懺悔します。
宿に馬車が到着するとすぐに降りて、サレオスに事情を聞くために後続の馬車の到着を待った。私たちが停車場を歩いていると、カイム様の従者である長身のアルフレッドさんに会った。
濃い茶色の髪は前髪だけ長く、それは後ろにきっちりと固められていて生真面目な印象を受ける。ちょっと年上、くらいだろうか。
彼はこちらを一瞥すると、お決まりの挨拶をそこそこに無言で直立している。社交性はゼロとみた!
見るからに気難しそうなアルフレッドさんは、しばらくすると私を冷たい視線で見下ろし、ぼそっと呟くように言った。
「まさか10年経ってもサレオス様にまとわりついているとは……相変わらず神経の図太い女だな」
はい!?
なんか怖いんですけどこの人!
しかも10年経ってもってどういうこと?私の付きまとい歴はまだ1年ちょっとのはずよ。誰かと勘違いしてるのかしら?そんな年季の入ったストーカーの先輩がいたなんて衝撃だわ!
私は隣に立つ彼を見上げながら尋ねた。
「おっしゃっている意味がわからないのですが……?」
すると彼はバカにしたような笑みを口元に浮かべ、視線を門の方へ向けたまま淡々と言い放つ。
「さすがは高位貴族のご令嬢、従者など覚えるにも値しないというところか。見た目だけはまばゆいばかりのブロンドに、昔と変わらず……いや以前に増してどこの姫君かと見紛う美しさで一瞬でも目を奪われた自分が情けないが、やはり美しいものは美しい」
え、褒めてるの?
私はクレちゃんと目を見合わせて首を傾げる。
「あ、ありがとうございます?」
疑問形でお礼を述べると、アルフレッドさんはぎりっと歯を食いしばって舌打ちまでして俯いた。悔しがっているのか、握りしめた拳がプルプルしている。
「ええっと……どこかでお会いしましたでしょうか?」
私がそういうと、死んだ魚のような目でじっと見つめられ、軽蔑の念をたっぷり含んだため息をつかれてしまった。
「本当に失礼な女だな。それとも俺がデカくなったからわからないとでも?」
「……」
昔、お父様と行った外遊先やパーティーなんかで会ったのかしら。その可能性は否定できないわ。でも残念ながらあんまり覚えていないのよね。
何とか思い出そうとアルフレッドさんを凝視していると、クレちゃんが私の前にスッと立ちはだかり、迎撃モードを発動した。
「あなた、ちょっと失礼ではなくて?従者は主人の評判にも関わりますのよ。マリー様はサレオス様に招かれてここに来たんですもの……何があったかは知りませんが、あなたの私情で傷つけたなんてことが知れたら、ねぇ?」
きゃあああ、クレちゃんの笑顔が黒いわ!アルフレッドさんもさすがにまずいと思ったのか、ぐっと押し黙ってしまった。しかしやっぱり思い出せないわ。うん、もう聞いてしまおう!後々に禍根を残すよりはいいわ!
