昔の話をしようか【前】
トゥラン公館での4日間の滞在を終え、メアリーとマリーはようやくタウンハウスへと帰っていった。これにて人質(?)生活は幕を閉じることになる。
サレオスに別れの挨拶を、とやって来たマリーは淋しげに笑った。使用人たちは、驚愕のあまり二人の様子に見入る。
(殿下がマリー様を解放する……!?)
てっきりこのまま国に連れ帰るものと誰もが思っていたからだ。拉致ではなかったのかと根本が揺らぐ中、別れを惜しんで気を落とすマリーをサレオスは抱き寄せて頬にキスをした。
少し顔を赤くし、使用人たちの存在を確認してさらに動揺するマリーを見て、皆が和んでいたことを本人は知らない。
(あぁ、マリー様、我らが癒し。また来てくださいね……!)
しかしその直後、邸全体の気温が下がりつつあることに全員が危機感を覚えていた。
(早くっ、早くマリー様に嫁いでもらわねば……!)
こうして使用人の外堀までもが埋められていく。
◆◆◆
マリーたちが帰ってしまい、すっかり静まり返ったその日の夜、公館の裏口にはひとりの男の姿があった。
メアリーから「きちんと謝罪と説明をしてらっしゃい」と凄まれてしまったアラン・テルフォード侯爵だった。
サレオスには話があると昼間にすでに伝えてあったため、裏口からすぐに彼のいる部屋まで誰にも会わずに足を運ぶ。
室内に招かれると、上品なグレーの外套を脱いだ侯爵はサレオスの正面に座り、幾分落ち着いた表情を浮かべていた。
「妻と娘がお世話になりました。不本意で腹立たしい思いがないわけではないですが……ありがとうございました」
サレオスは苦笑いで礼の言葉を受け取る。正面からまっすぐに見れば見るほど、レヴィンにそっくりだと思った。
自分たちが二人で話をするのはこれが二度目になる。
前回は創立記念パーティーの夜、ルレオードにマリーを連れて行くにあたっての注意事項をひたすら約束させられたときだった。結局はほとんど守らなかったなとサレオスは心の中で自嘲した。そして同時に、絶対に目の前の人物には知られまいとも思う。
イリスが茶を淹れると、それを一口飲んだ侯爵がおもむろに話し始めた。
「私がここに来たのは、マリーについてお伝えしておかねばならないことがあるからでして……あぁ、もちろん今のあなたが娘に求婚できない事情は存じておりますよ。議会が終わるまでは動けんのでしょう。私はそれを知った上で、今のうちにマリーを嫁がせようとしました」
言い終わった後、「結果、見事に失敗しましたけどね」と呟く侯爵をサレオスはただ黙って見つめていた。
「ところで、サレオス殿下は本当にうちの娘を嫁に……ってあああ!やっぱりはっきり聞きたくない!言わないでいいです!」
頭を抱えてオロオロし始め絶望に打ちひしがれる侯爵を前に、サレオスは口元を引き攣らせる。そしてこの突然の奇行は、確実にマリーに遺伝しているとも思った。
一通り暴れてゼーゼー言っている男を前に、サレオスはかける言葉のリストを探すも見当たらず、結局向こうから話すのを待つことにする。
ふぅ、と大きなため息をついた侯爵は、視線を落として話し出した。
「本来ならもっと早く話をしていればよかったのですが……まさか殿下がマリーをそばに置くとは思ってもおらず」
「予想外だったと?」
サレオスの目を見て、侯爵は苦笑する。
「いえ、想像したくなかっただけかもしれません、娘は手元に置いておきたいですから。殿下がうちの領地の本邸に来られたときから、こうなることは……いや、もしかするともっと前から頭の片隅ではわかっていたのです」
淋しげに笑う侯爵に、サレオスはもう何年もまともに口を聞いていない父の姿を重ねた。それを知ってか知らずか、侯爵はサレオスの顔をじっと観察して、小さく息を吐く。
「殿下はディル陛下によく似ておられる」
「父に、ですか」
サレオスは意外だという風に眉根を寄せた。その不満げな表情に侯爵は苦笑する。
「ディル陛下がこちらに留学しておられた頃の、20歳くらいですか、その頃の陛下によく似ておられる。まぁ、姿形だけですがね」
「昔から父をご存知で?」
「ディル陛下はわが国で留学中、私と同じクラスでしたよ、サレオス殿下とマリーのように。もっとも陛下は4つ年上で、留学生だったため2年遅れで入学し、私は2つ飛び級でしたがね。ディル陛下はなんというか、陽気なおバカ……いえ、ご機嫌な戦闘狂……いえ、王太子なのにサボり癖のある」
