ふっかつのじゅもん
「はぁっ……はぁっ……も、もう無理」
走り続ける私をどこまでも追ってくる白い靄は、ときに青白い光や薄紅色に変わり、とても悪いものとは思えない美しさで「あれ、これなら別に逃げなくてもいいんじゃない?」なんてことが頭をよぎる。
が、近づくと背筋がぞわっとするような感覚になるからやっぱりダメだ。どうにかして逃げなくては、と私は必死に走り続けた。
レオちゃんが言ってたように、ここは私の意識の中でしかないはずなのに、身体が熱くて息苦しい。どんだけリアリティある夢なんだと顔を歪ませるけれど、文句を言ったところで何にもならないのはわかっている。
どこまで逃げれば出口があるの?早くサレオスに会いたい。
その一心でひたすらに、暗闇の中を靄に囚われないよう駆ける。額や頬を伝う汗を手で拭い、永遠にも思える時間を過ごしていると、ようやく私の目の前に金色のノブがついた大きな黒い扉が現れた。
「お邪魔しまーーぁっす!」
戸惑う暇も考える余地もなく、藁にもすがる思いでそこに飛び込む。まぁ、私の意識の中なんだから、邪魔するも何もないんだけれど。
「ここは?」
扉を閉め、少し離れた場所で靄が入って来ないことを確認すると、真っ白いだけの部屋の中を見渡してみた。
部屋なのか、空間なのか、とにかく何もないからここが何なのかがまったくわからない。
今の私は安全であればもうどこでもいいと思っているから、しばらくの間その場にペタンと座り込んで体力の回復を待つことにする。
「一体いつ帰れるのかしら……」
座り込んで一人呟く私の声は、部屋の空気に溶け込んで消えていく。休憩していても暑いのは変わらず、息苦しさもまったくなくならない。
どうなってんだ、意識のくせになんでこんなに苦しいんだ、とうなだれていると、突然に女の人の声があたりに響いた。
「いらっしゃーい!待ってたわよ、マリーちゃん!」
パッと顔を上げてみれば、そこには長い黒髪がふわりと揺れる色白の女の人がいた。クリーム色のワンピースが似合う。
ぱっちりとした黒目はカイム様によく似ていて、私はさっき取り戻した記憶のおかげでその人が誰だかすぐにわかった。
「サレオスのお母様!?」
驚きのあまり目を見開いて叫ぶと、嬉しそうに微笑んだ彼女は私の正面に座り込んだ。
サレオスのお母様であるルキナ王妃は8年前に亡くなっているはず……。どう見ても24・5歳にしか見えないけど、亡くなられたのは30代前半って聞いた記憶があるわ。
「そうでーっす、わかってくれて嬉しいわ!ようやく来てくれたのねー!あ、私はあなたの中にあるルキナの思念体よ」
よくわからないけどすごく陽気!そして思念体ってなんだろう。目をパチクリする私の前で、ルキナ様はにこにこ笑っている。
足があるし陽気だし、幽霊じゃないのかしら。私の考えを見透かすように、ルキナ様は説明してくれる。
「幽霊っていうか、魔力で意識の一部を流し込んだの~。勝手なことしてごめんなさいね?ちょっとばかしリアルな遺言だと思ってちょうだい」
ちょっとどころか、私の意識の中とはいえこうして会話ができてるんだからめちゃくちゃリアルだわ。
目が点になっている私の前で、ルキナ様は頬に手を当てて首を傾げながらふふふと柔らかく笑った。
「マリーちゃんがトゥランに来たとき、すでに自分の命が長くないって知ってたのよ。南の国から広まった流行病でね」
話題と明るさの違和感がすごい!
あぁ、そういえばお茶会のときに少し咳き込んでいて、レオちゃんが心配そうな顔をしていた気がする。風邪だっておっしゃってたけれど、すでにそんなに悪かったのね……。
あのときのことを思い出してしゅんとしていると、ルキナ様はケラケラ笑って私の肩を叩いた。
「やだ~そんな顔しないで!でもね~、予想より一年も長く生きられたのよ?レヴィンくんが掘ってた穴から湧き出た温泉のおかげで!あのときは噴出しなかったのに、じわじわ来たみたいで2ヶ月後に温泉が噴き出たのよー!!」
「はぁぁぁ!?」
あの子、温泉なんて掘ってたの!?ずっと穴掘ってると思ってたら、まさかの温泉発掘に挑戦してたなんて!
