サレオス視点【4】拗れた原因は
学園祭が終わった直後からのサレオス視点です
学園祭が終わり、いよいよ試験が終われば長い長い休みに入る。ルレオードにマリーを呼んだとはいえ、今の俺にとって何十日も会えないことは苦痛以外の何物でもない。
そしてまた誰かに攫われやしないかと、俺はずっとマリーの行く先につきまとっていた。すれ違う男を無意識に威圧する俺の仄暗さには一切気づかず、にこにこと笑うマリーに少しだけ後ろめたい思いが生まれる。
今のところマリーは俺が触れても嫌な顔ひとつせず、相変わらず無防備なこと極まりない。俺が眠れば隣で眠り、髪を撫でれば気持ち良さげに目を細める。
……これは懐かれすぎていないか?猫なのか?男として見られていないのでは、と疑念さえ抱く。触れれば触れるほど、俺の欲は大きくなるというのに。
そんなある日、マリーが嬉しそうに言った。
「王城でのお勤めは、外務担当室だけになったの」
フレデリックに強制的に召し上げられるかもしれないと聞いたときは「いっそ国ごと滅ぼしてやろうか」と密かに思っていたところ、クレアーナに「サレオス様、テルフォード領から東は残してね」と言われて思いとどまった。
そんなに顔に出ていたのか、ジュールにまで「俺、騎士団入りたいから国がなくなると困る」と暗に勤め先をなくすなと注意される始末で。ジュールの背後で震えるアイーダの姿に、さすがに申し訳なくなった。
でもそんなことは杞憂に終わる。さすがはマリーの父親というか、フレデリックの裏をかいた見事な囲い方をした。
だが、それでも俺がそばにいない間にマリーがどうにかされないかと焦りだけが募る。
シーナは俺の反応を見てにやにやしていた。俺の焦りと苛立ちを知って、明らかに遊んでいるがあえてそこは何もいうまい。墓穴を掘る予感しかしないからだ。
シーナ・マレットは、年相応でない考えや行動をするときがある。マリーも大概おかしなことをするが、シーナはシーナでどこか人生を悟ったような変わったところがあってやはりおかしい。
遠慮のない話し方や物言いが俺には気楽で、周囲は俺がキレないかビクビクしているがこれまで腹が立ったことはない。シーナは、まるで気心知れた男友達のような感じだ。さすがに失礼すぎるから本人には言わないが。
だからシーナが「お礼といえば頬にキスだろう」と言い出したとき、深く考えずにただおもしろがってしまった。
マリーは少し触れただけで真っ赤になり、そこがまたかわいいと思っていたのだが、頬にキスなんてことができるわけがないと思ったからその提案に完全に悪ノリした。
シーナは言うだけ言って去っていったが、マリーと二人になれるのはこの日が最後だとわかっていたから素直に喜んだ。
「……できる、わ。それくらい!」
「じゃあ、いつでもどうぞ?」
マリーが真っ赤な顔をして、やや震えているのがわかり、俺はおもしろくなってどうするのか観察することにした。
俺が途中で本を読み始めても、マリーはこちらを凝視して相変わらずぷるぷる震えてタイミングを計っているようだった。
「うっ……いきます!」
「どうぞ?」
できないのに何度もやろうとするところが可愛く思える。時間が許す限りこのまま遊んでしまいそうで俺は苦笑した。
「あの……」
「ん?」
「また今度でもいいですか?」
俺は我慢できずに噴き出してしまう。その反応を見てマリーは目を閉じて何やら悔しがっているのか恥ずかしがっているのか、興奮気味に拳を握りしめていた。
少しからかいすぎたか。……かわいそうになってきた。いつもは素直だが、今日はなぜか意地を張っている。
ここまで俺は「どうせできないだろう」と思っていた。まさか本当にするつもりだったなんて、微塵も予想していなかったんだ。
そのときふいに、明日の夜には叔父上と一緒にここを#発__た__#つことを思い出し、まだマリーに伝えていなかったと気づいた。すでにトゥランの公館に荷を運び込んでいるし、マリーの試験が今日で終わることを思えば今しか告げる時間がない。
「言い忘れてたんだが」
俺の頭の中はすで明日の出発のことが占めていた。だから俺が動いた瞬間、マリーの唇が頬に触れるとは思ってなかったんだ。
「!?」
柔らかい感触に驚いて頭が真っ白になる。そして、唇の感触と一緒にやってきた甘い香りに理性が吹き飛んだ。
一瞬でマリーは跳びのき、どこかぶつけたのかガンッとすごい音がした。
マリーが痛がりながらも、顔も首も手も真っ赤にしてソファーに上半身を倒しているのが視界に入る。
「ご、ごめんなさい!」
なぜマリーが謝るんだろう。動いたのは俺なのに。
「……怒ってる?」
「なぜだ?」
怒るのはマリーの方じゃないのか?からかった俺に対して苛立ちはないのか?