「あ、もういいです父のことは」
二人の間に気まずい空気が流れた。コホンと咳ばらいをした侯爵は、自分の不敬はそのまま流して話を進める。
「私が十年前に、当時の大臣と共にトゥランに外遊に行ったのもディル陛下が『おまえの家族が見たい』と直々に指名してきたからでした」
外遊に家族を連れていくことはめずらしくないが、まだ二歳だったエレーナまで連れて家族全員でトゥランに向かったのは国王からの指名があったからだと侯爵は話す。
「外遊とは名ばかりの旅行でした。仕事をしたのは初日だけで、あとは毎夜ディルと酒を呑みたわいもない話ばかりをして……実に楽しかった。あぁ、その中で殿下の妃にマリーをという申し出もディルからありましたが、私はもちろん拒否しましたよ」
「は……父がそんなことを」
自分の知らぬうちに父が過去にそんな話をしていたとは、とサレオスは驚き、そして今は母を亡くしたことでほとんど引きこもっている父の弱弱しい姿が頭の片隅にちらついた。昔は兄とよく似て陽気すぎる父だったが、ここ数年は母の好きだった温室に引きこもっていてほとんど口をきいていない。
「ディルは昔から殿下のことを気にかけていました。あなたのお立場では国内の貴族から妃を娶ることはできないだろうと……それでマリーをくれないかという無茶を言って寄越したんですよ」
「……」
父の話から少し視線を落としたサレオスを見た侯爵は、それに気づかぬふりをして本題に入った。
「まぁその話は今はもう過ぎたことなので。ところで、マリーがトゥランに行ったことを覚えていないのはご存知ですか」
「ええ、そのようですね」
サレオスの答えに、侯爵は小さく頷いた。
「それに魔術師が関与していることもお気づきでしょう、殿下なら 」
サレオスの後ろに控えていたイリスが、わずかに反応を見せた。しかしサレオスは微動だにせず、静かに話を引き継いだ。
「子供の頃の話なのでまったく記憶がなくても不自然ではないですが……なんらかの方法で操作されていることはわかっていました」
「マリーに過去のことは話してませんよね?」
「俺はなにも。魔力が記憶に干渉してるとなればそれを無理にこじ開ければどうなるかわかりませんから」
サレオスの答えに、侯爵は少し満足げな顔をした。
「殿下のご判断は正しい。できれば思い出させないでいただきたい」
「俺は今のままでいいと思っています。でも自然に記憶が戻る可能性は?」
侯爵は小さなため息をつくと視線を紅茶のカップに落としたが、褐色の水面に映る自分の顔がひどく弱々しく思えてすぐに視線をずらす。
「先日、マリーが母親に『レオちゃんを知らないか』と聞いたそうです。もう思い出すのは時間の問題かもしれませんが……マリーの記憶は私が術者に依頼して封じ込んでもらいました。もう十年、いつ戻ってもおかしくないとは思ってましたがなぜ急にこんな……」
不思議がる侯爵に対し、サレオスは戸惑いながらも正直に話した。
「俺のせいだと思います。茶会の数日前、マリーがどうしても魔力量をあげたいというので、俺が自分の魔力を流し込んで彼女の中に干渉しました。そのときマリーの魔力の流れが歪だったというか、干渉できない部分があるというか」
「おまえかー!」
言葉が終わるよりも前に、侯爵が叫びながらサレオスに掴みかかった。
隣国の王子にあまりに無礼な行いだが、イリスは止める気がないようでまったく動かない。胸ぐらを掴んだままの状態で、侯爵の叫びは続く。
「なんてことをしてくれたんだ!魔力に干渉なんてしたらそれこそ記憶が戻りやすくなる!
あああああ、しかも何でもできるところが腹立たしいっ!顔がイイのも気に入らないっ!取り乱さないところも可愛げがないっ!やっぱりこんな男にマリーをやりたくないぃぃぃ!」
あまりの言われように、イリスが思わず口を挟んだ。
「侯爵、私情が漏れすぎです」
「マリーに関することはすべて私情だ!もう知らん、このまま話させてもらうぞ!不敬とか細かいことは言うなレオちゃんよ」
「その呼び方やめろ」
眉根を寄せて顔をしかめたサレオスは、侯爵の手を振り払った。
「冗談だ、気持ち悪い!」
ソファーにどかっと腰を落とし、腕組みをした侯爵は少しの間沈黙して気持ちを落ち着かせようとする。
そして長いため息をついた後、十年前に起きたある出来事について話し出した。




