ここは乙女ゲームの世界らしい
前世の記憶を持つ私、マリーウェルザは侯爵令嬢。
この『日本じゃない世界』で、アガルタ王国という平和な国に生まれて十五年が経つ。
プラチナブロンドに茶色の大きな瞳、目鼻立ちのはっきりした容姿はお母様譲りで、背は低いけれどそれなりに美人。貴族社会の中でも力のあるテルフォード侯爵家の長女として大切に大切に育てられてきた。
私の生まれたアガルタ王国は、一年を通して温暖な気候で過ごしやすく、近隣諸国に比べると大きな国ということでわりと平和な時世が続いている。
王家を頂点にして、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵そして平民という身分制度が取られているわ。貴族は全人口の五パーセント以下で、圧倒的に平民の方が多い。
我が家は侯爵家で、お父様は外務大臣、お母様は商会を営むやり手の夫人、国内で有数のお金持ちだ。私には二歳ずつ離れた弟妹がいて、家族仲はとても良好。
ただし身分の高さがネックになって、親しい友達がほとんどいない……のは学園に入学すれば解決するはず!
今日は待ちに待った入学式。
この国では十五歳から十七歳までの二年間、日本でいう高校みたいな全寮制の学園に入学することが定められている。生徒は貴族や裕福な商家の子息だ。
私は日本の大学レベルの学力をフル活用して首席入学者になった。とはいっても、これは私の頭の出来うんぬんよりも、侯爵家の財力がかき集めた家庭教師のおかげだと思うわ。
五歳くらいから前世の記憶はあったんだけれど、私はそれを夢の世界のことだと思っていた。はっきり前世の記憶だと自覚したのは十歳くらいかしら。
でも私ったら記憶は曖昧で、自分の名前が何だったかも覚えていない。ここでの暮らしに役立ったのは数学や生活の知識くらいね。
私は幼い頃から、夢の話をお母様やお父様に話していたわ。お母様はとても興味深く聞いてくれて、「ボールペンが欲しい」と言えば職人に作らせたり、「りんごや桃はもっと甘いはず」と言えば農業改革を行ったり、おかげでうちのテルフォード領は日用品と食品のレベルが異様に高い産地になってしまった。
そもそも貴族子女の嗜みはダンスやお茶会でのマナー、刺繍といったいかにもお嬢様なことが重視されているから、前世の知識を発揮する機会もないわけで。
歴史や文明を変えるほどの大発明なんかはできるわけもなく、周囲からはちょっと変わったお嬢様くらいの認識をされる程度で平和に生きてきた。
そんな私もそろそろお年頃。秋には十六歳になる。
この国では十六歳で成人として扱われ、貴族であれば幼い頃から婚約者がいても不思議ではない。結婚は十六歳からできるし、貴族の娘は二十二歳くらいまでにはほとんどが結婚する。
「お母様、学園に入学したら素敵な人がいるかしら?」
「そうね、きっとイケメンがいっぱいいるはずよ! いい人が見つかるといいわね!」
侯爵家の長女なのに、なんと我が家は恋愛結婚オッケーというゆるゆるな家なのだ。
もちろん、実際に相手を見つけ身分差があったとすれば反対される可能性はある。
お父様は私を溺愛しているからともかくとして、お母様は恋愛結婚に協力的でその理由は「おもしろいから」らしい。
「マリーちゃんの学年には、この国の王太子様と隣国の王子様もいらっしゃるのよ。一つ上の学年にも、社交界で話題のイケメンが何人かいるし……ふふふ、楽しみね」
イケメン好きなお母様はすでに何人もチェックしているらしく、一人で盛り上がっていた。
でも私は王子様より、とにかく恋がしてみたい。
王子様と結婚なんてしたら、複数のお妃様とのバトルが避けられないだろうからイヤ。はい、恋愛対象外です! それに一夫多妻制のこの国ではむずかしいだろうけれど、妻は自分一人だけにして欲しいと思ってしまう。
だから目標は、私だけを愛してくれる人との恋愛結婚! 今世こそ素敵な恋をして、幸せになってみせるわ!
期待に胸を膨らませてやってきた入学式当日。
早朝から中庭で黒髪の男の子と運命の出会いをしたと思い喜んでいたら、追加でとんでもない衝撃がやってきた。
今、目の前にいる金髪碧眼の美男子はフレデリック・ルイス様。
これから始まる入学式を前に、首席入学者が行う新入生代表の挨拶とやらの打ち合わせでやってきた控室に彼はいた。煌びやかなソファーに、この国の至宝とまで言われる見目麗しい王子様が座っていたのだ。
ええ、比喩じゃなくてリアル王子様!
