記憶の断片【中】
マリーがトゥランにやって来て二日目。サレオスは従者見習いで16才だったイリスと共に、マリーと親交を深めるという名の子守りをさせられていた。
湖を見たいというマリーを連れて、三人は王城の敷地内の森を歩く。ウサギやリス、猫のような魔物のこどもを見つけてはすぐに駆け寄るマリーに、サレオスはすでに「普通の令嬢じゃない」と察し始めていた。
「レオちゃん!おっきいてんとう虫がいるー!」
「そうだね」
「ねぇねぇ、この樹はいい盾になりそうだわ」
「……そうだね?」
「あ、こっちは毒消しのお花も咲いてるー!わぁ、あっちはパイに混ぜる草があるわ。お城の中なのに食べられる草がいっぱいあるのね~」
「そうだね……ってちょっと待て、草を食べるのか!?」
早くもお決まりの返事から脱線してしまったサレオスは、めずらしく感情を露わにしてマリーに尋ねる。対してマリーは大きな茶色の目でサレオスをまっすぐ見つめ、何がおかしいのかときょとんとしている。
「おじいさまと魔物の素材集めに行ったら、草を小麦に混ぜてパイを焼いたりスープにしたりするわよ。レオちゃんはお野菜嫌いなの?」
(そこじゃない!野菜嫌いっていう問題じゃない!だいたい魔物の素材を集めに行くな)
マリーはまたニコニコしながら、「お野菜食べなきゃ大きくなれないのよ?」とお姉さんぶっているが、同世代よりは小さめの彼女がいっても説得力に欠ける。
両親の教育方針で、自由奔放・危険上等といった規格外のマリーに翻弄されるサレオスを見て、イリスはつい何度も笑ってしまいそのたびに睨まれてしまった。
森の中を歩いて30分ほど経つと、湖が見えてきた。キラキラと太陽が反射して光る、透き通るターコイズブルーの湖にマリーは興奮した様子だった。
ところがしばらく湖を見てはしゃいでいると、なぜか突然ドレスのまま近くの木に登りはじめる。
「こら、マリー。あぶないぞ」
器用に枝に足をかけてどんどん高いところに登っていくマリーに、サレオスは真下で忠告する。
「上から見たらまた違う風に見えるかと思って」
太い枝に座り足をぷらぷらさせながら、マリーは満面の笑みを見せる。
イリスは困った顔を浮かべているが、あくまでここはサレオスに任せるつもりで二人の様子を見守っていた。
しかし湖を眺めるのに退屈したマリーは、枝の上にスッと立って突然飛び降りようと膝を屈めた。
「今から鳥さんごっこしよう!レオちゃんと私、鳥さんね!」
突拍子もない提案に、サレオスの眉間にシワがよる。
「何をするんだ?」
「え?鳥さんになるの。飛ぶの」
そういうとマリーは、勢いよくジャンプした。
「いくよー!鳥さんイェーイ!」
「「はぁ!?」」
サレオスとイリスは驚きすぎて目を見開き、慌ててマリー様の着地点に走る。
--ズボッ!!
二人がマズイと思ったときには、葉がたくさん茂った植え込みの上にマリーは落ちていた。
(はぁぁぁ!?アガルタではどんな遊びが流行っているんだ!?)
サレオスは絶句して、慌てて植え込みをかき分ける。
「きゃははははは!」
植え込みに埋もれたマリーをイリスがひっぱりだし、髪や服についた葉を1つずつ取った。ケガはないようで一安心するも、子供らしくないサレオスとの差がすごすぎて動揺のあまりどうにも言葉が出てこない。
楽しそうに何度も登り下りするマリーに、サレオスは「危ない」といって次第に着地を風魔法で補助するようになる。
何度か繰り返すと、いつまでも見ているサレオスにマリーが声をかけた。
「レオちゃんもやってみて!楽しいよ!」
サレオスはするすると木に登り、マリーより高い場所から飛び降りたが、風魔法を使ってふわりと着地した。
「これはこれで普通じゃないな……」
イリスの呟きは、マリーの歓声にすぐにかき消される。
「すごーい!レオちゃんすごーい!」
感動したマリーがパチパチと手を叩いて喜んでいた。褒められたサレオスは、初めて子供らしく少し嬉しそうな顔を見せる。
(サレオス様が子供らしい顔を……まんぞらでもない感じだ!マリー様ありがとうございます!)
