記憶の断片【後】
マリーがストークスホルンにやってきて3日目。
この日はサレオスの部屋で、二人は仲良くままごとをしていた。そう、見た目にはほのぼのとした普通のままごとである。
「私はお医者さん!レオちゃんは病院に来た人ね。痛い感じでお願いね」
マリーはふわふわのチュールドレスの上に、真っ白いエプロンをして長椅子の上に座っている。そしておなじ長椅子に座るサレオスは、ひじ掛けに背を預け、患者役をさせられていた。
使用人たちはくすくすと笑い、二人の様子を温かく見守っている。普段はひとりで本を読んでいることが多い無表情な王子様が、まるで人形のような愛くるしいお嬢様とままごとをしているのだから、使用人の視線は生温かい。
サレオスは居心地の悪さを感じつつも、黙って長椅子に座っていた。お医者さんになりきるマリーは、ご機嫌でままごとを進行する。
「レオちゃん!も~、あなたって子は、アンデットタイガーを倒しに行って足を石化されるなんて困った子ね~」
(おい、重傷すぎるぞ。治るのかそれは)
「大丈夫よ、痛くない痛くない!お薬を塗って治しましょうね~」
(は!?魔法じゃなくて塗り薬で治るのか!?)
左足の脛にタオルをぐるぐると巻きつけられたサレオスは、一言も発していないがその目は雄弁に語っていた。
薬に見立てたキャンディの缶を開けたマリーは、医者になったつもりでサレオスの脚に薬を塗る仕草をする。タオルの上から塗ってるぞ、と細かいことを気にするサレオスに対し、マリーは無視してそのまま続ける。
「本当に無茶ばかりしてー。いいですか?まず守りを固めてから風の壁をつくりあげて一気に攻撃するって言ってるでしょう?」
「マリー、その作戦はなんだ?」
「いつもお祖父様が教えてくれるのよ?お母様のパパ」
(孫に何を教えてんだじぃさん……)
初めて言葉を発したサレオスに向かい、マリーはぷりぷりと怒るふりをする。
「ちゃんと聞いていないと、命がいくつあっても足りませんよ!」
「俺は別に」
「はい!言い訳と寝言は死んでから言えっていつも教えています!」
「死んでから言ったらもうそれ寝言じゃない」
マリーの不思議なままごとは、そのまましばらく続いた。サレオスはだんだんと慣れてきて、相槌を打つタイミングも覚えてそつなくままごとをこなす。
使用人たちが笑っているのは気になるが、マリーが楽しそうなので、呆れつつも悪い気はしなかった。
ひとしきり治療らしきものが終わったら、マリーはテーブルに置いてあった四角い箱を持ってフタを開ける。そこにはパンやおかずが詰め込まれていて、お弁当のように見えた。キャンディ缶の薬と違い、こちらは本物である。
「はい、お昼ごはんですよ!食べさせてあげますからね~」
そういうと、フォークに突き刺したトマトをサレオスの口元に運ぶマリー。眉間にシワを寄せたサレオスは、口を開かずにじとっとした視線をマリーに送る。
「まさか、マリーが一回ずつ食べさせるのか」
「そうよ?」
マリーは大きな目をぱちくりさせて、何を当たり前のことを聞いているのかという風な顔をしている。サレオスは両手をマリーの目の前でひらひらさせて、手が自由であることを示した。
「あのさ、石化されているのは足だよね?手はケガしてないんだから自分で食べるよ」
「だめっ!お母さんが食べさせてあげますっ!」
「医者じゃなかったのか。急にお母さんが出てきてるぞ」
「途中で変わったんです~。気づかなかったの?レオちゃん」
(うん、全部マリーだからね?喋り方も何もかも、そのまんまマリーだからね?)
「はーい、あーんしてくださいっ」
「……」
サレオスは迷った。が、マリーは当然、差し出したフォークを引くことはない。
少年は眉根を寄せつつも、出されるがままにパンや野菜を口に放り込まれていった。人にものを食べさせてもらうというむず痒い感覚を抱きながらも、おままごとの食事は進む。
マリーは嬉しそうに笑い、満足したように見えた。
「いっぱい食べてえらいですねー!」
終始にこにこしたマリーの前で、サレオスは口の中のものを飲み込むと、ふと疑問に思ったことを尋ねる。
「マリー、俺はこどもという設定なのか?一体いくつなんだ」
「せってい?」
「だから、子供ならアンデットタイガーを倒しになんて行かないよね。だから大人だと思うんだ。でも大人ならお母さんにごはんを食べさせてもらうのはおかしい」
「えー?」
サレオスは咄嗟に考えた。もしも自分が大人であって、手が自由に動くのに母親に食事を食べさせてもらっていたら気持ち悪いんじゃないだろうかと。しかしマリーは想定外の質問だったのか、首が完全に肩に並ぶくらいに曲がってしまうほど傾けて悩んでいる。
「そんなに悩むほどのことか?」
あまりに悩んでいるマリーを見て、サレオスも混乱した。もう別に何でもいいか、とも思う。小さな二人のやりとりに、使用人たちもまた首を傾げていた。
そんなとき、マリーが突然思いついたように声を上げた。
「じゃあお母さんじゃなくてお嫁さん?」
「う~ん、そうだね、それならまだ無理はないかな」
「えへへ、私レオちゃんのお嫁さん?」
