国王陛下
屋上にやってきた私たちだったが、サレオス大捜索は意外なほど難航していた。
「おられませんねぇ」
「もしかして私、逃げられているとか!?」
「いえ、多分まだまだ挨拶回りよ。何と言ってもトゥランは工業大国だから、取引をしたい貴族はたくさんいるわ。もう屋上から移動したのかもね」
そうなんだ。本当にうちの賢者様は情勢に詳しいな! 私はクレちゃんの知識に感動しながら、小さな綿あめをはぐはぐと頬張った。綿あめくらいならお腹出ないよね……!?
屋上にはスイーツがたくさんあり、宝石みたいにきらきらと輝くケーキがずらりと並んでいる。クレちゃんはもうやるべきことはやったので、お皿にひょいひょいとそれらを乗せて、食べる気満々だ。苦笑いでやってきたクレちゃんパパは、娘の食べっぷりを見てちょっと引いている。
しばらくクレちゃんパパと歓談していると、耳に優しい低音ボイスの男性が声をかけてきた。
「あぁ、やっと見つけた。クレアーナ嬢。さきほどの話の続きがしたいんだが、よろしいかな?」
見上げると、そこには高級そうな身なりの男性がいた。
背が高い。二十代後半くらいだろうか、肩ほどまで伸びた髪は柔らかそうで、キャラメルブラウンの明るい茶髪。切れ長の目は凛々しく、でも優しそうな笑顔が素敵な人だった。
(こ……これは!? クレちゃんの恋のチャンス!?)
私は空気を読んで、パッと立ち上がった。親友であり女神であり賢者である、クレちゃんの恋を邪魔するわけにはいかない!
「ヴェルディン公爵様。ええっと……」
クレちゃんが彼の言葉に驚いた顔をして、その後すぐに私の顔を見た。私は「大丈夫よクレちゃん! あとは若いお二人で!」とアイコンタクトをかましてすぐにその場から立ち去った。
「私はこれで失礼いたします。では、クレアーナ様。また学園で」
外用の笑顔全開で、私は颯爽と走り去った。叱られるぎりぎりの速度である。十二センチヒールの慣れない靴がつま先を容赦なく攻撃してくるけれど、そんなこと気にしていられないっ!
「マリー様!? あのっ!こちらの方はっ!」
私を引き留めようとするクレちゃんの声が聴こえたが、彼女の恋路を邪魔したくない一心で逃げる。アイちゃんに続いて、クレちゃんにも恋の予感かしら!?
でもヴェルディン公爵ってどなただろう? お父様みたいに頭の中に貴族名鑑があるわけじゃないから、脳内に検索をかけてもまったく情報がひっかからない。若かったし、最近爵位を継いだ人ってこともあるよね。
いや、でもクレちゃんは婿養子派。公爵家当主との結婚ってありなんだろうか? まぁ、妹二人もしっかりしているし、クレちゃんがあの人と恋に落ちちゃった場合は嫁いじゃうのもいいよね。
はぁ……週明けは恋バナで盛り上がりそう!
私は痛む足のことをしばし忘れて、浮かれながら真っ白い階段をトコトコと降りていく。
芸術的でよくわからない絵画がたくさん飾ってあるお邸の廊下を歩き、私はサレオス大捜索を継続する。くっ……迷子放送があれば! 他国の王子様を迷子放送で呼び出す勇気はないが、連絡手段の少なさをついつい恨む。
本日の招待客は、国内外含めて総勢二百五十人らしい。今私が彷徨っているお邸の中には、屋上、庭園、温室、ダンスフロア、ビリヤード場、談話フロア、そしてカジノまである。
ここテーマパークなの!? 広すぎる!!
それでも私はめげずにサレオスを探し回る。
ヒールのダメージが積もり積もってつま先がじんじん痛み、なにより六時間にも及ぶダンスレッスンがここにきてものすごく効いてきた。やっぱり練習しすぎたみたい!
ううっ、サレオスどこ? 五階建てのお邸の中を半泣きで歩き回る。
途中、同じくひとりでウロウロしているアリアナ様に会った。フレデリック様のところにいたはずなのに、もうダンスは踊ったのかしら?
