人質生活
朝になり、私がうとうとしていると、サレオスはゆっくりと起き上がって部屋を出て行った。
しばらく観察されているような視線を感じたけれど、目を開ける勇気はなかった。寝込みを襲われない女、それがマリーです。いよいよ本気でシーナ姐さまに相談しなくてはいけないかもしれないわ。
彼がいなくなった瞬間に起き上がると、昨日からの出来事を反芻して悶えた。ついにお泊りをしてしまった……!記念にこの毛布を持って帰りたい。私は毛布にくるまってゴロゴロとベッドの上を転がってしまう。
はっ!お母様と一緒の部屋に泊まったことにしてもらわなきゃ、こんなことお父様が知ったらサレオスを殺しに来るかもしれない。何もありませんでしたって言っても通用しない……あ、ダメだ。キスしてるから何もなくはない。こんなことが知れたら、暗殺者なんて雇わずにお父様自ら乗り込んできそうね。
私がそんなことを考えていると、なぜかリサがやってきた。イリスさんに呼ばれたそうで、もうすぐエリーも来るらしい。妙にニコニコしているリサは、やたらと私の体調を気遣ってくれる。
「マリー様、そんなに勢いよくベッドから飛び降りてはいけません、お体に障ります」
「ええ?元気よ私」
「とにかく、何事も初めてはつらいといいますのでまずはお風呂でゆっくりなさってください」
「……?」
確かに殴られて気絶したのは人生初体験だったわ。でもお腹に打撲の跡もないし、痛くもないし元気なのに。私はそれからリサにやたらと労わられてお風呂に入り、着替えをして、リビングでのんびり過ごした。
リサが淹れてくれたお茶を飲んでいると、「ところで既成事実はできたのですよね」と普通に聞かれておもいきり噴き出してしまった。どうして「朝ごはん何にしますか」と同じテンションで聞けるの!?
「そんなわけないでしょう!?」
もちろん全力で否定した。
「違うからね!?」
「……残念です」
こら、残念ですってなによ。ダメに決まってるでしょう、婚約も結婚もしていないのに!不服そうにむくれるリサを半眼で見つめる。
「はっ!マリー様、クレアーナ様からの伝言です」
急にシャキッとして仕事モードに入ったリサは、エプロンのポケットから白い封筒を取り出した。私が中身を確認すると、「今日はもう学園は休むように」とクレちゃんの字で書かれたメモなどが入っていた。まだ学園には余裕で間に合う時間だけど、今日登校するとどんな好奇の目で見られるか予想がつく。私は言葉通り、学園を休むことにした。ちゃんと返送用の紙と万年筆まで添えられてあるのはさすがだわ。
--コンコン
私がサレオスの部屋でクレちゃんへの返事を書いていると、見知らぬメイドさんがやってきた。私は今どういう状況なのだろうと一瞬ドキッとしてしまうものの、とても友好的な笑顔で挨拶をしてくれた彼女は、「サレオス様がご一緒に朝食をと申しております」と言った。
にっこり笑ってお礼を言うと、彼女の後から着替えのワンピースなど一式を持ったエリーが入ってきた。大きなトランクに小物などが入った箱に……なんか荷物多いな。ここのメイドさんたちも手伝ってくれるようで、何だかものすごく自然に私の存在が受け入れられていて怖い。
「あの……私ってその、なんていう風に聞いていますか」
トゥランの公館ってことは、ルレオードの延長で恋人設定なんだろうか。30代前半のベテランっぽい女性に尋ねてみると、彼女はにっこりと笑ってこう答えた。
「大切なお客人だと伺っております。サレオス殿下が想い人を拉致……ではなくお招きしたと」
今、拉致って言ったよね!?言い直したよね!?動揺する私を放置し、その女性はさらに驚きの内容を口にする。
「しばらく滞在されるというお話を伺っております。あとでお隣の部屋にご案内を」
「え?」
私は思わず目を見開いた。寮はそんなに遠くないから帰れるのに?しばらく滞在って、しかもサレオスの部屋の隣?混乱する私を置いて、メイドさんたちはいったん部屋を出て行ってしまった。
ブラシを持って私の背後に立つエリーに、おそるおそる問いかける。
「ねぇ、まさかと思うけれどお母様と私ってここにしばらく滞在するの?」
エリーの方を振り返ろうとした頭をぐいっと前に強制的に向けられて、細かく柔らかいブラシの毛先が髪を撫でていく。
「そのように聞きましたよ。昨日はちょっとびっくりしました、マリー様が忽然と姿を消してしまったので」
はっ、そうだった。何も言わずにテラスから出てきちゃったんだわ。慌てて謝罪すると、エリーは優しく笑った。
「いえ、大丈夫ですよすぐにわかりましたから」
あ、やっぱり探知したんだ。
「サレオス様と一緒に移動されているのがわかったので『これは駆け落ちか!?』と期待しましたが」
「ちょっと待ってなんで期待しているの」
「お着替えもされていないようだったので『はは~ん、これは拉致だな』と思ってそのままにしました」
「うん、拉致だと思うなら助けに来てね」
「え、拉致だったんですか?」
「いいえ、同意はしていないけれどサレオスなら歓迎だから自分でついてきたようなものね」
「でしょうね」
話をしている間にも、私の長い髪はサイドのわずかな束を残してキレイに編み込まれていった。
「はい、できました~今日もかわいらしい」
「ありがとう」
5分も経たずに髪のセットが終わり、私はエリーが持ってきてくれたピンクのワンピースに着替えてヒールのある靴を履くと、ちょうどやってきたイリスさんに案内されて朝食の準備が整った食堂へと向かうことになった。
私が食堂に到着すると、すでにサレオスとお母様がいた。制服を着ているサレオスはいつもの見慣れた姿だけれど、学校以外でこうして一緒にいるのがなんだか照れくさいわ。「朝からこうして会えるなんて一緒に住んでるみたい」ときゃっきゃして喜んでいると、サレオスの正面に座っていたお母様がこちらを振り向いた。
「おはようご」
「マリーちゃん!」
挨拶が終わらぬうちに、お母様は立ち上がって私の両手をぎゅっと握った。
「お父様にはハゲるほど後悔していただきましょうね……!」
不敵な笑みを浮かべるお母様の目が怖い。数年ぶりに見るけれど、これはマジなやつだわ!