テルフォード領にも温泉はあって、あの頃レヴィンはかなり気に入ってたのよね。うちの領でも温泉掘りまくったんだけれど、結局三ヶ所くらいしか当たらなかったわ。むずかしいのよね、専用の探知機とかないから。
「硫黄泉だったからちょっと異臭騒ぎになっちゃったけれど、身体にはよかったわ~!たった1年の延命かって思うかもしれないけれど、サレオスが笑う顔も3回くらいは見られたし満足よ」
「サレオスは1年で3回しか笑わないんですか!?」
思わず叫んだ私を見て、ルキナ様はうふふと上品に笑った。
「あらやだ話が逸れちゃったわね。ええっと、私なんだけどね?カイムとサレオス、それにマリーちゃんに会ったときに、魔力に意識の一部を混ぜてあなたたちの体に流しておいたの。その結果が今のコレね?」
世間話のように笑いながら話しているけれど、それってけっこう重要なことなんじゃ……。そういえばお茶会をしたときに、額に手で触れられたような。
でもなんで私?
「ふふふ、びっくりするわよねー!#思念体__わたし__#は魔力が本当に限界まで枯渇したら現れるようになってるんだけどね、二人の息子のうちどちらかが私を認識してくれればと思っていたのにちょっとした誤算があって~」
「誤算?」
「二人ともディルの血を引いてるから魔力が多すぎて枯渇しないみたいなのー!私ったら自分の感覚で術をかけちゃって、まさか二人とも魔力が多すぎて一度も枯渇しなくて思念体に会えないなんて誤算だったのよー!」
「えへっ」と首を可愛く傾げるルキナ様。私はどうしていいかわからず黙って話を聞いていた、というか聞くしかない。
「私の実家は北の国なんだけれど、他人の意識に干渉できる魔術師の家系だったの。だからこういうことができたんだけれど、私の魔力量だと子供にしか術が使えなくてね~。
ここぞとばかりにマリーちゃんにもね?一応って感じで、保険みたいな、だったんだけど、まさかそれが役立つなんてホントよかったわー!」
パチパチと手を叩いて喜んでいるルキナ様は、少女のように可愛らしい。明るすぎる気がしないでもないけどね!?
サレオスのお父様が北の国から連れて帰ってしまうのも分かる気がするわ。
「私は自分が亡くなった後のことが心配でね~。ディルは多分抜け殻みたいになるだろうし、サレオスはまぁあんな感じだし、カイムは後継ぎの役目をまっとうしようとして無茶するだろうし……。
それでね、いつか時が経って心が落ち着いた頃にでも手紙を贈りたいと思って、その隠し場所をあなたたち三人の中に#思念体__わたし__#で遺そうとしたのよ」
「手紙?」
「そう、子供二人が成人したら一緒に飲みたいってディルと話したお酒と三人に宛てた手紙を……王城の地下通路の途中にある部屋に隠したの。きっと私が亡くなってすぐじゃ冷静に受け止められないと思って。お願いマリーちゃん、その場所をディルか息子たちに伝えて」
な、なんて重大な役割をぽっと出の私に遺してくれたの!?愕然とする私の前で、やっぱりルキナ様はにこにこと笑っている。まるで緊張感がないところがカイム様にそっくりだわ、と心の中で思った。
「いい?あなたが無事にあっちに戻れたら、絶対に伝えてね?」
「わ、わかりました!」
ええい、こうなったらちゃんと伝言を聞くわ!サレオスに伝えてみせましょう、お義母様!
私が決意した瞬間、目の前のルキナ様はいきなりホワイトボードのようなノートサイズの板をどこからか取り出し、書かれている文字をこれまた謎の指し棒でなぞり出した。
「はい!地下通路7番から入って右左右と進んで、第7門をくぐるとある武器庫の中です!合言葉は『けしそにおえけししかそつおにおつ』です、はい、覚えましたか!?」
「はぁぁぁぁぁ!?」
なにそのファミコン時代のふっかつのじゅもんみたいなやつ!なんでそんな長いの!?サレオスなら覚えられるかもしれないけれど、私の記憶力でいけるかしら!?
目も口も全開にして唖然とする私に向かって、ルキナ様は右手の拳を握りしめる。
「マリーちゃん!家族の絆があなたにかかってます!」
いやぁぁぁ!なんで追い詰めるようなこと言うかな!?
これを必死で覚えることで、今さっき思い出したばかりの記憶が2、3個消えそうだわ!
「もっと普通に、誰かに遺書を託すとかできなかったんですか!?」
覚えられるか不安で早くも根をあげる私に対し、ルキナ様は少女のように微笑んだ。
「えええー?だって何事も面白い方がいいじゃない!遊び心が欲しかったのよ~」
うん、度が過ぎる。そういうのは余裕を持ってやってほしい!
ってゆーか、国王陛下も陽気な人だったはず、ルキナ様もこんな感じなのに、なぜサレオスはあんなに落ち着いているの?
じぃっと見つめていると、心の中がダダ漏れだったのかシンプルな答えが返ってきた。
「ふふっ、サレオスはディルの方のおじいさま似よ!」
「へ、へ~……」
そして、満面の笑みを浮かべたルキナ様はこう言った。
「さ!がんばって覚えてね!あんまり時間はないわよー?」
「ふぐっ……!が、がんばります」
私はそれから必死で、ふっかつのじゅもん(?)を暗記した。