彼女は私をキッと睨みつけてきたけれど、正直言って疲労で構っている気にはなれない。
でも……さすがにこれ以上は無理だ。ちょっと休もう。とにかく足が痛い。体力も限界だよ。
私は談話室の隣にあった部屋に入る。ここはたくさんある従者の控え室のひとつなんだけれど、隣に人が集まるせいでこっちに人はいない。
「ふぅ……疲れた」
ソファーに座って、とりあえず体力を回復させることに専念する。ここが公爵家でなければソファーに寝転がりたいくらいだわ。
こうしている間にもサレオスが誰かと踊っちゃうかもしれないし、帰っちゃうかもしれない。私は休みつつも、この後はどこを探しに行こうかと考えていた。
――カチャッ
扉の開く音がして、私はパッと後ろを振り返る。
「マリー? どうしてここに」
ここにきてまたフレデリック様……、これがサレオスなら感動で抱きついたのに!
運命の残酷さを呪いまくり苦々しい顔をする私に、かなりご機嫌で嬉しそうなフレデリック様が寄ってくる。お願いだから空気読んで! マリーは疲れているんですよ!
「フレデリック様こそよろしいのですか? ダンスフロアにおられなくて」
精一杯の作り笑顔に切り替えたが、おそらくもう笑えていない。だめだ。疲れて眠くなってきた。
「ああ、ずっと逃げまわっていて……マリーに会えてよかった」
そういうとフレデリック様は、私の隣に当たり前のように腰をかける。ふわふわのドレスの裾があるのに、肩が触れ合いそうなほどに近くに座った。
フレデリック様がものすごい笑みで見つめてくる。
ん? なんだろう。はっ!! こっちが上座か!
美しい笑みから漂う無言の圧を受け取った私は、痛む足を引きずってすぐに向かい側のソファーに移動した。二人の間にはしばらく沈黙が続く。
今頃サレオスはどこにいるんだろう。
「マリーはもう、誰かと踊ったのかい?」
私の意識を強制的に自分に向けたフレデリック様は、嬉しそうに笑っている。何かいいことでもあったんだろうか? 自分の父親の変態っぷりが露呈した後だというのに……切り替え上手だね!
なんにせよ、私が上座に座っていたことを怒っていなくて良かった。つられてヘラリと笑った私は、まだ誰とも踊っていないと返した。
「いつも父としか踊りませんし、今日はお仕事のお相手と積もる話があるようでしたので、誰とも踊っていません。ジュールは食事に専念していますし、サレオスは見つからないし……」
くっ……! サレオスがいたら踊ってもらうのに。あんなに練習したのに! あ、泣きそう。へとへとになったエリーや執事の顔が浮かぶ。あんなに練習に付き合わせたのにごめん、みんな!
「マリー。そんな顔されたら放っておけないな」
え? サレオス探してくれるの!? 思わず、期待の眼差しでフレデリック様を見つめてしまう。
彼はすっと立ち上がり、優しい笑顔で言った。
「さぁ、行こう!」
「はい!」
意外といいところあるじゃないフレデリック様! 悪魔なんて言ってごめんなさい!
サレオスに会える、そう思ってフレデリック様についていった私は、やっぱりというか案の定というか猛烈に後悔するハメになるのだった……。
フレデリック様と一緒にやってきたのは、公爵邸の噴水庭園だった。
「なにこれ!? すごくキレイ!!」
噴水といっても、向こう側がまったく見えないくらい大きくて、七色に光っている。
これはもうアトラクションのレベルだわ! あ。ついはしゃいでしまったけれど、なんでこんなところに来たの……? 私は隣で微笑むフレデリック様をちらりと見た。
すごい笑ってる! こっち見てる! はしゃぎすぎたのがいけなかったのかしら?
私は噴水を探していたんじゃなくて、サレオスを探していたんだけれど。恥ずかしくなって俯いてしまう。
「マリーは本当にかわいいね。私と一曲踊っていただけますか?」
フレデリック様はそういうと、スッと右手を差し出した。
「ここで!?」
私は驚きのあまり目を見開いた。
え? ええ!? えええ!? ここで踊るんですか?
私は自分の耳を疑った。確かに、庭や屋上にもダンスの音楽は流れている。踊っている人もいる。でも、でも蚊がいます! フレデリック様! 男性はいいよ、上着ばっちり着てるから!
