サレオス視点【5】耐える王子様
冬休み、ルレオードでのサレオス視点です。
その日は朝から、邸の中が慌ただしかった。
マリーとクレアーナが、ようやくルレオードに到着するからだ。
叔父上は新調したジャケットを羽織り、クレアーナに会えるのを心待ちにして2時間前から出迎えに出発してしまった。
あの人、クレアーナの魔力を探知できるよな!?まだまだ到着しないのがわかっているのに、なぜムダに待つ?
あと数十分もすれば、もはや暴力といっていいほどの溺愛劇場を見せつけられるのかと思うと謎の酔いに見舞われた。
マリーに会わずには死ねない、そう思ってなんとか気持ちを立て直す。
だいたい、俺はマリーがただの友人だと思われるように、彼女の部屋を本邸ではなく東館に用意させて距離を取ったのに、叔父上はちゃっかり自分の部屋の向かいの部屋をクレアーナの客室として押さえてしまった。
……大丈夫だよな。間違いがないよう、見張りを増やそう。何度もいうが、さすがにトゥラン王族によるこれ以上の醜聞はまずい。
あちらこちらに指示を出していたせいで、俺は結局、ギリギリになってから邸を出た。もうすぐそこまでマリーの乗った馬車は迫っていた。
馬車から降りたマリーを久しぶりに見ると、遠目でも白金の髪がさらさらと揺れるがわかり、言いようのない熱が腹の底から込み上げてくる。
ぐっと拳を握りしめ、すぐに駆け寄って抱きしめたい気持ちをどうにか堪えた。背後の兵には俺がイラついているように見えたのだろう、無用の緊張感が漂っているのをヒシヒシと感じる。
叔父上のクレアーナ溺愛劇場を目の当たりにしているマリーは、いつも通りに見えても幾分かは苦悶の表情が見て取れた。目の前であればキツイ。早く助けてやりたいが、今の俺はあくまで叔父上の付き添いという立場だから容易に動くことができなかった。動けば必ず、それを俺のマリーに対する好意と捉える者がでる。
しかしそんなことは言い訳に過ぎないことは自分が一番よくわかっていた。マリーに無理やりキスして逃げてきた罪悪感が胸をかすめるから。
叔父上の長ったらしい挨拶が終わり、マリーはこちらに近づいてくると、俺は足に全神経を集中して絶対に走り出さないように注意を払う。
ルレオードにいる間、俺たちはただの友人だ。それ以上でもそれ以下でもない。いつもに増して無表情を決め込み、死んだ魚のような目だとイリスに言われようが構わない。マリーを強欲な貴族たちの標的になどさせない。
「久しぶりだな」
精一杯の努力で平静を装い、マリーに声をかける。がんばってはみたものの、もし彼女が怒っていて、今ここで頬を張られたとしても仕方ない。それくらいの覚悟はしていた。
なのにマリーは社交辞令の挨拶を述べ、侯爵令嬢として卒のない愛想をみせた。
……複雑だ。
自分では、俺たちはただの友人だと、そうでなくては困ると腹を括ったはずなのに、いざマリーにそのようにされると胸の奥がざわざわとする。俺のことなどどうでもいいのかと思わずにいられない。
なんてバカバカしい。
俺は笑いながら、マリーにいつも通りでいいと言った。もういつも通りにしてくれ、と思ってしまった。
我ながら、うまくやれている。そう思った矢先に、マリーから指先のけがを指摘されたのは予想外だった。視線を向けた指先は、爪が食い込み血が流れている。
マリーに治療してもらってすぐに傷はなくなったが、そのときにふわりと揺れた長い髪から甘い香りがして、一瞬思考が停止した。自分の理性の脆さに愕然とする。
さらに紫頭のアサシンの存在が追い打ちをかけた。マリーは大丈夫だと主張するが、その言葉ほど信用のならないものはない。
だってそうだろう、俺という最も危険な男のところにほいほい笑顔でやってくるのだから。マリーの危険予知能力はゼロといえる。
邸に向かって出発しようとしたら、マリーがヴィンセントと親しげに笑ったのが目に映った。まだ供にして日が浅いというのに、長旅ですっかりなじんでしまったようだった。
マリーが俺以外の男に気を許している。
その光景があまりに衝撃的で、理性を抉られてしまった俺は、有無を言わさずマリーを馬に乗せて連れ去った。本当に俺はどうかしている。
それでも、馬を走らせればマリーが俺の腕の中にいると確かに実感してほっとした。落ちないか心配で、何度も細い身体を支えたが、彼女は少し迷惑そうにしていた気がする。
でも今だけは、おとなしく俺のそばにいてくれと願う。イリスとダンには何を見られても問題ないが、邸に着くとまたただの友人として接しなくてはいけない。
よそよそしいくらいの態度で丁度いい。でもあまり冷たくして泣かれでもすれば、俺は絶対に我慢できずにマリーをとことん甘やかすだろう。そうなったとき、確実に気にくわない連中がマリーを陥れようと画策する。加減のむずかしさに頭を悩ませてしまう。
イリスには見合いから逃げたという情けない話を暴露されてしまったが、今さら女々しいと思われようがどうしようもない。無理やりキスした時点で、すでに好感度なんてものはありはしないのだから。
だがイリスが「癒してあげてください」とマリーに注文をつけたのは驚いたが、そこから彼女が導き出した癒し方が「馬の扶助、変わろうか?」だったのにはもっと驚いた。
あぁ、うん、むしろ安心した。離れていても、やっぱりマリーはマリーだった。この様子では、きっとヴィンセントにも懐いているだけで恋心など抱いていないだろう。謎の安心に包まれて、自然に頬の緊張が緩む。
ところがそれも束の間のこと、マリーを連れて邸についた俺を待っていたのはうちの兵たちの盛大な勘違いだった。いや、情報操作された被害者というべきか。
イリスが絶対に噂を流したに違いない。
「サレオス様が恋人をお連れになられたぞー!」
異様に盛り上がる連中に、マリーが怯えていた。男たちの大声に、細い肩を頼りなく震わせる。
俺が殺気を放つ前に、ダンがやつらに向かって氷塊を撃ち込んだのは僥倖だったな。俺のマリーを怯えさせた罰だ。
それにしても、一体どのように接すればいいのだろう。部屋に二人きりになると、つい隣にいたくなる。その髪に、指に触れたくなってしまう。
キスした後はあれほど後悔したはずなのに、近づけばまたあの甘い香りに理性がジリジリと焦げつき始める。
マリーは、やはりというか当然あの一件について聞きたそうにしていて、でも俺はその話はしたくなくて。いつも通り余裕のあるフリを続けるが、到底そんなものはなかった。




