そんなことよりさぁ
ロニー・リンドは幼い頃から何をしても周囲より優秀だった。家柄もよく、勉強も剣も魔法もできる彼の周りには常に人が集まり、さらには金色に輝くふわりと柔らかい髪、淡い紫の瞳は優しげで愛くるしい女の子のよう。物心ついたときには、人に囲まれるのが当たり前になっていた。
一方で、自分と違い父親似でキツイ顔立ちの姉・セシリアのことは、自分との差に哀みを抱いていた。
が、姉が年頃になり多くの男たちと浮名を流し始めたことで、その気持ちは軽蔑へと変わっていく。
上昇志向が強く自分こそ王太子妃にふさわしいと思い込む哀れな姉。どこの世界に貞操観念の緩い王太子妃がいるのか、そんな当然のことを彼女に伝える者は家族にも友人にもいない。
しかもリンド侯爵家の財政は、ロニーが生まれる前から傾きかけていた。それでも現状を変えようとしない父と母は、プライドが高く現実を見ようとはしない。成長するにつれ家族への苛立ちは募り、たびたび衝突しては卑屈な気持ちだけが膨らんでいく。
(なんで俺ばかりがこんな目に)
学園に通う頃には、入学準備もままならないほど懐事情は悪くなっていた。それでも学園を卒業しなければ、まともな仕事にはつけない。
親戚に少しずつ工面してもらい、何とか学費と最低限の生活費は用意することができたのだった。首席入学になれば学費が一部免除される。そう自分に言い聞かせて、入学前の一年間はひたすら机に向かった。
すでに家庭教師は雇えなくなってしまっていたが、それでも独学で勉強を続けて必死で足掻く姿を両親も姉も知らない。
入学試験の日、図書室に行ったのは偶然ではなかった。姉が以前から嫌っていたテルフォード家の娘が入っていくのを見かけたからだった。
偶然を装って接触し、純朴な青年を装って自分という存在を印象づける。そう、何人もの令嬢が自分に呆気なく陥落したように、例え王太子妃候補といわれる女でもすぐに自分に夢中になる、そう思っていた。
(何も苦労してませんって顔しやがって。甘やかされた侯爵令嬢が騙されたと知ったとき、どんな顔するのか楽しみだな)
そして入学後、予定通りに星祭りを口実に誘き出したつもりだった。まさか護衛だけでなく、使用人や友人、弟まで連れてくるとは思わなかった。
さらに、同じクラスにいるレヴィン・テルフォードは自分に会っても目線も合わせず挨拶もせず、隣にいるシーナ・マレットをずっと見つめている。いつもは深窓の美少年という完璧な外面で覆っているのに、恋に溺れるその姿はロニーにとっては情けなく見えた。
(俺から首席を奪っておいて、その体たらくはなんだ!?この#姉弟__きょうだい__#は俺をイラつかせるためにいるのか?)
それでも本心を隠し、長年培ってきた甘え上手の純真な少年の仮面を被って、心のうちを見せないように何とかやり過ごす。
ただ、マリーを口説くのは完全に失敗し、興味を持たれなかっただけでなくレヴィンと二人きりにされ唖然とした。
(どうしてこうなった……?男の趣味が特殊なのか!?)
去っていくマリーの後ろ姿とそれを追いかける護衛の姿を見て、ロニーはしばらく黙りこくったままだった。
正面に座るレヴィンは姉の奇行に慣れているので、諦めて串焼きをもぐもぐと食べている。
(こいつも外面と使い分けるタイプだったのか)
普通の貴族令息は、こんな風に肉を串に刺したまま直接噛みちぎったりしない。何度か食堂で見たときは、マナーの見本のような美しい所作で食事をしていたのに今それは見る影もない。
(俺は一体なにしに来たんだ。そしてなぜこいつはずっと食べ続けている!?)
