朝市デート
翌朝、まだ薄暗い時間に私とサレオスは二人で市場に出発した。仕入れの料理人や商人たちが食べる朝ごはんを求めて、というのは口実で私の中では完全にデートである。
私は町娘風の白シャツにオレンジのスカート、茶色のコートを着てどこにでもいる庶民の女の子に変身。サレオスは庶民風の長袖シャツに黒のベスト、黒いズボンというシンプルなスタイルだけど、黒髪が目立ちすぎるのでフード付き黒いローブでなんとかごまかしている。
でも溢れ出るイケメンオーラと細身のスタイルの良さが、どうしても「ここにイイ男がいますよ」と知らしめて留まらない。フードからちらっとのぞく、凛々しい目や男らしい首筋が堪らない。どうしよう、もうやめたはずなのに観察日記のペンが走りそうだわ。
そう、観察日記といえばやはりなかったことにするのは無理だったようで、ばっちり内容を記憶されていた。
「無理に出かけなくても、邸の中にいてもよかったのよ?」
私がそう言うと、穏やかな目でサレオスが言ったの。
「でも出かけたいと書いてあっただろう?」ってね!
目の前が真っ白になったわ。1日も早く忘れて欲しいと切に願った。
「ねぇ、もしかして私が書いてた内容、全部覚えてるの?」
「……それなりに」
はい、全部ってことですね?打ちひしがれている私の髪を優しく撫でてくれたけれど、しばらくはダメージが残りそうだわ。もう全力で忘れるために、今日のデートを満喫しようと心に決めた。
「マリー、行くぞ」
そういうと自然に手を繋いで、サレオスは私の少し前を歩きだす。二つに結んだ白金の髪を揺らしながら、ご機嫌な私は彼にぴったりとくっついて進んだ。うっとおしいと思われない限界ってどこかしら。
「うわぁ、早朝なのにすごく賑わってるのね!」
市場にはすでにたくさんの人がいて、どの屋台も活気に溢れていた。サレオスはわりとうろうろしているのか、王子様とは思えないほど慣れた様子で歩く。
ハムやチーズ、野菜を挟んで焼いたクロックムッシュがおいしそうだったので、私たちはスープと一緒にそれを買って広場の長椅子に座った。
着くまではもうデートが嬉しすぎて朝ごはんなんて食べられないんじゃないかと思ってたけど、実際に温かいスープやパンを手にしてみると食欲が湧いてくる。食いしん坊と思われない程度に、控えめに食べなくては……!
野菜たっぷりのポトフに羊の肉が入った椀を持ってフーフーしていると、サレオスが自然な所作で私の前にスプーンを向けてきた。
スプーンの先には、彼の分のスープが乗っている。
こ、これは食べろというの!?公衆の面前でそんな恋人同士みたいなことを!?躊躇う私の口に、容赦なくスプーンがねじ込まれた。
「んぐっ……おいしい。ちょっとからい」
黒胡椒がピリッと舌を刺激する。
もぐもぐしていると、ものすごく視線を感じた……のでおそるおそる隣を見上げると、安定の無表情ながらにも何となく意味がわかってしまった。
「あ……」
こ、これは食べさせなきゃいけないのね!?いや確かにこのままだったら私だけサレオスの分を食べちゃってお返ししないってことになっておかしいけど!
やるの!?あ~んってやるの!?
スプーンを握る手が急激に震えだした。
落ち着くのよマリー、こんなことキスするのに比べたらなんてことないはずよ。
深呼吸して、もう一度サレオスの方を見上げる。
「「……」」
あああああ何この空気!私がさっさとやらないから妙な沈黙が漂ってるー!どうして私はこんなに小心者なの!?
動揺のあまり息を吸って吐いてを繰り返す、そんな私を見て笑いをかみ殺す声が聞こえてきた。
「くくっ……ふっ……」
フードを被った顔を背けているからわからないけれど、完全に肩は揺れてるし笑い声漏れてるし。
私たちが座る、不安定な木の長椅子も揺れている。
「そんなに笑わなくてもよくない!?」
私が声を上げると、ようやくこちらを向いて「ごめん」と呟くように彼は言う。
そして椀を持つ私の手首を左手で掴むと、それを自分の口元に持っていった。
「こっちでいい」
スプーンは無理と判断したのか、椀から直接スープを飲むサレオス。
「なっ……!?」
椀を持っているのは一応私だから、これは私が飲ませたことになるの!?王子様が椀から直接飲むってアリなんだろうか、いやいやそもそも市場に来ている時点でおかしいか。
スープを一口だけ飲むとすぐに私の手は解放されて、無駄に心臓だけバクバクなっている状態が続いた。
恋人ごっこは大変だわ……!恋愛初心者にはまだ早かった!
