母の到着
港町バナンの高級宿では、倒れてしまったマリーが早急に客室に運び込まれ、急遽呼ばれた治癒師が懸命に介抱するものの一向に目覚める様子はなかった。
宿についていたイリスはすぐにマリーの母親に連絡を取ろうとしたが、ここからテルフォード領までは最短でも2日かかる。
「この中で一番速いの誰ですか?」
イリスのこの一言は、カイムの従者である三人に向けられていた。
黒髪短髪で童顔、自称かわいい系担当の従者・セダ、そして緑がかったアッシュグレーの髪をしたロン、この二人は即座に同じ方向を指差した。
「……くそっ!」
指をさされた長身のアルフレッドは、カイムに助けを乞う視線を送るもにっこり笑って顎で「行け」と命じられる。
「アル、死ぬ気で走ってね~!」
主に命じられれば従うほかはない。その結果、わずか6時間でテルフォード領に到着し、邸で娘とまったり食事中だったメアリーに事情を話して共に馬に乗り、また6時間かけて休みなく駆け続ける地獄の耐久レースをすることになった。
再びバナンに戻ってきたころ、アルフレッドは魔力切れ寸前で肩で息をしていた。
「ちょ……もう……死ぬ……」
いつもは濃い茶色の髪をかっちりオールバックにしているアルフレッドだったが、今回ばかりは風魔法の起こす暴風によりところどころ髪が乱れ、凛々しい黒い瞳からは生気が抜けている。
魔力切れで限界に達した結果、玄関先でそのまま倒れてしまったアルフレッドは両足をメアリーに持たれてずるずると引きずられ、マリーの部屋がある2階へと戻ってくることとなってしまった。
170センチの細身の女性が、190センチ近くある男性を引きずっている様子は多くの注目を集めた。彼がズタボロで擦り傷まで作っている原因は間違いなくメアリーに引きずられたからなのだが、侍女も使用人も誰もそこには触れようとしない。
階段で頭をガンガン打って目が醒めたアルフレッドは、自分の足を持って振り返るメアリーの微笑みに恐怖する。
「あら、気が付いた?そのまま置いておくのもどうかと思ったのよ~ふふふ」
「できれば置いていて欲しかったです……暴力反対」
意識朦朧で半目ながらも、アルフレッドは恨み言をきっちり言ってから気絶した。イリスが彼をまた引きずって別の部屋へと運ぶ。
(あ~あ、予想通りだな。どうせ『連れて行ってやる』的な態度をとったんだろう。アルはカイム様以外に対する姿勢が生意気だから……メアリー様に調教されて少しはまともになれ)
わざわざメアリーのもとにアルフレッドを行かせたのは、イリス含めた全員の計算のうちだった。
眠っているマリーを見たメアリーは、娘の手を握ったまま、ベッドサイドで不安げな顔を浮かべる。
愛嬌のある世渡り上手な従者・セダは、よく似た顔の母娘の姿を眺めながら思った。
(アルには無茶苦茶したのに、自分の娘は心配なんだな~。まぁアルはいつも偉そうだからいい気味だけど!どうせこの人を呼んでくるときも横柄な態度をとったんだろうな~バカなやつ)
そして「この人には逆らわないでおこう」と本能的に感じていた。
メアリーは、熱を出して汗だくのマリーの世話をするリサにふと尋ねる。
「ねぇ、サレオス殿下とエルリックは?」
マリーがこの状態なのに、サレオスがそばにいないことを不思議に思ったのだろう。リサは冷たいタオルを絞りながら、淡々とした口調でいつも通り答えた。
「お二人はキャサリン先生のところに向かいました。ついでにアラン様にもご報告を」
「そう」
メアリーは心配そうに娘を見つめるも、そっとその手を放して立ち上がる。マリーがこうなってしまった事情は、アルフレッドから多少は省略した形だが聞いていた。
「ふふふ……人の娘をなんだと思ってるのかしらねあの人たちは。ちゃあんと、ご挨拶して来なければ……ふふふふふ」
リサにマリーを任せると、扉のところに立っていたセダにカイムたちの所在を尋ねる。美しいが背筋が凍るような完璧な貴婦人の笑みに、セダは思わず一歩下がった。
「カイム様たちにご挨拶したいわ」
従者の中でも愛想笑いには自信があるセダだったが、なぜかうまく笑えずに表情筋がガチガチに強張るのを感じる。
「ご、ご案内いたします」
声が掠れているのは、黙っている時間が長かったからではない。
「ふふふ……よろしくね」
(怖いっ!笑ってるのに怖い!カイム様やばいっす、鬼神がいます!)
従者たちが揃いで着ている白い上着の裾をさっと翻しながら、セダは慌てた様子で扉を開けて王太子夫妻の部屋に案内した。