両の手を頬に当てて少し照れたように笑うマリー。それを見た使用人たちは、その愛らしさに思わず目を細める。
「じゃあ私、かわいいお嫁さんにならないとね~」
「だね」
「あれ、でもお友達でお嫁さんになれるの?お医者さんにもならなきゃだし、忙しいわ」
真剣な顔をして悩みだすマリーに、サレオスは少し考えた後に腕組みをしながら答えた。
「そうだなぁ、第二王子の妃なら医者は無理だな」
トゥランでは結婚した後も仕事をする女性はほとんどいない。まして王族の妃ならなおさらだ。それを聞いたマリーは、きょとんとしている。
「レオちゃん、がんばればなんとかなゆわ」
「そうだろうか」
(今、噛んだな……)
しばらくニコニコしていたマリーだったが、またせっせとランチボックスの二段目を広げ、今度はお嫁さんごっこを始めた。
「はい、あなた。あなたが好きな巨大バッタのからあげですよ~。あーんしてください!」
「……マリー、ごはんの名前変えない?これ、どう見ても鶏の焼いたやつだよね。もっと食べる気になる料理にして」
◆◆◆
イリスが予定を調整したことにより、サレオスは7日間のほとんどの時間をマリーと一緒に過ごした。
街にお土産を買いに行ったり、サレオスの母や兄を交えて茶会をしたり、二人は友人と呼べるくらいに仲良くなった。
王城の地下通路の探検にも出かけ、そのときにはマリーが転んだ拍子に数百年前に失伝した隠し部屋を見つけてしまい大騒動になる。
「まぁ!さすがはマリーちゃんね!」
メアリーは大笑いして喜んでいたが、隠し部屋からは人の心の闇を肥大化させる強力な魔法石が発見され、サレオスの父親であり国王のディルはその扱いに苦慮する。
「これどうします?」
漆黒の光を放つ魔法石、通称・魔王の魂を前に国王付きの秘書は悩む。
茶色の短い髪に柔らかい笑い顔、目尻のシワがイケオジなこの男はイリスの父親だ。手のひらサイズの魔法石は怪しげな光を放っているが、現状実害はないと判断された。
素手で持っていられるのは、この秘書の精神が安定しているからであり、心が病んでいる者が触れるとたちまち石の魔力に侵されて精神が狂ってしまう危険なものだ。
魔王の魂をじっと見つめていた国王は、少し悩んだ後、諦めたような声色で適当に返事をした。
「あ~もう、うちのテーザくんに任せよう!あいつ、魔力分解や無力化が得意だったろ?ルレオードの第五塔に運んでおけ」
「かしこまりました……が、嫌がると思いますよ~あんまり能力を使いたがらないですからねあの方は」
そしてその結果、存在自体がしばらく忘れ去られることになる……。
◆◆◆
サレオスの父は、親友であるアランに「マリーを息子の婚約者に」と酒の席でしつこく粘った。
王妃もマリーのことは「膝に乗せて撫でまわしたいくらいカワイイ」と気に入っている。
しかし結局最後までアランが首を縦に振ることはなかった。が、帰り支度の中に、いつのまにか婚約申込書と届出書などの書類一式がしっかり収められていたのに気づくのはアガルタに着いてからのことだった。
別れ際、マリーはサレオスと離れたくないと大泣きして父を困らせた。娘に甘い父とはいえ、他国の王子を連れ帰ることなどできない。しかもマリーが懐いたことで「冷めたクソガキ」だと6歳児に大人げなくライバル心を燃やしていた。
「マリー、殿下とはここでサヨナラだよ。さ、ちゃんとご挨拶して」
いつまでもぐすぐす泣いているマリーを宥める、というよりさっさと連れ帰りたいアランはここでも大人げない対応をみせる。カイムはそれを見て大笑いし、「将来マリーちゃんは大変だね!」とサレオスに向かって話しかける。
「レオちゃん、もう会えないの?さみしい」
別れの握手としながらマリーがそういうと、サレオスは放した手でマリーの頭を優しく撫でた。そして、相変わらずの無表情で、でも幾分柔らかくなった瞳でマリーを見つめながら言った。
「マリー泣かないで。多分もう会えないけど元気でね」
あまりに現実的なその言葉に、国王夫妻やカイム、そして誰よりサレオスの変化を喜んでいたイリスは愕然とした。
(もっと言い方があるでしょうよ!?)
ところがマリーはピタッと泣き止んで、少し考えながらサレオスに向かって笑いかけた。
「う~ん、そっか。わかった」
(えええー!?)
全員が目を見開いて注目する中、さらにマリーは続ける。
「レオちゃんがさみしくなって、マリーに会いたくなったらアガルタに来てもいいよ!」
「……多分ならない。大丈夫」
「それは残念だわ~。でも仕方ないかぁ」
「うん、ありがとう」
「どういたしまして、だわ」
噛み合っているようで噛み合っていない会話で終了し、しかもなぜか互いに納得したような様子を見せる二人に周囲は困惑する。
ただ一人、マリーとの縁談をもう決まったものと思い込んでいる国王・ディルだけが、カイムによく似た明るい笑顔で「マリーちゃんまたね!」と言っていたが、アランは無視して娘を船に乗せるのだった。
最後に一言だけでも、と様子をうかがっていたアルフレッドはそのまま忘れ去られることになる……
レヴィンからは「温泉が湧くかちゃんと見といてね!」となぜか命じられて。