「マリーちゃん、大丈夫よお母様が絶対にあなたの恨みを晴らしてあげるから……」
恨み!?なんかすごいことになってる!
「お、お母様!私は恨みを晴らしてほしいんじゃなくて、求婚がなかったことになればそれでいいんですよ!?」
ところが私の話なんて聞いちゃいないお母様は、何を企んでいるのかルンルンと聴こえそうなほど明るい笑顔で再び席に着いた。そして優雅な所作で紅茶を飲む。
「あ、そうだわマリーちゃん。今日はお休みするんでしょ学園。だったら一緒に観劇に行かない?」
いや、私は今日は病弱設定でお休みなんですが、と言いかけてふと気づいた。人質は観劇に行くのか、と。
「お母様、人質はうろうろしませんわ」
そういう私を見てくすりと笑ったお母様は、まるで私がおかしいかのようにサレオスに同意を求めた。
「まぁ、マリーちゃんたらそんな人質の模範みたいな。人の性格が多様なように、人質も多様なのよ。ねぇサレオス殿下?」
お母様に笑顔を向けられて苦笑いしたサレオスは、「すべてお任せいたします」と言って観劇を容認してしまった。
良いのだろうか、こんなことで……。不安に駆られつつも、私は朝食をいただいた後、登校するサレオスを見送って新妻ごっこを楽しんだ。しまった、親も親なら子も子だわ!
でも私の妄想を掻き立てる彼の存在がいけないの。だって好きすぎるんだもん。
「いってらっしゃい」
新妻気取りで浮かれてサレオスを送り出す私。
「いってくる。マリー、くれぐれも外に出ないように。イリスを置いていくから、何か必要になればあいつに頼め。
あぁそれから散歩なら中庭と邸内の東側までにしておくように。西側には訓練施設があって危険だ」
「わかったわ」
訓練施設って危険なのか、という疑問が浮かんだけれどそこには触れないでおく。
「西側はたまにレヴィンが来て、魔法を吸収する壁に向かってバズーカを乱射しているから特に危ない」
「あの子何やってるの!?」
私の知らないところで愚弟がお世話になっていたわ!でもサレオスはそんなことは大したことではないように流し、注意事項を次々と並べ立てる。
「部屋の中でも一人になるな。ゲストルームにはカードゲームなんかもあるから……もし退屈して庭に出るならエルリックを連れていくんだ。それにきちんと温かい格好をしていくこと、そして30分以内に室内に戻り温かい飲み物を」
「サレオス、多いわ」
どうしよう、好きな人までお母さん化しちゃうってこの現象はなぜ?流行病とかの一種なの?
「あと一つだけ、絶対に俺が戻るまで誰が来ても会うな。母君以外には、エルリックがいても絶対に付いていくな。うちの官吏でも伝令でも無視しろ」
「はい……」
「本当に?騙されても騙されなくても、付いて行くなよ」
私の信用がなさすぎる。しょぼんとする私を見て、サレオスは言いすぎたと思ったのか優しく頭を撫でてくれたけれど、でもまだ心配そうな顔をしている。え、トゥランの公館の中ってどんな危険スポットなの?ものすごく安全な場所だと思うんだけど。
私たちのやりとりを見た使用人の空気が「やっぱり軟禁してるんだ!」みたいになってるし、何人かが私を哀れんだ目で見ているし……違いますよ!?だいたい従者やアサシン連れで軟禁される令嬢なんていないからね!
サレオスは軽く咳払いをした後、「いってくる」と告げて出て行った。門のところまで見送りに出ようとすると、肩に手を添えられて「ここでいい」と止められてしまう。残された私は、もちろん扉の陰から彼の後ろ姿をこっそり見つめてキュンを堪能した。はぁ……いつか本当にこんな生活ができる日が来るのかしら。