言いようのない焦燥感に戸惑っていると、串焼きにパクついているレヴィンがこちらをじっと見つめて話し出した。
「おあえあー、んぐっ、あぬうえの」
「食ってから話せ!」
マリーやシーナの前で見せる天使のような微笑みからは一転し、苛立ちを露わにしたロニーの言葉はその内面を映すかのように荒れている。
でもそれを気にもせず、口の中で咀嚼した肉をゴクンと飲み込んだレヴィンは、リサが入れたジュースをごくごくと飲んでようやく話を再開した。
「おまえさー、姉上ひっかけてどうするつもり?持参金目当て?あの人、だいぶん頭がおかしいから国家運営費くらいの持参金じゃないと割に合わないよ」
ロニーをまっすぐに見る茶色の目は、よく見るとその色形、猫っぽいところが姉弟そっくりだった。
(国家運営費ってそれもう持参金の額じゃねぇよ)
鋭い視線を向けるだけで何も言わないロニーに対し、さらにレヴィンは言葉を続ける。
「かなり困窮してるらしいじゃん、おまえん家」
「なぜそれを知ってる!?」
ずっとひた隠しにしてきたリンド侯爵家の懐事情、まさかそれをレヴィンが知っているとは微塵も思っていなかった。
「うちの諜報部を舐めんなよ~。三国となりの貴族の懐事情くらいまではわかんだよ」
「いやもうそれ、ひとつの家としておかしいだろ」
テルフォード家が間諜や魔術師を数多く抱えていることは噂で知っていたが、ロニーは目の前の少年の飄々とした態度に胸の奥がざわついた。自分は決して踏み入れてはいけない者たちを相手にしているのではないか、と。
レヴィンは置いてあったナプキンで乱暴に口元を拭う。
「それで?何が目的なの」
また新しい串焼きを手にしたレヴィンは、何てことないような口調で問いかけた。やはりナイフなどは使わずに、串に刺さった肉を雑に噛みちぎる。
「あ、これウマイ」
もぐもぐと口を動かしながらも、まっすぐこちらに向けられた瞳に、ロニーは自分の考えや行動が見透かされているような気がしてまた少し苛立ちが募った。
「……別に。王太子妃候補の筆頭って噂で、アリソン先生やアルベルト様からも求婚されるような女がどんなのかって知りたかっただけだよ。俺のこの見た目に堕ちてくれれば、それはそれで楽しめそうだなって思ったぐらいで」
「へ~ぇ、でもアテが外れて残念だったな。姉上はあいにくサレオス様にしか興味がない変態だから、おまえなんかの手に負える人間じゃないよ。遊びでも本気でも他当たれ」
串焼きをもぐもぐ頬張るレヴィンに、ロニーはやけになって苛立ちをぶつけた。
「おまえに何がわかる!まともな親がいて、何でも思い通りになる頭も家柄も、容姿も何もかも持ってるおまえに……!」
二人のすぐそばに立つヴィンセントは、レヴィンが害される恐れを感じていないのかまったく動かない。静まり返った丘に、ロニーの声だけが響いていた。
「俺には……何もない!姉は男遊びが激しすぎて、王太子妃どころかまともな嫁ぎ先はまず見込めない。父親は賭博にハマって借金を重ねて、あげく事業の才能もないのに騙されて……母親は若い男を囲って豪遊だよ!すべてのツケは、家を継ぐ俺にまわってくるのに好き勝手しやがって」
机の上に拳をついて、感情のままに顔を歪ませる少年からはいつもの穏やかさは消え去っていた。
「……あいつら入学するとき何て言ったと思う?『せいぜい持参金の多い令嬢を捕まえて、親に楽させてくれ』って言いやがったんだぞ」
溜まった鬱憤を吐き出すロニーの瞳は仄暗い。ところがレヴィンは口の中のものを咀嚼し終わり、ゴクンと喉を鳴らして飲み込むと、まっすぐにロニーを見つめてようやく言葉を発した。
「そんなことよりおまえ水魔法使える?」
その場の空気が一瞬にして止まった。星祭りの喧騒が遠くから聞こえるが、沈黙が落ちる。
「は?」
ロニーが驚愕のあまり小刻みに震えだすも、レヴィンはまったくそれに気づかない。気づかないのか、どうでもいいのか、左手で頬杖をついて気怠げな態度を見せている。
「え、俺の話聞いてた?」
「聞いてたよ、だから『そんなことより』って言ったじゃん」
「レヴィン様……あまりにロニー様がお可哀想です」
呆気にとられるロニーを見て、同情したヴィンセントが口を挟んだ。しかしレヴィンは悪びれもなく、また次の串焼きを手にしながら眉根を寄せた。
