サレオス視点【6】守るってなんだ
邸に着いてから、ことごとく誰かにマリーとの時間を邪魔された。
最初は完全に油断していて、エルリックとヴィンセントが飛び込んできたときは瞬きを繰り返すことしかできなかった。
これはまぁ、あいつらが逃げてきた理由が俺の叔父上の溺愛劇場なのだから仕方ない。
そう、仕方がない。
あいつらの被害状況を聞いていると、クレアーナは生きているだろうか……ということが頭をよぎる。
あいつは普段はしっかりしすぎているくらいに頼もしいが、多分、というか絶対に恋愛経験はない。叔父上への態度を見ていればわかる。
マリーとの時間も惜しいが、クレアーナを見殺しにするのも気が引けた。叔父上はクレアーナに会ってから、間違いなく仕事をするようになった。これまでは各国をフラフラしながら、いたる所で男女問わず人たらしを発揮して貿易に貢献していたが、領地のことまできちんと考えるようになったのだ。
「クレアーナに、嫁いでよかったと思わせたい」その一心でがんばっているらしい。おかげで叔父上直轄の部下たちは、彼女のことを救国の女神と呼んでいる。
王弟様ご乱心ならぬご改心なのだ。
俺の仕事も減った。
そういう助けられた部分があるから、結婚するまではどうにか貞操を守ってやらねば。
書机の引き出しに無造作に転がっていた、石化防止の指輪が目に入った。
……ちがう、これじゃない。
溺愛防御魔法やアイテムがなかったから、陰ながら護衛に見張らせて手を尽くすことにする。
叔父上には不満げな顔をされたが、これ以上の醜聞はまずいと本人もわかっているようで意外にもあっさり引いた。
いや、叔父上なりにクレアーナの意思を尊重したいのだろう。
はっきり言って、ここまで昔の女たちへの態度と違うのかと驚いた。
イリスなんて「理性あったんですねぇ」と呟いていたなそういえば。
その夜は、さらにシルヴィアの突撃があった。マリーとのんびり食事でもと考えていた俺の目論見は完全に崩壊したのだが、マリーは友達ができたと嬉しそうにしていた。
あんなに喜んだ顔が見られるとは、この失恋暴力女もなかなか役に立つ。
「あんたはー!なんでーそんなに暗いのよー!自分ひとり不幸みたいな顔してんじゃないわよぉぉぉ」
……絡まれるのくらい我慢しよう。捕まれた腕が痛い。こいつ、どんな腕力してるんだ。ダンと同じくらいじゃないだろうか。騎士団は真剣にシルヴィアを勧誘したらどうか。
「うう……!叔父姪の婚姻を認めるべきなのよぉぉトゥランの法を変えてぇぇぇ!サレオスが王位について変えてぇぇぇ」
これは絶対に呑みすぎているが、さすがに今日は呑ませてやりたいとも思う。
シルヴィアだって叔父上への叶わぬ恋心を物心ついたときから拗れに拗らせ、挙句の果てには好きでもない俺に嫁げと口うるさく言われているんだ。
叔母上はともかくとして、シルヴィアの父親はなかなかしつこい。小心だが野心だけはあるからな。
だから我慢する。今日は、今日だけは……。
「サレオスは~、どーーーっせ、マリーとイチャイチャしようと思ってたんでしょー?!残念でーっす、マリーといちゃつくのは私でーっす!」
消すぞ。
目の前でこれ見よがしにマリーに抱きつき、においをスンスンと嗅いでいるまではまだ許せた。
が、服の中に手を入れて押し倒そうしたときはさすがに止めた。これ以上は、別の意味でトゥランの血筋に醜聞がかかる。
「あんたも~好きなら~好きってぇぇぇ、言えばいいのよ~!言ったところでフラれるんだから、私みたいにねぇぇぇ!!うへへへへ……」
自虐がヒドイ。マリーが困っていると思いきや、うつらうつら頭が揺れていた。長旅で疲れているんだろう。こんなにうるさい女が目の前にいるのに眠ってしまうマリーが可愛くて、俺は自分の膝に彼女をもたれさせて休ませる。
