良薬が口に苦すぎる
マリーが眠る客室では、クレアーナがベッドサイドに座っていた。メアリーはまだカイムにご挨拶という名の交渉中である。
マリーが倒れてしまった昼からずっと付きっ切りで看病していたリサと交代したクレアーナは、日付が変わった深夜からマリーの様子がおかしいことに気づき早急に治癒師を呼びつける。
高熱でうなされていたはずのマリーの顔色がどんどん青白くなり、呼吸が少しずつ弱くなっている。頬や唇が乾燥し始め、血色も悪くなっていっていた。
「あの……」
優秀だが気弱そうな治癒師が、クレアーナにおそるおそる声をかける。が、彼女はまったく声が聞こえておらずマリーの手を握って苛立ちを露わにした。
「ああ~もうサレオス様は何をやってるのよ!?キャサリン先生はどうしたのよキャサリン先生は!まさか見つからないとかないわよね!?」
「あの……」
「何!?」
クレアーナの剣幕に治癒師の男がビクッと肩を震わせた。それに気づいた彼女は自分の八つ当たりに気づき、一言「ごめんなさいね」と詫びた。
「いいえ……あの……この状態は魔力切れだと思われるんですけれど……魔力回復薬を飲ませてみてはどうかと……すみません」
扉のところに立っていたカイムの従者・セダは、すぐに魔力回復薬を取りに別室へと向かう。オドオドした様子の治癒師の意見は採用されたようだった。
数分後、セダが魔力回復薬を大量に持って戻ってきたので、クレアーナはマリーの上体を起こしてそれを飲ませようと試みた。
が、瓶から直接口に流し込んでみてもほとんど飲み込めず、飲みやすいように細い管のついた水差しで飲ませてみても5分以上かけてわずか1本分、200ml程度を飲み込むのがやっとな状態だった。
治癒師の男によれば10本分は飲ませないとまずいというが、例え器具を使って喉を強制的に開いて飲ませたとしても10本分もの魔力回復薬飲ませるのはむずかしい。
マリーを再びベッドに横たえたクレアーナは、頭を抱えて叫んだ。
「あぁ~!もう他の方法はないの!?注射器で直接腕にぶち込むとか、点滴で流し込むとか!」
「「はぁ?」」
クレアーナの叫びに治癒師の男もセダも思わず疑問を浮かべる。この世界にない注射器と点滴のことを言われても、彼らには何のことだか理解できずにいた。
--ガタガタガタガタガタガタ……
そのとき、窓ガラスが徐々に揺れ始めて建物全体にもかすかな振動が感じられるようになる。
「何!?地震!?」
次第に大きくなる揺れに、クレアーナはマリーを庇うようにベッドに手をつき、セダは扉に右腕を伸ばしその場に片膝をつく。
治癒師の男はその場にへたり込んであたりをキョロキョロと見回している。数年に一回程度しかない地震がなぜ今起こるのかと、クレアーナは困惑した。ところがそのとき、セダが窓の方を見て叫んだ。
「ちがいます……これはサレオス様です!」
「はぁぁぁぁ!?」
クレアーナの叫び声とほぼ同時に、建物の一階からガラスが盛大に割れる音が次々と聞こえてくる。
使用人女性たちの悲鳴も響いていた。その後、揺れが完全に止まり10秒ほど静寂が続いたかと思ったら、慌ただしい乱暴な足音が廊下からだんだんとこちらに近づいてきた。
力を感知していたセダがすぐにその場を離れようとしたが、もう遅い。サレオスがその手で放った衝撃波により扉が派手に破壊され、セダと治癒師の男は飛んできた扉の下敷きになる。
「「うわぁぁぁ!!!!」」
「……」
クレアーナはマリーのそばで、ただその様子を呆気に取られて見つめていた。扉の枠から白い煙がうっすらと立ち上っている。
「マリーは!?」
駆け込むように部屋に入ってきたサレオスは、その手にどす黒い液体の入った細い瓶を握りしめていた。その顔には焦りが滲んでいて、すぐにベッドに視線を向ける。
「サレオス様!マリー様がっ!」
青白い顔をしてほとんど生気のないマリーの顔を見た瞬間、自力で薬を飲むのは無理だと判断したサレオスはその手に持っていた瓶のコルクを指で弾き、勢いよくそれをあおった。
(!?)
あまりの苦みとマズさに噴き出しそうになるのを必死で堪え、そのままマリーに覆いかぶさって口移しで薬を流し込む。床に転がった瓶からは、不気味な色の液体がわずかに流れ出ていた。
扉の下から這い出たセダと治癒師は、固唾をのんで様子を見守る。
((絶対あんなの飲みたくない……!))
