魔術師は笑う
アガルタの王都にほど近い荒野で、二頭の馬が文字通り風を切るとてつもないスピードで砂煙を上げていた。
エルリックは、前を走るサレオスに堪らず声をかける。
「サレオス様!馬がもちません、速度を落としてください!」
倒れたマリーがすぐに高熱を出し始めたことで、二人は記憶を封じ込めた魔術師キャサリン・メリュジーヌがいる王都に向かって出発した。
一人で行けば15分ほどで到着できるというサレオスに対し、初対面の者が行っても相手にしてもらえない可能性があるということで、彼女と面識のあるエルリックがついていくことに。
急ぐあまりスピードを出し過ぎるサレオスをどうにか宥めようと奮闘するエルリックだったが、内心かなり焦っていた。
なにしろキャサリンと最後に会ったのは5年以上前のことで、彼女は気難しく、人の好き嫌いが激しい。気に入られなければ隠れ家の中に招かれることもなく門前払いされてしまうことを知っていたからだ。
(何事もなくマリー様を治す方法が分かればいいんだが……でもキャサリン様だしなぁ。サレオス様みたいなイケメンを連れて行ったら……嫌な予感しかしない)
風邪でもなく、治癒師にも無理だと言われたマリーの高熱の原因は、間違いなく記憶を取り戻す過程で起こっているもの。
熱を下げる方法を魔術師なら知っているかもしれないと期待する反面、それでも後遺症や何かしらの不調が出てしまわないかと不安に駆られる。
サレオスは、熱に浮かされときおり苦しそうに声を上げるマリーを見て、どうにかして助けたいと思った。
心身に異常をきたすくらいなら、自分のことなど忘れてくれてかまわない。そう思い必死で王都まで馬を走らせる。
(生きてさえいてくれればどうにでもなる。また最初からはじめればいい)
それと同時に、こうも思った。もし記憶がなくなれば、他の男に惚れないように絶対に外には出さないで、ルレオードの邸でひっそりと暮らさせようと。
キャサリンの隠れ家は王都の外れにあり、普段は人があまり寄り付かないほど寂れた場所にある。
家はたくさん建ち並んでいるが、空き家も多く、まっとうな人間は住みたがらない地区にあった。マリーの父親であるアランがキャサリンを招いたのだが、貴族街よりもこのような寂れた場所の方がいいと本人が希望したことでこんなところに住んでいる。
精神に関与できる魔術師は古くから忌避される存在。キャサリンは表向きは薬師やまじない師として生計を立てていて記憶を操作できることは一部の者にしか知られていない。
国によっては禁術にも値する行為だけに、ずっと秘かに隠れ住んできたのだった。
マリーはキャサリンのことを普通の医者だと思っていたが、普通の医者はこんなに寂れた場所を好まない。それに、蔦が這うコケだらけの小屋を診療所にしたりしない。
「ここが?」
不審極まりない緑に覆われたこじんまりした一軒家で、異様な数の結界が張り巡らされていることからサレオスは思わず眉間にシワを寄せた。庭先には青や黄色の名もない花が咲き、白い小鳥が何羽も戯れているが、人が住んでいる気配はない。
しかし迷っている暇はなく、呼び出し用の鐘をすぐに鳴らした。
--ギィ……
鐘を鳴らすと数秒経って木の門が勝手に開いた。サレオスはエルリックと共に中へと入っていく。玄関の扉も勝手に開いたので、躊躇せずに家の中へと足を踏み入れた。
家の中には瓶やケースに入れられた無数の草木、動物の骨、薬らしきものが入った小さな壺がたくさん置かれていた。
さらにずらりと並んだ手のひらサイズの人形たちは、まるで生きているように精巧で気味が悪い。
「久しぶりね~エリー。何か御用かしら?」
丸いテーブルの上にはティーセットと菓子、そして分厚い本。その傍らには、ふわふわとした金髪の長い髪の美女がいた。どう見ても30代にしか見えないが、これで72歳だというから魔術師は恐ろしいとエルリックは会うたびに思う。
キャサリンは赤い瞳を柔らかく細め、ニコニコとしている。そう、表面上は。
「お久しぶりです、キャサリン様……実はマリー様のことで早急にお尋ねしたいことがあり」
「ふふふ……記憶が戻ったんでしょ。さしずめ今は高熱にうなされでもしているのかしらね」
すべてお見通しといった風のキャサリンは、黒い長袖のワンピースを腕まくりすると、やかんに魔法で水を溜めると火にかける。
最初からお湯を出した方が早いのだが、そんなことを言うとすぐに機嫌が悪くなると予想されるからエルリックは黙っていた。
しばらく沈黙が続き、しびれを切らしたサレオスが口を開く。
「魔術師の方に、どうにかマリーを助ける方法を教えていただきたくて来ました」
するとキャサリンは今気づいたかのように、サレオスのことをじっと見つめた。
「あら、随分ときれいな男の子がいたものね。その黒髪はトゥランかしら」