心配性なお父様のせいで、貴族が集まる出会いの場はすべて「病弱設定」により欠席していた私にとって、これが初めての対面なのよね。
この王子様の姿を見た瞬間、私の脳内に前世の記憶が追加でズガンと蘇ってしまった。
あぁ、ここって『乙女ゲームの世界』だったのかぁ……
今さら気づいてももう遅い。
この王子様こそ前世の妹・サヤが愛してやまない推しキャラだ。
私はこのとき初めて、転生した世界が乙女ゲームの世界だということに気がついた。
フレデリック様のどんな美女も霞むような美しい微笑みは、アニメーションからリアルに飛び出してきたようで、どこのハリウッド俳優だって思わず見つめてしまったわ。
『フレデリック様、尊い……』
自作の抱き枕を愛用していた妹の顔は、はっきりとは思い出せない。そうよ、妹の代わりに新作ゲームの限定版を買いに行ったあの日、交通事故で死んでこの世界に生まれ変わったんだった。
ショップ購入特典だったあのポスターは一体どうなってしまったんだろう。
前世の記憶に意識を飛ばす私だったけれど、さすがに現実に戻ってこなければ。
フレデリック様は、たった今入室してきたばかりの私を見てにっこりと微笑んでいる。
(マズイ。この世界が何だろうと、今ここで生きている私にとってはすべてが現実!)
脳細胞が仕事を放棄しようとするのを懸命にたたき起こし、なるべく平静を装ってにっこりと微笑み返した。手が震えているのは気のせいだと思いたい。
「マリーウェルザ・テルフォードにございます」
なぜ王子様がここに? 私はちらりと先生を見て、全力で助けを乞う。
先生は苦笑いで「とにかく座って」を視線だけで伝えてきた。
それを察知した私は、王子様の隣を通り過ぎて先生のそばに座る。先生は私の行動に一瞬だけ戸惑ったが、いくら生徒同士とはいえ王子様の隣になんて座れない、そんな私の意向を察してそのまま話を進めてくれた。
なんでも入学試験で満点を取ったのが私と王子様だったらしく、だから新入生挨拶は二人で行う予定ですなんて言われたけれど、私はそんなの絶対に御免だった。
(いやいやいやそこは得点操作しようよ! 空気読んで先生!)
フレデリック様はとても優雅で美しい姿勢で座っているけれど、笑顔が完璧すぎて何を考えているのかわからない。笑顔をそのまま好意として受け取ってしまえば、知らずに不敬なことをしてしまうかもしれないわ!
よく知らないけれど、乙女ゲームって選択肢を間違えたらすぐに投獄&バッドエンドなんでしょう!? 知識が漠然としすぎていて恐怖しかない!
私はどうにか新入生代表の挨拶を逃れようと、先生に直談判した。
「先生、わたくし大勢の前に立ってご挨拶などとてもできません。体調も優れませんので、辞退いたしますわ」
おそらく今日限りで使えなくなるであろう、病弱設定に最後まで縋ってみる。フレデリック様の後ろに立っている従者・ヴァンは私と知り合いだから、明らかに嘘をついている私を見て笑いを堪えていた。でも誰がなんと言おうとも今日まで私は病弱なの!
ありがたいことに、先生はすべてを察してすぐに了承してくれた。
「それでは殿下、テルフォード嬢の分まで代表挨拶をよろしくお願いいたします」
なにこの先生、空気読める! ジニー先生という若い先生は、地味だけれど優しそうなだけあって実際に優しかった。ただ、王子様がここにきてなぜか余計なことを言い出す。
「仕方ないですね。あぁ、でもそれではあまりに彼女に華を持たせられない。私と共に入場する、というのでいかがでしょう?」
「え?」
何言ってんのフレデリック様!?
もしかしなくても、みんなが揃った後に首席入学者として最後に入場することを言ってるの!?
やめてよ、目立つから! 華なんてもうあなたがいっぱい背負ってるでしょう? 余ってるからってくれなくていいから!
「ふふふふふ、ご、ご冗談を。わたくしは、皆様と共に殿下を見守っておりますわ」
「私のことはフレデリックと呼んでくれないかな。マリー」
ここでまさかの名呼びが発動。断れない王子様命令、やばい震える。
そしてすでに私を愛称で呼んでいるのはなぜ!? 意外と社交性のある王子様なのかしら。
「あ、ありがとうございます。フレデリック様……」
時間もあまりないので、私はフレデリック様と一緒に会場に向かうことに。でもそのとき、完璧な笑顔のまま彼はおそろしいことを何のためらいもなく言った。
「私の婚約者候補になりたくてがんばったんだね。少しでも私に近づこうと努力するなんて、かわいい人だ……君のことをもっと知りたいよ」
いやぁぁぁ! なにこのナルシスト王子! 全身がぞわっとして鳥肌が立つ。
今すぐその場から逃げ出したい、そんな衝動に駆られるけれど絶対にそんな不敬なまねはできない。我慢したわ! ぐっと唇を噛んで、愛想笑いを浮かべて我慢したわよ! 金輪際、近づかないでおこうと思った。
そうして始まった入学式は、まったく記憶にない。うまく歩けたかどうかも不明。ただ、王子ファンの女子たちから刺すような視線と嫉妬の嵐が私の全身に降り注いだことは覚えている……。