どうしてこうなった
「どうしてこうなったのかしら……」
広い部屋で、私の呟きが宙に舞う。窓の外はもう夕暮れ時、燃えるような赤もいいけどオレンジも美しいわ、と現実逃避をしてみるものの、視線をふと落とせばそこには安らかな美しい寝顔がある。
ソファーに座る私の腿の上で、艶々の黒髪を流しながら仰向けでスヤスヤと眠るサレオス。髪紐を解き、私の腿に頭を乗せて、みぞおちあたりで腕を組んで眠っている。長い足は肘掛けに乗せられて、雑に投げ出されていた。
「召されてるのでは?」と思うくらい静かに眠っているけれど、見ているこっちのほうがいつでも召されそうなくらい好きすぎて困る。美形の寝顔は殺傷力がとんでもなくヤバイ。
一目見た瞬間に一撃必殺並みのキュンを胸にめり込ませてくるくせに、何度チラ見してもその威力が衰えることはない。
恋愛小説憧れのシチュエーションである「好きな人が膝枕で眠っている」というものが、まさか私に起こるなんて思わなかった。どうしよう、私は明日の太陽を拝めないかもしれないわ。
でも、はっきり言って王子様であろうが人間の頭部は重い。好きな人の頭じゃないと、脚がもげそうなこんな重み耐えられない。とても爽やかな笑顔なんてキープできない。
いや、ちがう、そうじゃない。間違ってないけど、大切なのはそこじゃない。
この状態になり早10分。私はまったく動けないのよ……!「少し眠るから端に寄ってくれ」と言われて訳もわからず移動したら、抵抗する暇もなくこの状態になっちゃったんだもの。
サレオスのストーカーを検挙するために裏口に張り込もうと思っていたのに、こんなところでうっかり幸せにうつつを抜かしているなんて。
これじゃ何にもできやしない。ただ彼の黒髪に指でそっと触れ、流すように梳かしてキュンキュンすることしかできないわ。……最高に萌える。
はっ、もしかして自分が寝ている間に私が勝手なことしないように膝枕を!?なんて計画的なの、餌を与えつつ行動を制限するなんて!知将ですか!?
あ、でもこれも違う、そうじゃない。私は初めて膝枕をしてみて、重大なことに気づいたの。
それは、「膝枕をしていると、下から鼻の穴が見えてしまうんじゃないか」疑惑よ!
恋愛小説ではかなりの確率で好きな人に膝枕シチュが登場するのに、なぜヒロインは誰もこの件に触れていないの!?なぜこんな恥死状況で、優雅に恋人と会話をしてあまつさえ微笑んでいられるの!?わからない、ヒロインのメンタルが強いのかそれとも美女に鼻の穴はないの……?
あぁ、こうしている間にもサレオスの目が覚めたらどうしよう。もうすぐ、起こしてと言われた15分がやってくる。
気づいてからは鼻のあたりをさりげなく左手で隠しているけれど、このまま起こすのはさすがにおかしいわ。悩んだ挙句、私の上半身を二つ折りにして額に額をくっつけて起こせばいいんじゃないかと閃いた。
「よし、これで……ってダメ!」
倒しかけた上半身を一気に引き起こす私。しまった、上半身を二つ折りにしたら胸が思いっきり彼の顔面に当たってしまう!あぶない、あやうく痴女として認定されてしまうところだったわ!
あぁ、あと2分しかない。もうどうすればいいの!?私は顔を両手で覆い、ソファーの背もたれに体を預けて悩み苦しむけれど、まったく解決策が思い浮かばない。
どうするの、どうするのマリー!天井を仰いで脳細胞をフルに無駄遣いしていると、突然膝が軽くなり、サレオスが勢いよく起き上がった。
「えっ、どうしたの!?」
私はびっくりして彼の背中を見つめた。サレオスはくるっと足をまわして普通に座り、今まで寝ていたとは思えないほどシャキッとした顔をしていた。
「……?」
驚きで何も言えないでいると、すぐにコンコンと扉をノックする音がする。サレオスが短く返事をすると、ヴィーくんとイリスさんが入ってきた。え、まさかこの二人が来たのを察知して起きたの!?よかった、何にせよ私にとっては助かったわ。乙女のイメージが守られた瞬間だった。グッジョブよ二人とも!
「あ、お水」
私は立ち上がり、壁際に置いてあるカートに乗った水差しへと向かう。グラスにお水を注ぎ、それを座っているサレオスに手渡すと彼は一気に飲み干した。
はっ!何だかこのやりとりが奥さんみたいだわ!きゃぁぁぁ、どうしよう私ったら妻気分で勝手なことをしているわ!
イリスさんは私の様子を見てニコニコしていたけれど、「報告は?」とサレオスに聞かれて思い出したように話し出した。
「さきほど裏口に不審な女が現れましたが、薪を取りに行ったメイドに見つかり逃げました。魔法道具でしょうか、壁を一気に飛び越えたそうです」
エリーが言ってたのと同じだわ!なかなか手ごわいわねその女。やっぱり正面からは来ないのかしら。私はそんなことを考えながら、サレオスからグラスを受け取りカートの上に戻した。報告を聞いたサレオスは、あまり興味がないように冷たく言い放った。
「まぁ、何でもいい。襲撃者ならそんなボロは出さないだろうし、来たら来たで……あ~」
ん?私がいることに気づいて最後まで言うのをやめたみたい。
「お前に任せる」
「はい」
あ、イリスさんに任せちゃった。ヴィーくんは俺は何も知りません的な顔をしているけれど、絶対に何か知っているはず。来たらどうするのかしら、まさか消すの?
「……」
サレオスが気まずそうに視線を逸らしている。うん、大丈夫よ聞かないわ。
私は気づかぬふりをして彼の隣に座った。
その後私たちはこの部屋で簡単な食事をして、サレオスが残りの仕事を片付けるのを盗み見……じゃなかった、見守ってからすっかり暗くなったころに寮へと馬車で向かうことに。
公館の使用人が「え、泊まらないの?」という顔をしていたのは気のせいじゃない。いやいやいや、泊まらないよ普通、未婚の貴族令嬢は。
家出癖があるとでも思われているの?困ったわ、不良令嬢だと思われたら結婚に差し支えるかもしれない。
「どうしたマリー」
挙動不審な私を見て、サレオスが声をかける。さりげなく肩を抱かれて顔を覗き込まれると、直視できずに両手で顔を覆って悶えた。
「何もないわ、大丈夫」
実は全然大丈夫じゃない。好きすぎて内臓がちぎれそうなくらいよ。
あぁ、そんなに自然に肩に触れないで、発火するから。
私がストーカーからサレオスを守ってあげないといけないのに、こんな風に優しくされると守られることを受け入れてしまいそうだわ。
使用人たちの視線が生暖かい。拉致疑惑は払拭されたはずなのに、未だに彼らの中で私は「第二王子の恋人」という誤認識が継続中らしい。
サレオスはそれを放置している上、玄関先なのに私の手をスッと持ち上げて指先や甲にキスしたりするものだから、もはや訂正できたもんじゃない。
世界の謎である人体発火の原因は、キュンの詰まりすぎだと思う。全身が発火しそうなくらい熱を持った私の命は、風前の灯火という感じだった。
「また遊びに来ますね……」
そういうと、使用人たちに激しく頷かれてしまった。歓迎はされているようで良かったと喜ぶべきなのか。曖昧な笑顔で私は公館を後にした。