そういえば誰かを見て、無条件に可愛いとか何かしてやりたいと思ったことは今までなかったな、と気づく。
女は面倒だと思っていたのに、そんな面倒な生き物を自らそばに置きたいなんて。やはり俺はとことんおかしくなったのだろう。願わくば、シルヴィアのような狂い方だけはしたくないものだが。
その後、クレアーナが飛び込んできて一度マリーが目を覚まし、女子三人が異様な盛り上がりを見せていたので俺はすることがなく、ひたすら飲んでいたら妙に酔いがまわってしまった。
なぜ俺はシルヴィアと、どちらがマリーを抱き枕にするかなんかで揉めたんだろう。
何かがおかしい、というか全体的にもうすべてがおかしかった。止めろ、エルリック。そしてイリス。
あまり記憶が定かではないが、飲み過ぎたわりに久しぶりに穏やかな気持ちで熟睡できたことは確かで。朝、目が覚めたとき、腕の中にマリーがいたのはたまらなく幸福感があった。
……俺は兄上化しているのか?そのうち、マリーがいないと眠れないとかほざくようになるんだろうか。二日酔いではないが頭が痛む。
◆◆◆
「あ、マリーちゃんをエスコートしてね」
「は!?」
パーティーの1時間ほど前、叔父上に突如として告げられた俺は思わず叫んだ。マリーには、シルヴィアの兄を護衛も兼ねて男除けでつけると決まっていたからだ。シルヴィアの兄は妻を溺愛していて、その妻は今つわりがひどくてここには出席できない。だからこその人選だったのに……!
「俺がエスコートすればどうなるか、叔父上ならおわかりですよね?」
何を考えているのかさっぱりわからない陽気な叔父上は、ニコニコと笑って何も答えなかった。これはもう決定事項だということか。俺はぎりっと歯を噛みしめて、無言で扉を開けて出ていった。
絶対にマリーを傷つけたくない。エスコートすればただならぬ仲なのだと疑われるだろう。それに、着飾ったマリーを男どもの前に晒したくない。どうすれば何事もなく、ただの友人だと思わせることができるのか。そればかりを悩みながら迎えに行った。
だが叔父上の謀は、予想をはるかに超えていて。
蝶の刺繍をあしらった濃紺の煌びやかなドレスを纏ったマリーの姿を見ると、気が遠のきそうになった。
息を呑むほど美しい。
プラチナブロンドの髪が濃紺のドレスにとてつもなく映える。
いや、ちがうそこじゃない。落ち着け。思わず周囲の目がある中で頬に触れそうになり、どうにか脳内の理性をかき集める。
まずい。これはもう誤解がどうとかいうレベルじゃない。
完全に叔父上にしてやられた。
俺は前髪をかき上げ、深いため息を漏らさずにはいられなかった。ここ数日、頭を悩ませたのは一体なんだったんだろうか……。そして明らかにオロオロしているマリーに、一応尋ねてみた。
「わかっているのか?そのドレスを着る意味が」
わかっている、と答えてくれたなら。俺のものになる覚悟があるのなら。期待したわけではないが、かすかに縋ってみたくなってしまった。
「……意味って?」
何を言われているのかまったくわからない、マリーはそんな風に瞳を揺らし、首を傾げて俺をじっと見つめる。
絶対に、何としてでも守らねば。
頭を切り替えて、どうすれば貴族の嫌がらせからマリーを守れるか即座に思考を巡らせる。
「もういい、着替える時間もないしそのまま行こう」
ところがマリーは不安げな顔をして、俺が差し出した手を取ろうとしなかった。しまった、こちらの都合ばかりで何も説明していないし、これから起こるであろうことも伝えていない。
もういっそ、見せつけるようにして囲うか?できもしないことを考える。
「マリー、手を」
明らかに気落ちしたマリーは俺の手をようやく取り、それでも偽物の笑顔を貼り付けて一緒に歩いてくれた。
なぜこうもうまくいかない?