「可哀想ってそれ俺じゃない?聞きたくないこと聞かされてさ~せっかくのメシがまずくなるじゃん!だいたいおまえさ、やり方が中途半端なんだよ。父親がダメなら家も爵位も奪えばいいし、姉がロクデナシならさっさと年寄りの後妻に押し込めよ。母親は実家に追い返せ」
「おまえ本当に14か!?」
レヴィンの言葉に思わず突っ込みをいれるロニー。
「どうにかなることなんて、どうでもいいんだよ。選択肢があるうちは絶望してる暇なんてないね、とっととやれ。あ、それで水魔法使える?」
「……」
二人の間には決して相いれない空気が流れていた。完全に勢いをそがれたロニーは、しばらくの沈黙の後、力なく頷いた。
「……使える。水と火、それから探知」
それを聞いた瞬間、レヴィンの顔がぱっと明るくなり、目を見開いて急に前のめりになった。
「へぇ!ハイスペック機能持ちじゃん!俺、北の国で見つかった魔窟に行きたいんだけど、差し当たって水出せるやつが欲しくてさー。水が出せたら荷物が格段に減るじゃん?あ、もう採用決定だから付いて来い、仕事料出すから!」
「は?」
「だから、魔窟に行くっていってんの!家の借金返せた方がいいだろ?それで親父を隠居させろ。俺は魔窟に行ける、おまえは金が手に入る、これでいいじゃん」
いきなりの提案に混乱するロニー。が、レヴィンはそもそも人の話を聞く気がないため、その勢いは止まらない。
「だいたいおまえ、自分が一番不幸みたいに言ってたけどさ~。魔窟に行きたいのに水魔法使えなくて荷物が多いって知ったときの俺の絶望わかるか!?」
「いや、それと一緒にすんな!」
「こっちはこっちで最重要事項なの!いつ行こうか~もういっそ休学していくか」
「休学!?まだ入学して一か月だぞ」
「はぁ?成績さえ落とさなければ何やってもいいんだよ。机にかじりついてても楽しくないじゃん?」
「だいだい……魔窟になんか行って、俺が裏切って背後から狙うとか考えないわけ?」
美少年らしからぬ言葉づかいで、おもいきり眉間にシワを寄せたロニーがバカにしたように言い放つ。
「うん、だから金づるになれば安心だよな~俺のこと裏切れないもん。いや~助かったぁ、媚売ってくるヤツとかうざいんだよね、わかりやすく金でつながってる方がまだ信用できるわ」
「……まともな親に育てられたくせにどうしてそんな性格になったんだ。おまえ、もしかして俺より不憫なやつなのか!?」
「は?まともな親が俺や姉上みたいなのを育てるかよ。え、バカなの?そういやおまえって成績は俺の次によかったんだよな~勉強しかできないタイプ?空気とか読めない感じ?」
「……」
おまえにだけは空気が読めないとか言われたくない、ロニーの目は確実にそう語っていた。上空にはすでに流れ星がいくつも出現し、でもそれを見る者はこの場に誰一人としていなかった。
「レヴィン、おまえさ。自分の姉を騙そうとしたやつを雇うのか?」
目を細めて不機嫌そうにするロニー。だがレヴィンは終始マイペースで食事を続けていた。
「んぐんぐ……騙せなかったんだからいいんじゃない?」
レヴィンの答えを受け、ロニーはさらに小馬鹿するように言った。
「へぇ、何だかんだ言ってもシスコンかよ」
ロニーの言葉に、レヴィンは肉を食べるのを止め、満天の星を見上げて笑った。
「そうかもな……姉上には幸せになってほしいんだよ」
「……」
「……」
二人の間に微妙な空気が流れる。
「それ、嘘だろ」
「あ、バレた?姉上がサレオス様に嫁いだらさ~トゥランのザザ鉱山で魔物狩り放題の素材取り放題って言われちゃったんだよね~」
ロニーは密かにマリーに同情し始めていた。半眼でただただ目の前の少年を見つめる。
「ま、いいや。そういうわけで、魔窟に行く日程が決まったら連絡するから!あぁ、あとバズーカの使い方も覚えてもらわないと」
「バズーカってなんだ、嫌な予感しかしない」
「大丈夫だ、トリガー握ってバコォンって撃てば敵が散る。わかりやすい武器だろう」
「いやまったくわからないけど!?動力はなんだ、魔力か?トリガーでってことは魔力の集約と発散がうまく連携しているってことだよな、現状そんな武器があるのか」
「お!?おまえ魔法道具づくりできる?助手で雇うのもいいかもな~。明日俺の部屋に来いよ、さっそく新型の実験をやろうぜ!」
「……もういい。考えるのが面倒になってきた」
諦めたロニーは、そこからひたすらバズーカについて語るレヴィンに付き合うことになった。




