二人っきり
放課後、私とサレオスは二人っきりで中庭にいた。周囲にも生徒はいるが、私は二人っきりだと思っている。思い込んでいる。
さっきまでシーナがいたんだけれど、参謀・クレちゃんの助言によってジニー先生の補講に自主的に出ることになったので意気揚々と鼻歌交じりに出かけて行った。
「今日は暑いよね~」
そういって髪をアップにして、うなじを見せて誘惑する作戦だと言っていた。
シーナよ、アプローチの仕方が十六歳じゃない。私にもテクニックを教えて欲しい……。
それにしても今日は暑い。この国は基本的に穏やかな気候で、真冬でも十度くらいあるんだけれど、今日は二十度くらいあって上着を着ていると汗をかいてしまうほど。シーナが髪をまとめたのは正解だろう。
中庭では、通称騎士科でありアホっ子ちゃんたちのEクラス男子がバスケをしている。この暑い中、走り回るなんて……と呆れた。
彼らはどこの戦士かと思うほど屈強な体格ぞろいで、バスケットボールというかドッジボールみたいな速度で球を投げている。あのヤシの実レベルの堅い革のボールを、剛速球でパスするとかもう味方を殺す気かと問いたい。
距離は離れているが楽しそうにバスケをしているピンク頭が、チラチラ視界に入ることもよくない。みんなが来るまでベンチに座って勉強中の私だが、教科書の内容がまったく頭に入ってこない。
しかし。私が集中できない理由はもうひとつあった。むしろそっちのせいだ。
今……サレオスがシャツの袖を肘までまくっている! う、腕が……袖まくりをしたときの腕がのぞくのは本当にたまらないっ! かっこいいにもほどがある。
あったかい気候のせいで蚊が年中いるから「もうちょっと涼しくなって欲しい」って思ってたけれど、今、私はものすごく気温に感謝しています!!
隣で本を読んでいるサレオスの前髪がさらさらと風に揺れる。本をめくるペラっという音までが特別に聴こえ、指先から腕にかけてじっくりと観察してしまう。はうっ……! 萌えすぎて死ぬ。
キュン殺しされる五秒前どころか、すでにキュン殺しされた後だわ。口から魂が出そう。
それに腕もいいんだけれど、一見、華奢に見えて実は男らしい肩や二の腕のラインもいい。
うぁぁぁぁ! めっちゃ好き、ぎゅってされたい……。
『マリー、こっちにおいで』
妄想の中では、サレオスに呼び寄せられてそっと寄り添い、その腕が肩にまわされて……
ベンチに仲良く座りながら、彼の胸に頭をコテンっと置きたい! いけないわ、妄想だけで成仏しかけた!
こんな風にイチャイチャできたら幸せすぎて倒れる! 意識を保っていられる自信がない。
「マリー? どうかしたか?」
私が隣で昇天しかかっていることを不審に思ったのか、本を読んでいたサレオスがふと顔を上げてこっちを見た。
「何でもないの」
私は本をぎゅっと胸に抱き、瞳を閉じて大きなため息をついた。でもサレオスを見ないともったいない。頭の中が見られなくて本当によかった。私の妄想と萌えがスケルトンだったらきっと彼は引く、ってゆーか逮捕されそう。
そんなことを思いつつ目を開けると、とんでもない勢いで黒い塊が一直線に飛んできた。
「っ!? ひゃあっ!」
思わず両手を顔の前に出す。絶対痛い!
衝撃に備えて再び目を閉じると、バンッという衝撃音とともに「ザリッ!」という何か擦れるような音もした。
「イッ……」
急に暗くなって目を開ければ、そこには超至近距離のサレオスがいた。頭が真っ白になる。
うわっ……心臓が壊れるかと思うほどドキドキ鳴り出し、体温が一気に上昇する。
「大丈夫かマリー?」
少し苦しそうな表情で彼は私に尋ねた。
「あ……だ、いじょ、ぶ」
どうやらあの黒い塊であるボールから、サレオスが私を守ってくれたらしい。
ということは!?