私はクレちゃんの後ろからぴょこっと顔を出し、おそるおそる尋ねてみた。
「あの、アルフレッドさんはアガルタに来たことがおありなの?ごめんなさい、どうしても思い出せなくて。どちらでお会いしたかしら?」
一応、令嬢として猫を被って聞いてみる。申し訳ないと思っているのは本当だしね。
「は?何を言っている。トゥランで、に決まってるだろう。……本当に覚えていないのか」
「はぃ?」
「まさか、すべて覚えていないのか?そんなに小さい頃だったか……?いや、殿下とおなじ年ならばさっぱり忘れているなんてことは……あるのかそんなこと」
なんだろう、一人でぶつぶつ言い出したわこの人。長旅で疲れてるのかしら。
「私、トゥランに行ったことはないと思うんですが」
--ズキッ
あれ、何だか頭が痛い。思わず顔を顰めると、アルフレッドさんが真剣な表情で私に向かって話し出した。
「そんなことはない、だってあなたはテルフォード家の娘だろう?確かに10年前、外遊で家族と共にストークスホルンに来たはずだ。俺は覚えている」
しかしそこで、サレオスたちが乗った馬車がこちらに入ってくるのが見え、会話は一時中断される。
侍女たちや荷物の乗った馬車も続々と停車場に入ってきて、私たちは一番豪華な黒い馬車に向かって歩き始めた。
サレオスとは「後ほど昼食のときに」と言って別れたけれど、お出迎えしてもいいよね。結婚相手について聞けるかはわからないけれど、少しでも一緒にいたいもの。
そんな風に思っていたのに、私たちが待っていてもサレオスはなかなか降りてこない。クレちゃんが私をみて、ため息混じりに呟く。
「……降りてこられませんわねぇ」
サレオスとカイム様が乗った馬車は、すでに停車しているのに中から誰も降りてこない。
御者の人が扉を開けられなくて困っていて、私もクレちゃんと一緒に扉のそばで待機していた。
ところが、中からけっこうなボリュームで話し声というか、言い争うような声が聞こえてきてびっくりしてしまう。
「サレオス、お兄様と喧嘩してるの!?」
「そのようですわね」
クレちゃんと驚きで目を見合わせた。
『結婚相手っていうのはマリーのことだよ、なんて説明したら昔のことを話さないわけにはいかないもんね』
『兄上はマリーを壊すおつもりですか!?』
『いや?そんなつもりはないよ。ただ弟を壊したくないだけ』
『それでも……マリーの記憶を戻すことには賛同できない』
あれ、なんだか私のことで揉めてる!?「昔のこと」「記憶を戻す」ってどういうことかしら。私は別に記憶喪失じゃないんだけど……同じ名前の別の人のことかしら。
首を傾げていると、クレちゃんから容赦ないツッコミが入る。
「同じ名前の別の人のことではないわよ、多分だけど」
何で心の中のことがわかるの!?以心伝心すぎてびっくりだわ、スケルトンだわ私の心。
私たちがヒソヒソ話している間にも、馬車の中から今度はアマルティアお姉様の怒鳴り声が漏れ聞こえてきた。しかもガンッとかドンッとか何かがぶつかったり叩きつけられる音がして不穏なもよう。お姉様ご乱心!?
『はっ!?ちょっと待ってアマルティア、俺はハゲてない』
『うるさいのです!』
カイム様めっちゃ怒られてるー!何したの!?
『とにかく!危険が伴うならば、マリーには過去のことは何も話さないと約束してくださいませ!もしもサレオス殿下のことを忘れてしまったらどうするのですか!?またもう一度好きになるとは限りませんのよ!?』
過去のことを話す?やっぱり私のことなのね?
ヴィーくんがなぜか耳を手で塞いできてうっとおしい。前にもあったけれど、コレ無駄だからね!?手のひらで耳を覆った程度じゃ聞こえるからね!?
もうそのままヴィーくんのことは放っておくとして、クレちゃんを見上げて私は思いを口にした。
「クレちゃん、私ってトゥランやサレオスのことで何か忘れてるのかしら。何だかわかる?」
漠然とした質問すぎたのか、さすがの賢者も首を左右に振って静かに否定した。
「メアリー様からは何も聞いてないわ」
何だろう。残念ながらまだまだ降りてくる気配がないから、私は少しだけ俯いて頭の中で情報を整理し始める。
さっきアルフレッドさんも言っていたわ。私とトゥランで会ったようなことを……。
『結婚相手っていうのはマリーのこと』
『昔のこと』
『記憶を戻すことには賛同できない』
しばらく考えていると、おでこやこめかみが痛くなってきた。
ズキズキする……
まさか……
二日酔い!?
酒場で一口だけ飲んだりんご酒のせいかしら!?サレオスがすぐに私から奪って全部飲んじゃって一口しか飲んでないのに、しかもこんなに早く二日酔いになるのかしら?
