助走する男
マリーがようやくサレオスの気持ちを知り、二人の心が通じ合った頃。
北の国からアガルタの地に戻ってきた数隻の船があった。
槍をモチーフにした国旗をはためかせ、アガルタの外務官や魔法道具を乗せたこの船には、新しい決意を胸にしたある男の姿も。
少しだけ伸びた茶色の髪は前髪を後ろになでつけていて、18歳とは思えない凛々しく聡慧な印象だ。外務官ならではの裾の長い黒衣がよく似合う。
春から2か月間にも及ぶ異国での任務を終え、すっかりエリート官僚らしくなったアルベルト・オーエンは甲板に立ち、だんだんと近づいてくる港町バナンの賑わいを眺めてこう思った。
(ようやく、ようやく会える……!)
卒業パーティーの数日後、急遽北の国への外交団に加えられたアルベルトは、これまでずっと遠い異国の地で初めての任務に就いていた。
大臣であるアラン・テルフォードからは「娘はおまえにやれん」とはっきり言われてしまったが、絶対に諦めないと自身を鼓舞し、早く功績をあげるためにどんな任務も率先して励んだ。
しかも女性恐怖症の治療も効果が出始めていて、社交では初対面の令嬢や夫人たちとダンスを踊れるまでになっていた。ただし、目を合わせなければの話だが。
そんな彼が大切に持っているのは、マリーからの手紙。卒業パーティーのすぐ後に送られてきたこの手紙は「求婚は受けられない」という内容だったのだが、いつも黒衣の内側に入れて大切に持ち歩いている。
彼女がサレオスを好いていることは、最初から知っていた。
が、自分にとってマリーは運命の女性だと信じて疑わないアルベルトは、どんな障害があってもいずれは心を通わせられると夢見ていた。恋に浮かされ現実を見失っていて、完全にそう思い込んでいるのだ。
(あぁ、君は待っていてくれるだろうか。早く会いたい)
待っているも何も、マリーはアルベルトが北の国に赴任していたことすら知らない。
むしろその存在を、すっかりさっぱり忘れ去っていた。
会えない間に初恋を拗らせてしまった生徒会長様が、完全にムダな助走をしているなんて夢にも思わない。
(会えなくてさみしいと思ってくれただろうか?求婚したにも関わらず、こんなにも長い間連絡しなかったことを許してくれるだろうか?)
アルベルトは気づいていない。マリーは手紙で求婚をお断りしたことで、もうすべて終わったのだとほっとしていることに。会えない間に想いがどんどん膨らんでしまったのは自分だけということに……。
「アル、今から甲板に出て街を眺めなくてもいいだろう。まだ到着までしばらくかかるぞ」
同期の男が呆れたように声をかける。普段はまじめで隙のないアルベルトが、落ち着かない様子で街を眺めているのを不思議に思い、わざわざ甲板まで出てきたのだった。
「ヴィクトー。じっとしていられなくてね……」
振り返ったアルベルトは、同じ黒衣を纏ったヴィクトーに苦笑いで答えた。
「なんだよ、そんなに焦がれるほど想い人は美しいのか?今度俺にも会わせてくれ。まぁ、アラン様の娘じゃ結婚までいくのは大変だろうがな」
からかうヴィクトーに、アルベルトはまた街の方を眺めながら力強く宣言した。
「マリー嬢は僕にとってたった一人の運命の女性だからね。どんなに大変でも乗り越えてみせるよ」
何も知らないヴィクトーは、心からアルベルトの恋を応援していた。
まさか今、この瞬間に、船の上からわずかに見える丘でそのマリーがサレオスから求婚を受けて大号泣しているとは微塵も思わずに……。
「きっとおまえならうまくいくさ!」
「あぁ、ありがとう。僕は彼女を幸せにするために出会ったんだから」
このムダすぎる助走があっけなく無に帰すことになろうとは。
恋愛ハードモードの神様もばっちり助走を始めていた。