なんとサレオスの左腕からはポタポタと血が流れていた。ヤシの実かと思うくらい硬いあのボールが、しかも割れてギザギザになった皮が腕に当たって擦れたようだ。
「ひっ……いやぁぁぁ! 腕がっ! 血、血ぃ!? 大変!」
私はすぐに態勢を変え、彼の腕を掴んだ。ポケットから取り出したハンカチを傷口に当て、血を拭き取る。
「マリー、大丈夫だから落ち着いて」
妙に冷静なサレオスに私は眉を顰めた。
「落ち着けるわけないでしょう!? ひっ……こ、国宝級の萌えがっ!」
せっかく彼が寿命まで生きられそうなのに、私のせいで怪我をするなんて一生の不覚! この腕が守られるなら、私の顔面くらい何個でも差し出したわよっ!
慌てふためく私を見て、サレオスは困っている。でも正直それどこじゃない。私はようやく自分が回復魔法を使えることに気づき、とりあえず止血を試みた。
手を翳して魔力を流すと、私の手のひらくらいあった傷口から血が止まった。
「血は止まったから、保健室に行こう!」
うん、私にはこれ、治せない。時間がかかりすぎると判断する。
「ちなみにマリーが治すと?」
「四時間かかる」
「うん、保健室に行こうか」
サレオスは苦笑いで保健室行きを決断した。
それにしても一体、いつ私の回復魔法はレベルアップするんだろう……やっぱり怪我人とかを大量に診ないとダメなのかな?
「あ、そういえば!」
私はとっておきのものを思い出した! アイちゃんにもらった薬がポケットに入っているのだ!
この薬はいつぞやのほっぺのかぶれを一瞬で治してくれた謎の薬である。あの後アイちゃんに分けてもらって、いつも持ち歩いている。
一見それは『とても薬には見えないドス黒い何か』だが、効果は自分で実証済みだ。これでサレオスの怪我が治る、と思った私は目を輝かせて薬の箱を開けた。
「……待て、マリー。それは一体何の薬だ!?」
ふふふ。サレオスが薬の見た目に動揺してる。そうだろう、そうだろう! 私も最初に見たときはびっくりしたもん。
「大丈夫! アイちゃんに譲ってもらった薬よ」
「いや、全然大丈夫に見えない。箱も見た目もやばいぞ」
ベンチに座りつつも、じりじりと後退するサレオス。
「どこの国の文字だそれ。トカゲとラクダで出来る薬なんて怪しすぎるぞ!」
私は初めて見るサレオスの弱気な姿勢に、なんだかわくわくして嬉しくなってしまった。
「マリー、思いとどまれ……」
やだ、焦った顔もかわいい! 私はにこにこと笑いながら彼の右腕に狙いを定めて手を伸ばした。
「大丈夫よ! 私も自分で効果を体験済みだから!」
「体験済みって!? こんなにやばそうな薬を塗ったのか? 自分に?」
「うん、頬にキスされて洗いすぎでかぶれたときに、この薬でちゃんと治った、ん、だから?」
あれ。自爆した。なんか途中からサレオスの顔が怖い。目が鋭くなった。薬を塗りたくて追い詰めすぎた?
あ。追い詰めたつもりが、いつの間にか逆になってる。私がゆっくり後退して、サレオスが前のめりになっている……!?
「ほぉ。それは詳しく教えてくれないか。いつ、どこで、誰に」
あれ、質問なのに末尾に疑問符がついてないのが怖すぎる。尋問だこれ。
薬の効果を知りたがるサレオスの本気がすごい。……怪しい薬を手に攻めこみすぎてしまった!