サレオスのすぐそばまで近寄ったキャサリンは、じろじろと不躾な視線を遠慮なく向け、しばらくするとにっこり笑って話し出した。
「へぇ……いいわよ、マリーを助けるために薬を作ってあげる」
キャサリンの言葉に、サレオスは目を見開き詰め寄った。
「薬で治せるのか!?」
「記憶が急に戻ったせいで、マリーの身体には行き場をなくした魔力がこもってしまっているわ。あと一週間もすれば馴染むでしょうけれど、それまであの子の精神力が保てるかどうか」
悲痛な面持ちのサレオスを前に、キャサリンは不敵な笑みを浮かべて話を続ける。
「私が二段階で魔術をかけたんだけれど、熱が出てるってことは二段目は発動しなかったということなの。発動してれば全部記憶が飛んじゃうんだけれど、それでも二時間程度で目覚めるはずよ。もちろん熱も出ない」
「その……こもった魔力を俺が吸い取ることはできないのか」
サレオスが最短でマリーを助けようと策を口にする。が、キャサリンは二ッと口角を上げると、左右に首を振った。
「人間一人が吸い取れる量じゃないわ。たとえあなたが噂の「魔王の器」でも……ねぇサレオス殿下?」
なぜそれを、とエルリックが口にする前にキャサリンはサレオスの頬を指でなぞり、妖艶な笑みを浮かべた。
「ふふふ、遠くからすごい魔力の塊が突っ込んでくるからびっくりしたわ。こんなに驚いたのは50年ぶりくらいかしら。まさか目的地がここだとは思わなかったけれどね?」
「……」
「あなたはマリーを助けたい。私は薬が作れる。というわけで、交換条件で行きましょうか」
「交換、条件?」
眉根を寄せつつもまっすぐにキャサリンの瞳を見つめるサレオス。濃紺の瞳には、意味深に微笑む魔術師がひとり映っていた。
「ええ。簡単なことよ。あなたのその身体を貸してほしいの……」
にやりと口角を上げたキャサリンは、突然叫び声をあげながらサレオスに胸に飛びついた。
「きゃあああ!近くでも見てもかわいい男の子だわっ!もう一目見たときから気に入ったの~!お願い、人形作らせてっ!」
「は!?」
「大丈夫!痛いとかないから、魔法で型を取って、12時間くらいで作れるから~!ね?いいでしょ!?美少年人形作りたいのよー!」
「人形 って……12時間だと!?そんなにかけたらマリーが!」
「あぁ、マリーちゃんなら多分24時間は大丈夫よ、心配しないで。あぁ~この陶器のような肌、涼やかな目元……そして均整の取れた体躯!いいわ、最高のモデルよ!」
頬や肩にベタベタと触り、腕を絡ませるキャサリンにサレオスは顔を引き攣らせる。
「警戒しなくても大丈夫、私はね、人形が好きなの。あなた自身には微塵も興味がないから無理やりどうこうしようなんて思ってないわ!」
「すでに無理やりだと思うが」
「あら、だから交換条件を提示してるじゃない?それとも私が体で払った方がよろしいかしら?60歳を抱く趣味はある?」
「絶対やめろ、それになぜ今サバ読んだ」
「さ、今すぐ型を取るわよ~!あ、ついでに薬も」
「ついでにするな!薬をメインで作れ!」
「えええ~もう若者ってせっかちねぇ。年寄りの言うことを聞いておくものよ?どうせあと70年くらいしか生きられないんだから私」
「いくつまで生きるつもりだ」
「はい、しゃべってる時間がもったいないわ!エリー、お茶入れて。あ、レモンは庭にあるから取ってきてね。さぁ、サレちゃんはこっち」
問答無用でサレオスの腕をとり、奥の部屋に連れていくキャサリンは少女のように瞳を輝かせていた。
よく見ると棚に並んでいる人形はどれも妙にリアリティがあって精巧すぎる。サレオスは嫌な予感がして腕を振りほどこうとするが、すでに謎の金色の糸がしっかりと絡まっていて逃げられない。
「おい、まさかと思うが……」
「やだ~、全部脱げなんて言わないわよ!」
「脱げって……!?全部じゃないってどこまでだ!?」
「も~それは型を取り始めてのお楽しみっ」
「ちょっと待てとにかく薬を作れ!」
「はいは~い、あと12時間後には出来上がってるわよ」
奥の工房へと強引に連れていかれるサレオスの背中を見て、エルリックはただそっと手を併せて無事を祈った。
(どうかご無事で……多分、死ぬことはないです。ちょっと魔力取られて、髪の毛二・三本抜かれて、土魔法で全身くまなく採寸されてメンタルやられるだけで)
エルリックは10年前のことを思い出す。あのときの被害者は、マリーの父親であるアラン。そしてメアリーの兄だった。
魔力で型を取られるときに、まるで素手で触れられているような感覚になるらしい。それを知っているエルリックは、ただ無事を祈り、部屋の片付けをするだけである。
その後、ぐったりしたサレオスがキャサリンから解放されたのは10時間も経った後のことだった。