私は今、半袖なの! ゆったりと膨らんだ五分袖だけれど、腕はそのまま出てるし首元も開いてるし、蚊に刺される可能性が高い!
「ここで、ですか?」
お願い、冗談だと言って。しかしフレデリック様はそのまま勝手に私の手を取り、腰に手を添えてきた。いつものごとく私に拒否権などない。
あ、さては運命の令嬢探しに失敗したんだな! だから「保険」である私のところに来たと。まだパーティーは中盤なのに、諦めるのが早いな。そういうところがダメなんだよねこの人。
それにしても足が痛い。足の痛みと体力の限界、そしていつやってくるかわからない蚊に怯えながらダンスは続く。
「マリー。私は今日、これまでで一番楽しいパーティーだったよ」
「は!?」
正気ですか!? 自分の父親である国王陛下の変態っぷりを目の当たりにしたパーティーが、これまでで一番楽しいと!? 一体これまでどんなパーティーに参加してきたんだ……可哀想すぎる!!
本人はウキウキしてるところ悪いけれど、私はフレデリック様が哀れで泣きそうだわ。でも父親が変態であるとわかったときのフォローの言葉なんて私、知らない!
「マリー?」
はっ! しまった、同情していると悟られてはいけない。フレデリック様は王太子なのだから、きっとプライドが高いはずだ。
私は顔を上げ、涙を堪えつつ笑顔を作った。「大丈夫です。マリーはなにも気づいてません」と伝わっているだろうか?
踊っていると、だんだんフレデリック様が寄ってくるから私はその分後退する。なんかだんだん噴水の前から離れていっている。なんかもう、そういうステップみたいになっている!?
「上手だね」
「ありがとうございます」
心地よい音楽と、噴水の水がサーッと流れる優しい音がする。
ん?
私は視線を感じ、ふと会場の方を見た。するとそこには、ガラスに顔面を押し付けてこっちを睨んでいるアリアナ様がいた! ガラスにほっぺたがめり込んでるみたいに見えるよ! 怖ぃぃぃ!
――るるああいわよ
ん? 何か言っている!? わかんないよアリアナ様!
――つるだあにわよ
は? 佃煮!? 佃煮って何のことアリアナ様!
あ! アリアナ様が従者に連れて行かれた! ものすごい珍場面を目撃した私は、フレデリック様が何か言っていたがまったく耳に入らない。
そして完全によそ見をしているうちに、ダンスの曲がゆっくりと終わっていった。
やっと終わってくれた。やっとだ!
がっちりと握られている手を離し、すぐにその場から去ろうとする。しかしフレデリック様は微動だにしない。
「マリー」
「フレデリック様?」
なんで曲が終わったのに離れてくれないの? それどころかがっちりと腰を掴まれ、右手に至っては私の頬に添えられている。
え。え。え!? 嘘!
フレデリック様の顔がだんだん近づいてきて、私は驚きのあまり目を見開いた。
「っ!? いやぁぁぁ!」
――バチーーーーンッ!
私は思いきりフレデリック様の頬を叩いた。王太子の頬を叩いてしまった!
いやぁぁぁ! どうしよう!! あわわわ……。私は両手で口元を押さえ、茫然とするフレデリック様から一歩退いた。
「あのっ、か、蚊! 蚊です! 蚊がいました!」
苦しすぎる言い訳をする私だったが、もうこれしか思いつかなかった。考えるよりも先に、蚊という言葉が口から出ちゃったもん! お願いだからこの嘘に乗っかって!
「蚊……?」
「そうです、蚊です!」
「蚊、か。……それなら仕方ないね」
あ、誰かが早足で近づいてきた。ヴァンだ! え、見てたの!? 「お願い助けてっ」という目で彼を見ると、笑いを堪えながらうんうんと頷いて、私の逃走を許可してくれるみたいだった。
「それではフレデリック様、私はこれで! また学園でお会いしましょう! サヨナラ!」
勢いよく踵を返して走り去る。もう何もかも知ったこっちゃない、逃げるしかない!
あとはヴァンが何とかフォローしてくれるはず!
ドレスの裾を持ち上げて、持てる脚力のすべてを使って私は逃げた。
……そして。迷子になった。