「いつ、どこで、誰にって……」
「そう。いつ、どこで、誰に」
思い出すと気持ち悪くなってきた。アリソンに、廊下で。治ったはずの頬がかゆい。背筋がゾッとする。あまりの嫌悪感にぎゅっと瞳を閉じる。
気持ち悪い……、気持ち悪い……、気持ち悪い!!
俯いた私は、気づくと叫んでいた。
「恋人でもないのに気持ち悪い!」
は~、すっきりした。やっぱり溜め込むと良くないのよね。そうだ、恋人でもないのにキスされて気持ち悪かったんだ。ふぅっと息を吐いた私は、笑顔で顔を上げた。
するとそこには、茫然自失といった雰囲気のサレオスがいた。
ん? 私が叫んだから傷に響いたのかな、目が合わない。でもとにかく、動かない今のうちに薬を塗らないと。もしかしたら痛みで体が硬直したのかも!?
私は彼の腕にたっぷりと薬をつけた。擦り込んで擦り込んで……ちょっと痛いかもしれないけど、丁寧にしっかりと薬を塗り込んだ。
うわっ、この薬本当に気持ち悪い。ねっとりした感触もそうだけれど、どす黒い色がゆっくりと透明になっていくのがまた怖い。
必死で薬を塗っていると、ぽつりとサレオスが口を開いた。
「気持ち悪いって……」
あ、薬を塗ったら意識が戻ったのかな? まだ覚えてたのか。私は諦めて白状することにした。
「夏休み明けにね、アリソンに頬にキスされたの。寮の廊下で。あんまり気持ち悪かったからゴシゴシ洗ったらやりすぎて……それでかぶれたときにアイちゃんがこの薬で治してくれたわ」
「……アリソン?」
「そう。アリソンが。耐えられないよ、恋人でもないのに気持ち悪い。遊び人からすれば、ほんの挨拶だろうけど」
私はサレオスの傷が治ったことを確認して、まくっていたシャツを手首まで下ろした。国宝級の萌えだったけれど、こんな危険がある場所じゃあダメだ。露出をやめよう!
「やっぱりこの薬って効くなぁ……見た目がやばいけれど。よかったキレイに治って!」
保健室に行かなくていいし、なにより私の回復魔法じゃ四時間かかるからね!
私は満面の笑みで治療を終えた。
そして、ベンチから少し離れた場所にあるボールを拾って、それをバスケットコートの方に向かって投げた。
……全然飛ばなかった。恥ずかしいほど近くに落ちた。
「マリー、あんまり心配させないでくれ」
腕を引っ込めて大人しくなったサレオスが、ふいに真剣な顔でそう言った。
私は近くに落ちたボールとサレオスを交互に見つめ、わかったと答えた。
「今度からは、ちゃんと避けるわ」
サレオスに怪我までさせたんだ、もうボールが飛んできても気づかないほど彼に見惚れないように気をつける! うん、と気合いを入れて頷いた。
「避けるって……、それより、もう近づかない方がいい」
近づくな、と? そうなるともう中庭でごはんが食べられないし勉強も読書もできない。でも被害者が言うんだから仕方ないか。
「わかった。じゃあ明日からは屋上かカフェテラスに行こう?」
あれ、屋上かカフェテラスは嫌だったのかな。「どういう意味?」っていう顔をしている。
「なにを……? 廊下だろう?」
「廊下!?」
なにその場所。廊下って……廊下でごはん食べたり勉強したりは無理でしょ! 斬新すぎる! 想像したらものすごく絵画がシュールだった!
確かに学園の廊下は広い。いやいや、でもすっごい邪魔。めっちゃ邪魔。私は驚きのあまり、パチパチと瞬きを繰り返してサレオスを見つめる。
しばらくの間、私たちは二人とも沈黙を続けた。サレオスは私から少し視線をずらし、ボールと私を見比べてため息をついた。
「ちがう、マリー。そうじゃない」
サレオスのため息が深い。
悩み事だろうか? 心配だわ……。あとでクレちゃんに相談しよう!