マリーの両腕に手をかけて身体を起こさせ、顔を覆う手を引き下げる。
涙目で、真っ赤になりながらじっとこちらを見つめる顔が堪らなく愛らしかった。全身がゾクッとするのを感じた。
この娘は俺のものだ、そう思ってしまった。男として見られていないなら、いっそこのまま……。
頬にキスをすると、マリーの肩がビクンと跳ねる。鼻先と唇に触れた柔らかな肌が、堪らなく気持ちよくてその先を求めてしまいたくなった。
衝動的に唇も重ねてしまえば、柔らかな感触が俺の思考を麻痺させた。抵抗されないのをいいことに、何度も口づける。
他の男にはやりたくない、もう俺のこと以外は考えるな、と思いながら唇を合わせた。
しばらくして理性が戻ると、同時に「俺はまずいことをしたんじゃないか」と不安が頭をよぎった。マリーを見ると、驚いた顔をしていて、どうしていいかわからないといった感じだった。
そういえば頭をぶつけていなかったか。マリーの顔を見ていると、ふとそんなことを思い出した。頭を撫でてみるが、何の反応もない。放心している。
……やりすぎた。これは絶対にやりすぎた。もっと軽く、冗談で済ませられる程度にすることもできたはずだ。衝動に身を委ねすぎて、頬にキスするだけで動揺していたマリーの唇を無理やり奪ってしまった。
あぁ、やってしまった。これはさすがに、ない。ありえないことをした。マリーを俺の手元に置いておく方法を、とは思ったが、これはちがう。間違ったにもほどがある。
俺はその場をすぐに去った。部屋を出た後、扉にもたれて額に手をやり、ひとり後悔に苛まれる。
マリーはどう思った……この次はどんな顔して会えばいい?
俺はとんでもないことをしでかしてしまった。
動揺した俺はこの後の試験で加減ができず、的ではなく遠くの山を消し去りそうになった。手に集めた魔力がどうにも制御できない。
「うん、もうやらなくていいから、満点あげるから!」
泣いて縋ってくる教師がうっとおしい。なんで大の男が泣いてるんだ……。
寮に戻り、叔父上やイリスの顔を見るといたたまれなかった。俺はそのまま無言を決め込み、不自然だと思いながらもイリスの問いかけにいつも以上に黙秘を貫いた。
ストークスホルンへの道中は、叔父上の惚気を聞く地獄のような時間でさえ、マリーのことを考えずに済む救済のようにも思えた。……最初のうちは。
マリーはルレオードに来るだろうか。考えるほどに落ち着かず、苛立ちが募る。
しかしそこに、城で兄上との再会を果たしてすぐ宰相や貴族連中から見合いを強制されればもう限界だった。
だがそこでようやく、俺はマリーがルレオードに来ることの危険性に気づいたのだ。マリーが来るとなれば、俺の気持ちに気づいた強欲な連中が危害を加えかねない。いや、絶対に何かするはずだ。それだけは避けたい。
俺が心を殺してただの友人として徹すれば、マリーが傷つけられることはない。それしか、ない。
どうにかしてマリーが滞在する五日間をやり過ごそう、そう決意するのだった。