「マリー、こっちのパンもうまいぞ」
「んぐっ!」
その後しばらくは、餌付けのようにパンやスープを食べさせられてしまった。どうしよう、エリーたちだけでなく、好きな人までお母さん化が止まらない。もはや子供として見られているのでは、と心配になってくるレベルだわ。
朝食をのんびり食べた後、私たちは市場から続く路地を抜けて歩いた。食後のお散歩である。
サレオスが忙しいことはわかっていたから、私は朝食を食べたらすぐに公館に戻るつもりだったんだけど、「今日は休みにして一緒にいるから」と言われてしまったのだ。
私は申し訳なくて、戻ろうと提案する。
「一緒におでかけできたもの、十分よ」
すると立ち止まったサレオスは私の方を向き、少し不服そうな顔をして言った。
「マリーは今すぐにでも戻りたい?」
うぐっ……!拗ねたみたいな目がかわいい!許されるならずっと戻らずに一緒にいたいに決まってる。押しかけ妻も妻のうち、ひとり駆け落ちという言葉が生まれるのも時間の問題かもしれないわ。
晴れた空に茶色の落ち葉が広がった川沿いの道に、私はゴロゴロ転がりたいほど悶えた。
必死で首を横に振ると、頭をクシャッと撫でられて抱き寄せられ、頭にキスをされた。私は人目を気にしてキョロキョロしてしまうのに、何の照れもなくこんなことをするなんてどういうこと!?
もう今すぐ好きって言いたい。
でも言えない。なぜなら私はヘタレだから。
あぁ、自分と同じだけ好きになってほしいだなんて贅沢は言わないわ。そばに置きたいって思ってもらえるくらいに好いてもらえるなら……!
じっと横顔を見上げていると、視線に気づいた彼がこちらを向いてふっと穏やかに笑った。
くっ……好きすぎて心臓が痛いっ!
繋いだ手を今すぐぶんぶん振り回してスキップしたい気分だわ。でもそんなことにサレオスを付き合わせるわけには絶対にいかない。この人スキップとか絶対しないわ。
「マリー?どうかしたか」
はっ!しまった、まさかスキップしてるところが想像できなくて悩んでましたなんて言えない。
「どう、って?何でもないわ、楽しいわ」
無理やりごまかして笑うと、彼は少し不安げにこちらを見つめた。
「もしかして、寮に戻りたくなったか?やはり突然環境が変わって」
「いいえ、全然、まったく」
うん、本当にそこは大丈夫だから。クレちゃんはお昼間に会いに来てくれたし、シーナとアイちゃんからお手紙ももらえたし、たった4日でホームシックにはならないわよ。図太いの、私。
「マリーを見ていると……こっちに連れてきてから食事の量が少ないのではと思っていた。アガルタの食事とは少し違うから、食が進まないのでは?」
「そんなことないわ!」
確かにアガルタの料理とはちょっと違って、何でも焼くうちの国に対してトゥランは煮込み料理が多くてちょっと味が濃い目だけれどおいしいもの。私は慌てて否定した。
女子たるもの濃い味が好きとかこってりが好きとか口に出してはいけない空気があるけれど、私ってばトゥランの料理に絶対ついてくる付け合わせのマッシュポテトなら、じゃがいも30個分くらいは食べられる自信があるわ。
殺人的な塩とカロリーなんだろうけど、香辛料もきいたジャンク感がたまらないのよ!寒い地域の料理って味が濃くて最高よね。アガルタの焼きベーコンを超えたお気に入りの出現に浮かれたもの。
「出される料理はどれもおいしいの。ただ、運動不足だから量を少し控えてたのよ。病弱設定で休んでるのに急に太ったらおかしいし、サレオスに嫌われたくないし……気にさせたならごめんなさい」
私は手を両手でぎゅっと握って訴えた。ちらりと見上げれば、優しく見つめ返す視線があった。
「太ったくらいで嫌いになったりしない。それにまたすぐ痩せるだろう」
出たわ。全国の、いえ、全世界の女子に睨まれる発言が!男子と女子では筋肉量が違うから消費できるカロリーが違うのよ!
しかも魔法を使う人は、常に魔力を維持しなくちゃいけないから痩せやすいって聞いたわ。クレちゃんは「嘘つけゴラァ!」ってキャラが変わるほど異論を唱えてたけど、サレオスを見てるとやっぱりそうなんだなって思うもの。
黙り込む私を見て、サレオスは自分の失言に気づいたのか表情が少し変わった。
「まぁ……その、食事が喉を通らないというわけでないならいいんだ」
あ、話を終わらせましたね!困ってる空気がかわいくて、私はつい笑ってしまった。
「ふふっ、大丈夫よ。心配してくれてありがとう。ずっとここで暮らしたいくらいだわ」
ええ、ここにサレオスがいるなら新婚ごっこができるしね!
「そうか……それなら向こうに行っても安心だな」
ん?向こう?それはどういうことかしら。
「行くって、トゥランに?」
私が尋ねると、サレオスは視線を逸らして何かを考え出してしまった。聞いちゃいけないことを聞いたのかしら?
「あぁ、夏の建国式典のこと?確かに食事も違うし初めて行く場所だから大変かも!」
そんな先のことまで心配してくれるなんて優しすぎる!今すぐ抱きつきたいくらいだわ!私がキュンに悶えていると、彼は優しい目で笑ってくれた。そして立ち止まり、突然に唇を合わせた。
「!?」
どうしよう、幸せすぎて死ぬかもしれない。こんな時間がずっと続けばいいのに、そう思いながらお散歩は続いた。




