サレオス視点【8】人の我慢には限界がある
ルレオードでのサレオス視点後半です。
俺がマリーを婚約者にするために必要なことは3つ。
まずは、今いる婚約者候補とやらを一掃すること。
そして、宰相含め議会の承認を得ること。
最後は兄上の許可を得ることだ。
テルフォード家のことはいったん忘れておこう。マリーの父親はきっと正攻法では頷かない。
ひとまずは、今夜ルレオードでマリーが俺の恋人だと印象づけさえすれば、宰相・チェスターが噂を耳にして接触してくるはず。
娘のリータが招待されていて、しかもマリーと友人になったからにはそれは確実なことだ。
マリーと共に再びパーティー会場に戻った俺は、王族だけが入れる席に彼女を連れて行く。その間にも、周囲の目は俺たちに密かに向けられていた。
俺はそれを承知で、マリーをとことん愛おしいという気持ちを込めた目で見つめ、その手を引いて歩く。マリーを見ていると自然に笑みがこぼれるから不思議だ。あれほど作り笑いは苦手だったのに。
マリーの小さな身体を自分の膝に座らせると、驚いて息を呑み、顔どころか全身を真っ赤にさせていた。
しかも強張った表情で、早くも涙目になり俺をじっと見つめている。
……俺のことを殺す気だろうか。
触れればおもしろい反応が見られるだろうとは考えたものの、まさかこちらがやや息苦しさを覚えるほどに可愛らしい姿を目にするとは思わなかった。
きっと今、マリーは自分が偽の恋人だとでも思っているに違いない。そういう演技なのだと。
「ひうっ!?」
額や頬に遠慮なく口付ければ、マリーから謎の擬音が発せられた。肩や手は小刻みに震えていて、それがまた庇護欲をそそる。もっとも、彼女を危機に陥れているのは俺なのだが。
周囲に見せつけながら、マリーの愛らしい反応を楽しんでいると、イリスの視線が何度か突き刺さるように向けられていた。
わかってる。やりすぎるなという事だろう?最初は叔父上の行動を参考にしていたが、マリーを見ていると菓子を食べさせたり髪に触れたり、やりたいことに事欠かない。
しかも途中でマリーが突然、俺にベリーの実を差し出してきてそれを食べさせようとしてくれた。
遠慮なく指ごと口に入れたら、全身をビクッと跳ねさせてオロオロしていた。
俺はイリスに視線を向ける。
(部屋に連れ帰ってもいいか?)
あいつは口元を引き攣らせ、すぐに視線だけで返事をした。
(ダメに決まってるでしょう!?)
チッ……いくら婚約者候補を蹴散らすためとはいえ、こんなに愛らしいマリーを人目にさらすなんて嫉妬で気が狂いそうだ。
この笑みも、困惑も、恥じらいも、マリーのすべては俺に向けられたものでなければ。他のヤツには一欠片も与えたくない。
羞恥と緊張により脱力し、くてっともたれかかるマリーの髪を撫でる。
「い、一生分のキュンが……」
俺の胸に顔を埋めるマリーが、なにやら意味不明なことを呟いている。
残念だがそろそろ解放しようか、そう思っていると、イレーアが乗り込んでくるのが目に入った。
高慢で自尊心が強く、自分こそが俺の婚約者にふさわしいと勘違いも甚だしい女。俺、というより第二王子という存在を欲しているのがあからさまだ。
イリスとヴィンセントがいるものの、絶対にマリーが傷つけられることのないよう、俺は彼女の肩を抱く力をいっそう強める。
が、マリーはイレーアの暴れっぷりに驚いて、身を乗り出すほど凝視していた。
ダメだ、あんなものを目に入れるとマリーが穢れてしまう。そう思った俺は、無意識で彼女の頬に手を添えて、こちらに強制的に引き戻した。
「あんなもの見なくていい。俺だけ見てろ」
心のうちに収めきれない独占欲が溢れる。
「っ!?」
茶色の大きな瞳がぐらりと揺れ、マリーの身体が力なく俺の肩に倒れた。速すぎる心音が伝わってきて、俺の脚にかかる重みがずしっと増えた気がした。
「マリー?」
呼びかけても返事はない。
は?気絶!?慣れない場で、負担をかけすぎたか。
……まずい、やりすぎた。
イレーアを片付けて戻ってきたイリスが、呆れた顔でこちらを見ている。「ほら、言わんこっちゃない」と顔に書いてある。
「マリー……すまない」
テルフォード侯爵が大切に守ってきた、並々ならぬ箱入り娘だと知っていたが、まさかここまでとは思わなかった。
俺はマリーを抱きかかえてこれ見よがしに退出し、仲睦まじい様子を見せつけながら会場を後にする。
これだけやれば十分だ。後は勝手に噂が回ることだろう。
紺色のドレスを纏い、俺の腕の中で意識を失うマリーを見つめていると幸福感に襲われる。俺のものだと錯覚してしまう。
「イリス、この後は」
「ダメですよ」
チッ……!!!!
やはり許可されなかった。手を出すつもりは毛頭ないが、せめて部屋で寝顔を眺めていたかった。
エルリックの手前、俺はおとなしくマリーの部屋のある東館へと足を向ける。
途中でエルリックを一瞥すると、無言で頷かれてしまった。
(大丈夫ですよ。連れ込んでくれて構いません)
確実に、そういう目をしていた。何だか急に頭が冷静になり、それはダメだろうと俺の方が思うようになってしまった。
そして同時に、マリーのことを哀れむ気持ちも出てきた。なぜ従者に売られているんだ……。エルリックはマリーの忠実な従者だが、俺たちをまとめようとしすぎている節がある。
「……」
いや、ダメだからな!?期待の眼差しを向けられても、さすがにマリーの気持ちを無視して連れ込んだりできるか。我慢には限界があるものの、理性だって共存しているわけで。
しかしわからない。なぜマリーは気絶したんだ?やはり俺がマリーに対して抱く気持ちとは違うのだろうか。
瞳が閉じられたことで長い睫毛が目立つ寝顔を見ながら、イリスに尋ねてみた。
「マリーはなぜ気絶したんだろう」
「は!?」
いつものような冷静さを欠片も残さない返事が返ってくる。
「気持ちの重さが違うせいだろうか?俺はマリーに何をされようが気絶なんてしない」
心底惚れた男になら、触れられても気絶しないのでは。そんなことが頭をよぎる。
イリスは大きなため息の後、頭痛でもしているのか、こめかみに手を置きながら冷たく言った。
「はいはいそうですね。少なくとも、マリー様はあなた様のように危険な思考をお持ちではないです」
「どういう意味だ」
失礼なやつだな!いつ俺が危険な思考なんてものを持ったというんだ。
だが、こんなにすぐ気絶するようではこれから先が思いやられる。今日はもう部屋に送り届けて、今後のことはまたゆっくり考えよう。
こうして俺は間違いをおかさずに、マリーを部屋まで送り届けることができた。