小さな手を強く握りしめながら、一抹の不安を抱えてパーティーに臨んだ。
最初こそ何事もないように順調にことを運んでいたが、クレアーナからはキツイ言葉をもらってしまった。
「サレオス様ったら、マリー様にカワイイもキレイも何の褒め言葉もなかったらしいですわね……ふふふ、わかってるの?わたしの、マリー様なのよ?誰か別の人を勧めちゃおうかしら……私が勧める人となら政略結婚も受け入れるかもしれないわね。私次第なのよ、おわかり?」
目が本気だ!クレアーナは知っている。マリーがいかに自分に依存しているかを。今、俺とクレアーナが別々の選択肢を迫ったら、間違いなくマリーはクレアーナの意見を取るだろう。こんな時に限って、叔父上はおとなしくニコニコ笑っているだけで、いつものようにクレアーナが思考停止するほど迫ってはくれない。
そうこうしているうちにマリーは男に目を付けられるし、俺はあちこちの対応で忙しいし、こんなことなら兄上の従者をひとり借りてこればよかった。セダあたりなら腹黒だから的確に邪魔ものを捌けただろうに。
そしてパーティー中盤、俺はアルクラ公爵一派にまんまと連れ出され、マリーをひとりにしてしまった。
「そんなに苛々しないでください。マリー様を案じるお気持ちはわかりますが、そんな顔で戻ったら怯えられますよ」
付き従うイリスが呆れるのも無理はない。さっきから感情の制御がうまくできずに魔力が漏れていて、周辺の窓やステンドグラスなどを一部破壊してしまっている。後でやってくるだろう家令とメイド長が怖い。
「キレイだったでしょう?あのドレス。ものすごく無理なスケジュールで仕立ててもらったんですよ、テーザ様はあれこれこだわりが強いからやり直しも多くて」
よく考えれば、謀にこの男が関わっていないはずがなく。
あぁ、もっとじっくり見たかったさ。二人きりならば褒め言葉も少しは口にできるのに。
イリスは満面の笑みで、マリーを俺のもとに嫁がせる計画を堂々と報告してきた。まさかマリーの母親だけでなく、レヴィンまで買収しているとは。我が従者ながらやることがえげつない。
「おまえ自分がえげつないことを計画しているという自覚はあるのか!?」
「ありませんよ。その自覚、必要ですか?それで、式はいつにしましょう。早くて来年の秋ですかねぇ。カイム様のときは時間がなくて大変だったんで、なるべく事前に言っていただきたいのですが」
兄上のは、婚約中に妃の懐妊があったせいだ。普通、王族の結婚は1年以上猶予があるのが当たり前なのに、こいつは俺が同じ道をたどるのではと真剣に思っているようだった。
マリーと俺が拗れつつあることもさっそく嗅ぎ取っていて、あっさりと正論を突き付けられる。
「身を案じて遠ざけるより、手が届くうちに囲い込んで守る方があなたには向いてますよ。あれ、ヘタレですかもしや」
「あぁもう本当にうるさい、黙ってくれ!!!」
俺はキレた……。イリスが相手だとどうもやり込められてしまう。口げんかは昔から苦手だ。
ルレオードに戻ってきてから、自分の足りない部分ばかり目についてどうにも苛立ちが募る。
しかも、そのときマリーはアリーチェ公爵令嬢たちに連れ出されていて俺は激昂した。イリスはおそらく予期していたのだろう、ヴィンセントがいるから大丈夫だと高を括っているようにみえるがそれすら腹立たしい。
結果的に何もなかったからよかったものの、もうこれ以上はごまかし切れないと俺はとうとう観念することになる。