マリーの身体がかすかに跳ね、喉が動いて薬を飲み込んだことがわかる。
サレオスは、薬を口に含んだときにはとてつもない味がしたのにすぐにその味が消えてしまったことに不安を覚えた。両手をベッドにつき、マリーの顔を見つめて状態をうかがう。
「マリー?わかるか?」
みるみるうちに血色がよくなったマリーは、瞼がピクリと動く。
「マリー、俺だ。目を覚ませ」
「う……」
サレオスが呼びかけると、マリーは瞳を閉じたまま眉間にシワを寄せて険しい顔になる。そして一瞬だけ目を見開くと、意識を取り戻したかのように叫んだ。
「うえっ……まずっ!!!!」
それだけ叫ぶとまた気絶したマリーだが、それでも顔色は良好でさっきまでの青白さはなくなっていた。
クレアーナは、すぐにメアリーを呼びに走ろうとする。が、扉の前にはすでにメアリーやカイム、アマルティアが駆けつけており、従者や使用人たちも数人が集まってきていた。
メアリーとリサが部屋に飛び込み、マリーのもとに駆け寄る。二人に突き飛ばされたアルフレッドが壁に頭をぶつけるが、誰一人として見向きもしない。
サレオスはマリーの髪や顔を大きな手で撫で、呼吸が安定していることを確認するとほっと息を吐き出して額を合わせた。
「マリー」
瞳は固く閉じられているが、とても安らかな寝顔で今にも目覚めるのではと期待してしまうほどだった。問いかけに返事はないものの、サレオスはマリーが助かったことを確信する。
「どうにか間に合ったか……」
その言葉に、様子を見守っていた全員が安堵のため息をついた。メアリーは胸の前で両手を握りしめ、優しく目を細めて立っている。リサは茶色の長い髪をおろしたままで、お仕着せではなく普段着のままその場に駆けつけていた。
「マリー様は……どうなったのですか?」
クレアーナがサレオスに尋ねた。ゆっくりと身を起こしたサレオスは、穏やかな笑みをかすかに浮かべて「大丈夫だ」と言った。
「魔術師に作ってもらった薬をマリーに飲ませた。じきに目覚めると思う」
「よかった……!」
脱力するクレアーナの肩をメアリーが抱きしめてさすっていると、扉の後ろからカイムが入ってきてサレオスの前に歩み出た。その姿は簡素なシャツを着ていて、黒いボトムにブーツという王太子らしからぬラフな格好である。
「おかえり~、間に合ってよかったね~!どうだった、魔術師の先生は」
「……」
眉根を寄せて思わず目線を逸らしたサレオス。カイムは何か言いたくないことがあったんだなと察し、そのまま明るく振舞った。
「お兄ちゃんも、こっちはこっちで大変だったんだけどね~?戦神最終形態が降臨して、かなりふっかけられちゃった~。まぁなんにせよマリーちゃんが無事でよかったよ!」
「はい」
「で?目が醒めたときって記憶はどうなってるの?」
カイムの言葉に、その場にいた全員がはっと息を呑む。
「……わかりません。無事である可能性は高いようですが」
眠っているマリーの顔を眺めながら、サレオスは兄に曖昧な返答を寄越した。無事であってほしいという希望が含まれた内容ではあるが、カイムは満足げに頷き、弟の肩にねぎらうように手を添えた。
「そうか。さすがに疲れただろう、いったん部屋に戻って休め。顔色が悪い」
しかしサレオスは首を縦に振らず、その場に立ったままマリーの寝顔を見つめている。
「サレオス、おまえ何分でここまで戻ってきた?そんなに蒼い顔をしていたら、マリーちゃんが目覚めたときにびっくりするぞ~」
「なら、ここで寝ます」
「えええ~も~わがままだなー」
これはここから動かないつもりだと悟ったカイムは、小さなため息をつくと、床に転がったままだったセダと治癒師を見て視線だけで起立をうながしそのまま彼らを連れて部屋を出ていった。
「あの~お客様……」
カイムたちが廊下に出たとき、従者のひとり・ロンに宿の支配人らしい初老の男性が申し訳なさそうに声をかけてきた。緑がかったアッシュグレーの髪をしたロンは、爽やかな笑顔をつくっているがその内心は「面倒ごとがきたな」と穏やかでない。
元々は国王付きだったロンは今年35歳で、三人の中ではもっとも古株だ。
この状況なら、支配人の用件を聞くまでもなく内容はわかる。
カイムに視線を合わせれば、同じくすべてを理解している王太子の爽やかすぎる笑みがあった。
そして従者の三人に向かい、にっこり笑って命令を下す。
「はい、宿の修理を早急におこなってちょうだい!サレオスがいっぱい破壊しちゃったからね~」
「「「……はい」」」
「あ、アルはコレ、魔力回復薬ね!君たちが本気でやれば、1時間かからずに修理が終わるよ大丈夫!」
「「「……カシコマリマシタ」」」
彼らが1階に下り、それぞれが魔法を使って壊れたガラスや扉、折れた柱などを次々と直していく様子を見て、クレアーナとメアリーは子供のようにはしゃいで「すごい!」と声を上げるのだった。