「クレちゃん、私二日酔いかも」
「は?」
女神が心配そうに私の顔を覗き込んでいる。額をこすってみても、ズキズキは収まらない。
「あぁ~お酒って一口でもこんなに頭痛がするの?だからお父様はダメって言ってたのかしら」
おそるべし酒の威力。そういえば筋肉痛も若いときは早く来るっていうし、二日酔いも若いと早く来るのかしら。
「くっ……!もう二度と呑まないわ!」
嫌な頭痛を振り払うように頭をあげると、別の馬車から黒髪の小さな男の子が乳母らしき女性に抱かれて降りてきたのが見えた。私たちの近くを通り過ぎ、宿へと向かっている。
「レオンハルト様~到着しましたよ~」
あぁ、あまりの愛らしさに周りの侍女や使用人がメロメロだわ。私も撫でたい、抱っこしたい。
あの子がレオン様だわきっと。サラサラの黒髪に濃紺の瞳がカイム様によく似ていてかわいい。あれ、でも誰かに似てる……カイム様じゃなくて。
私は頭で考えるより先に、口から勝手に言葉が零れ落ちた。
「レオちゃん……」
そうだわ、昔、会った黒髪の男の子。ガラス玉みたいなきれいな濃紺の目で、サラサラの黒髪で……。
私は考えれば考えるほど、頭がぼぉっとしてきてその場に立ち尽くしてしまった。頭は痛いのに、身体はふわふわと水の上に浮いているような感じがして視界が揺れ始める。
--ガチャッ
目の前にある扉が開き、アマルティア様を抱きかかえたカイム様がようやく降りてきた。私を見て驚いた顔をしている。しばらく動きを止めた後、振り返ってサレオスに何かを言ったみたい。私はまるで映画でも見るように、ぼぉっとそれを眺めていた。
そんな私の前に、何かに弾き出されたみたいにサレオスが現れる。そう、レオちゃんが大きくなったらきっとこんな感じで……って、あれ?こんな感じもなにも、こんな感じすぎないか?黒髪だったらみんな同じ顔になるとかそんなことはないし、そもそもこんなにかっこいい人は他にいないし。
私は何かものすごく大事なことを忘れてるんじゃないかしら。
「主様、何も聞いてません、聞こえてません……あなたは今ここに来たばかりで何も聞かなかった……そうですね、そうですよ……」
背後からヴィーくんの呪文みたいなのが聞こえてきた。「バカなの?」というクレちゃんの言葉に全面的に同意したい。
「……マリー」
サレオスの声が耳に届く。あれ、いつもみたいにはっきりと顔が見えないわ、もしかして視力が低下したのかしら。何か話しかけたいけれど、口が動かない。起きながら寝ているみたいな?
私が何も言葉を発せずにいると、距離を詰めたサレオスの手が頬に近づいてきた。
そうだ、聞かなきゃ。大事なことだもの。私は急に冷静になって、ほぼ無意識に言葉を発した。
「私、トゥランに行ってたの?」
でもその瞬間、後頭部に何か固いものでガンと殴られたような痛みが走った。声にならない悲鳴を漏らし、私は身体に力が入らなくなり、その場に膝をついた。
「マリー、何も考えるな!」
サレオスが叫ぶのが聞こえた。ううっ……低い声が頭に響く!大好きなイケボだけれど、今だけは、今だけは話しかけないで。私は顔を顰め、そのまま瞳を閉じた。
「マリー!マリー!」
っ!お願い静かにしてぇぇぇ!!
頭がガンガンするのぉぉぉ!
ま、まさか二日酔いがこんなに早く、しかも強烈なやつが来るとは思わなかった。ごめんなさい、もうお酒は飲みません……!ひたすら神様に懺悔した私は、サレオスの腕の中で眠ってしまった。