従者の喜びを察知したサレオスは、振り返るとすぐまた無表情になり、冷たく睨みつけた。
「イリス気持ち悪い」
「そんなことないですよ、いつも通りです」
こんなやりとりをしているうちに、また飛び降りようとマリーがさらに上に登る。それに気づくのが遅れた二人は、慌てて上を見上げるともうマリーは飛び降りるところだった。
「鳥さんイェーイ!」
「マリー!」
ーーバシャーン!
マリーは湖の浅瀬に飛び込んでしまった。イリスはぎょっとしてすぐに湖に入り、マリーの姿を探す。夏とはいえ湖の水は冷たく、しかも6才の貴族令嬢が泳げるとは誰も思わない。サレオスまでが湖の中にずぶずぶ入り、マリーが落ちたあたりに向かう。
「マリー様!マリー様!?」
イリスはかなり慌てていたが、その心配も虚しくあっという間にぷかぷかと白金の髪を湖面に浮かせたマリーが浮上した。
「ぷはっ!落ちちゃった~、しっぱーい!」
水深ギリギリの身長であるにも関わらずまったく慌てることもなく、波紋の中心にいるマリーはご機嫌に笑っている。「ちょっとつまずいちゃったわ」くらいのリアクションなのが理解できず、イリスは呆気に取られる。ずぶ濡れで笑うマリーをしばらく見つめていると、突然彼女が驚きの声を上げた。
「あ!イリスさんもレオちゃんも、なんで水に入っちゃってるの?」
「……マリーが落ちたから」
サレオスの声色は苛立っていて、これもまためずらしいとイリスは主人を凝視する。
「えええ!?だめじゃない、レオちゃん濡れちゃったよ~」
「おまえもな」
「も~。あんまり心配させないでよね~!」
ぷかぷか浮きながら頬をぷくっと膨らませているマリーを見て、サレオスは大きなため息をついた。
(この数時間で、サレオス様の感情の振れ幅は数年分か?)
イリスはとにかく二人を抱えて陸に上がり、もう一度ケガがないか確かめようとする。が、それより先にマリーは水を吸って重くなったドレスのスカートを自分でぎゅっと絞り、額に張り付いた前髪を横にかき分けた。その間にもサレオスは自分自身に風魔法をかけ、湖に入る前の状態に戻していた。
(主人の能力が高すぎて、従者のすることがない……)
それを見たイリスは、苦笑いを浮かべつつマリーのそばに寄る。
「マリー様、じっとしてくださいね」
「はぁい」
そう言った瞬間、サレオスが二人の方に手を翳し、瞬時に全身を乾燥させた。 しかも風魔法でなく水魔法を使って余計な水分だけを取り除いたことで、マリーの着ていたドレスの柔らかく繊細な生地は傷一つついていない。
「うわぁっレオちゃんすごい!天才ね!ありがとう!」
呆気にとられるイリスのそばで、マリーはきゃっきゃと声を上げてはしゃぎくるくると左右にまわってみせ、フリルやリボンがふわりと揺れる。サレオスは礼を言われて嬉しそうに笑った。
(笑った!サレオス様が笑ってる!)
まるで出番はなかったものの、無表情が基本の主人が子供らしく笑ったことがイリスには何より嬉しく、破天荒なマリーに感謝した。
「よかったですね、サレオス様」
片膝をつき目線を合わせて微笑むイリスに、サレオスはまた不機嫌そうに目を細める。
「……何がだ」
「何がでしょう?」
問いかけに答えずただ嬉しそうにニヤニヤする従者を無視し、サレオスはマリーの手を引いて城への道を歩き出した。
一方その頃、レヴィンのお守りをさせられていたアルフレッドは……
マリーたちとは反対側の森の奥で、なぜか2歳のエレーナを肩車して髪の毛をブチブチとむしられていた。
その近くにいるレヴィンは護衛リーダーのデンに見守られながら、風魔法で竜巻を起こし穴を掘っている。
おとなしく遊んでね、という母からの言いつけを守って、ひたすらに温泉を掘っていた。




