別棟まで運んでしまうのだった。




